本日は、塾長がドイツ視察へ行かれているので、生臥竜塾はお休みです。
そこで、先週末に島根県で行われた「見守る保育研究会」についての報告をします。
塾長は、講師として“これから生き残っていく園とは”や “乳児からの発達理解”といったテーマで講演を行いました。場所は、“ハンザケ”が住む町、島根県邑智郡邑南町です。“ハンザケ”とは、「生きた化石」とも言われているオオサンショウウオのことです。そんな、国の特別天然記念物にも指定されている生き物が住む町に、私も同行させて頂きました。
2日間に渡り、非常に濃い内容であったのですべて伝えられませんが、講演は下記の流れで進んでいきました。
1日目
・なぜドイツに行くのか
・100年後も変わらないもの
・霊長類から見たヒト
・保障すべきことは共通する
・地域との交流と支援
・園が地域として必要な施設となる
・園を多機能化するー地域再生のひとつ
・共異体とは
・保育園における教育とは
・教育の目的
・乳幼児教育
2日目
・赤ちゃんは能動的
・子どもの食事
・絶対音感と相対音感
・ダークセンス(解明されていない感覚)
・愛着と好奇心
・見守ることと発達理解
・「褒められる」と「叱られる」の差は大人の環境構成次第
・感染症におけるオープンと隔離
・生きるための逆境
・社会的参照と慣らし保育
・少子社会と関わり
・保育園の役割
今回の中で、印象に残った部分を抜粋したいと思います。
「片付け」
子どもは目についたところに行くのは分かっている。見させといて叱るのはNG。
片付けをゲームにしたり、先生は一緒になってゲームを楽しんで片付けることも必要。本来、片付けは、“次に使うための意欲をつけるために用意しておくこと”。本を元の場所に戻すのは、みながあそこに行けばあの本が読めると分かるため。寝返りする赤ちゃんにとっては、おもちゃを“部屋中に散らばせておくこと”が片付けるということ。その中で自ら取ろうとする。何もなくなってきれいになるのは、大人の「片付ける」発想。赤ちゃんにとっては、目が付くところにおもちゃを置くことが片付け。
寝返りをしている赤ちゃんには、目が届くところに、ハイハイをしている子どもには、ハイハイの先に目に付くところに棚に並べておき、歩き始めたら引き出しの中に中身を取り出せるようにしておくこと。そこから出すことは、発達によって変わってくる。
直接何かをするというより、ただ発達をするというより、私たちは豊かな発達をするための環境を整えなくてはいけない。そういったことを、子ども同士の関わりの中で行われていけるようにしていくことが、新しい保育園の役割でもある。
この内容は、まさに子どもを年齢ではなく、発達過程で環境を整えていく感覚であり、環境構成において、新しい見方を得ることができました。子どもの発達と共に環境自体を変えていくことが、本来の自然な環境構成であると理解していても、“片付け”といった日常の出来事にも見直すところがあるとは思ってもいませんでした。自分の中にあった片付けの発想は、押し入れの奥にでも片付けておくことにします。
(投稿者 小松崎)
うまい!!!衝撃ですね。
学びと気付きの連続といった研究会での講演内容でしたね。本当に藤森先生の教養の深さ、知識というのは底が見えません。
片付けに意義があることを知ることで、自信をもって行えることや、改めなくてはと反省することなど、自分の日々の片付けを見直すことができました。僕には片付けの発想はなかったので、たくさんの発想を頭中に散らばせておくことにしようと思います。