Blue floor philosophy episode 8『自立的に行動する』より

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東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

よく見ると東京ドームシティの壁の上に、色のついたブロックが置かれています。

「材料ここにたくさん置いとくね。」

「材料ここにたくさん置いとくね。」

らんらん組(4歳児クラス)の子が作っていたそれに興味をもち、すいすい組(5歳児クラス)子がブロックを持ってきて、出来上がる様子を見守り始めました。

ブログ『臥竜塾』2013年3月14日『自立的に行動する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「自立についてですが、以前から、私は、自立とは「一人で、無人島で生きていく力」ではなく、「社会の中で、自分の役割を持って生きていく力」であると思っています。それは、OECDでも指摘しているところです。三つのカテゴリーの一つである「自立的に行動する能力」について、「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」としています。まさに、私が以前から提案していることと同じです。

このために、まず、「大局的に行動する能力」が必要であるとしています。この能力は、「自らの行動や決定を、自身が置かれている立場、自身の行動の影響等を理解したうえで行える力。」であるとし、PISA調査では「問題解決能力」として捉えられています。行動するのは、自分ですが、その影響は自分一人に及ぼすわけではありません。自分の行動が、どう社会に影響を及ぼすかということを考えなければ、その行動は意味がありませんし、効果的ではありません。行動を起こす前に、まず、大局的な観点が必要になってきます。

次に、自立的に行動するために「人生設計や個人の計画を作り実行する能力」が必要とあります。その能力とは、「人生の意義を見失いがちな変化し続ける環境のなかで、自らの人生に一定のストーリーを作るとともに意味や目的を与える力。」としています。「人生設計」という言葉は聞くことがあるのですが、「人生に一定のストーリーを作る」とか、「人生に意味や目的を与える」という言い方は聞きなれない言葉です。しかし非常に重要な課題の気がします。自立とは、このような力を指すというのは、参考になります。卒園式の時に、園児が「将来、何になりたいのか」ということは、そういうことなのです。それをきちんといえるということは、自立出来てきたということなのです。また、「将来、何になりたいか?」と聞かれて、「よく、わからない!」とか、「決めていない」というのは、まだ自律できていないのかも知れません。

最後に、「権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力」が必要とあります。それは、「成文のルールを知り、建設的な議論のうえ、調整したり対案を示したりする力。」とあります。この、「調整する力」は、異年齢保育の長所の一つとして挙げられているものです。また、「権利、責任」などを表明するためには、「社会の中での選択」をしていることが前提となります。また、ここに「ルールを知り」ではなく、「成文のルールを知り」というのは、ルールは、自発的に知ることであり、言われて、命令されて、しつけられて知っていくことではないことを表わしている気がします。そこで、こんな注意書きが書かれてあります。「自分自身の権利などを表明するためのみの力ではなく、家庭、社会、職場、取引などで適切な選択をすることができる。」

自立の意味が、少しはっきりしてきます。」

「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」らんらん組(4歳児クラス)の子の作り出そうとする世界観を目の当たりにして起こしたすいすい組(5歳児クラス)の子の行動を分析すると、自立された心が基盤となり、その結果、相手を見守る、という構図が成り立ち得たのではないか、と思えてきます。

ブロックゾーンにおける子ども同士の関わり、心の育ち、そして子どもたちによる遊びを通した人間関係の在り方を感じさせてくれるようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

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