1000回ダメでへとへとになっても1001回目は何か変わるかもしれません

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新宿せいが保育園は、20:30までが開園時間です。土曜日もその時間まで過ごす子がいます。自然、夕方から夜は2歳児クラスから5歳児クラスと幅の広い異年齢での、しかも少人数といった魅力的な時間帯に突入します。

 

先日の土曜保育の遅番で、これも対人知性の一つでは、と思えることがあったので、報告します。

 

土曜日は、基本的に、0・1歳児クラスの部屋(通称:赤い部屋)で過ごします。1歳児クラスが日常過ごす場所として使われているその部屋には、運動ができるスペース(動の空間)、おままごとや絵本など、ゆったりと関わりながらあそびを楽しめるスペース(静の空間)と、パーテーションを境にして、分かれています。

 

この日は、おままごとや絵本、ブロックなどを開け、運動のできる方のスペースは閉めていました。

 

すると、「そっち(運動スペース)で遊んでもいい?」とすいすい組(5歳児クラス)の男の子から提案が。その日の遅番にいる子は5人。その内の何人かも遊びたい様子。

 

もちろんいいよ、と。ただ、条件をつけてみました。

 

・︎玩具を全部片付けること

 

流石すいすい(5歳児クラス)さんで、速いこと速いこと。あっという間に大方片付いてしまいました。

 

しかし、条件は〝玩具を全部片付けること〟なので、遊んでいる何人かの玩具もどうにかして片付ければなりません。(今思うと、とても酷なルールです笑)

 

5人の内2人は、おままごとのカゴをお面にして、何やら遊び始めました。「(僕らはそっち(運動のスペース)へは行かないよ)」「(片付けの流れには乗らないよ)」と言葉にはしないものの、そんなアピールがあるように見てとれました。

「おーい。片付けだよー。」

「おーい。片付けだよー。」

 

「全部片付けたらあっちに行けるよー。」「あっちに言ったら面白いことがあるよー。」など、運動スペースで遊びたい子逹(3歳児クラスの子(写真中央)と5歳児クラスの子(写真一番左カーキ色の服の子))は色々言っていました。普段2歳児クラスにいるので、言葉の豊富さ、その言葉選びの豊かさがとても面白く、もう少し様子を見てみたくなりました。

 

それでも中々片付けようとはしてくれません。

 

すると、次の瞬間です。

「その内お父さんに怒られますよー。」

「その内お父さんに怒られますよー。」

「怒られたら怖いですよー。」その言葉を聞いた子たちの片付けの速いこと速いこと(笑)

あっという間に片付けていました(笑)

あっという間に片付けていました(笑)

そして、晴れて運動スペースへ。全員で楽しそうに遊んでいました。

 

「その内お父さんに怒られますよー。」これを言ったのは、5歳児クラスの男の子で、後で聞くと、「お父さんって怒ると怖いんだよって言ってたから」と言っていました。これも、アメリカの心理学者ハワード・ガードナーの説く〝対人知性〟の一つである、

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。

という文章に重ね合わせて考えることができるように思います。自分の要望、要求を通したいという動機を起源に、その相手に対してどういう効果的な言葉を用いるべきか。そして、相手を傷つけたりしない、ユーモアを多分に含んだ言葉で相手にアプローチをしていく。相手を叱りつけたり、怒ってみたり、と感情的な手段に訴えるのではなく、これでダメなら、次の手、これでダメならまた次の手、と、何度も何度も相手を思いやりながら言葉を選び、アプローチをしていく姿勢は、とても見習うべきものがありました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新している『臥竜塾』ブログ2013年2月1日『さまざまな能力』の中で、藤森先生はこう述べられています。

 

〝私たちは、多くは非常に狭い範囲で子どもたちの能力を評価、判断しているのではないでしょうか。(中略)もっと、人として生きていく上で大切な能力に目を向けなければならないのです。〟

 

何かの本で読んだのですが、千手観音は、千の手でもって相手を救おうとする、という意味合いの中で、この手がダメならまた次の手、この手がダメならまた次の手、と相手を思いやって何度も何度も、それこそ千回試みてみる。〝千の手(この場合の手は方法の意)〟を使う、という意味もあるそうです。

 

一面的に見れば、その子に秀でたものを感じられないこともあるのかもしれません。また、自分が相手に求める理想のような姿があれば、それが結果として相手を自分の許容の枠の中に押し込める形になり、相手に窮屈な思いをさせてしまうこともあるものなのかもしれません。

 

カーキ色の服を着た彼が、何度も何度も優しくアプローチをしているその姿に、生きていく上で大切な能力が彼の中に育まれていることを感じます。それと共に、自分も相手に対して、何度でも何度でも優しく教えてあげられるような、思いやりのある人間でありたい、と感じる出来事でした。

 

(報告者 加藤恭平)

1000回ダメでへとへとになっても1001回目は何か変わるかもしれません」への2件のフィードバック

  1. 千手観音の話にはグッときました。あの数の手は「千の手でもって相手を救おうとする」救いの手であったのですね。そして、藤森先生が言われた「私たちは、多くは非常に狭い範囲で子どもたちの能力を評価、判断しているのではないでしょうか」という言葉から、1000ほどの多角的な方向から子どもを見るくらいでちょうど良い感じを受けました。私たちは、ほんの数手で「やっぱりダメだった…」と嘆いたりしていますが、まだそのくらいでは自分の価値である狭い範囲で考えているということなのかもしれませんね。

  2. 『「全部片付けたらあっちに行けるよー。」「あっちに言ったら面白いことがあるよー。」』という子どもたちのあの手、この手の関わりは素敵ですね。強引に自分の思いを押し付けたり、強制するのではなく、なんとかその子に合わせた関わり方はないかといろいろと試している姿に感じます。それはまさに千手観音のようですね。千手観音の話もグッときました。「私たちは、多くは非常に狭い範囲で子どもたちの能力を評価、判断しているのではないでしょうか」という藤森先生の言葉もありましたが、自分の狭い考え方、やり方に子どもを押し込めるのではなく、こう考えてみたらどうだろう?ああしてみたらどうだろう?と保育の仕方、子どもへの関わりかたをあれこれ試せるのが保育のまた楽しい部分でもありますね。そのような千手観音保育を意識していきたいなと思いました。
    それにしても題名がまたいいですね!この歌がたまに聴きたくなる時があります。それは無意識に励まされたいという思いがあるのかもしれませんね。いい歌ですね!千手観音ソングですね笑

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