新たな役割

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春の足音聞こえる臥竜塾。

本日もzoomで開催されました。

先ずは、塾頭より、24(水)に行われますセミナーのプレ発表。

前回、森口先生が21世紀型保育の後半部分『行事』の概要を話して下さいました。それを受けて今回は、より実践的な内容に入っていきます。

中でも『お楽しみ会』の実践については、塾頭のファシリテーションのもと、各クラスを担当したことのある先生同士で情報交換のような時間が生まれ、小松崎先生のわいわい組(3歳児クラス)時代、舞台の上で子どもが喧嘩を始めてしまった話などはとても興味深いものでした。

「舞台の上には神様がいる」

あるベテランの先生の名言で、それを信じて本番を迎えますが、小松崎先生の期待にある意味では応えるように、子どもたちは舞台上で喧嘩を始めてしまいます。そんな予感がそもそも働いていたのでしょうか、「何かあった時の為に」と用意していたカモメの被り物を被って舞台に上がり、「カモメ役」となって喧嘩の仲裁に入った、とのことでした。
念には念を、思考は現実化する、小松崎先生のファインプレーは語り継がれるべき内容ですね。

更には、平田先生や渡邊先生から、舞台に上がることやセリフをもつことに拒否感のある子の為の大道具係、舞台装飾などの仕事を行う裏方という役割の設定のお話などもまた、大変興味深いものでした。

また、自園の例で言うと、例えば2歳児クラスの『おおきなかぶ』、かぶが抜けるかどうかは本番までわからない、という設定にすることが近年ありました。予行で行ったこととは違うかもしれない、というワクワク感が本番の舞台の上にはあることでしょう。その為にも練習という練習は極力少なくして、子どもたちが劇に飽きてしまわないような配慮をします。

それについては、邨橋先生から、
「その柔軟性や保育の本当の楽しさのようなもの、内容に子どもを合わせるのではなく、子どもに内容を合わせていくような環境設定について、改めてとても考えさせられる」という旨のお話をいただきました。組体操や鼓笛隊のような、完成形へ向かっていく子どもたちに出来るだろうという期待を寄せるのとは異なる「期待」、きっと子どもたちはこうしたら楽しいだろう、喜ぶだろう、驚くだろう、というようなワクワクするような期待感が、そのアプローチにはあるような気がする、と 話して下さいました。

パワーポイント製作者の山下先生は、今回の内容が他園の先生方にどう響くか心配があったようですが、このようなコメントをいただくと、きっとそれぞれに受け止められ、昇華されていくだろうことが想像され、聞いていて嬉しくなります。

それぞれのコメント後、塾長からお話をいただきました。

「味わう、楽しむが目的」
「本当に子どもは楽しんでいるのだろうか、味わっているのだろうか、そう立ち返られればいいのでは」
「それが小学校へ行った時の基礎になる」
指針にも書かれていることでもあり、また保育の基礎でもある観点からの言葉と想像します。
そして、
「ちょっと気をつけること」と前置きがあり、
「かんもく」
というワードを言われました。
「緘黙」
例えば日常では平気なのに、校門に入った瞬間声が出なくなる、など、何かトラウマのようなものがあり、舞台や人前がダメ、という場合がある。
その場合は、恥ずかしくて出来ない、ということとは違う為に、注意が必要、とのことでした。
そういう子が最近増えてきているとのことで、コロナ禍における家庭状況の変化が関係している場合もあるとの話もありました。

また、「劇団に入ると凄く話せる子」「劇に入り込んだり、役になりきる、演技に入り込むことで台詞がスラスラと言える子もいる」という塾長の話から、

大道具係、という役割が、子どもの機会をもしかしたら奪ってはしまわないか、

という渡邊先生の気付きへと繋がり、なるほど子どもによって配慮することや、環境を整えることの違いがあることを改めて理解する機会となりました。

また、「 子どもは台詞を早口で言いたがる」という話から、

「国際化が進む中で、きちんとした発音や発声が大切になってくるのではないか」

という、『お楽しみ会』や劇の新たな役割の可能性について、塾長の言葉がありました。

塾頭のパワーポイントを元に、知見に富んだ内容へと昇華されていったこの日。いつもの森口先生の締めの言葉でお開きとなりました。

本番はもうすぐ。この日がセミナーを行う側としてのデビューとなる塾生高橋健一郎先生にエールを送りつつ、その時間を共有できることがより楽しみになる夜となりました。

(報告 加藤)

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