逆向きのエプロン

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現在、1歳児は昼食時にエプロンをしています。イスに座った子どもから、職員がその子のエプロンを付けていくのですが、先日、ある女児がその行為を真似して、他児にやってあげていました。

逆であることに気がつく

保育園などではよく見られる姿であると思うのですが、よく考えると、不思議です。なぜ、そのような行為をするのでしょうか。様子を見ていると、褒められるためでも、相手のためでも、喜んでもらうためでもないかのように、ただただ淡々とやってあげています。エプロンのマジックが付いたことを確認すると、相手の様子をうかがうことなく、また別の子のエプロンを付けにいきます。

塾長は、こういった行為を「能動と受動の役割交代」と表現しています。ブログには、子どもが『人にやってあげるのは、やってもらって必ずしも心地よいことだけでなく、無理やりに食べさせられているとき、それを拒否すると同時にそのものを食べさせている大人に食べさせようとします。これは何も仕返ししようとしているということではなく、役割交代をしているのでしょう。』と書かれてありました。その子は、意識的に相手を理解しようといった思惑はないものの、多くの役割交代といった経験から、今後の自分の行動や思考を選択するための材料として使用していくのかもしれないと感じました。つまり、役割交代によって、コミュニケーションの基礎を培っているのだと思います。

また、塾長ブログに「能動的な行動が、逆から見れば受動的な行動になります。そこに、人同士の関係が成り立っている」とも書かれていました。そのような人同士のコミュニケーションには、自分と相手、その相互間の思いがあるわけで、そういった視点で上の写真を見てみると、面白いことに気がつきました。それは、エプロンを付けている女児ではなく、自分のエプロンを付けられている男児にスポットを当ててみたのです。よく見ると、そのエプロンは本来の向きではなく、逆向きで付けられているのです。そして、その男児はそれに気がついています。

自分で直そうとする

自分で直そうとする

4月生まれの高月齢である男児は、懸命にそのエプロンを直そうとしますが、しばらくするとやめてしまいました。職員に向きを変えてほしいと訴える様子もなく、そのまま「いただきます」をしていました。「別にこれでもいっか…」と思ったのか分かりませんが、ただ事実として、「やってもらっていた」ではなく、「やらしてあげていた」といった主体的な受動であることがうかがえます。その男児には、きっと、コミュニケーション能力の「ゆずる」とか「任せる」とか「委ねる」とか相手の気持ちを尊重することにつながる力を培っているとも考えることもできるのではないでしょうか。また、一番大切な、自分はここまでできるから、ここからはやってもらおうといった「自立」を育んでいるのだと感じました。

塾長ブログの最後に、「人にやってもらったことを人にやってあげることが実現できる場が必要であり、それが次第に社会を形成していく基礎を培っている」とありました。女児がその後も、役割交代ができる環境を整えていきたいと、そう感じました。

(報告者 小松崎高司)

逆向きのエプロン」への2件のフィードバック

  1. エプロンを付けられている男児の姿が「やらせてあげている」という主体的な姿であるとありました。確かにそう思えます。そう考えると、やらせてあげている子どもの姿は様々な所で見かけることができそうですね。そんな視点で子どもたちを見てみたいなと思いました。この男の子のエプロンを逆向きにつけたのが保育者だったらこの子はどのような反応をしていたのでしょうか。女の子とはまた違った反応であったかもしれませんね。そんな子どもたちの姿、思いを感じることの大切さをまた教えてもらいました。気持ちに余裕をもって、じっくりと子どもたちを観察し、じゃあどう関わればいいかと考えることは大切にしたいなと思います。

  2.  藤森先生のブログに掲載されていた報告です。本当に素晴らしい内容にまとめられたなぁと感心します。小松崎先生の視点や考察力を、もりぐちさんはとても参考にしていることがコメントからわかりますが、僕も本当にそうで、とても勉強になります。
     〝「人にやってもらったことを人にやってあげることが実現できる場が必要であり、それが次第に社会を形成していく基礎を培っている」〟とあり、素晴らしい言葉だと思います。今日のブログで〝情けは人の為ならず〟という言葉が出てきましたが、本当にそうだと、なんだか確信めいたような気持ちになりました。

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