園庭でも、異年齢での関わりがとても多く見られます。小松崎先生の報告の中に〝幅の広い異年齢集団を構成することによって、新しい知識や価値観を取り入れ、さらに自分たちの能力を定着させるため、「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境を意図的に設定している〟とありました。
カゴを押しているのは2歳児クラスの子。柵に掴まっているのは、1歳児クラスの子です。何やらじーっと見つめていますね。
見送ったようです。すると、何かを探してあっちへ行ってしまいました。
見つけて戻ってきました。
このような、関わりがとても多く見受けられます。ちょっと坂になっているこの場所でのカゴ押しは、1歳児のこの子にとっては少しハードルが高かったかのかもわかりませんね。でもやってみたい。やってみたら出来た!!2歳児のこの子は1歳児の子に教えようと思って、意図して目の前を何度も通ったわけではないのでしょうが、これこそ、〝「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境〟がそこにあるということであると思います。
また、これらの姿を見て異年齢の関わりそのものも素晴らしいなと思うのですが、何といっても、それらをよしとする職員の姿勢に心を打たれるのです。保育園の環境は、保育室や園庭のつくりいかんにせよ、大人が子どもに向ける眼差しによって大きく左右されます。
それをうまく説明できないのですが、例えば。カゴはその後別の遊びへその子が向かった為に、坂の途中に放置されました。多くの保育園では、もしかしたら「危ないから」「邪魔だから」「出したものは片付けよう」などして、元にあった場所へ大人が持って行ってしまうかもわかりませんね。ところが、そのカゴはずーっとそのままの状態なのです。それが、もしかしたら次の関わりに繋がるかもしれない、次の遊びに発展するかもしれない、という保育者からの意図であり、また、落ちているカゴ一つで、玩具一つでいちいちヤキモキしない(笑)心の余裕であると思うのです。
部屋や園庭の掃除を徹底することが保育者の大切な仕事ではありません。きれいにこしたことはないですが、掃除なら掃除のプロがいるわけで、その道の業者さんに任せればいいのですね(笑)藤森先生は、保育者の仕事とは『環境をデザインすること』と仰っています。
〝「教え・教わる」関係が自然に生まれるための環境を意図的に設定している〟。僕らは常に何らかの意図をもっています。その意図を、さも正しいことで片付けてしまうのはもったいないと思います。保育園で生まれるドラマの一つ一つにそのドラマが生まれる為の布石があり、その布石は、目の前の子どもや職員を見守ろうとする温かな眼差しによって生まれているのかもしれません。
(報告者 加藤恭平)
一人の子どもを追っていくと、こんなにも面白いドラマがあるのですね。私たちは普段、数十人という単位で子どもを見守っています。そのような環境では、全体を見渡すことも重要なのですが、個人個人の動きや思考に焦点をあてようとする機会を、いつの間にか自ら失ってしまっていることに気づかされます。しかし、加藤先生がこのように報告してくれたおかげで、私もこの子を知ることが出来ました。それこそが、チーム保育であり、複数で子どもを見守っていく上で大切にしたいことだなと学びました。
「自然に生まれるための環境」は大切ですね。環境をデザインすることが私たちの仕事です。綿密に練られた環境デザインももちろんですが、子どもの姿を信じて、柔軟な対応をする、柔軟に環境をデザインするという考え方もまた大切になってくるのかもしれませんね。出したものを片付けるということばかりに重点をおいている姿というのは子どもの力を信じているというより、大人の価値観を当てはめようとしている行為でもあるのかもな思えました。また、出しっぱなしのもので、何かが広がるんじゃないかということに意識がいくセンスのようなものも柔軟な姿勢からうまれるものなのかもしれません。柔軟はなんでもいいではなく、子どもの姿によって関わりを変える姿勢なのかもしれません。
k.takaさんへ
コメントありがとうございます!先生の報告を読んで、こうして新たな報告が生まれました。水の波紋のように、こうして子どもを見る目が深まり、その良い波紋が様々な良いことへと広がっていくことを期待してしまいますね。この度の渦の中心は間違いなく小松崎先生です。感謝しています。
もりぐちさんへ
コメントありがとうございます!〝柔軟はなんでもいいではなく、子どもの姿によって関わりを変える姿勢なのかもしれません。〟とあり、勉強になります。なんでもありでは、もしかしたら無法地帯となってしまうかもしれませんね(笑)もりぐちさんのコメントからいつも新しい気付きを得ています。今後ともよろしくお願いします!