Red floor philosophy episode 1 ぐんとすい

すいすい組(5歳児クラス)の子たちが、給食の時間に部屋に降りてきてくれました。

エプロンを自分でつけようとする様子をじーっと見たり、

エプロンを自分でつけようとする様子を見たり、

 

食べているところを見たり。

食べているところを見たり。

「手で食べてる!」

との反応に、

「散々手で食べてたじゃない(笑)」

と、ぐんぐん組(1歳児クラス)担任の先生(笑)

子どもたちの成長を小さな頃から見守ってきた先生の言葉ですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2011年11月20日『他者』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「赤ちゃんは、他者の存在を機能によって使いこなしているといわれています。遊ぼうとするときには同じくらいの発達の子を選んでいるといわれ、模倣しようとするときには少し上の子を選び、教わろうとするときにはもう少し上の子を選んでいるといわれています。子どもは、気が合うか、合わないかという個人差によって相手を選ぶこともありますが、年齢差で選ぶことも多いようです。この年齢差のある子ども同士は、家庭内でのきょうだいか、地域の子ども社会の中に存在していましたが、それも今は存在していません。そのために、今は、さまざまな年齢とも遊ぶ機会を意図して作らなければなりません。そんなことから、最近、きょうだいの役割についての研究がされています。

 子どもは、生まれながら、いろいろなことができるように備わっていますが、それが発現するためには環境が影響していきます。その環境からの影響は、ひとつということはないのですが、特に、「心の理論」にきょうだいが影響するかということの研究がされています。それは、子どもの育ちに異年齢児の存在がどのような作用をするかということです。このことについて、日本でも有名になったのが、ロバート・フルガムの『人生に必要な知恵は、すべて幼稚園の砂場で学んだ』(河出書房)という本かもしれません。それによると、著者であるフルガムは、「自分が人格形成をしていく過程で、幼稚園のときの仲間との葛藤、けんかをしたりとか、あるいは場合によっては助け合ったりとか、あるいは自分が約束を守らないと非常に手痛い目に会うというようなことから、多くのことを学んだ」と言っています。人生に必要な知恵は、高等教育で学んだわけではなく、幼稚園の砂場にあると言ったのは、砂に重要な意味があるのではなく、異年齢の子ども集団に意味があるということなのです。

 人間というものは、他者を通して自分を理解するわけですから、自分を評価する他者が多様であればあるほど、自分というものが見えてきます。母親からだけの評価では、社会に出てから、他者から違う評価を受けたときに、心に打撃を受けてしまい、自分に閉じこもってしまうことになりかねません。異年齢の中での育ちは重要なようです。」

他者であるぐんぐん組(1歳児クラス)の子どもたちを見て、自分を知る。このような環境は園という環境ならではのように改めて思えてくるところです。

現在、臥竜塾ブログでは、心の理論に触れられています。何年も前から上記にある内容をブログに書かれてきた藤森先生に、改めて驚きと感動の気持ちが湧いてきます。

このような出来事が自然と生まれる環境、本当に素晴らしいと思います。赤い部屋(ちっち組0歳児クラス、ぐんぐん組1歳児クラスのフロアーの通称)における、子どもたち同士の関わりについての報告を何回かに分けてしていきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

目と目で通じ合う そういう仲になりたいわ

写真左手、ちっち組(0歳児クラス)のある男の子。

わいわい組(3歳児クラス)にお姉さんがいます。

わいわい組(3歳児クラス)にお姉さんがいます。

 

弟と遊びたい気持ちの派生で、他の子とも遊んでくれました。

弟と遊びたい気持ちの派生で、他の子とも遊んでくれました。

このようなフランクな感じで、園の子ども同士が関わっています。

この日は4月5日。新年度始まって早々の賑やかさを、このように緩和してくれる、有難い存在です。

この子はすいすい組(5歳児クラス)。

写真右の女の子はすいすい組(5歳児クラス)。

 

ボールであやしてくれました。

ボールであやしてくれました。

 

更にもう一人、写真右手すいすい組(5歳児クラス)の子も加わって、

更にもう一人、写真右手すいすい組(5歳児クラス)の子も加わって、

 

色々とあやしてくれている内に、

色々とあやしてくれている内に、

 

スヤスヤと…。

スヤスヤと…。

穏やかな表情です。でもすぐ起きてしまいました。

おもむろに玩具を用意する二人。

おもむろに玩具を用意する二人。

 くるくると回る歯車の玩具と「くるくるチャイム」と呼ばれる玩具が、水玉くん(水玉の服を着ているので、以下水玉くん)の前に並びました。

実際に遊んで見せます。

実際に遊んで見せます。

 

「こっちはどうかなぁ。」

「こっちはどうかなぁ。」

すると、二人が面白いことを言いました。

「こっち(くるくるチャイム)の方が好きみたいだね。」「ね。」

え?どうして、そんなことがわかるのでしょう?

再び遊んでもらい、この子の目線がわかるようにカメラを回してみることに。

んー、なるほど。

んー、なるほど。

 

んー!なるほど!

んー!なるほど!

 ぐっと顔をあげて、しっかりと玩具を見つめています。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年9月13日『平等な分配』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「最近の研究は、子どもたちにみられる行為の起源はいつなのだろうかということが多い気がします。そして、その結果、次第に早い時期から行なうということがわかってきています。早い時期からみられるということは、それらは決して学習で得られるものではなく、人類にとって遺伝子で受け継がれてきたものであるということであり、それは、人類の生存戦略の中で必要なものであり、生きていく上で必要な力であったのでしょう。

 平等バイアスが、幼児にもみられたということですが、心理学者であるアレッサンドラ・ゲラーチとルカ・スーリアンは、生後10ヶ月児と1歳4ヶ月児に、ライオンとクマが、ロバとウシに2枚のカラフルなディスクを配る人形劇を見せてみました。ライオンは、ロバとウシにディスクを1枚ずつ配ります。クマは、ディスクを2枚とも1匹の動物に与え、もう1匹には何も与えません。その後で、子どもたちにライオンとクマの人形を示し「どちらがいい子かな?いい子を教えて」と尋ねたところ、10ヶ月児の回答はバラバラだったそうですが、1歳4ヶ月児は公平な分配者を好んだそうです。それは、ライオンとクマを入れ替えてもやはり1枚ずつ配った方を選んだそうです。

 この実験は、私は聞いたことがあります。その時は、たしか、好きな人形を取らせたところ、公平にした方の人形を選んだということだった気がします。子どもの意志の表現を知ることはなかなか難しいものがあります。それは、小さい子どもはなかなか自ら表現しないので、わかりにくいからです。しかし、やはり以前のブログでも紹介しましたが、最近あかちゃん研究が進んだ理由に、視線や、そのものを長く見つめるかどうかで判断する方法を見つけたからということがありました。」

「視線」。赤ちゃん研究の重要なポイントであることを改めて感じます。

このことは、『臥竜塾』ブログ2012年6月29日『視線を交わす』の中で触れられています。

「千住さん(「社会脳の発達」著者、千住淳氏)は、「社会脳の発達」の中で、「視線」について多く述べています。その理由についてこう書いています。「視線研究は、社会脳研究に関してユニークな視点を与えてくれるものであるからです。視線処理は新生児においてすでに見られ、心の理論や社会的学習など、より複雑な社会的認知が発達するための基盤の一つとなっています。また、他者の視線は、社会脳を構成するさまざまな部位に影響を及ぼし、他者との素早く柔軟な相互作用に貢献しています。さらに、強膜と虹彩とのコントラストが強く、視線方向を識別しやすいヒトの目の形態は霊長類の中でも特殊であり、この形態は社会的なコミュニケーションへの適応として進化してきたのではないか、という議論もあります。」

 このコメントは、私にとって、非常に重要なものです。赤ちゃんは、長い間、小さいうちは他人と関わらず、独り遊びをしたり、しばらくしても平行遊びという関わりを持たない遊びをすると言われてきました。今でも、そのように思っている人がいます。また、赤ちゃんは、関わると言っても、主に母親という特定な人とだけ関わり、そのかかわりが情緒を安定させるかのように言われてきました。そして、3歳くらいになると、初めて他者との関わりを持ち始めるために、子どもを集団の中に入れることが必要になってくると言われています。

保育所保育指針の中の発達過程にも、他人との関わりの内容には、子ども年の記述がありません。「おおむね六か月未満」では、「泣く、笑うなどの表情の変化や体の動き、喃語などで自分の欲求を表現し、これに応答的に関わる特定の大人との間に情緒的な絆が形成される。」とあり、「おおむね六か月から一歳三か月未満」では、「特定の大人との応答的な関わりにより、情緒的な絆が深まり、あやしてもらうと喜ぶなどやり取りが盛んになる一方で、人見知りをするようになる。また、身近な大人との関係の中で、自分の意思や欲求を身振りなどで伝えようとし、大人から自分に向けられた気持ちや簡単な言葉が分かるようになる。」とあります。

もちろん、行動として他の関わる力の表出は1歳から2歳にかけてかもしれません。しかし、ヒトは、新生児のころからその準備をはじめ、その基盤を作り始めています。そこでは、多様な人との関わり、特に子ども同士の関わりが必要になってくるのです。その関わりは、他人からの視線を受けること、他人へ視線を送ることからはじまっているのです。ですから、かつて「おんぶ」が日本の文化の中で評価されてきた理由に、背中から赤ちゃんは他者との視線のやり取りによって、社会脳を構成する脳のさまざまな部位に影響を与えていることが挙げられているのです。

マンションの一室で、帰りの遅い父親を待つ間、母親と二人きりで、時には家事をしている母親から離れ、一人で寝ている赤ちゃんは、誰からも視線を受け取らず、誰にも視線を送らずに過ごすことは、社会的なコミュニケーションの力を育てる環境ではないのかもしれません。

霊長類の中で人間だけが、白目と黒目をはっきりさせることとによって視線を読み取っていく、また、視線と顔の表情を組みあわせて他人の感情を読み取っていく能力を持つことが、ヒトをここまで進化させてきた一因かもしれないのです。」

その視線の力を女の子たちが自然と理解をしているのが凄いですね。水玉くんの好みを視線から理解したということでしょう。

自分の好みを理解してくれる存在の前では、人は心を許すものですね。水玉くんの落ち着いた理由がなんとなく理解できたように思いました。

子ども集団。異年齢の力。とても考えさせられるものがあります。

(報告者 加藤恭平)

あなたに会えて本当によかった 嬉しくて嬉しくて言葉にできない

今年度、ちっち組(0歳児クラス)を担任しています。

赤ちゃんたちは「慣れ保育」という特別な時間を経て、園、集団という環境に慣れていくのですね。その初日、初めましての赤ちゃん同士がこんなにも意識し合うものとは思わず、また、視線を交わし合いながら、関わり合おうとするような姿を見せるものと思わず、驚きと感動がありました。

保護者の方「はじめまして♪」

はじめまして。

 

写真右手、女の子がタッチをすると、

写真右手、女の子がタッチをすると、

 

写真左手、男の子も足にタッチ。

写真左手、男の子も足にタッチ。

考えてみれば、誰も触り合うことを促しているわけではないのに、こうして自然と触れ合うのですね。

こちらの二人の女の子。奥の子がベビージムの鈴に手を伸ばすと、

こちらの二人の女の子。奥の子がベビージムの鈴に手を伸ばすと、

 

その音をきっかけに見つめ合う二人。

その音がきっかけとなり、見つめ合う二人。

 数秒間、見つめ合っていました。その最初のきっかけとなった鈴の音、前にいる赤ちゃんを見ながら鳴らしていたように思えたのは気のせいでしょうか。

写真左、先程の写真の男の子。

写真左、先程の写真の男の子。

写真右手の男の子の使っているオーボールが気になるようです。

ボールを手にした瞬間をきっかけに見つめ合う二人。

ボールを手にした瞬間をきっかけに見つめ合う二人。

 

写真 男の子がボールを放すと、

男の子がボールを転がします。

 

それを追うようにして、ボールの行く先を見つめていました。

それを追うようにして、二人はボールの行く先を見つめていました。

 ボールを写真左手の男の子に向かって投げようとしたような、そんな風にも感じられる関わりを見せてくれます。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私がよく講演で話しをすることに、『赤ちゃんは能動的である』ということがあります。赤ちゃんは自分で何もできないために、受動的であると思われていました。他人にやってもらうために、赤ちゃん自身は受け身であると思われていました。しかし、最近の研究では、自分でできないために、他人にやってもらうために、そこにさまざまな手段で働きかけているということが判ってきました。」

赤ちゃんは自ら働きかける力を持った存在である、ということを、その関わりを見る度に、とても強く肯定したい気持ちに駆られます。

また、『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』には、こうも書かれています。

「人間の特徴として、しばらくして、他者を志向的主体として理解し、他者との共同注意のやり取りに参加し始めてから指さしの身振りを始めると言います。そこには、「協力」という人間独特の基盤がキーワードになります。それは判るのですが、では、生後1歳くらいのまだ言語の話せない乳児が、お互いに何かを見ながら指さしをしている姿は何を意味しているのでしょうか?要求では無いことは判りますが、お互いに共有基盤がはっきりとあるわけでもありませんし、他者を志向性主体として理解しているわけでもなさそうなのです。そこには、大人では判らない、乳児同士の非言語コミュニケーションが行なわれている気がします。」

藤森先生が仰っていることを目の当たりにしていく一年になるような、そんな気がしています。この一年、赤ちゃんのもつ様々な力に直に触れながら、現場目線でたくさんの報告をあげていきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

Lunchtime philosophy episode final

 

さて、配膳へと並んだ「チームらん」

さて、配膳へと並んだ「チームらん」

 

おや?

おや?

 

その後を追うようにして「チームわい」も配膳へとやってきました。

その後を追うようにして「チームわい」も配膳へとやってきました。

 さて、クロ君はというと、

一人で遊んでいました。

一人で遊んでいました。

「チームわい」が配膳へとやってきた経緯をクラスの先生に聞いたところ、「流石に配膳へ来ないので、そろそろ配膳終わっちゃうよ、と声をかけました。」

とのことでした。

さて、クロ君は、というと、遊びを終え、配膳終了間際になって一人で配膳へ向かっていました。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年6月10日『小集団内』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「ヒトの子どもは、個体発生のごく初期からヒト特有のやり方で他者と協働をしますし、彼らは、他者とともに、自分たちが規範的に関わるべき共通のゴールを形成し、様々な領域にわたって注意の接続と概念基盤の共有とを成し遂げ、無力なはずのものに義務的な力を与える表象的、制度的リアリティを生み出すというのです。子どもたちは、個々のゴールに貢献するためばかりではなく、協働行為そのものを行なうために、様々な協働行為に参加しようとするのです。」

配膳というゴールへ、手を取り合うような形で向かっていった「チームらん」。その会話まで追えなかったのは残念でしたが、保育者に声をかけられるなどのきっかけで配膳へと向かっていった「チームわい」。前者は子ども集団、そして後者は保育者も含まれた集団が、配膳というゴールへと後押しをします。

興味深いのはクロ君という存在で、遊びが楽しかったのか、はたまた列に並ぶという行為自体に気持ちがどうも向かなかったのか、「配膳へ向かう」という暗黙の流れに沿うことを避けるように、その時間を過ごしていたように思えてきます。

憶測ですが、それは実は「チームらん」も同じで、最初にクロ君のパズルを手伝おうと思った時、きっと配膳の列に長い時間並ぶことを避ける為の彼らなりの気の逸らし方だったように思えてもくるところです。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月11日『気をそらす』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「うまく先延ばしにできる子どもは、気をそらし、自分が経験している葛藤とストレスを和らげるために、ありとあらゆる工夫をしていました。意志の力を妨げられないように、楽しい空想の気晴らしを考え出して、つらい待ち時間を過ごしやすくしたのです。たとえば、短い歌を作って歌ったり、滑稽な顔やグロテスクな顔をしたり、鼻の穴をほじったり、耳掃除をして出てきた耳垢をいじったり、足の指を鍵盤に見立てて手で弾いたりという具合でした。気をそらす手立てを使い尽くしたあげく、目を閉じて眠ろうとする子もいました。ある女の子は、とうとうテーブルの上に手を組んで頭を載せ、深い眠りに落ちました。こうした作戦は、未就学児が使うのを見て、ミシェルは目を見張ったそうです。

これらの行動は、大人の私たちでもすることがあったり、学生時代のつまらない授業を聞いていると気にする行為と似ているとミシェルは言います。私たちの園で、昼食を目の前にして、みんながそろうまで待っている子たちの中で、そのような姿を見るとこがあります。」

そして、きっとクロ君も同様であったことでしょう。

ここで改めて思うのは、「配膳へ並ぶ」という行為自体、そもそも園という集団がなければ経験できないことだということです。「チームらん」「チームわい」「クロ君」が集団として、個として、それぞれに行動し、時に自制心の育みともとれる気の逸らし方を発揮しながら配膳へと向かうその時間までを過ごした経緯全てが、園という集団がなければ生まれ得なかったドラマであったことに気付きます。

そして、例えばクロ君が配膳へ並んだ後、「皆待ってるんだからもう少し早く配膳へ来て欲しい」と誰かに言われたとします。それも園という環境、集団での生活があるが故に成されるアプローチであり、クロ君にとっては集団がある故に得られることのある学びなのですね。

子ども集団、集団の大切さ。その理解の上に構築された環境設定。給食の配膳一つにして、子どもたちはこうして多くの経験を積み重ねているのですね。改めて新宿せいが子ども園の環境に、驚きと感動を覚えたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

Lunchtime philosophy episode 2

さて少しずつ時は流れ、その間にも配膳は進み始めています。

 

「違う違う!」「こうか!こうだ。」

「違う違う!」「こうか!こうだ。」

 クロ君からピースのパスを受けながら、パズルは少しずつ完成へ向かっていきます。

すると次の瞬間、

一瞬、配膳の方へ視線を向けるネックウォーマーの男の子(らんらん組4歳児クラス、以下ネック君)。

一瞬、配膳の方へ視線を向けるネックウォーマーの男の子(らんらん組4歳児クラス、以下ネック君)。

そして、

「横(配膳)行ってみな。」

ネック君「横(配膳)行ってみな。」

独特のフレーズと親指を配膳の方へ向ける仕草で、灰色の洋服の男の子(らんらん組4歳児クラス、以下グレイ君)を促します。

すると、

グレイ君、ちらりと配膳の方を見た後、

グレイ君、ちらりと配膳の方を見た後、

 

おもむろに配膳の方へ向かいます。

おもむろに配膳の方へ向かいます。

 そして、

配膳の輪の中へ。

配膳の輪の中へ。

しかし、中々トレーを持とうとしません。何かを見ているようです。

数秒後、ネック君の元へ。

そして、

グレイ君「今日のご飯は、スパゲッティー!」

グレイ君「ネック君、今日のご飯は、スパゲッティー!」

なるほど!メニューを見に行っていたのですね。

ネック君「え、じゃ早くしよ!」

ネック君「え、じゃ早くしよ!」

そうして二人で、

グレイ君「早くしないとスパゲッティー!」ネック君「しかも、席もなくなっちゃう。」

グレイ君「早くしないとスパゲッティー!」ネック君「しかも、席もなくなっちゃう。」

慌てた様子でパズルを完成させ、

グレイ君「ちょんちょん(パズルここに置いての合図)」(笑)

グレイ君「ちょんちょん(パズルここに置いての合図)」(笑)

 

「…。」

「…。」

 会話なき会話ですね(笑)

そうして、無事配膳に並び、

そうして、無事配膳に並び、

 

グレイ君「そこ(席)とっといて!」

グレイ君「そこ(席)とっといて!」

 (笑)

このようにして、二人とも席に着いていました。

子どもたちが配膳へと向かう一部始終はこんな感じなのですね。とても興味深く思います。

さて、〈チームわい〉そして、クロ君は一体どうしたのでしょうか。

次回、この度のらんらん組(4歳児クラス)二人の姿を踏まえて、12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ (太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとびます)からの文章を元に、考察をしてみようと思います。

(報告者 加藤恭平)

Lunchtime philosophy episode 1

給食時における子ども集団について、とても興味深い出来事があったので報告します。

 

眼光鋭い眼差しの主は、

眼光鋭い眼差しの主は、

そう我らが森口先生です。ですが森口先生はこの度の報告に全く関係がなく、カメラを向けた先にある配膳の全体風景を撮ろうとしたところ、見事なカメラ目線で写り込んでくるという(笑)やはり只者ではありませんね。

2016年度最後の報告に、5分半程の動画をスクリーンショットして取り組みます。

配膳始まる中、まだ向かわない集団があります。

配膳始まる中、まだ向かわない集団があります。

テーブルにはパズルが残っていますね。

ピーステーブルにも。

ピーステーブルにも。

そして、

そして、もう一度先ほどの場所にカメラを向けます。

もう一度先ほどの場所にカメラを向けます。

この度スポットを当てたいのは、この3人(写真手前の子はわいわい組3歳児クラス、奥の2人はらんらん組4歳児クラス)、と、先ほどピーステーブルにいた3人(わいわい組3歳児クラス)の子です。

この3つの集団(らんらん組4歳児クラス2人、以下〈チームらん〉、ピーステーブルにいたわいわい組3歳児クラス3人、以下〈チームわい〉、パズルをやっている黒い服の男の子わいわい組3歳児クラス以下クロ君)がどのように配膳に向かっていくのか。これがとても興味深いものでした。

クロ君は〈チームらん〉に視線を送ります。

クロ君は〈チームらん〉に視線を送ります。

というのも、取り組んでいるパズルが中々難しいようで、助けを求めるような視線を何度か〈チームらん〉に向けます。ですが、まだ〈チームらん〉は気付きません。

その間にも配膳は進んでいきます。

〈チームわい〉は少し配膳が気になるのか、様子を見に来るかのように場所を移動したりしています。

〈チームわい〉は少し配膳が気になるのか、様子を見に来るのように場所を移動したりしています。

そして、

何かが気になった様子でブロックゾーンへ。

何かが気になり、ブロックゾーンへ。

〈チームわい〉は、かなりゆったりしたペースですね。

カメラを戻すと、

〈チームらん〉がパズルに加わっていました。

〈チームらん〉がパズルに加わっていました。

クロ君の熱視線、想いが届いたようですね。

しかし、なぜ〈チームらん〉〈チームわい〉は、配膳へ向かわないのでしょうか。

同時に、どのタイミングで配膳へ向かうのか、という疑問も湧いてきます。

この後の展開、そこにおける会話のやりとりに、「なるほど」と思わせるものがありました。

(報告者 加藤恭平)

写真で二言三言

新年度が始まろうとしていますね。担当するクラスが気になる今日この頃、

気になるボードを見つけました。

気になるボードを見つけました。

 ちっち組(0歳児クラス)、週の担当番号が書かれたホワイトボード。右上に〈運がいい先生〉とありますね。

「何もしなくていい先生なのですか?」との見学者の方からの質問に、

「ウンチを換える担当の先生です。」とクラスの先生が答えられていました(笑)

感染症の予防策として、排便を換える役割の先生を決めて保育にあたっているとのことで、それをこのように表現される。ユーモアを感じますね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月8日『ユーモア』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「職場におけるユーモアの研究によれば、タイミングの良いジョークや陽気な笑いは、創造性を刺激し、コミュニケーションの端緒を開き、一体感や信頼感を強め、仕事をより楽しくしてくれると言います。交渉の途中に楽しいジョークが出れば、金銭的譲歩を引き出せる可能性も大きくなると言います。この良い雰囲気は、チームにおいては特に重要だと言われています。」

4月からの新しい環境に胸が膨らみます。

次回〈給食時における子ども集団〉を追った動画を切り取って、報告します。今年度最後の報告です。

(報告者 加藤恭平)

あなたにとって私もそうでありたい

今回も給食時における子ども集団について、興味深い出来事があったので報告します。

悲しい表情の女の子(3歳児クラス、白い服なので以下白ちゃん)にティッシュを持ってきてあげたドット柄の女の子(3歳児クラス、以下ドットちゃん)と赤い洋服の女の子(3歳児クラス、以下レッドちゃん)です。

悲しい表情の女の子(3歳児クラス、白い服なので以下白ちゃん)にティッシュを持ってきてあげたドット柄の女の子(3歳児クラス、以下ドットちゃん)と赤い洋服の女の子(3歳児クラス、以下レッドちゃん)です。

 

ドットちゃん「レッドちゃんがそこに座ってあげたら?そうしたらきっと泣き止むよ。」

ドットちゃん「レッドちゃんがそこに座ってあげたら?そうしたらきっと泣き止むよ。」

どうやら座りたかったテーブルに座れなかった様子の白ちゃん。中々泣き止まない白ちゃんにお友だちが色々な気遣いを見せます。

紫いろの服の女の子 (3歳児クラス)も涙を拭きに。

紫いろの服の女の子 (3歳児クラス)も涙を拭きに。

レッドちゃんは一旦自分の席に戻って、

自分の給食をもって白ちゃんの元へ。

自分の給食をもって白ちゃんの元へ。

写真後方のドットちゃんたちもテーブルを立ちます。

白ちゃんのテーブルに集まります。

白ちゃんのテーブルに集まります。

 

ドットちゃん「白ちゃん、これでいいでしょ?」頷く白ちゃん。

ドットちゃん「白ちゃん、これでいいでしょ?」頷く白ちゃん。

一件落着ですね。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年6月27日『協力的な営み』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈人間のコミュニケーションの動機はあまりにも根本的に協力的なため、私たちが相手を助けるために物事を教えるだけではなく、相手に物事を要求する主要な手段として、自分の要望を知らせておいて、相手が手助けを自発的に申し出るのを期待する、という方法をとるというのです。具体的な例としてトマセロはこんな例を挙げています。「私はいっぱいの水が欲しいと述べる(自分の要望を相手に伝える)だけで、水を要求することができます。それは、たいていの場合あなたが人を助けたいという傾向を持っており、この知らせるという行為が事実上完全な要求に変わることを私は知っているからだ。」

 このような例は面白いですね。確かに、「水を持ってきて!」と言わないで、「水が欲しい!」と言えば、持ってきてくれます。要望が要求に変わります。それは、要望を聞くことで、相手は自発的に持ってきてくれるだろうと思うからです。このように人間のコミュニケーションは根本的に協力的な営みであり、相互に想定された共通概念基礎と、相互に想定される協力的コミュニケーション動機のコンテクストで、最も自然にそして円滑に機能します。

 このような、人間のコミュニケーションが本質的に協力的な性格を持つということは、「グライスの協調の公理(原理)」というものを定義したグライスの基本的な知見なのです。〉

白ちゃんの悲しげな表情、涙。それは「私も座りたかった。」「みんなと一緒のテーブルがよかった。」という声なき要望、声なき要求に他ならず、子どもたちはその声なき声に耳を傾け、それに応えました。〈本質的に協力的な性格を持つ〉そのコミニュケーション能力を互いが存分に発揮した結果、この物語は一件落着な結末へと至ったと考えられなくはないでしょうか。

配膳における子どもたち、子ども集団を見ているとこのような出来事との出会いがあり、本当にすごいと思います。

次回も配膳の際の出来事について報告します。

(報告者 加藤恭平)

やさしい気持ち〜この手を胸を焦がすようなあなたのその存在〜

ブロックゾーンにおける子ども集団について報告をしてきました。

今回は、給食時における子ども集団について、とても興味深い出来事があったので報告します。

写真中央わいわい組(3歳児クラス)の男の子 (緑色の服の子、以下ミドリ君)が写真左手わいわい組(3歳児クラス)の女の子(チェック柄の子、以下チェックちゃん)。

写真中央わいわい組(3歳児クラス)の男の子 (緑色の服の子、以下ミドリ君)と、写真左手わいわい組(3歳児クラス)の女の子(チェック柄の子、以下チェックちゃん)。

 「いただきます」後、食べ始める他のテーブルの子どもたちをよそに、ミドリ君は泣きながらチェックちゃんに言います。

「もう僕のお家に来ちゃダメだからね!」

何がきっかけでこの二人のやりとりが始まったかはわかりませんが、二人はどうやら口論になった模様。口論になった問題についてのやりとりではないところでの言い合いになるあたり、いよいよ喧嘩が幼いだけに、その問題解決は多少の困難さが伴うものですね。

チェックちゃん「私のお家にも来ちゃダメだからね。」言い合いは平行線。

写真左下わいわい組(3歳児クラス)の男の子(赤い服なので以下レッド君)も給食に手をつけずに、その様子を見守っていますね。

チェックちゃん「私のお家にも来ちゃダメだからね。」言い合いは平行線。

しかしこの喧嘩、すぐに解決に至ります。

「もーさー、握手しなよ。握手。」

給食を食べずにその様子を見守っていたレッド君が一言。

次の瞬間

ミドリ君「じゃ、はい!」

ミドリ君「じゃ、はい!」

ゆっくり手を出すチェックちゃん。

10秒程の長い握手。それを見て食べ始めるレッド君。

10秒程の長い握手。それを見て食べ始めるレッド君。

写真左手白い服の男の子「ちゃんといただきますしてから食べなよ〜。」

そうして「いただきます」をして食べ始める二人。給食を口に運ぶとしばらくして、週末お互いの家に行く予定を立て始めました(笑)

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年1月14日『社会的な発達』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈園では、子ども集団があり、子どもたちはその集団の中の一員として存在しています。(中略)近くに他の子がいる場合と、一人で遊んでいるときとは、その行為が違うだけでなく、発達にたいしての刺激が違う気がします。

 それ以上に大きく違うのは、人との関わりにおいてです。幼児期における学びの基礎力の育成において重要であるものとして、幼児が人やものに興味をもち、かかわる中で様々なことに気付くとともに、それらを深め、広げていく過程の中で、自己発揮と自己抑制を調整する力を育むことであり、それらを通じて、個人として、また社会の構成員としての自立への基礎を養うこととあります。ということで、環境として大切なものが、興味を持ち、関わることのできるもの、人が必要なのです。〉

この回の藤森先生のブログがこの場面にとても相応しいと思ったのは、よく見るとこのテーブルの子どもたち、にこにこ組(2歳児クラス)から入園して来た子どもたちです。(ミドリ君だけは今年度わいわい組(3歳児クラス)の入園の子です)

子ども集団の力によってこの育みが成されたのではないか、とは子どもたちそれぞれの資質についての考察の欠けた、極端な表現となってしまいますでしょうか。

このようなやりとりが給食や配膳をきっかけとした中で多く見受けられました。

次回も給食時における子ども集団について報告します。

(報告者 加藤恭平)

今 春が来て 君はきれいになった 去年よりずっときれいになった

 

この写真。

この写真。

何かというと、給食の下膳に使う〈残ボール〉です。

西村先生が気付いてくれたのですが、何とこの日の給食の残はこの麦茶だけ!

西村先生「すごいですね。」

いや、本当に。感動ですね。この日の給食がよほど美味しかった証拠だと、これは柿崎先生はじめ、調理の先生方皆喜ぶだろうと、「今日の残ボール楽しみにしていて下さい。」と思わせぶりな内線を一本入れて、柿崎先生にはこの写真をLINEで送って、ワゴンを調理室へ降ろしました。

すると、「麦茶は当番が量を聞かずに入れていくから、自分で決めた量については完璧ってことですね。」と、西村先生。

あ、確かに。

いや、この点に気付く西村先生。流石だと思いました。

新宿せいが保育園わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組は、子どもたちが配膳をします。

新宿せいが保育園わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組は、子どもたちが配膳をします。

 「いっぱい・ちょっと」を丁寧に聞いていくお当番の子たちで、配膳に並んだ子たちは、自分で自分の量を決めます。

麦茶はこのような感じ。

麦茶はこのような感じ。

なるほど、確かに!改めて感動を感じていると、柿崎先生からはLINEの返信が、そして調理の山本先生からは内線が入りました。

山本先生「自分で食べきれる量がみんなわかった証拠ですね。素晴らしいですね。」

当たり前のことなのでしょうか、柿崎先生のLINEも、同じような旨の返信で、何だかとても感動してしまいました。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月26日『自分自身』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〈園には、職員というチームがあります。その職員の中には、保育や調理、保健、用務、事務職というそれぞれの部門があります。大きくなると、その部門には、それぞれチームがあり、リーダーがいます。また、さらに、保育士は、各クラスでチームを組み、そのチームにもリーダーがいます。それぞれのチームには、それぞれ課題があり、それをチームで達成していかなければなりません。しかし、園の理念の達成に向けては、各部門をこえてチームとして働かなければなりません。そうでなくても、園では子どもの発達の連続性を保障するために、各クラス、各職種をこえて一つのチームとして取り組まなければなりません。〉

職種をこえて。大きな職員集団がチームとしてはたらき、子どもたちの育ちをこうして見守っていることを改めて感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)