新宿せいが保育園で働きだしてから約4ヶ月が経ちました。私は今年は職員室フリーという担当で、職員室で仕事をしたり、来客、見学者の方の対応をしたり、クラスのヘルプに入ったりという仕事をしています。そんな中で先日、わらす(345歳児)の部屋のヘルプに入る機会がありました。いつものように子どもたちはそれぞれのゾーンで遊んでいたのですが、ふとしたことに気がつきました。それは、子どもたちが遊んでいるどの場面でも複数の子どもたちが関わって遊んでいるということでした。その後を観察しても、ある子が何かのおもちゃやボードゲームを持って机に座るとどこからともなく自然と子どもたちがやってきて、何人かの集団になり一つの遊びを楽しんでいる姿がありました。集団を大切にする見守る保育の園では当たり前の光景なのかもしれませんが、何だかそのことを改めて感じて、すごいな!と思いました。この子どもたちの姿は012歳児の頃からの集団を大切にする保育の積み重ねによるものですね。
そんな中でもちょっと一人で遊びたい子ももちろんいます。誰しも一人で遊びたいことはありますね。きっとこの子の周りに他の子がいないのは、写真の子の気持ちを感じ取っているからなのかもしれません。写真の子は今は一人で集中してこのパズルを完成させたいんだと感じ取っているからこそ、あえて近づいていないのかなと見ていて感じました。それもまた子ども同士が関わっているということでもありますね。
塾長のブログや少し前の園だよりでの塾長の巻頭言の中で、幸せは人との関係性の中にあるというようなことを言っておられました。誰かと関わることは当然ストレスも生みます。しかし、人と関わることはその何倍も楽しいことであり、嬉しいことで、そしてそれが幸せにつながっていくんですね。
報告者 森口達也
〝写真の子は今は一人で集中してこのパズルを完成させたいんだと感じ取っているからこそ、あえて近づいていないのかなと見ていて感じました。それもまた子ども同士が関わっているということでもありますね。〟一人にしてあげようと思うことも、関わりの一つであるという考え方。素晴らしいと思いました。昨年〝対人知性〟をテーマに取り組みましたが、なるほどそういう見方でもって子ども達の姿を捉えることもできたのか、と目から鱗のような思いです。
人との関わりの中に幸せがあるということ。関わることが当たり前になってくるとその中に幸せを見出すことが難しくなるものなのかもしれません。当たり前、当然という感覚は幸せを見えにくくするようです。一人になって遊んでみて、そのパズルが完成した時、その達成感と同時にその喜びを誰かに伝えたくなったり。その時に一緒に喜んでくれる人がいるということ、それこそ幸せなことなのだということを、改めて感じたこの度の報告です。