12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月31日『人形考2』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
また、『臥竜塾』ブログ2013年6月1日『人形考3』の中ではこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
たとえば、子どもが人形を使って遊んでいる場面を考えてみます。人形を赤ん坊に見立てて、お母さんのやるようなことをするとします。お腹がすくとミルクを与えます。おむつが汚れていると替えてあげます。一緒に散歩に行き、一緒に遊びます。その時の赤ちゃんは、場面によって様々な表情をするでしょうし、母親はその表情から赤ちゃんの要求を判断し、対応します。したがって、その時に遊ぶ人形には、いつも笑っている表情だけでは不自然になります。どのような表情にも見える程度の表情の方がいいかもしれません。しかし、だからと言って、目鼻がないといいのかというと、それは少し違うような気がします。(中略)
もし、目鼻をつけないことで、それを見る子どもの創造力をつけるという役割があるとします。本の読み聞かせをするときに、子どもたちは挿絵を見たがりますし、紙芝居のような話に沿った絵を見たがります。それは、かつてラジオを聴きながらその世界を創造してワクワクしていた時代から、テレビによってその姿が映され、そのものが限定されてしまっています。ですから、子どもたちは、話だけ、言葉、文字からだけでは不安になるようです。そのため、今の子どもたちに目鼻がない人形を見せると、「変なの!」と言って、創造するよりも不自然さを指摘するのです。それは、自然物を見立てて遊ぶよりも、より本物に近いミニチュアで遊ぶことが多くなった弊害の気はします。もっと、子どもたちの想像力を広げるようなおもちゃが多くなってほしい気がします。
さらに、この人形の〝つくり〟として、
- アイコンタクトを目的としていて、抱くと自然と目が合う。
- 抱いて見つめるとこっちを見つめているような感じがする。
「対人知性を育む上では目を合わせることも必要では。」と藤森先生は仰っていました。この可愛げのある目線は、対人知性へと繋がっていくのですね。
そんなことを裏付けるような、EPISODE 1で報告した朝の会の続きの出来事です。
可愛いですね。この日から、まりあちゃんとあんなちゃんは皆の仲間入りです。
次回、この新しいお友達との新しい生活風景をお伝えします。
(写真提供:わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組の先生方 報告者:加藤恭平)