8月29日の臥竜塾の報告をさせていただきます。
この日の塾は生活に潜む「知らない」ことの話題からスタートしました。
「つまようじの凹凸の部分はどういう意味か知ってる?」と塾長の口から。
皆さんはなんだと思いますか?
僕は開口一番「箸置きじゃないですか?」と口を開いたのですが、すかさず塾長から、「箸置きって答えは一番安易な答え」とあり、「パヒーーン」となりました笑
正解はというとこの写真を見ていただけると、、、分かるそうなのですが….
これ、実は「こけし」を模しているのだそうです。
つまようじは当初、両端とも尖っていたそうなのですが(なんでですかね?片方使ったら、また片方使えるからですかね?)、片端を尖らせないように、切り落として制作されることになりました。しかし、それでは切り口から先端がささくれてしまうため、ヤスリで削ることにしたそうです。削ったことで、その先端がまるく、そして黒くなってしまいました。その姿がなんとなくこけしに似ているということから、凹凸をつけてこけしに似せたということなのです。
確かに言われてみると、こけしですね。
30年生きていきました。それなりにつまようじのお世話にもなってきました。耳かきがないときは耳掃除にも使ったことがありますが、まさかそのつまようじの背景にこけしがいたとは。
世の中、まだまだ知らないことは多いですね。
分かっていることだけで、自分の世界を作ってしまうことで、なんだか見えなくなってしまうことも多いのかなと感じる一幕でした。
話はちょっとだけ、政治の話題に。
その流れで、「道徳」の話にもなりました。
赤ちゃん(人)は遺伝子を繋いでいくことがある意味の正義なので、自分の遺伝子を繋いでいくために道徳というものを高めたという話が塾長からありました。道徳的に生きていくことは、自分の遺伝子を繋いでいくことにもなるということでした。この話は私自身、最近とても考えさせられるというか、あらゆることがつながるような思いがしています。
6月に行ったドイツでも「持続可能な社会」を目指しているという話がありました。自然を大切にするといったような取り組みが持続可能な社会の取り組みのひとつとして挙げられるのですが、自然を大切することが重要であるというのは多くの人が理解していることだと思います。しかし、ではどうしてそれが大切なのかと問われると私自身、「ん〜」と明確にはっきりと言えなかったのですが、自然が豊かであることが結果として、自分の遺伝子のためになるということと繋がり、とても腑に落ちました。これから自分自身、もしくは自分の子ども、そして孫と時代が移り変わっていく中で、やはり、自然環境が良くないと安心して地球で暮らしていくことはできません。だからこそ、自分たちのためにも自然を守っていくということが、妙に腑に落ちました。自分たちというと誤解されるかもしれませんが、自分たちの生活をしっかり守られているような感覚があると、余裕を持って周りを見ることができたり、意識することができるのかもしれません。それを「遺伝子は利己的である」という風に表現されるのですが、なるほどなと思えてきますね。
また、塾長から最近の子どもの研究の話もありました。その中で、「子どもは家と外では違うのは当たり前である」というような研究結果があると紹介していただきました。家と園での子どもの姿が全然違うことに不安を感じる方もおられるように思います。実際に、保護者の方からそのような声を聞くこともよくありますよね。しかし、最新の研究の結果ではそれは「当たり前である」ということが分かってきていると思うと、それは子どもの自然な姿でもあるのですね。
確かに、私自身も、属する集団、関わるひとによって自分が変わっているような感覚があります。様々な集団の中で、様々な人と関わる中で、その集団、その人に合わせた自分になるというのは、集団や他者の中で生きていくためには必要な力なのかなと思います。家の中での自分そのままで、家以外の集団に入ってしまうと、なかなか誤解というか、軋轢を生んでしまうことも考えされますよね笑。
子どものこともそうですが、本当にまだまだ知らないことがたくさんありますね。
そんなことを改めて感じました。
報告者 森口達也
お迎え時に子ども同士で口論になっているところをその子の保護者が見ていました。普段なら子どもたち同士で解決できるところですが、保護者が間に入り、何となくうやむやになりながらその子を連れて帰っていきます。家での子どもの姿を全てと思うと、口論している我が子像というのは想像できないものなのかもわかりません。子ども理解というものが進むと、保護者も子どもを見守ることができるようになる、ということを改めて感じます。