新宿せいがでは朝早い時間の保育や夕方の保育は0~5歳まで、同じ部屋で過ごしています。その時間はいろんな関わりがあります。ついこの間その夕方保育中に面白い出来事がありました。
私が、0、1歳の排泄、おむつ替えをしている時に、3歳の子がすぐ隣のトイレを使いにやってきました。その子は、自分のトイレが終わると、ちらっとおむつ替えをしている子を見て、少しだけ止まりまた部屋に戻っていこうとしました。
「私がお手伝いしていく?ズボン履くのが難しそうだから手伝ってあげるとうれしいと思うよ」というと、そのこは「やだ!」と一言だけ。余計な声掛けをしたかなと思いつつも排泄を続けていると、その子がずっと立ち止まって見ていました。
「どうしたの、手伝ってくれるの?」と声をかけながら、排泄途中の子のズボンをその子の前に出してあげると「もうしょうがないんだから」と、嬉しそうにお手伝いを始めていました。そのまま、残りの子の排泄が終わるまでずっとお手伝いを続けたその子は満足そうに、部屋に戻っていきました。
いいお手伝いだったなと思いつつも、なぜその子は初めに「やだ!」と言ったのか疑問でした。
すると、思い出してみると初めにその子に声をかけた時は、その子から、履かせてあげるズボンが見えない所にあったことを思い出しました。
おそらくその子が言った「やだ」は「(履かせてあげるズボンがどれかわからないから)やだ」ということだったのでしょう。
赤ちゃんが鳴き声で、色んなことを伝えるように、幼児になって言葉をしゃべれるようになっても、まだまだ言葉に出していない思いがあり、それにもしっかりと気づいてあげること、相手の気持ちを考えることに気を付けなければと思った出来事でした。
しかし、冷静に考えると大人同士の関わりでもそういった所は同じですね。
(報告者 西田 泰幸)
言葉には出していない思いというものは大切にしなければいけませんね。言葉を出していても本当の思いとその言葉が違うこともありますね。そんな思いを感じてあげるためには普段の子どもの様子を理解しておかなければいけませんし、今回の西田さんのように広い視野を持ったり、「あれ?」と疑問に思えること、そしてその疑問を解決しようとする、そんな子どもの気持ちを理解しようろする姿勢は私も大切にしたいなと思いました。「もうしょうがないんだから」という言葉には充実感のようなものが含まれているような気がします。そんな子どもの気持ちに触れるとこちらも嬉しくなりますね。
子どもの行動に理由が必ずあることを最近は特に感じているところです。思いやりは想像力とどこかで聞いたことがありますが、相手の言動や行動に対してなぜそうするに至ったたのだろうと考えることは正に共感であると思いますし、感情移入することであると思いますし、想像力を働かせることであると思います。常に気持ちに余裕をもって、想像力をもって子ども達と接していきたいと改めて感じるところであります。