自分でやることで納得する

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子どもが転んだ時どう対応するか?

これは誰しもが経験したことがある場面だと思います。先日も、1歳児クラスの散歩中に、ある男の子が何にもない所で突然転びました。たまたま私はそれを見ていました。他にも何人か見ていた職員、そして一緒に歩いていた子、手をつないでいた子も見ていたのですが、誰も特に声もかけず、その子の様子を何事もなかったかのように見守りました。すると、その子は転んだまま、しばらく何が起こったのか考え、何事もなかった様に立ち上がり、また歩き出しました。

 

もしここで大人が声をかけていたり、過度な心配をしたりすると、その子は泣きだしていたのかもしれません。ですが、「自分で転んだ」ということ、「いたくないか」などを自分で考えることで、自分で納得することができたのです。

 

こういった「自分で納得する」ということが大切な場面は、日常の中でよく見られます。

 

我が家でも、お風呂に入る時にそんな場面があります。私の娘は、髪を洗われるのが苦手です。まず一緒に体を洗い、次に髪を洗おうとすると、「後がいい!」と湯船に入ります。

しばらく遊んだ後、湯船から出るとそのまま出ようとするのですが、「シャンプーは後がいいって言ったよね」というと、しぶしぶ手を出して、シャンプーでごしごし自分の髪を洗い出します。

その時に、なるべく目に入らず早く終わるようにと、私がシャワーで洗うと「目目いたい!」と必ず泣きます。

ですが、自分でやらせるようにすると、洗い流す時間が長くなったり、どんなに苦しそうな感じになりしても、泣きはせず、ケロッとした顔で洗い流しています。

 

この場面で面白いなと思うのは、転んだ場合と違い、シャワーは自分の方が長く目をつぶる時間、水が顔にかかる時間があるということが、あらかじめ自分でわかっているのにそちらを選びで納得しているということです。

 

その感覚をどう表現していいのかは難しいですが、「自分でやることで納得する」そんな機会はまだまだいろんなところに隠れている気がします。保育をしていると忙しいタイミングもどうしてもあり、大人がやった方が早いと感じがちですが、「子どもたちに自分でやらせてあげる」そんな気持ちの余裕をしっかりと持っていきたいですね。

 

(報告者 西田)

自分でやることで納得する」への2件のフィードバック

  1. 自分で決めたこと、やったことに関しては言い訳のしようがないですよね。責任は自分にあります。誰かにやらされたことだと「あそこがああだったから」と言い訳ができてしまいますね。なんだか少し考えさせられてしまいました。どうなっても自分で決めたことをしっかりやり通す、これは大きくなってとても大切なことですね。そんな経験を小さい頃から体験することで、自分でやったことだからと感じることで、大人になった時に決断力のある、実行力のある、そして、なんだか優しい人になりそうなだなと思いました。迷わずに、こうだ!と信じることで良い結果がついてくるそんな心情にもつながるような気がしました。

  2.  とても興味深く、西田先生の観点の鋭さ、着眼点の面白さを感じるブログであると思います。更に西田先生のお子さんのこともわかるという(笑)様々な要素を併せ持ったとても奥深い味わいのあるブログであると思います。
     自分でやることで納得する。確かに転んだ男の子も、大人からしたら〝自分で起き上がるのは大変だろうに…〟と思う部分かもしれません。単純に起こしてもらう方が楽だし早いですものね(笑)けれど、自分でやるということが大切なのですよね。
     僕も、家では子どもが何でもかんでも自分でやりたがるので、最近は何でもかんでも「これはやる?」「これお願いしまっす!」と、先に言うようにしています。大人気ないのですが、僕も人から言われてやるより、自分からやった方が気が楽なので、息子から言われる前に頼む(笑)ということを実践しています。案外スムーズにいきます。自分でやって納得する、という西田先生のブログにとても納得です。

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