Blue floor philosophy episode 19『生得的』より

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給食後、

積み上がった食器を

積み上がった食器を

おもむろに下ろす

おもむろに下ろす

すいすい組(5歳児クラス)の子です。

「え、気付いたらいつもやってるけど。」

こう返され、より感動が深まりました。

ブログ『臥竜塾』2017年7月30日『生得的』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「ここまでの知見を見ると、私はいろいろと考えることがあります。まず、道徳的な感受性は生得的であるということは、その後の教育によって学習されるとすると、その教育はエデュケーションという「引き出される」という意味に近く、教え込むということではないと思います。しかも、言語と同じようにまわりの大人からの影響が大きいとすると、環境がとても重要であるということがわかります。それは、大人になってからも、自分の周りの人たちの道徳的判断がずいぶんと影響するようです。そのような環境にいると、また、そのような文化の中で育ていると、自分のそのような道徳的判断をするようになってしまうのでしょう。また、子どもの日常的な場面のなかで学習していくとしたら、やはり幼児期から子どもの社会的ネットワークの中で、経験を積み重ねていく必要があるのではないでしょうか?」

もちろんその子の資質が大いに関係していることを思いながら、こういったことが自然とできる子へと育んだ環境について、とても考えさせられるものがありました、

(報告者 加藤恭平)

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