何が目的で、何が大切なのか?

新宿せいが学童クラブでは、来年度の保育園増設に向けた工事が始まり、子どもたちの生活するスペースが少し狭くなっています。普段は、子ども広場という学校の校庭を自由に使えるという場所があるので、それほど気にすることはありません。

ですが、雨の日となると、外に出ることもできず、少し子どもたちの熱気であふれてしまいます。そんなこともあり、学童部屋の、隣の保育園のホールが空いている時は遊びに使わしてもらっています。

私も6年ほど前は、学童の担当だった時があったですが、その時はそのホールを使う時はいくつかルールがありました。

1つは、危険な遊びをしないこと。

2つめは、何をして遊ぶかちゃんと話し合って決めること。

3つめは、上履きをちゃんと履いて遊ぶこと。Etc

 

今では、そのルールも特に大人からいうこともなく、子どもたちの中でルールを作って遊んでいるようです。

つい先日も、ホールが空いていて使えるという時に、子ども達で集まり、何をするかということを決めていました。ほとんどの子が「ドッチボールがいい」といいそれで決まりそうでした。ですが、ある子が「待って。上履きを履いていない子がいる!」と言い出しました。見ると確かに数人の子が上履きを履いていませんでした。

子どもたちの中で、

「上履き履いていないと、危ないからできないんだよ」

「また履いてない人は今度だね」といった声が上がる中、

「なんで上履きを履いてなきゃいけないんだっけ?」という子がいました。

「だって上履き履いてないと滑るからでしょ。」

「間違って踏んじゃうと危ないし」といった意見が出ると、その子が「じゃあ、みんな裸足になればいいじゃん。」と言いました。

「確かに、じゃあみんなで裸足になろう!」とみんなで靴を脱ぎ、楽しくドッチボールを始めていました。

 

私は、子どもたちが「目的が何なのか?」「なぜそういうルールがあったのか?」という大切なことをしっかりとみんなで考え、そして自分たちの楽しくできるように変化させていく姿に見ながら、とてもうれしく感じて今いました。

実は私がいた頃の3つ目の上履きをちゃんと履いて遊ぶことのルールには、実は上履きを忘れて持ってこない子や、ほったらかしにして遊んでいる子が多く、自分の身の回りのことをしっかりしてからホールで遊ぼうという意味もありましたが、もちろん、そんなことは伝えませんでした。

大人も子ども達と同じで、「何が目的で、何が大切なのか?」ということを考えた時、大人がどう動くべきかは、自然と決まるものですね。

(報告者 西田泰幸

自由

先日、残り2か月の学童生活をどう過ごしていくかを子どもたちと話し合いました。

これは私ではなく、もう1人の学童職員がその機会を設けてくださいました。

このような話し合いに至った経緯は、全員で同じ時間を共有する際に、まとまりやメリハリがなく、子どもたちがどうしたいのかがわからないということからです。

学童での日常生活の中で全員が同じ時間を共有する時が2回あります。

1回はおやつの時間で、その際に今日の活動内容等を職員から子どもたちに伝えたり、その日開けるゾーンなどをお当番さんが皆の意見を聞き、決めていきます。

もう1回は、17時で一区切りとしていて、17時になる前に全員で1度集まり、お部屋全体を全員で掃除するというものと、17時以降のゾーン決めを行うものです。

この2回とも最近はまとまりやメリハリがなくなってしまい、時間までに終わらなくなってしまうことがしばしばという現状でした。

しかし、この2回に含まれるゾーン決めも17時前の掃除も子どもたちが決めたことなのです。

今回行われた話し合いの意図は、「子どもたちだけではまとまりもメリハリもなくなってしまって、せっかく遊べる時間も自分たちで潰してしまっているのが現状だから先生たちが一から十まで決めてあげようか、その方が遊べる時間が多くとれるよ?」と提案し、自分たちが普段どうしていくべきなのかを気付いてもらうというものです。

そこで各学年に分かれて話し合ってもらい、話し合いで出た案を紙に書いてもらいました。

書いてもらった内容に最も多く書かれていた言葉が「自由」です。

子どもたちが主体の学童、子どもたちの学童だからこそ月案からゾーン決めまでの全てを子どもたちが決めます。

子どもたちはそれを「自由」と捉えていたのでしょう。

あながち間違いでもありませんし、むしろ正しい捉え方なのかもしれません。

しかし、自由には責任が伴います。

話を聞いていると子どもたちはしっかりわかっているのです。

ただ、自分以外に多くの人が共に過ごしている学童では、全員で決めた事も「私が決めた事ではないから」と責任を逃れようとしてしまう子もいます。

これが今回の話し合いにまで至ってしまった問題の根底にあるものである気がします。

子どもたちみんなの学童であり、子どもたち一人一人に決定権があるということは、子どもたち全員で1つのチームであるということだと思っています。

よくチームスポーツで、チームの誰かが問題を起こしたら、連帯責任となり、チーム全員の問題となることがありますが、根本的には同じことが言えると思えます。

今回の話し合いでは、このようなチームの定義を感覚的ながらも子どもたちにわかってもらえていれば良いのですが…

今後の子どもたちの動向が楽しみです。

(投稿者 若林)

凧揚げ

つい先日に、学童の子どもたちと凧作りをして作った凧を近くの公園に揚げに行きました。

お正月と言えば凧揚げ。 羽根つきや福笑いと共にお正月の伝統的な遊びですね。 凧揚げがお正月のイメージなのは占いや厄除け、祈願などの意味や諸説あるようですが、北風や一定方向に風が強く吹く季節的な要因もあるようで、1月は凧揚げに適した季節と言われているそうです。

しかし、地方によっては凧揚げの時期が異なるようです。

長崎の有名な凧揚(はたあげ)は4月ですし、浜松は5月、新潟県白根は6月、沖縄は10月とばらばらです。

また、関東地方以北では「たこ」と言うが、大阪辺りは「いか」、長崎辺りでは「はた」と言うそうです。

今月の月案を子どもたちが決めた際に「凧揚げ」が発案されました。

このような伝承遊びは、いつも大人のひらめきとして子ども月案の他に組み込ませてもらっているのですが、今回はその必要さえありませんでした。

そして私自身、小さい頃に凧揚げをしたことはあるのですが、自分で作ったことがなく、今まで興味を示して来なかったら凧についての知識は全くないと言っても良い程でした。

ですので、文頭で書かせていただいた凧揚げの時期と呼び名の違い等々は今回の子ども月案がきっかけで調べ、知り得た事です。

子どもたちの自発的な遊びや発案がきっかけで、私が新たな学びを得ることができたのは今回で何度目なのか数え切れません。

凧についてより詳しく、凧揚げの歴史やどこから伝来されたか等が書いてあるので、ぜひご覧になってみてください。

http://sogyusha.org/saijiki/01_spring/tako.html

さて、今回の凧揚げは1日で製作から実践を行う過密なスケジュールにしてしまったので、簡単に作れる凧を2種類用意し、子どもたちに選んでもらって一緒に作りました。

1つはポリ袋を用いたぐにゃぐにゃ凧です。

もう1つは画用紙を用いた画用紙凧です。

製作後、天気にも恵まれていたので近くの公園に揚げにいったのですが、不運にも風がなく、あまり高く揚がりませんでした。

しかし、上手く揚がらなかったからこそより良い学びがあります。

「なぜ上手く揚がらなかったのか?」

風がなかったからと考えた子もいれば、骨組みを付け過ぎたための重みで揚がらなかったと考えた子もいたりと様々でした。

もし上手く揚がっていたら、子どもたちの凧は今回止まりだったかもしれません。

前文に不運にも風がなく…と書きましたが、逆に運が良かったのかもしれません。

そして、子どもたちとまた次回チャレンジしようと決めました。

次回の凧揚げで子どもたちは凧にどんな変化を加えるのか。

はたまた風のみを気にするのか。

今から楽しみでなりません。

030(1)

ギリギリ揚がった凧

(投稿者 若林)

おもちゃの整理、管理<その2>

前回のブログで、最後に足りなかったピースが届いて一件落着というところだったのですが、実はこの先にも話は続きました。

実際にやってみるともう1ピース足りなかったのです。パズル全体が立体で国の場所が盛り上がっていて、海の場所が少し低くなっているのですが、ちょうど中東あたりに海が細く伸びている箇所があり、それがピースがないのか、海なのか気付かなかったようで、、、楽しい空気から、少し重い空気へ。

しかし、小学生はそんなことではあきらめません。

前回よりも、集まっていた人数が多かったこともあり、再びピースを注文する相談を始めました。前回やっているだけに、その流れは速かったのですが、誰が電話するという所でまたも「やっぱり先生が、、」という声が、、。

ところが、前回いなかった子が、「私電話したい!」と立候補をし、電話することに。

ここにきて私も本当に電話させても大丈夫かと不安になったのですが、とりあえずやってみることに。

電話番号だけは押してあげて、その受話器を渡すと、

「お世話になっております。新宿せいが学童クラブです。○○○の世界地図パズルのピースが足りないんですが、注文することはできますか?」

「はい、1ピースです。」

「郵便番号は○○○の住所は○○○です」

「足りない国のパズルはイクラです、、、じゃなかったイラクです。」

「はい、よろしくお願いします」

とあっさり注文をしてしまいました。

途中で、真面目にボケもありましたが、その電話の後は、その子を中心に「注文できた~」「なんでイクラっていったの」「本当にできると思わなかった」と大盛り上がりでした。

今度の火曜日にその1ピースが届く予定なのですが、今からその日が楽しみです。

ちょっとした失敗も、いい経験になるものですね。

まだまだ整理するものはたくさんあるので、子ども達と楽しみながらいい経験をしていきたいと思います。

(報告者 西田泰幸)

おもちゃの整理、管理<その1>

新しい年が始まり、今年度限りでお終いとなる新宿せいが学童クラブも残すところ3か月となりました。

少しずつ家具や書類、おもちゃなど整理が始まっています。何気に大変なのがおもちゃの整理です。日頃、使っているものは、ほとんど大丈夫なのですが、しばらく使っていなかったものや、タイミングがなくまだ出していなかったおもちゃまでと沢山のおもちゃをまだ使えるか確認しなくてはいけません。

例えば、トランプがちゃんと53枚足りているかどうか、ボードゲームのパーツは足りているかなどが、あるのですが、もし職員が一人で何セットものトランプを1枚、2枚、、と数えている姿をすると、相当寂しく、そして手間がかかりそうです。

それなので、私は子どもたちと一緒に遊びながら確認するようにしています。トランプならソリティアを教えてあげたり、何がババか分らないじじ抜きを一緒にやってみたり、ボードゲームなら一緒に遊んで、その場で足りないカードやパーツを作ってみたり。そうすると、楽しく遊びながら、同時に、足りないと困るという経験から子ども達に物を大切する気持ちも伝えることが出来ます。

そんな中、パズルのピースが足りているかという遊びをしている時に面白いことがありました。しばらく手がつけられていないパズル、、、はめてみる前から、ピースが足りないのだろうなと思いながらも、子どもたちに声をかけて一緒にやってみました。やってみると「どうかな?足りるかな」とワクワクしながらやってみるのもなかなか楽しいものです。毎回の最後は「あ~、1ピースたりなーい」「ちょっと下に落ちてない?」等と、色んなパズルをやること繰り返す事、、、5回目。「やったー!」と、ついにちゃんと足りているパズルを見つけました。苦労があり、また本当にできるかどうかわからなかっただけに、その子どもたちの顔はとても嬉しそうでした。

その後も、続けたのですが結果はちゃんとピースが足りたのは全8枚中1枚のみでした。

結果を見ると少し笑ってしまいますが、そこからも色んなことが経験できました。

まず初めに、起きたのが「ピースが足りないパズルはどうするの?」ということでした。それまで、トランプやボードゲームで物の大切さを感じてきた子どもたちなので、なかなかの問題でした。

ほとんどのパズルは、箱がなくどこで買った物か分らなかったのですが、一つだけ○○○の世界地図パズルと会社名が書いてあるパズルがありました。「これなら聞けるかもね」と足りないピースを注文できないかという話になりました。

まずその世界地図パズルのどのピースが足りないのかという確認が始まりました。全部はめて、足りない国の場所を地図で見て「ここは、、イタリアかな」「ここはチリかな」と書き出していきました。国ごとに分かれているピースだけあって足りないピースは10数個もありました。

足りないピースがわかると電話です。小学生ということで実際に電話してみると、話していたのですが、「誰が電話するのか?」、「なんと話すのか?」と決めているうちにだんだんみんなが弱気に、「やっぱ先生がした方がいいんじゃないの?」。

直前まで子ども達で電話する流れだったのですが、その弱気なムードは変わらず、残念ながら、子どもたちに何が足りないとなんというかを復唱してもらいながら、職員が電話をすることに。

それでも子ども達は、自分たちがそのパズルをまたできるようにしたことにとても満足気でした。

何日かして、そのパズルが届いたときには、「来たー!」と大喜び。注文に携わっていない子までやってきて、そのパズルを楽しんでいました。

自分たちだけで何かができる。そこから生まれる喜びは格別のものですね。                 (報告者 西田泰幸)

小さな科学者

最近の科学離れに対してドイツでは「小さな科学者」という取り組みが行われているそうです。

それは、科学的実験の例がファイルとして作成されているなど、科学が身近なものとして感じられるようにされてるそうです。

 

学童でもそんな「小さな科学者」を思わせる出来事がありました。

もう年末ということもあり、子ども達と大掃除を企画して、家具をすべて動かして掃除をしたのですが、子どもたちのハングリーな企画力の年内最終日に、近くの子ども広場との一日コラボイベントというものがあり、また少し部屋は汚れ気味に、、、。

それどころかそのイベントの片付けだけで、夕方になってしまい残っている子も4人ほどになりました。

 

来年へ掃除は持ち越しかなと思っていたのですが、そんな中、ポロンと出てきたのがメラミンスポンジ。

そうかこれだと思い、残っている子どもたちに、「ちょっと遊ばない?」と声をかけました。

なかなか大きなイベントの後だっただけに、初めはのりが悪かった子どもたちでしたが、机に残る鉛筆や色鉛筆の後を「こするとどうなるでしょう?」みてと、メラミンスポンジとぞうきんを渡すと、、。

中にはどうなるか知っている子もいましたが、普段使っている机が、とてもきれいになっていく様子に子ども達は興味津々。

 

「次はこっち」、「○○くんはこれお願い。」「まだお迎え来ないよね?」と子ども達で相談しながらとても集中して楽しんでいる様子でした。

 

身近なものから科学を楽しむ。そんなことを思い出させてくれる出来事でした。

来年また学童が始まり、きれいになった机を見せながらまた他の科学にも取り組んでみようと思います。

 

(報告者 西田)

子供たちの信頼関係

今度の12月25日に学童でクリスマス会があります。

クリスマス会といっても、職員は何もしていません。

クリスマス会をやるという所から、その内容、日程まで子どもたちがすべて決めています。

 

学童では、毎月の予定を子ども達みんなで決めているのですが、クリスマス会はその日程を決めた後、そこからさらに計画が必要と考えたのか、クリスマス会係というものを決めていました。

 

そんなわけで、最近は登所してくると係の子どもたちが急いで宿題を終わらせてから、集まって「あーでもないこうでもない」と話をしています。もちろんその係は1年生から3年生まで様々でそれぞれの視点の考えを聞いているだけでも面白いのですが、そこであることに気付きました。

 

それは、クリスマス会の係が会用のおやつやジュースなど食材を買いに行くという時でした。買い物に行こうとしている係とは別に、残っている係がいたので、買物に行く係に「みんなでいかなくていいの?」と聞くと、「あっちはいいの」と返されました。

「ああ、ちゃんと分担しているんだな」と思い、私はそのまま残っている職員だったので、残っている係の子に、「今買い物の子達は行ったよ~」というと、「えっ、そうなの」と知らない様子でした。

 

「あれ、変だな」っと思い、詳しく聞いてみると、初めに係を決めた時に、企画の係、料理の係、ポスターの係というように分担をして、後はそれぞれの係がしっかりやるということで動いているらしいのです。

まるで、大人と同じくらいの連携を見せ、そして何よりもそれぞれがしっかりとできるから大丈夫という信頼関係に少し感動してしまいました。

 

これからそのクリスマス会が行われる日が来るのですが、どんな内容になるか、今から楽しみでしょうがありません。

(報告者 西田泰幸)

保護者同士のつながり

先日、学童クラブにいた時に驚かされる出来事がありました。

 

学童クラブでは学校から帰ってきてから、宿題をやったり、遊んだりしながら降所予定の時間になったら自宅へ帰ります。降所は、明るいうちは一人で家まで帰る子が多いのですが、外が暗くなる時間帯はお迎えのみの降所となっています。

また、習い事をやっている子もいて、一時的に学童クラブから出て、また学童クラブに帰ってくることもできます。

最近少し困っているのが、この習い事がなかなか終わらず、学童クラブに戻ってくるのが遅くなると、一人で帰る予定だった子が、暗くなってしまい帰れない時間になってしまうことがあります。

 

この間も、習い事に行った子が教えてもらうことが多かったのか戻ってくるのが遅くなり、学童に来た時には外が暗くなり始めていました。まだ、一人で帰っても大丈夫な時間ではあったのですが、その子は「暗くなり始めているから、一人で帰るのは怖い」と帰れませんでした。保護者に連絡を取り、お迎えに来れるかを確認したのですが、連絡がつかず、学童でしばらく待つことになりました。

 

そんないつもと違う様子に、他の子をお迎えに来た保護者が、「どうしたんですか?」と事情を聞いてくれました。そして、「良かったらお家を知っているので、一緒に送っていきましょうか?」と声をかけてくれました。

その子の保護者と連絡が取れていなかったので、とりあえず連絡が取れてからとお話ししたのですが、その後、また他の子を迎えに来た保護者も「どうしたんですか?」「よかったら送っていきましょうか?」。また別の保護者も「送っていきましょうか」と声をかけてくれました。私の記憶する限り、声をかけてくれたどの保護者の家も、それほどその子のうちから近くはないのですが、保護者同士のつながりの深さに驚かされました。

 

そこで感じたのが、実は「帰るのが遅くなっている子」も、「声をかけてくれた保護者」も、保育園から学童に上がってきた家庭で、保育園と家庭がいい関係を築くことができれば、自然と保護者同士もよい関係になるのではと感じました。

良い保育をすることそれは周りにも影響がでるものなのですね。

 

(報告者 西田)

世代間交流3

前回乳児と小学生の世代間交流に続いて、幼児と小学生の世代間交流についての私の思うところを書かせていただきます。

幼児との交流機会もまた乳児のときと同様に、家に弟や妹がいれば日常的に行うことができますが、幼児は乳児に比べ動きも増え、外で遊ぶことも多くなるため、家の外で家族ではない幼児とかかわる機会もあるかもしれません。

しかし現代では、そのような機会が少なくなってきているようにも感じています。

また、幼児に興味を持って自ら交流機会を得ようとする小学生もなかなかいないように感じてしまっています。

前回に学童の子どもたちがお手伝い保育に関してとても意欲的なことを書かせていただきましたが、実は幼児クラスにお手伝いにいきたいと言う子がほとんどいません。

幼児期は、自分の意思を持ち、様々なことに関心を示して、活発に活動するようになる時期であり、乳児は母親を中心とする養育者の助けの中で生活しますが、幼児になると生活の様々な場面で少しずつ自立していくようになる。

しかし意思表示の仕方が上手くいかなかったり、生活の中で周りの支えが必要なこともまだまだたくさんあるように思えます。

自我が芽生えてくるが、まだまだ色々な面において完全ではないこの時期の子どもは対応が難しいことも多いのではないでしょうか。

そのような幼児と小学生が交流することは、互いに多くの発見、成長が期待できるのではないでしょうか。

まず、小学生にとってのこの交流の価値は年上(小学生)としての自覚や責任感を持てることであると思っています。

幼児と共に活動をすることで自然と「自分がしっかりしなければ」という気持ちが生まれ、大変な思いもしながら活動をしていくことで、その経験が自信につながり、普段の生活では気付くことのできなかった自分の一面に触れることもできるかもしれません。

また、幼児との絆が深まっていくと幼児に対する思いやりも育ち、自分自身の幼いころの様子を考え、成長を振り返る機会にもなるようにも思えます。

そして幼児にとっても小学生と交流することは価値のあることであり、小学生に色々教わり助けてもらうことで、憧れや成長への意欲を見出すことができる。

これが私が考えるこの交流の最も重要視している点です。

異年齢保育の1つの良き点として、年長児の子どもたちが最も年上で、その下のクラスの子どもたちが年長児に対して憧れを抱けることがあります。

しかし、年長児は最も年上の為、憧れを抱く相手が園内には大人以外にいなくなってしまいます。

それを担えるのが学童の子どもたちであると思うのです。

そして年長児にとっては小学校や小学生を身近に感じ、進学への期待を膨らませることのできる経験となるとより良いですね。

しかし、先ほど書いたように学童の子どもたちの幼児クラスへのお手伝いの意欲は決して高くないので、これから保育園・学童のイベントを通して徐々に交流を深めていき、お手伝い意欲の向上に繋がればなと思っています。

小学生、幼児は共にどんなことでも成長へとつなげていける時期の子どもたちです。

その交流からも大人の予想していなかったような発見、成長が期待できるのではないかと今から楽しみです。

(投稿者 若林)

世代間交流2

前回の活動報告で世代間交流を紹介させていただきましたが、今回は乳幼児と小学生による世代間交流について、現在の学童の子どもたちの様子と交えて紹介させていただきます。

乳児と日常的に交流機会のある小学生は限られていると思います。

自分の家に弟や妹がいて、様子を見る等でかかわる機会のある子もいるでしょう。

しかし、乳児と呼ばれる期間は短く、歳が近い兄弟だと弟や妹が生まれた頃には自分自身もまだ幼いため、どのような様子であったのか覚えていないのではないでしょうか。

家の外に出ても、どこかで乳児と触れ合う機会などそう多くあるものではない。

小学生が乳児と交流することから得られることは、単に乳児の様子を知り、かかわり方を学ぶことだけではないと思っています。

もちろんそのような価値もあると思いますが、乳児という存在に触れることで生命についても考える機会にもなるのではないでしょうか。

生まれたばかりの乳児と出会うことで、生命を持って誕生してきていること、かけがえのない存在として大切にされていることがわかり、自分自身もそうであったということにも改めて気付くことができると思うのです。

他の世代間交流も人と人との交流であるので、生命にかかわっていることに違いはないですが、乳児とのかかわりは特に生命を身近に感じることのできる特別な交流であり、小学生にとって価値のあるものとなるのではないでしょうか。

また、乳児は小学生という普段かかわることのない者とかかわることで、両親や保育者以外の存在を知り、新たな世界に触れる経験を得られるのではないでしょうか。

小学生にとっても乳児にとっても互いに新たな存在や世界に気付くことのできる貴重な経験としてこの交流にはとても重要な意味があると思っています。

新宿せいが保育園では、週に一度年長組が下のクラスにお手伝い保育にいきます。

そして新宿せいが学童クラブでは、保育園から持ち上がりの子が比較的に多く、お手伝い保育に対してとても意欲的です。

また、お手伝いにいくクラスで圧倒的人気を誇るのが0歳児クラスです。

お手伝いにいく目的は各々違い、ほとんど乳児が可愛いからという理由ですが、交流をするということに意味があるのです。

正直ちゃんとお手伝いとなっているのか不安ですが、この交流から双方に多くの気付きや学びを得ていってくれたらと思っています。(投稿者 若林)