人は、各々様々な趣向で相手に、自分の思いを伝えようと表現していると思います。言葉であったり、顔の表情であったり、沈黙であったり、行動であったり…。その趣向を変えていくことで、表現の幅が広がったり、多様な視点を身につけたりすることもあるかと思います。
ということで今回は、少々考えすぎてしまうところがある私が、子どもたちを見て素直に感じたことを、普段とは違った(肩の力を抜いた)形で表現してみたいと思います。
『ひととき』
霜柱に触れた手は冷たくて
遊ぶ意欲を失いかけた時
陽の光に照らされている壁に気がつきました
そこに触れてみれば
凍った手も顔も心も溶かされて
「ねぇ、もっと集めよう!」と…
小さな発見が
大きな喜びに変わる
そんな ひととき
陽と壁と子どもの力に
感謝するのです
『その前』
物事が起こるには
必ずその前があります
鬼ごっこの前にも
こんな光景がひそかにあります
追いかけたり 逃げたりするだけが
鬼ごっこではなく
この時間も
鬼ごっこなのだと思います
『子ども色の眼鏡』
「みて、シンバルだよ〜!」
そんな時
きみたちの瞳には
子ども色の眼鏡が
かけられているのだと感じます
そうでなければ
いったいこれを
どう見れば
シンバルとするのでしょう
いつの日か
その眼鏡をかけてみたい
そう思うのが
素直な気持ちです
私たちは、子どもから多くのことを学び、多くのことを感じています。大人と子どもに関係なく、一人の人が一人の人に何かを与える。子どもと大人の間に、人としての垣根がないように、それが、人としての捉え方なんだと感じています。そんな思いも、表現していきたいと思います。
(報告者 小松崎高司)
タイトルを見て、「あ、今日は小松崎さんかな?」と自然と思っている自分がいました。なんだか、それが当たったのが妙に嬉しかったのであります。時にはあまり考え過ぎすに、そんな姿もあるのかと見ることで、そんな子どもたちの姿の数々を自分の中にため込んでいくことも大切なのかなと読んでいて感じました。いつか、「あの時のあの姿はこういうことか」なんて発見につながっていくこともあるかもしれませんし、ちょっと見方を変えることで、またいつもとは違う見方ができるということでもあるのかもしれませんね。相手の行動、考えを全て理解することはできなくても、そんな姿もあるのかと思えることは大切なのかもしれませんね。
タイトルを見て僕も小松崎先生かな?と思いました(笑)小松崎先生のブログは世界観がありますよね。あとフォントですね。
僕の大好きな歌詞を書く人がいるのですが、その人の歌詞はまるで色々な楽しくてきれいな写真を切り取って、コラージュにしたかのような作品です。小松崎先生の澄んだ心の内がこのポエムによってとても表現されていて、読んだあとに込み上げてくるものがありますね。僕は3作品とも異なったアプローチがあってどれも好きなのですが、やはり『子ども色の眼鏡』が一番好きです。最後にこの作品をもってくるあたりに遊び心溢れる作者の意図を感じるからです。