今年度、ちっち組(0歳児クラス)を担任しています。
赤ちゃんたちは「慣れ保育」という特別な時間を経て、園、集団という環境に慣れていくのですね。その初日、初めましての赤ちゃん同士がこんなにも意識し合うものとは思わず、また、視線を交わし合いながら、関わり合おうとするような姿を見せるものと思わず、驚きと感動がありました。
はじめまして。
写真右手、女の子がタッチをすると、
写真左手、男の子も足にタッチ。
考えてみれば、誰も触り合うことを促しているわけではないのに、こうして自然と触れ合うのですね。
こちらの二人の女の子。奥の子がベビージムの鈴に手を伸ばすと、
その音がきっかけとなり、見つめ合う二人。
数秒間、見つめ合っていました。その最初のきっかけとなった鈴の音、前にいる赤ちゃんを見ながら鳴らしていたように思えたのは気のせいでしょうか。
写真左、先程の写真の男の子。
写真右手の男の子の使っているオーボールが気になるようです。
ボールを手にした瞬間をきっかけに見つめ合う二人。
男の子がボールを転がします。
それを追うようにして、二人はボールの行く先を見つめていました。
ボールを写真左手の男の子に向かって投げようとしたような、そんな風にも感じられる関わりを見せてくれます。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「私がよく講演で話しをすることに、『赤ちゃんは能動的である』ということがあります。赤ちゃんは自分で何もできないために、受動的であると思われていました。他人にやってもらうために、赤ちゃん自身は受け身であると思われていました。しかし、最近の研究では、自分でできないために、他人にやってもらうために、そこにさまざまな手段で働きかけているということが判ってきました。」
赤ちゃんは自ら働きかける力を持った存在である、ということを、その関わりを見る度に、とても強く肯定したい気持ちに駆られます。
また、『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』には、こうも書かれています。
「人間の特徴として、しばらくして、他者を志向的主体として理解し、他者との共同注意のやり取りに参加し始めてから指さしの身振りを始めると言います。そこには、「協力」という人間独特の基盤がキーワードになります。それは判るのですが、では、生後1歳くらいのまだ言語の話せない乳児が、お互いに何かを見ながら指さしをしている姿は何を意味しているのでしょうか?要求では無いことは判りますが、お互いに共有基盤がはっきりとあるわけでもありませんし、他者を志向性主体として理解しているわけでもなさそうなのです。そこには、大人では判らない、乳児同士の非言語コミュニケーションが行なわれている気がします。」
藤森先生が仰っていることを目の当たりにしていく一年になるような、そんな気がしています。この一年、赤ちゃんのもつ様々な力に直に触れながら、現場目線でたくさんの報告をあげていきたいと思います。
(報告者 加藤恭平)
さて、配膳へと並んだ「チームらん」
おや?
その後を追うようにして「チームわい」も配膳へとやってきました。
さて、クロ君はというと、
一人で遊んでいました。
「チームわい」が配膳へとやってきた経緯をクラスの先生に聞いたところ、「流石に配膳へ来ないので、そろそろ配膳終わっちゃうよ、と声をかけました。」
とのことでした。
さて、クロ君は、というと、遊びを終え、配膳終了間際になって一人で配膳へ向かっていました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年6月10日『小集団内』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「ヒトの子どもは、個体発生のごく初期からヒト特有のやり方で他者と協働をしますし、彼らは、他者とともに、自分たちが規範的に関わるべき共通のゴールを形成し、様々な領域にわたって注意の接続と概念基盤の共有とを成し遂げ、無力なはずのものに義務的な力を与える表象的、制度的リアリティを生み出すというのです。子どもたちは、個々のゴールに貢献するためばかりではなく、協働行為そのものを行なうために、様々な協働行為に参加しようとするのです。」
配膳というゴールへ、手を取り合うような形で向かっていった「チームらん」。その会話まで追えなかったのは残念でしたが、保育者に声をかけられるなどのきっかけで配膳へと向かっていった「チームわい」。前者は子ども集団、そして後者は保育者も含まれた集団が、配膳というゴールへと後押しをします。
興味深いのはクロ君という存在で、遊びが楽しかったのか、はたまた列に並ぶという行為自体に気持ちがどうも向かなかったのか、「配膳へ向かう」という暗黙の流れに沿うことを避けるように、その時間を過ごしていたように思えてきます。
憶測ですが、それは実は「チームらん」も同じで、最初にクロ君のパズルを手伝おうと思った時、きっと配膳の列に長い時間並ぶことを避ける為の彼らなりの気の逸らし方だったように思えてもくるところです。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月11日『気をそらす』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「うまく先延ばしにできる子どもは、気をそらし、自分が経験している葛藤とストレスを和らげるために、ありとあらゆる工夫をしていました。意志の力を妨げられないように、楽しい空想の気晴らしを考え出して、つらい待ち時間を過ごしやすくしたのです。たとえば、短い歌を作って歌ったり、滑稽な顔やグロテスクな顔をしたり、鼻の穴をほじったり、耳掃除をして出てきた耳垢をいじったり、足の指を鍵盤に見立てて手で弾いたりという具合でした。気をそらす手立てを使い尽くしたあげく、目を閉じて眠ろうとする子もいました。ある女の子は、とうとうテーブルの上に手を組んで頭を載せ、深い眠りに落ちました。こうした作戦は、未就学児が使うのを見て、ミシェルは目を見張ったそうです。
これらの行動は、大人の私たちでもすることがあったり、学生時代のつまらない授業を聞いていると気にする行為と似ているとミシェルは言います。私たちの園で、昼食を目の前にして、みんながそろうまで待っている子たちの中で、そのような姿を見るとこがあります。」
そして、きっとクロ君も同様であったことでしょう。
ここで改めて思うのは、「配膳へ並ぶ」という行為自体、そもそも園という集団がなければ経験できないことだということです。「チームらん」「チームわい」「クロ君」が集団として、個として、それぞれに行動し、時に自制心の育みともとれる気の逸らし方を発揮しながら配膳へと向かうその時間までを過ごした経緯全てが、園という集団がなければ生まれ得なかったドラマであったことに気付きます。
そして、例えばクロ君が配膳へ並んだ後、「皆待ってるんだからもう少し早く配膳へ来て欲しい」と誰かに言われたとします。それも園という環境、集団での生活があるが故に成されるアプローチであり、クロ君にとっては集団がある故に得られることのある学びなのですね。
子ども集団、集団の大切さ。その理解の上に構築された環境設定。給食の配膳一つにして、子どもたちはこうして多くの経験を積み重ねているのですね。改めて新宿せいが子ども園の環境に、驚きと感動を覚えたこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)
さて少しずつ時は流れ、その間にも配膳は進み始めています。
「違う違う!」「こうか!こうだ。」
クロ君からピースのパスを受けながら、パズルは少しずつ完成へ向かっていきます。
すると次の瞬間、
一瞬、配膳の方へ視線を向けるネックウォーマーの男の子(らんらん組4歳児クラス、以下ネック君)。
そして、
ネック君「横(配膳)行ってみな。」
独特のフレーズと親指を配膳の方へ向ける仕草で、灰色の洋服の男の子(らんらん組4歳児クラス、以下グレイ君)を促します。
すると、
グレイ君、ちらりと配膳の方を見た後、
おもむろに配膳の方へ向かいます。
そして、
配膳の輪の中へ。
しかし、中々トレーを持とうとしません。何かを見ているようです。
数秒後、ネック君の元へ。
そして、
グレイ君「ネック君、今日のご飯は、スパゲッティー!」
なるほど!メニューを見に行っていたのですね。
ネック君「え、じゃ早くしよ!」
そうして二人で、
グレイ君「早くしないとスパゲッティー!」ネック君「しかも、席もなくなっちゃう。」
慌てた様子でパズルを完成させ、
グレイ君「ちょんちょん(パズルここに置いての合図)」(笑)
「…。」
会話なき会話ですね(笑)
そうして、無事配膳に並び、
グレイ君「そこ(席)とっといて!」
(笑)
このようにして、二人とも席に着いていました。
子どもたちが配膳へと向かう一部始終はこんな感じなのですね。とても興味深く思います。
さて、〈チームわい〉そして、クロ君は一体どうしたのでしょうか。
次回、この度のらんらん組(4歳児クラス)二人の姿を踏まえて、12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ (太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとびます)からの文章を元に、考察をしてみようと思います。
(報告者 加藤恭平)
給食時における子ども集団について、とても興味深い出来事があったので報告します。
眼光鋭い眼差しの主は、
そう我らが森口先生です。ですが森口先生はこの度の報告に全く関係がなく、カメラを向けた先にある配膳の全体風景を撮ろうとしたところ、見事なカメラ目線で写り込んでくるという(笑)やはり只者ではありませんね。
2016年度最後の報告に、5分半程の動画をスクリーンショットして取り組みます。
配膳始まる中、まだ向かわない集団があります。
テーブルにはパズルが残っていますね。
ピーステーブルにも。
そして、
もう一度先ほどの場所にカメラを向けます。
この度スポットを当てたいのは、この3人(写真手前の子はわいわい組3歳児クラス、奥の2人はらんらん組4歳児クラス)、と、先ほどピーステーブルにいた3人(わいわい組3歳児クラス)の子です。
この3つの集団(らんらん組4歳児クラス2人、以下〈チームらん〉、ピーステーブルにいたわいわい組3歳児クラス3人、以下〈チームわい〉、パズルをやっている黒い服の男の子わいわい組3歳児クラス以下クロ君)がどのように配膳に向かっていくのか。これがとても興味深いものでした。
クロ君は〈チームらん〉に視線を送ります。
というのも、取り組んでいるパズルが中々難しいようで、助けを求めるような視線を何度か〈チームらん〉に向けます。ですが、まだ〈チームらん〉は気付きません。
その間にも配膳は進んでいきます。
〈チームわい〉は少し配膳が気になるのか、様子を見に来るのように場所を移動したりしています。
そして、
何かが気になり、ブロックゾーンへ。
〈チームわい〉は、かなりゆったりしたペースですね。
カメラを戻すと、
〈チームらん〉がパズルに加わっていました。
クロ君の熱視線、想いが届いたようですね。
しかし、なぜ〈チームらん〉〈チームわい〉は、配膳へ向かわないのでしょうか。
同時に、どのタイミングで配膳へ向かうのか、という疑問も湧いてきます。
この後の展開、そこにおける会話のやりとりに、「なるほど」と思わせるものがありました。
(報告者 加藤恭平)
新年度が始まろうとしていますね。担当するクラスが気になる今日この頃、
気になるボードを見つけました。
ちっち組(0歳児クラス)、週の担当番号が書かれたホワイトボード。右上に〈運がいい先生〉とありますね。
「何もしなくていい先生なのですか?」との見学者の方からの質問に、
「ウンチを換える担当の先生です。」とクラスの先生が答えられていました(笑)
感染症の予防策として、排便を換える役割の先生を決めて保育にあたっているとのことで、それをこのように表現される。ユーモアを感じますね。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月8日『ユーモア』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「職場におけるユーモアの研究によれば、タイミングの良いジョークや陽気な笑いは、創造性を刺激し、コミュニケーションの端緒を開き、一体感や信頼感を強め、仕事をより楽しくしてくれると言います。交渉の途中に楽しいジョークが出れば、金銭的譲歩を引き出せる可能性も大きくなると言います。この良い雰囲気は、チームにおいては特に重要だと言われています。」
4月からの新しい環境に胸が膨らみます。
次回〈給食時における子ども集団〉を追った動画を切り取って、報告します。今年度最後の報告です。
(報告者 加藤恭平)
今回も給食時における子ども集団について、興味深い出来事があったので報告します。
悲しい表情の女の子(3歳児クラス、白い服なので以下白ちゃん)にティッシュを持ってきてあげたドット柄の女の子(3歳児クラス、以下ドットちゃん)と赤い洋服の女の子(3歳児クラス、以下レッドちゃん)です。
ドットちゃん「レッドちゃんがそこに座ってあげたら?そうしたらきっと泣き止むよ。」
どうやら座りたかったテーブルに座れなかった様子の白ちゃん。中々泣き止まない白ちゃんにお友だちが色々な気遣いを見せます。
紫いろの服の女の子 (3歳児クラス)も涙を拭きに。
レッドちゃんは一旦自分の席に戻って、
自分の給食をもって白ちゃんの元へ。
写真後方のドットちゃんたちもテーブルを立ちます。
白ちゃんのテーブルに集まります。
ドットちゃん「白ちゃん、これでいいでしょ?」頷く白ちゃん。
一件落着ですね。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年6月27日『協力的な営み』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈人間のコミュニケーションの動機はあまりにも根本的に協力的なため、私たちが相手を助けるために物事を教えるだけではなく、相手に物事を要求する主要な手段として、自分の要望を知らせておいて、相手が手助けを自発的に申し出るのを期待する、という方法をとるというのです。具体的な例としてトマセロはこんな例を挙げています。「私はいっぱいの水が欲しいと述べる(自分の要望を相手に伝える)だけで、水を要求することができます。それは、たいていの場合あなたが人を助けたいという傾向を持っており、この知らせるという行為が事実上完全な要求に変わることを私は知っているからだ。」
このような例は面白いですね。確かに、「水を持ってきて!」と言わないで、「水が欲しい!」と言えば、持ってきてくれます。要望が要求に変わります。それは、要望を聞くことで、相手は自発的に持ってきてくれるだろうと思うからです。このように人間のコミュニケーションは根本的に協力的な営みであり、相互に想定された共通概念基礎と、相互に想定される協力的コミュニケーション動機のコンテクストで、最も自然にそして円滑に機能します。
このような、人間のコミュニケーションが本質的に協力的な性格を持つということは、「グライスの協調の公理(原理)」というものを定義したグライスの基本的な知見なのです。〉
白ちゃんの悲しげな表情、涙。それは「私も座りたかった。」「みんなと一緒のテーブルがよかった。」という声なき要望、声なき要求に他ならず、子どもたちはその声なき声に耳を傾け、それに応えました。〈本質的に協力的な性格を持つ〉そのコミニュケーション能力を互いが存分に発揮した結果、この物語は一件落着な結末へと至ったと考えられなくはないでしょうか。
配膳における子どもたち、子ども集団を見ているとこのような出来事との出会いがあり、本当にすごいと思います。
次回も配膳の際の出来事について報告します。
(報告者 加藤恭平)
ブロックゾーンにおける子ども集団について報告をしてきました。
今回は、給食時における子ども集団について、とても興味深い出来事があったので報告します。
写真中央わいわい組(3歳児クラス)の男の子 (緑色の服の子、以下ミドリ君)と、写真左手わいわい組(3歳児クラス)の女の子(チェック柄の子、以下チェックちゃん)。
「いただきます」後、食べ始める他のテーブルの子どもたちをよそに、ミドリ君は泣きながらチェックちゃんに言います。
「もう僕のお家に来ちゃダメだからね!」
何がきっかけでこの二人のやりとりが始まったかはわかりませんが、二人はどうやら口論になった模様。口論になった問題についてのやりとりではないところでの言い合いになるあたり、いよいよ喧嘩が幼いだけに、その問題解決は多少の困難さが伴うものですね。
写真左下わいわい組(3歳児クラス)の男の子(赤い服なので以下レッド君)も給食に手をつけずに、その様子を見守っていますね。
チェックちゃん「私のお家にも来ちゃダメだからね。」言い合いは平行線。
しかしこの喧嘩、すぐに解決に至ります。
「もーさー、握手しなよ。握手。」
給食を食べずにその様子を見守っていたレッド君が一言。
次の瞬間
ミドリ君「じゃ、はい!」
ゆっくり手を出すチェックちゃん。
10秒程の長い握手。それを見て食べ始めるレッド君。
写真左手白い服の男の子「ちゃんといただきますしてから食べなよ〜。」
そうして「いただきます」をして食べ始める二人。給食を口に運ぶとしばらくして、週末お互いの家に行く予定を立て始めました(笑)
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年1月14日『社会的な発達』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈園では、子ども集団があり、子どもたちはその集団の中の一員として存在しています。(中略)近くに他の子がいる場合と、一人で遊んでいるときとは、その行為が違うだけでなく、発達にたいしての刺激が違う気がします。
それ以上に大きく違うのは、人との関わりにおいてです。幼児期における学びの基礎力の育成において重要であるものとして、幼児が人やものに興味をもち、かかわる中で様々なことに気付くとともに、それらを深め、広げていく過程の中で、自己発揮と自己抑制を調整する力を育むことであり、それらを通じて、個人として、また社会の構成員としての自立への基礎を養うこととあります。ということで、環境として大切なものが、興味を持ち、関わることのできるもの、人が必要なのです。〉
この回の藤森先生のブログがこの場面にとても相応しいと思ったのは、よく見るとこのテーブルの子どもたち、にこにこ組(2歳児クラス)から入園して来た子どもたちです。(ミドリ君だけは今年度わいわい組(3歳児クラス)の入園の子です)
子ども集団の力によってこの育みが成されたのではないか、とは子どもたちそれぞれの資質についての考察の欠けた、極端な表現となってしまいますでしょうか。
このようなやりとりが給食や配膳をきっかけとした中で多く見受けられました。
次回も給食時における子ども集団について報告します。
(報告者 加藤恭平)
この写真。
何かというと、給食の下膳に使う〈残ボール〉です。
西村先生が気付いてくれたのですが、何とこの日の給食の残はこの麦茶だけ!
西村先生「すごいですね。」
いや、本当に。感動ですね。この日の給食がよほど美味しかった証拠だと、これは柿崎先生はじめ、調理の先生方皆喜ぶだろうと、「今日の残ボール楽しみにしていて下さい。」と思わせぶりな内線を一本入れて、柿崎先生にはこの写真をLINEで送って、ワゴンを調理室へ降ろしました。
すると、「麦茶は当番が量を聞かずに入れていくから、自分で決めた量については完璧ってことですね。」と、西村先生。
あ、確かに。
いや、この点に気付く西村先生。流石だと思いました。
新宿せいが保育園わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組は、子どもたちが配膳をします。
「いっぱい・ちょっと」を丁寧に聞いていくお当番の子たちで、配膳に並んだ子たちは、自分で自分の量を決めます。
麦茶はこのような感じ。
なるほど、確かに!改めて感動を感じていると、柿崎先生からはLINEの返信が、そして調理の山本先生からは内線が入りました。
山本先生「自分で食べきれる量がみんなわかった証拠ですね。素晴らしいですね。」
当たり前のことなのでしょうか、柿崎先生のLINEも、同じような旨の返信で、何だかとても感動してしまいました。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年3月26日『自分自身』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
〈園には、職員というチームがあります。その職員の中には、保育や調理、保健、用務、事務職というそれぞれの部門があります。大きくなると、その部門には、それぞれチームがあり、リーダーがいます。また、さらに、保育士は、各クラスでチームを組み、そのチームにもリーダーがいます。それぞれのチームには、それぞれ課題があり、それをチームで達成していかなければなりません。しかし、園の理念の達成に向けては、各部門をこえてチームとして働かなければなりません。そうでなくても、園では子どもの発達の連続性を保障するために、各クラス、各職種をこえて一つのチームとして取り組まなければなりません。〉
職種をこえて。大きな職員集団がチームとしてはたらき、子どもたちの育ちをこうして見守っていることを改めて感じたこの度の出来事でした。
(報告者 加藤恭平)