自由の制限

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先日、家族で動物園に行ってきました。うちの娘は決まって象と虎に大興奮なので、なんとなくのルートは決まっているのですが、その日はサル山がなんだか人だかりで盛り上がっていました。なんだろうと覗いてみると、サルのオスとオス同士がボス争いなのか、ケンカをしていました。その激しさと迫力に、みんな見入っていました。

 

もちろん私も面白いなと思って見ていたのですが、娘がふと「ケンカしてるね。危ないね。」と言い出しました。確かに、あまり見たことがないと“そんなことをするのか”と変な感じに感じるのでしょう。

一応、その場では、「お猿さんのリーダーを決めるためなんだよ」と、サル山のボス争いや、動物の本能といったことを説明したのですが、後で少し考えてしまいました。

 

それは、藤森先生の話で「ミラーニューロンが委縮していると人の痛みを喜んでしまう。」という話を思わず思い出してしまったからです。動物と人は違うと思うのですが、「争いを見て面白く感じる」というのも少し悲しい気もします。

 

ちょっと話がずれてくるのかもしれませんが、TVを見ていた時に興味深い話がありました。

内容は刑務所の話で、受刑者は毎日規則正しい生活しかなく、娯楽といったものがほとんどない。そんな中で過ごしていると、人はなんとか面白いことを探そうとするそうです。ですが制限された生活の中では、見つかるはずもなく、唯一見つけるのが、弱いものを見つけて、いじめるということだそうです。

 

刑務所という全く想像もつかない分野ですが、人の心理をついている問題だけに、子どもの世界にも似たような話があるのではないかと思います。もしも子どもたちの行動が制限され、自由がなくなったら、、。子どもたちはどのようにして、楽しみを見つけるのでしょうか。

 

子どもたちの中でケンカやトラブルが多いなど、いつもと違う様子が見られた時は、私たちが子どもたちの自由を制限してしまっているというサインなのかもしれませんね。子どもたちが正しく面白いことが探せるようなミラーニューロンになるように、環境をしっかりと調えてあげたいですね。

(報告者 西田)

自由の制限」への2件のフィードバック

  1. 制限された生活の中でおもしろいことは見つからず、いじめに向かってしまうということも起こっているのですね。いじめをしてしまうというのはどのような心理状態なのですかね。やはり、そのようの人のミラーニューロンも萎縮してしまっていたりするのでしょうか。いじめというとある隊のことを思い浮かべてしまいます。友人の友人が所属していたこともあり、又聞きでいろいろなことを聞きましたが、私からするとちょっと耐えられない話でした。藤森先生のブログの中に自由を制限されると人はそれを取り戻そうとするというような内容がありましたが、制限されたその感情を自分以外の相手をいじめるという征服感のようなもので、回復させようとしていたりすのでしょうか。なんだかよくわからなくなってきましたが、制限ばかりの保育をしないように気をつけないといけませんね。

  2. さすが西田先生!と感じてしまう素晴らしい内容の報告です。西田先生の物事の捉え方、いつも本当に勉強になります。
     人は死んだら天国や地獄に行くとされていますが、死ななくても地獄は体験できるものなのかもしれません。〝制限された生活の中では、見つかるはずもなく、唯一見つけるのが、弱いものを見つけて、いじめる〟とあり、これこそ地獄ではないかと思いました。相手をいじめたり、相手の弱みに付け込んだり、長所ではなく短所を直すよう指導という名の憂さ晴らしばっかりをやっている職場もありました。そういった職場は最早刑務所や地獄のようなものですね。早く辞めないといけません。
     〝子どもたちが正しく面白いことが探せるようなミラーニューロンになるように、環境をしっかりと調えてあげたい〟と本当にそう思います。保育園も利用者が選ぶ世の中に変わってきています。ぜひその目で、その保育園が何をしているのかをしっかり見る必要があると、改めて感じました。

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