Red floor philosophy episode 32『研究の進化』より

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おやつ後、

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

 

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

 

その姿もじーっと見ています。

その姿もじっと見ています。

 

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

 

歩き出し、

歩き出し、

 

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

そして、置き場所を探す中で

次は職員の行動を目のあたりにします。

次は職員の行動を目のあたりにします。

 コップの中の麦茶をどうするべきか、本人のそういった意識が眼差しに変わって、その対象に向けられているかのようです。

更にもう一人1歳児クラスの子。

更にもう一人1歳児クラスの子。

 「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチを何度か経た彼女は、

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年12月19日『研究の進化』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「保育に携わる私たちは、どのように上積みしていかなければならないのでしょうか?まず、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。先に書いたように、どうもいまだに古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまう。子どもは放っておくとろくなことをしない。大人がきちんと規律正しく導かなければと思って様々なことを拘束してしまう。なにも知らない、できない子どもには様々な刺激を与えなければ、脳は発達しない。そこで、子どもの後を追いかけ、様々な刺激を与えようとする。そんな保育が見られることがあります。

だからと言って、手を出さなければいい、口を出さなければいいというわけではありません。どのような内容の言葉がけをすれば良いのか、どのようなときに口を出せばいいのか、ということを、そのときの子どもの状況、発達過程の理解、子ども同士の関係などから考えなければいけないのです。また、子どもに何をすればいいのかというように直接子どもに関わることだけを考えるのではなく、子どもがそれらのことを自発的に行なうことのできる環境を用意することも考えなければなりません。そのときに、新しい乳幼児についての知見を知る必要があるのです。」

残ボウルに入れることがゴールでも何でもなく、彼女が片付けようと席を立ち、コップの中身をどうしようかと考え、行動を選択した、ということに意味がある、ということを改めて考えさせられます。

こういった環境の中で子どもたちは、自ら行動を起こしていくのですね。

(報告者 加藤恭平)

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