さて、水を飲み終わった子ども達です。
この子はどうするのでしょう。
面白いですね〜(笑)
先日、『ちょっと変わった職員が考える『臥竜塾ブログ』のすすめ』というタイトルで報告をしました。その中で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年4月9日『ルールは誰が』を紹介しています。
その中で、このように書かれています。
〝意思決定の仕組みは、私たちのあらゆる行動選択に共通ですし、それが適切に行われないと、一歩も動くことはできないと藤井さんは言います。このようなフルーツを食べる順番を決めるのも、社会的意思決定を行うのも、意思決定のメカニズムという点で見るなら、基本的にあまり変わらないということであれば、社会のルールも、結局は各個人の脳がそれを支えることで作っていることに気がつくと言います。
つまり、私たちの行動に影響を与えるルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っていることになるというのです。これは、ルールというものが、社会というシステムとその構成要素である私たちの間に起きる相互作用によって維持、実行されているということを示しているのです。そう考えると、「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となるのです。〟
コップを並べて置く子ども達の姿から、〝「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となる〟ということが、とても理解できるように思います。
それだけでなく、前回報告させていただきましたように、〝これに近付いたらいけないよ〟というルールを、わざわざ線を引いたり、人が立っていたり、毎回声をかけたりしなくても、子ども達は守ることができるようになるのです。
先日、藤森先生が見学者の方から「給食中に子ども達が走らないのはなぜですか?」という質問を受けたということを教えてくださいました。その時に藤森先生はこう答えられたそうです。
「それは、子ども達に聞いてみて下さい。」
なんとも深みのあるお言葉で、実際に見学者の方が子どもに聞いたところ、首を傾げて〝わからない〟というポーズをしたとか。
僕は、その鍵の一つが、にこにこ組(2歳児クラス)で見られるこの姿の中にあるように感じています。
それは、対人知性というものが、対人(たいひと)だけでなく、物にも働き、ルールを守ろうとする心にも働くものだから、とは言えないでしょうか。
いや、むしろ、相互の関係です。つまり、人がルールを守ろうとしたり、給食中に例え走りたくなったとしても、走らないとする理性、ある欲求を我慢しようとする力、自制心、それらが、対人知性と共に高まっていく。むしろ対人知性というものも、心の働きの一つで、人が人として育っていくことで、実は当たり前に習得していく一過程のことを指すのかもしれません。
またそれを増長させる環境、〝給食中に走ることはおかしい〟ということが当たり前であるという環境が、子ども達の心に、理性や、モラル、耐性を育ませ、そして、対人知性を共に育てるのではないかと思います。
さらに、そんな子ども達の姿を見守る職員の心、職員の思考は、とてもシンプルです。アメリカ合衆国の著作家であり成功哲学の祖としてあまりにも著名なナポレオン・ヒルもその著作のタイトルとして、この言葉を残しています。「思考は現実化する。」
簡単な言葉で表せば、職員は〝子ども達を信じています。〟
ルールを守る子ども達の像、イメージが、当たり前な程に職員の脳裏に、心に浸透しているのです。
行事〝成長展〟の今年度のテーマとして、対人知性がテーマに置かれた時からずっと、職員の心は、そこに向かっていました。子ども達の関わりを、今まで以上に無意識の中でも追うようになりました。「この子達は、人とどう関わっているのか」
ああしろ、こうしろ、という世界ではない世界で、子ども達を見守り、〝きっとこの子達ならこう関わるだろうな〟という温かで柔らかな予測に基づいたような思考が、子ども達同士の柔らかで温かな関わりを生んでいる、ということは、全否定できるものではないと思います。
そして、その環境を織り成すその思考を、簡単に言えば、経験年数の高い方々が一番強く持たれています。
それが、後輩におりて、子ども達におりていく、といったイメージです。
締めとしては弱いのかもわかりませんが、言いたいことが言えてスッキリしました(笑)
とても個人的な見解に終始してしまって大変恐縮なのですが、この度の報告から、困っている保育園さんのお悩みを解決できるヒントが少しでもあれば、これ以上の幸せはありません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
(報告者 加藤恭平)
加藤さんの言葉は実体験の中で、その中で感じていたことがだんだんと整理され、自分が感じていたものが何か分かり始めてきたというような報告であるように感じました。私はまだまだ報告の内容をぼんやりとしか感じることができていませんが、加藤先生の感動を感じるようでもあります。このようなコメントしかできませんが、伝わってくるものがありました!