Blue floor philosophy episode 23『活動的』より

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「お・た・ん・じ・よ・う・び・お・あ・で…」

「お・た・ん・じ・よ・う・び・お・あ・で…」

「『あ』じゃなくて『め』、だよ」

「あ、そっか」

誕生日カードに書かれたメッセージを読む子どもたちです。子どもたちが自分で読めるようにと漢字を用いずに書くのですが、それを読んでいる場面に初めて出会い、とても感動しました。字が読めたり書けたりするようになることで、日常の楽しさや嬉しさというのはとても幅をもつものなのですね。

「それ書くの日課になってきたね」

「それ書くの日課になってきたね」

側で見守る先生が嬉しそうに言います。朝の自由あそびの時間、自分から先生に声をかけ、その子のこの時間が始まります。

「今日はペンの色全部使ってみたんだ」

「今日はペンの色全部使ってみたんだ」

次の日のおやつ

次の日のおやつ

書き始めた当初

1ヶ月程前

楽しい積み重ねが生む成果を目の当たりにするようです。

ブログ『臥竜塾』2017年9月5日『活動的』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「私は以前(2015年8月19日)のブログで、アメリカと日本の研究の違いを書いたことがあります。この夏休みに、小学一年生の多くは家に朝顔を持って帰って、その成長を記録したことでしょう。日本では、日々の観察を積み上げて、ある法則を見つけ出していくやり方を取ります。それは、「帰納法」と言います。帰納法は、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法です。それに対して、以前アメリカの理科の教科書を見たときに、そこでは、「演繹法」と言う研究の仕方を教えていました。これは、一般論やルールに観察事項を加えて、必然的な結論を導く思考方法のことです。ピアジェが採った方法はこの思考方法でしょう。

水切りの例の場合、決して子どもは試行錯誤を繰り返しているわけではありません。乳幼児期に系列だった変数の操作、ここでは石の重さだけ変化せせるとか、投げ方だけを変化させるというような操作ができるわけはないからです。しかし、手当たり次第に試しているのではなく、何らかの仮説を立て、その仮説に基づいた行動をしているのです。また、重要なのは、子どもも、科学者と同じように、決して受け身の存在ではなく、積極的に世界について働きかけて、そのあり方を知ろうとする活動的な存在であるということなのです。」

2015年8月19日『研究方法』

とても主体的で、能動的な活動が日常の細やかな部分においても展開されていることを改めて知りました。

(報告者 加藤恭平)

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