8月19日の塾報告です。
本日もzoomで開催しましたー。
少し遅れての参加でしたので、話の途中からの報告になりますが、
ちょうど公開保育についての話題を話していました。
コロナの影響で他の園を視察する機会がかなり減ってしまいましたが、
以前は他の施設を見学したり、見学されたりと互いに学び合う機会が、
多くありました。
新宿せいが子ども園は公開保育を大々的に行うことはありませんが、
見学者の方が多く来られていたので、毎日が公開保育みたいなものですw
でも、それが自分達の保育を見直す貴重な時間です。
もちろん見られることのプレッシャーはありますし、緊張します。
ましてや藤森先生が来られるとなると、職員の皆さんの緊張はすごいでしょうね。
しかし、大阪の邨橋先生は公開保育をすることで
「自信をつける」
「やってよかった!次に向けて頑張ろう!という風に終わるのが良い」
と言われました。
そうですね。公開保育が決まると、当日までに保育室の環境を見直し、
環境を改めて設定することで、確実に保育の質が上がります。
また振り返ることで、改善点も見つかり、次に繋がることも可能です。
そうしたプロセスを経ることで、職員全員が「自信」がつくのでしょう。
そして続けて、邨橋先生が・・・
「園を良くするために見守る保育を実践するのであって、見守る保育をする事が目的になっている」とのことです。
これは、結構G T園ではあり得る状況のような気がします。
もちろん見守る保育を実践することも目的の1つかもしれませんが、
それに囚われすぎてしまうと、視野が狭くなってしまいます。
よく塾セミナーで森口先生が
「目的と手段を履き違えない」と言いますが、まさにその通りですね。
「守破離(しゅはり)」
この言葉を聞いたことがあるでしょうか??
修行に際して、まずは師匠から教わった型を徹底的に「守る」ところから修業が始まる。師匠の教えに従って修業・鍛錬を積みその型を身につけた者は、師匠の型はもちろん他流派の型なども含めそれらと自分とを照らし合わせて研究することにより、自分に合ったより良いと思われる型を模索し試すことで既存の型を「破る」ことができるようになる。さらに鍛錬・修業を重ね、かつて教わった師匠の型と自分自身で見出した型の双方に精通しその上に立脚した個人は、自分自身とその技についてよく理解しているため既存の型に囚われることなく、言わば型から「離れ」て自在となることができる。このようにして新たな流派が生まれるのである。(Wikipedia参照)
「まずは真似をしよう!!
まずは見守る保育をそのまま実践しよう!!」
と長崎の西村先生が言われます。
ご存知の通り西村先生は新宿せいが子ども園で働いている経験がありますし、藤森先生の助手として行動を共にしていたので、見守る保育はもちろん藤森先生の考え方もよく知っている先生です。
それでも、実家に戻り自分の園で働いてみると、難しいことが多いと言われます。
そんな西村先生が言われた言葉があります。
「省我から離れたからこそ「守」を大切にしている」
とても深い言葉ですね・・・。
新宿せいがで働いた経験がある人ならではの言葉であり、感覚です。
新宿せいがでは成功したことでも、東京と地方では文化も環境も違います。また自分の立ち位置だったり、周囲の仲間も違うので、全く同じ方法で成功するというのは難しいでしょう。
だからと言って何もできない訳ではなく、自分の園に合ったアプローチの仕方を見つけるためにも、「守」を大切にするというのは、そういうことのような気がしました。
また公開保育や実践発表を聞くことで、各園の工夫した取り組みを知ることも、重要ですね。
そうした色々な側面から多く学び、試行錯誤していく中で、独自性が生まれ、それが「破」の段階。
そして、最後は自分の園の型ができて「離」
となっていく気がします。
何か、本気で学び、身につけるには
まずは、とにかく真似るところからスタートですね。
よく、ある程度、理解した時点で真似るのを辞めて、我流に走る人がいるかと思います。
その能力とバイタリティも素晴らしいと思いますが・・・
どことなく浅い印象があります・・・。
私もまだまだ「守」の段階だと思いますが、そこからの進化は、
自ずとやってくるもので、意識して次の段階に行くものではないと思いました。(報告者 山下祐)