Red floor philosophy episode 12『自然な関わり』より

このエントリーをはてなブックマークに追加

駆け寄ってきてくれたのはわいわい組(3歳児クラス)の男の子(灰色の服を着ているので以下グレイ君)です。

(おいでおいで)

(おいでおいで)

 

(ほら、あっちだよ)

(ほら、あっちだよ)

と無言のジェスチャー。

その姿に見とれるように見つめているちっち組(0歳児クラス)の女の子(髪の毛にピンクのゴムをつけているので以下ピンクちゃん)に、

更に側に寄ってきてくれます。

更に側に寄ってきてくれます。

 

グレイ君は手をとってあげようとします。

グレイ君は手をとってあげようとします。

そして、

ぎゅっ。

ぎゅっ。

しかし、

しかし、グレイ君の力では持ち上げて、引き上げてあげることができず、

グレイ君の力では持ち上げて、引き上げてあげることができず、

 

一旦離します。

一旦離します。

抱きしめてもらった安堵感で泣き止んだピンクちゃんでしたが、離れた途端、やはり涙。

するとグレイ君が少し慌てた様子で、こんな行動をとるのです。

「あ、ごめん。」

「あ、ごめん。」

「ごめんね、ごめん。」

そう言いながらもう一度ピンクちゃんの手を取ります。

そう言いながらもう一度ピンクちゃんの手を取ります。

 泣き止むピンクちゃん。そして、

ピンクちゃんの手と手を優しく合わせて、

ピンクちゃんの手と手を優しく合わせて、

 そっと立ち上がり、

上に目線を配りながら、

上に目線を配りながら、

 

上がっていきます。

上がっていきます。

 すると、

その姿についていくように、

その後ろ姿についていくように、

後押しされるように、

再びピンクちゃんも登り始めるのです。

再びピンクちゃんも登り始めるのです。

 12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年1月13日『自然な関わり』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私の園で、学童保育を行なっているときに、私は、『学童保育は、家庭の代わりではなく、学校と違う学びの場である』と言ってきました。よく学童保育は、家庭的であるべきであり、子どもたちは家に帰ってきたような雰囲気であるべきであると言われてきましたが、家庭には、こんなにも多くの子どもはいません。このような子ども集団がありません。ですから、学童クラブは、異年齢の子どもたちが、教科、時間割に基づかない、より自発的な活動による第2の教育の場として位置づけるべきであると考えていました。同じように、保育所は、子どもが複数存在する集団状況で、保育者も複数で子どもたちのケアをする場であり、親子のように二者関係でうまく機能するわけはないと思うのです。ということで、最近、保育者のケアは、親子のケアとは異質なものである可能性が指摘されているのです。

 親子関係のような文脈で重要になるのは、子ども個人の欲求に対する反応の素早さとその的確さという意味での敏感性です。それに対して、集団状況でより重要性を増すのは、子ども一人一人というよりは、集団がうまく楽しくまとまるよう気を配り、全体の活動を構造化し、子どものちょっとした過ちや粗相などには子どもがあまり萎縮しないで済むよう、できる限り許容的に振る舞うといった意味での敏感性ということがわかってきていると言うのです。

こんな研究があります。保育者が母子関係におけるような二者関係的敏感性を備えていることと、その保育者と子どものアタッチメントの安定性が高くなることとの相関は、子どもの数が少ないときはそこそこ大きいのですが、子どもの数が多くなると、徐々にその相関が小さくなることがわかったのです。それに対して、集団状況に置ける集団的敏感性と、保育者と子どものアタッチメントの安定性との相関は、子どもの数が増えても、さして変化しないということがわかりました。こうしたことからうかがえることは、元来、複数の子どもを同時にケアせざるを得ない保育のような集団状況では、完全に母親の代わりになることが必ずしもいいとばかりは言えないということなのです。このような研究の結果から、遠藤利彦氏は、保育の現場には、家庭とはまた違った形での、子どもとのアタッチメントのつくり方があってしかるべきなのかもしれないと分析しています」

ピンクちゃんを抱き上げて泣きやませようとする発想は、とてもすぐ思いつくものです。しかし、「親子のような二者関係」のようなアタッチメントの後で、このように、再び歩き出させようとする意欲に繋げられるだろうか、ということに疑問が湧きます。

子ども集団、子ども社会の中で、ピンクちゃんは、その背中を押されたのではないかと考えられないでしょうか。

そして、

そして、

 

すっと姿を消すグレイ君なのですが、

すっと姿を消すグレイ君なのですが、

 

上の階から励ますようにピンクちゃんを見守っていました。

上の階から励ますようにピンクちゃんを見守っていました。

 こういった関わりが子ども同士で生み出せるのですね。ただ泣き止ませる為だけに大人が介入をしてしまっては、もったいない場面だったかもわかりません。

(報告者 加藤恭平)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です