前回までの話で「聞く力」ということが話に上がりました。そして、自分自身その「聞く力」を努力しているものの、なかなか「話すこと」を優先してしまい、聞くというところに向かわないことが反省としてあります。特に組織に至ってはどうしても「聞く」だけでは解決まで至らず、考えが違った場合や方針とは違った場合は時として考えをしっかりと伝えなければいけないときはあります。ここからが私の課題なのですが、うまく人に伝えるためにはどういった点で話をしなければいけないのでしょうか。うまく「聞く」うまく「話す」ためにはどうしたら良いのか。6つ目の習慣はそのことについて書かれていました。
その6つめの習慣とは「シナジーを創り出す」ことです。「シナジー」とは「相乗効果」のことです。人と一緒に組んで何かをしているときにどうしても共通点ばかりに目がいきがちになります。しかし、ここでは共通点ではなく、相違点をいかにお互いが活かし合い、シナジー効果を生むことで大きな成果にするかということが書かれています。コヴィ氏はこのシナジーのことを「人生においてもっとも崇高な活動」であると見なしています。それはなぜかというとシナジーを創り出せば、今まで存在しなかった新しいものを生み出せるからです。前述にもあったように「シナジー」とは相互作用のことですが、新しいものを生み出す「シナジー」の本質は「違いを尊重する」ことだとここでは説明されています。そして、お互いに納得できる「第三の案」を見いだすことを目指します。ここで注意しなければいけないのがこの「お互いに納得できる」ということが大切です。人と活動しているとどうしても意見がぶつかることは多々あります。そこでついしがちなのが「妥協」です。しかし、妥協した結果は個々の力の和よりも小さな結果しか生まれません。下の図を見てもらうとよく分かると思いますが、相乗効果によって起こる結果は妥協して得た結果より大きな三角形になり、それだけ大きな成果が生まれるのです。
では、具体的にシナジーをもたらすコミュニケーションとはどういったものか、その鍵はコミュニケーションの「深さ」であるといいます。その深さを表すレベルは三段階、お互いに守りに入り、自分が損しないことだけを考える「防衛的コミュニケーション」。信頼や尊敬がやや高まり、ある程度の相互理解は生まれるが、共感による傾聴がないために解決は妥協によってなされる「尊敬的コミュニケーション」。信頼と協力の度合いが最も高くなり、それぞれの相違点について深く理解し合い、個々があげる成果より大きな成果を生み出せる段階の「シナジー的コミュニケーション」の3つです。どうもこの図を見ているとまだまだ、「シナジー的コミュニケーション」には至っておらず、「防衛的コミュニケーション」や「尊敬的コミュニケーション」でコミュニケーションをとっていることが多いことが分かりました。
シナジー的コミュニケーションまでいくと前述にあったお互いに納得できる『第三の案』が生まれてきます。それはどちらも当初は考えていなかった案であり、両者の意見を活かした新しい案です。そして、それは双方が得をする「Win-Win」の案になります。
ここまで「シナジー」のことを書いてきましたが、このシナジー的コミュニケーションができればとても大きな成果が得られることはよくわかりました。しかし、実際の自分の状況や現実を考えると、そうはうまくいかず、どうしても話ができない人や考えが合わない人、ソリが合わない人がいます。このようにとても共感できない、尊重や相違点を持つことなどできないと思っていても、「妥協を選択することは危険だ。」とこの本では言われています。妥協は相手の無神経さ、愛情のなさを認めたことになり、後の争いの種になる。どんな衝突になっても自分は自分の原則を守る。どんな相手に対しても違いを尊重してシナジーを作り出せる。と真摯に人と関わることが必要だと書かれています。
「新たな案」を生み出すことについて、以前藤森先生のブログの中で「イノベーション」という言葉がありました。
「いかにして新しい価値を創造するか」イノベーションということについて以前ブログで取り上げましたが、今、保育界では、乳幼児教育を学校教育に組み入れるか、児童福祉として守るかという岐路に立っています。私は、どちらに組み入れるかというのではなく、新しい「乳幼児教育」という新しい価値を創造すべきだと思っています。乳幼児期に大切にするべき教育は、学校教育でもなく、児童福祉でもなく、その時期だけで大切にするべき教育があるはずです。それを制定するのはまだ早いということも言われていますが、それどころか、今がその時期であると思っています。一体化や、引っ張り合いをして、守ろうとする労力を、創造することに使うべきだと思っています。
(2012年11月21日 「来年のキーワード」抜粋)
これからの時代、保育園や幼稚園の一体化など、子どもに関わる社会自体、大きく変わってくるように思います。そういった時代に対応するためにもシナジーを生み出す環境を作ることは必要になってくるでしょうし、そこで生まれる新たな考えは非常に重要なものになってくると思います。
「他者とのコミュニケーションが相乗効果的に展開すると頭と心が解放されて新しい可能性や選択肢を受け入れ、自分の方からも新しい自由な発想が出てくるようになる。」ともに共感できる人と一緒に組んで何かをしたときほど、楽しく、新しい発想が生まれることは経験としてあります。お互いがお互いの良さを利用し合い、理解し合う関係は理想です。トップダウンで指示して仕事をする関係ではなく、お互いを尊重する関係を作れるような環境を作ることや目指すことはこれからの社会とても大切なことです。それはなにも大人にとってだけではなく、子どもたちにとっても必要なことです。
(投稿者 邨橋智樹)
「シナジー」という言葉は初めて知りました。「相違点をいかにお互いが活かし合い」「違いを尊重する」ということから、夫婦関係でも大切なことだなと、それがまず最初に思い浮かびました。お互いを知れば知る程、共通しない部分が見えてきます。それを修正するようにと相手に押しつけるのではなく、そのことを理解して、自分がその部分は代わりにやったり、相手もどこかでカバーしてくれているということを思いながら生活していく方がなんだか素敵な関係なんじゃないかなと思いました。それはもちろん、職場での関係にも言えますね。違いを理解することは職場での関係だけでなく、子どもへの関わり方でも大切な部分ですね。コミュニケーションの深さを示す3段階はおもしろいです。そんな考え方もあるのですね。防衛的コミュニケーション、尊敬的コミュニケーションのどちらも経験したことがあります。確かにこのコミュニケーションには相互的な影響力はなく、成果もあまり期待はできませんね。そして、いい話し合いができたなと感じる時はシナジー的なコミュニケーションになっています。そんなコミュニケーションが少しでも増えるためには自分はどうすればいいのかということを常に考えていきたいものです。
シナジー的コミニュケーション、言葉にするととても崇高なもののように思えますが、お互いが納得できる最高の案というようなニュアンスで受け止めています。僕は先日、妻とそれに近いコミニュケーションをとることが出来たように感じたことがあり、コツのようなものに触れた思いがしました。
相手が話を始めると、僕の根底にある気持ちの中で“恐い”という気持ちが湧くことがわかりました。それは、自分と違う意見を言うのではないか、自分の意見は尊重されないのではないか、自分の考えと全く違う考えが通ってしまうのではないか、という恐れが湧くのでした。そのことにはっきりと気付きました。とても恥ずかしい話です。
その気持ちを乗り越える為に、自制心、理性という根本の土台に加えて、それこそ共感をしたのでした。相手にしっかりと共感をしました。すると、本当に面白いことに相手も共感をしてくれました。
僕はこのことから、人の心には普遍的なものがあって、それは真理と呼ばれたり、人であれば必ず好感をもてる何かであり、例えばその一つが共感なのではないか。そして、それを用いることで共感しただけのものが必ず返ってくるのではないか、と考えました。本田健という人の著書の中にもあったのですが、それは、例えば『リモコンのボタンを押せばテレビがつく理屈はわからない。わからないけどリモコンのボタンを押せばテレビがつくことはわかるから、テレビを見る為にリモコンのボタンを押す。』それと同じことで、なぜ共感をするとこんなにも相手が自分の気持ちを組んでくれるのか本当のところはわからないけれど、共感をするととてもいいことがあるから共感をする、といったことを考えるに至りました。
自分の気分やモチベーションに振り回されていては本当にまだまだだと思います。少しずつ気持ちのムラをなくしていきたいと思います。7つの習慣報告10を楽しみにしています。