先日、塾長と6月に行われる全国私立保育連盟の全国大会の打ち合わせが京都であったため、同行させていただきました。
塾長が分科会の助言者になっていることもあり、まずは各分科会ごとに分かれての打ち合わせが行われました。
私はその間、平成30年度の全国大会の開催地になっている名古屋の先生方と同じテーブルに座らせていただいていたのですが、
そのテーブルで思わぬ出会いをすることになりました。
隣に座っておられた名古屋市のとある保育園の園長先生とお話をしていて、出身地の話になりました。
私が「島根県です」とお答えすると、「あら、私も島根よ!」という返事が!
なんて奇遇なんだろうと思いつつ、「でも、きっと(どうせ)松江か出雲の人なんだろうな~」と思っていました。
というのも県外で出会う島根出身の人のほとんどが松江や出雲という島根県東部に位置するいわば(島根県では)人口の多い市の人たちだったからなのです。私の出身地である江津市という島根県西部に位置する過疎の進む町の出身の方などまず出会うことがありません。そんなことも思いつつ、その園長先生から「島根のどこなの?」という質問が、
半ば諦めの気持ちも込めながら、「あ、江津市です」と返答すると、なんと!思ってもみない言葉が返ってきたのです。
「うそ!私も江津なの!」
…………
ええ!!本当ですか!と私は驚いてしまいました!
なんといっても、人口2万5千人の小さな町です!その町の出身者の方が隣に!しかも、京都で!しかも京都で!
お互いに盛り上がってしまい、いろいろなお話を聞くと、
さらに驚くことが!
なんとその方の姪っ子さんが、私の中高の同級生だったのです!
そして、その姪っ子が名古屋にいて、今でも週に1度は会うそうです。
「なんなら昨日も会ったわよ!」と。もう驚きまくりで、おかしくなってしまいました。
と、前置きはここまでです。
本題に移ります(笑)
その打ち合わせ会ではとてもおもしろい企画が用意されていました。
それは各分科会の助言者の方達によるリレー講演会というものでした。
塾長を含め7名の先生方が一人15分という持ち時間で、「これからの保育、教育」
というお題で講演するというものでした。
はじめは、一人15分じゃ物足りないんじゃないのかな?と思っていた私ですが、
最初に言ってしまいますが、終わってみるととても刺激的で、すごくおもしろいリレー講演を見させていただくことができました。
そのリレー講演で、まず、最初にお話をされたのが東京大学の発達保育実践政策センターの遠藤利彦先生でした。
そうです、あの遠藤先生です。最近、塾長の講演会やブログでも遠藤先生の名前がよく出てくるので、
私としては芸能人にあったような感覚になってしまいました。
遠藤先生は「careとeducationの表裏一体性」というテーマでお話をされました。
内容を簡単にまとめますと、
「care+educationと考えるのではなく、care/educationというcareにeducationが加えられるのではなく、careの質を高めることが教育。careそのものが教育」というお話でした。
また、careの中核の一つがアタッチメントであり、そのアタッチメントは
「子どもが怖くてなったり、不安になった時という必要なときに基地になることであり、
その基地は大人だけではない、年上の子も入るのではないか」と言われていました。
このあたりはまさに塾長が言われている愛着は一人の人とではなく、様々な人と結ばれることがいいという複数愛着の話にもつながりますが、塾長は愛着についてまた少し違った見解をされています。
また、「幼少期の育ちが大人になったときにどう影響するのか」 「遊びが学びそのものである」
という言葉もあり、まさに常日頃から塾長が言われていることだなと感じました。
そして、次に塾長の番になりました。
塾長は人類が遺伝子をどう繋いできたのかという話から始められました。
人類は、1年未満に離乳し、次の子が産めるようになります。それは1歳くらいになると子どもは共同保育されてきたという人類の歴史があるから。そして、人類は共同保育の中で、兄弟がいる、他の子どもがいるという環境で、自制心、我慢する力を育ててきた。それは子ども集団があったからこそ、あるからこそ育まれてきたということをお話されました。
塾長の後にも多くの方が保育、教育というのをお話されましたが、この「子ども集団」について語っておられる方は塾長だけでした。常々塾長も言っておられますが、研究者は子ども一人を研究した結果が多く、また現場を持っていない人も多く、そのため子ども集団での研究をしている人がなかなかおられず、その力もまだまだ知られていないと言われます。しかし、私たち、現場の人間はその子ども集団を持っていますし、なおかつ子ども集団の持つ力も知っているはずです。だからこそ、私たちにできる研究があるということを塾長は言われます。
研究で明らかになっていないだけで、まだまだ知られていないことは世の中に山ほどあるという当たり前ですが、その事実は現場の生の目線としては忘れてはいけないことだなと感じました。
また、「愛着」について遠藤先生から年上の子でもいいという話がありましたが、塾長はまた少し違った愛着の形を示されています。それは母子との愛着を基盤に、母子と離れても、他の大人、他の子との間に安心できる関係を築いていきながら、他者との関係の中で立ち直ることができ、最後には負の状況に陥って時に、自分で立ち直ることができる力が大切であるということを言われています。
また、15分間の最後に塾長はブッタの話もされました。ブッタは生後すぐに母親を亡くしたそうです。人類の歴史からみても、出産を機に母親が亡くなってしまうケースも少なくなかったそうです。そんな時に、母親だけの愛着、母親とだけの関係が絶対視されていては人類は生き残ってこれなかったのではと話されました。あらゆる人との愛着関係があってこそ、人類は生き残れてきたのだと。そのためにもやはり子ども集団、複数の大人との関わりという「集団」が重要になってくるということを話されました。
そのようなことを塾長は15分の中で話されたのですが、納得して頷いている方も多く、また、私自身も15分の中にこれからの保育、教育の話が濃縮されて詰まっている塾長の話に圧倒させられてしまいました。
少し余談ではありますが、塾長以外の人はパワーポンイトを使って講演されていました。15分という短い時間にいかに自分の言いたいことを表現するのかというのは大変なことです。パワーポンイトを使って整理することで、短い時間に伝えたいことがはっきりするので、効果的ですね。しかし、塾長はそのパワーポンイトを使わずして、相手にしっかりとしたメセージを伝えておられました。一体頭の中でどのように整理されているのだろうかと、驚いてしまいました。
他にも、食と農のコンシェルジュである伴亜紀先生の講演の中に、
哺乳はコミュニケーションではないか、というお話がありました。塾長の話の中に赤ちゃんは白紙で産まれるのではない、自らすでにあらゆるものを選択している、自ら発達する力を持っている存在であるとあります。哺乳によるコミュニケーションという考え方は、大人が赤ちゃんに与えるものではなく、赤ちゃんが自ら哺乳しているという事にも繋がるのかもしれませんね。
また、伴先生は「食べるという事には個人差があ理、早く食べられた、いっぱい食べられたからいいということではない。
その子にとっての適量があるはず」ということを言われていました。まさにこれは塾長がよく言われる子ども像でもあり、このことも子ども自ら育つ力を持っているという事に繋がるなと思いお話を聞いていました。
このリレー講演で、これからの保育、教育を明確に語っておられたのは塾長だけだったように思います。そして、明確に今後の道を示しておられる塾長を見て、「すごい…」と唖然としてしまいました。しかし、唖然としてしまうだけではいけません。その考え方をしっかり受け継ぎ(保育の考え方、人としての道)、実践という形で示したりしていけるようにならなければいけないし、そうなりたいなと改めて感じる時間になりました。
報告者 森口達也