「多様性は色々な人を認め合うということであって、何でも許していいという訳でない」
「色々な選択肢がある中で選択してはいけないこともある」
組体操や鼓笛隊を例に運動会について考察してきましたが、多様性を認めるということは人を認めるということであり、組体操や鼓笛隊という取り組みを受け入れることとは異なるということでしょう。また、殆どの場合、クラス全員で行う取り組みでもある為、参加したくない子もそこにはいるかもわかりません。「相補性」(人間関係が深まると、相手と自分との相違点が明らかになってきて、この違いが明瞭になってくると、お互いが相手にない部分を補うような形ができていくこと)についても話されましたが、
「保育者主体と子ども主体は相補性がある」
「保育者主導と子ども主体は相補性がない」
やはり保育者主導である限り、子どもたちにとってその取り組みとは心穏やかでいられないものなのかもわかりません。
「色々な人の色々なやり方があって良しとされるのは、見守る保育という根本があるから」
例えば保育中に怒る、という行為についてもそれを見守ることができるのは、共通する理念の上にそれを選んでいると思えるからです。そう思うと見守る保育は宗教のようだと誰かから声が聞こえてきそうですが、「見守る保育は宗教でもいい」と塾長は仰います。それは日本にも様々な地域性があり、また世界の国と地域でも様々な文化がある中で見守る保育 Fujimori Methodは実践されていきます。様々な地域性を包括するその根本として見守る保育 Fujimori Methodがあることの重要性を仰っているのでしょう。
また、今回の運動会には保護者の親戚にあたる方で、韓国の新聞記者を務めている方が参観されていました。その中で、行事中の職員のストレスを感じなかったこと、また、その雰囲気をどう築いてきたのか、という質問に、指導するとか、教え込む、とかでなく、経験のない人が経験のある人を見て学ぶような関係性があるからではないか、との内容で解答されたこと、それに対して「いかにも日本人らしいですね」との返答があったことなどが話されました。
「日本の良さはチームワークであり、認め合う精神」
塾長がこうまとめて下さいました。
最後は田崎先生からの出張報告です。
(報告者 加藤恭平)