社会のモデル

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先日、1歳児クラスの昼食後の掃除をしていました。床にこぼれている物を雑巾で拭き取っていると、ある視線に気づきました。一人の1歳児が、椅子に座ってこちらを見ているのです。その子は、パーテーションを抜け出し、掃除のために除けられた椅子にちょこんと座りながら、両手をモゾモゾと動かしながら掃除をしている大人を眺めていました。その子は何を見て何を思っていたのでしょうか。すると、数日後、その子は昼食後に自分が持っていたタオルで、汚れた床を拭いていました。その様子を見ていた職員は、「◯◯ちゃん、ありがとね。そのタオルじゃなくて、こっちのピンクの雑巾でお願いね。」と言って床用の雑巾を渡していました。手や顔を拭く用のタオルで床を拭いている子どもに「こんな汚いことしないで!」と言って取り上げてしまうのではなく、その行為を別の物や正しい物でできるように、その行為を可能にできるような環境を用意する事が大切であると思っているからでありますし、事前に掃除をする大人の様子を見ているその子の姿を把握しているからこそ、この対応にも意味が生まれるのかなとも感じました。

また、窓に模造紙を貼っている職員を見つけて、その様子をじっと見つめる1歳児がいました。定規と鉛筆を駆使してきれいに貼られていく紙を眺めていました。しばらくすると、1歳児が不思議な行動をし始めました。座りながら、両手を前に突き出し、左右に動かしたりしているのです。それは、目の前にいる職員の動きそっくりでした。どうやら大人の行動を模倣しているようです。すると、その子は「よし、いける!」と思ったのか、落ちていた紙を拾って窓に歩みより、自分でもやろうとしていたのです。紙を貼っていた職員はその子に気づき、「お〜◯◯ちゃん。来たかぁ〜。」と作業をしながら言っていました。個人的には、“作業をしながら”というところが好きです。

見る

見る

想像する

想像する

やってみる

やってみる

大人が黙々と床掃除をしたり、行事のために窓に模造紙を貼っている姿というのは、子どもにとっても社会の一部ですし、様々な役割を知る機会でもあります。

塾長は、こう言っています。

『なぜヒトは身ぶりを模倣できるようになったのでしょうか。ヒトは、社会を形成し、そこで助け合い、協力して生きてきました。当然、そのためには他者とのコミュニケーションが大切になってきます。その際、言葉だけに頼るのでなく、他者の身ぶりを頻繁に模倣し、また同時に模倣されていることに気付きます。他者の身体の動きに注目した模倣は、他者と同じ経験を忠実に繰り返すことを可能になっていきます。その結果、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることができ、他者がなにを考えているのか、何を意図しているのか、といった心的状態を、他者の行為を観察するだけで読み取ることができるようになります。それが対人知性と呼ばれるスキルで、現在生きていく上で、最も大切な知性であるといわれています。これは、自分が属する社会のメンバーと円滑にコミュニケーションするうえで、欠くことのできない能力であるからです。』

子どもに関わる全ての大人は、子どもが「属する社会のメンバー」であり、社会のモデルでもありす。そのような、大人の行動を模倣してみたり、子どもの同士でも、お互いに模倣し合ったりするような経験から、他者理解という相手とのつながりを自ら形成し、社会を学び、多様な他者を学んでいくのですね。子どもの、大人や他児の行動を模倣しようとする観察力や行動力、そして探究心にいつも驚かされています。

(報告者 小松崎高司)

社会のモデル」への1件のフィードバック

  1. 子どもの行為に対して、大人の意図していない行為だった場合に制止するような言動に出てしまうというのはその行為だけを見ていて、その子がどうしてそれをしようとしているのか、どんな思いでいるのかということを想像していないからでもあるように思います。まず、制止したり、怒ったりする前に一呼吸おき、その思いを考えることが大切だと教えていただける内容でした。それができるためには日々、子どものペースに合わせて、そして子どものことをしっかり理解しているからこそですね。そんなことが当たり前にできているからこそ、報告にあった先生方の対応が自然に行われているのだと思います。社会を学ぼうとしている子ども姿をもっと大切に考えた保育をしていかなければいけませんね。

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