Red floor philosophy episode 1 ぐんとすい

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すいすい組(5歳児クラス)の子たちが、給食の時間に部屋に降りてきてくれました。

エプロンを自分でつけようとする様子をじーっと見たり、

エプロンを自分でつけようとする様子を見たり、

 

食べているところを見たり。

食べているところを見たり。

「手で食べてる!」

との反応に、

「散々手で食べてたじゃない(笑)」

と、ぐんぐん組(1歳児クラス)担任の先生(笑)

子どもたちの成長を小さな頃から見守ってきた先生の言葉ですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2011年11月20日『他者』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「赤ちゃんは、他者の存在を機能によって使いこなしているといわれています。遊ぼうとするときには同じくらいの発達の子を選んでいるといわれ、模倣しようとするときには少し上の子を選び、教わろうとするときにはもう少し上の子を選んでいるといわれています。子どもは、気が合うか、合わないかという個人差によって相手を選ぶこともありますが、年齢差で選ぶことも多いようです。この年齢差のある子ども同士は、家庭内でのきょうだいか、地域の子ども社会の中に存在していましたが、それも今は存在していません。そのために、今は、さまざまな年齢とも遊ぶ機会を意図して作らなければなりません。そんなことから、最近、きょうだいの役割についての研究がされています。

 子どもは、生まれながら、いろいろなことができるように備わっていますが、それが発現するためには環境が影響していきます。その環境からの影響は、ひとつということはないのですが、特に、「心の理論」にきょうだいが影響するかということの研究がされています。それは、子どもの育ちに異年齢児の存在がどのような作用をするかということです。このことについて、日本でも有名になったのが、ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ』(河出書房)という本かもしれません。それによると、著者であるフルガムは、「自分が人格形成をしていく過程で、幼稚園のときの仲間との葛藤、けんかをしたりとか、あるいは場合によっては助け合ったりとか、あるいは自分が約束を守らないと非常に手痛い目に会うというようなことから、多くのことを学んだ」と言っています。人生に必要な知恵は、高等教育で学んだわけではなく、幼稚園の砂場にあると言ったのは、砂に重要な意味があるのではなく、異年齢の子ども集団に意味があるということなのです。

 人間というものは、他者を通して自分を理解するわけですから、自分を評価する他者が多様であればあるほど、自分というものが見えてきます。母親からだけの評価では、社会に出てから、他者から違う評価を受けたときに、心に打撃を受けてしまい、自分に閉じこもってしまうことになりかねません。異年齢の中での育ちは重要なようです。」

他者であるぐんぐん組(1歳児クラス)の子どもたちを見て、自分を知る。このような環境は園という環境ならではのように改めて思えてくるところです。

現在、臥竜塾ブログでは、心の理論に触れられています。何年も前から上記にある内容をブログに書かれてきた藤森先生に、改めて驚きと感動の気持ちが湧いてきます。

このような出来事が自然と生まれる環境、本当に素晴らしいと思います。赤い部屋(ちっち組0歳児クラス、ぐんぐん組1歳児クラスのフロアーの通称)における、子どもたち同士の関わりについての報告を何回かに分けてしていきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

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