夕方、クラスの先生から「座禅を組んでいる子がいる」との情報が入りました
見られていることに気付き、少し照れるような恥ずかしい気持ちとが入り、輪が乱れると、まるでそれを邪念とするかのように、
中心人物と思われる子から叱咤が入ります。
笑ったり、笑わせ合ったりしながら30分程の間、この遊びを楽しんでいました。
ブログ『臥竜塾』2009年6月24日『集中力』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
誰が何の目的で始めたのかわかりませんが、電気の付いていない薄暗い場所を利用して子どもたちは集中力を高め合っているようでした。在る環境から遊びを発展させ、いよいよ神の領域に踏み込まんとする子どもたち、思い掛けない光景に、集まった先生方全員がシャッターを切っていました。
それにしても、見ようによっては何とも奇妙な光景のようにも思われるところですが、座禅、塾長の教員時代にはもっと身近なものだったのですね。
2006年2月27日『一休さん』の中にはこう書かれています。
今度皆で観てみても面白いかもわかりません。
(報告者 加藤恭平)
これは、立ち合いたかった事例です!とても面白い!
2枚目の写真の男の子たちは面壁して、曹洞宗の坐禅を実践していますね。曹洞宗は只管打坐。ただ坐るだけ、その姿が仏だという坐禅です。そんな細かいことはいいのですが、子どもたちがなぜ坐禅をしようと思ったのか、その辺りとても気になります。茶室でやってみようかな。
コメントいただきありがとうございます。
聞いてみると、きっかけは森口先生が雑巾掛けに取り組む中で、気持ちを集中させる方法として取り入れたことが始まりだったようです。それをあの場所で始めたのは子どもたちのセンスですね。
子どもは神様に一番近い存在だと言われますが、道元さんのコメントを読んで改めてそう感じることができました。