ひまわりのような まっすぐなその優しさを温もりを全部 これからは僕も届けていきたいです EPISODE FINAL!

さていよいよこの度の報告の主人公、紫ちゃん(紫っぽい色の洋服を着ていたからです)の登場です。

 

雑巾をとってくることにどうやら苦戦していた様子。

雑巾をとってくることにどうやら苦戦していた様子。

 

なるほど、だから戻ってくることに時間がかかったのですね。

 

そして、到着。

そして、到着。

 

こぼれたお盆をずっと持っていてくれたお友達も、ほっと一安心といった様子。

 

一生懸命拭いています。

一生懸命拭いています。

 

ここでちょっと、引いて撮った一枚があります。

 

職員がこのやりとりを少し離れたところから見守っています。

職員がこのやりとりを少し離れたところから見守っています。

 

この職員の距離感!この一枚の写真が、結果としてこの度の報告での感動へとつながる伏線となっています。この度の報告で僕が一番お伝えしたいのは、この職員のこの距離感です。最後まで見ていただくとおわかりいただけることと思いますので、続けます。

 

さて、椅子は拭き終わりました。

さて、椅子は拭き終わりました。

新宿せいが保育園では、テーブルはピンク、椅子は黄色、床は青、という具合に、それぞれ場所別に拭く物の色が分かれています。ちっち組(0歳児クラス)から見ているからでしょうか、習慣化され、子ども達は色を把握して、場所別に使い分けています。

なので、床に落ちてしまったご飯は青です。

なぜか黄色をお友達に渡して(笑)青を取りに行く紫ちゃん。

なぜか黄色をお友達に渡して(笑)青を取りに行く紫ちゃん。

 

持ってきました。(別件なのですが、写真左上をご覧下さい。お友達は黄色を洗いに行っていました。優しい!)

持ってきました。(別件なのですが、写真左上をご覧下さい。お友達は黄色を洗いに行っていました。優しい!)

が、何だかためらっています。

しゃがむものの、中々拭き始めません。

しゃがんだりするものの、中々拭き始めません。

 

するとらんらん組(4歳児クラス)の子が助っ人に来てくれました。

するとらんらん組(4歳児クラス)の子が助っ人に来てくれました。

 

慣れた手つきで「よいしょ。」

慣れた手つきで「よいしょ。」

 

流しへ。

流しへ。

 

「…ありがとう。」「へへ。」

「…ありがとう。」「へへ。」

いい場面ですね。

なぜかその場面に水を差すように(?笑)割って入ってきたボーダーの男の子。

なぜかその場面に水を差すように(?笑)割って入ってきたボーダーの男の子。

なんでしょうね。そして、

紫ちゃんは、

紫ちゃんは、

 

改めてご飯をよそってもらい席へ。

改めてご飯をよそってもらい席へ。

 

手伝ってくれたハンサムボーイは、

丁寧に雑巾を片付けて、

丁寧に雑巾を片付けて、

 

颯爽と席へ。

颯爽と席へ。

席に戻ったハンサムボーイのことを褒めようと、声をかけました。

すると、意外な答えが返ってきたのです。

「◯◯先生が、ボーくん(先ほど流しで割って入ってきたボーダーの男の子)にやってあげて、って言ってたのを聞きつけてきたの。」(ボーくんが割って入った理由がなんとなくわかりました、笑)

〝聞きつけて〟なんて難しい言葉をよく知っていますね。それより!

先程の職員の配慮がこの展開を生んでいたことに感動しました。

子どもが自分で気付いて自分でやった、という美談であればそれはそれで魅力的な出来事だったのですが、僕はそれよりも、ご飯を拭くのをためらった紫ちゃんを見て、職員が事態の収拾を図ったこと(実は椅子を拭き終わるまでに相当な時間がかかっていました。笑)、そして、最初に頼んだ子が動かない姿を見て、ハンサムボーイが動いた、という一連の流れに感動しました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年9月5日『すばる』の中でこう書かれています。

〝最近、「集団」という言葉に興味を持っています。それは、個性を殺すものとして否定されることが多く、それに優先して「個々に」「一人ひとりに」が言われてきたからです。しかし、「個々」という自己主体性や自尊感情は、集団の中で自己を見つめたときに生まれてきます。また、人が生きていく特性として集団の中でさまざまな役割を持っていることが重要になってきます。また、私の生きる理念である「共生」と「貢献」も、ともに集団が必要なのです。(中略)

人は、個人差というそれぞれ違った役割をもって生まれてきています。それぞれ違った役割を持つのは、人類という種を子孫に残すためであると言われています。子どもは何もできないと思い、子どもに教えたり、与えたりするのではなく、子どもが本来もっている能力を信じて「引き出し」、それを「はぐくむ」。それがMIMAMORU─見守るという日本独特の距離感で子どもと関わることであり、エデュケーション(引き出す)という教育本来の姿を具現化する重要なアプローチであると思うのです。〟

〝見る〟だけでなく、〝放任〟するでもない。適切な援助と適切な配慮で、一人の子どもの奉仕の気持ちを引き出し、やってあげた側も、やってもらった側も、そして、それを見ていた側の気持ちも涼やかに嬉しくなるような場面を構築した職員のその保育は、まさに〝見守る保育〟だと思いました。

新鮮さ残る4月も後半ですね。このような職員の姿勢を胸に、今日も新しい気持ちで保育に臨みたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

「雑」二

「雑」という字には、「分類できないもの」「多様に入り混じったもの」という意味があり、「雑貨」というカテゴリーには、外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史があります。その変化に応じて、暮らしの中に様々なモノを取り込んできた日本人の生活史を象徴する存在が「雑貨」です。

IMG_7411

前回、「雑マンダラ」という展示作品の中にあった「雑」という字の使い方が目に止まりました。その字は、「くっきり線を引いてカテゴライズしない、曖昧な境界として使われる便利な言葉」として位置づけていました。その作品の漢字をピックアップしてみると、「雑学」「雑誌」「雑草」「雑談」「雑念」等があります。これら全ては、なんとなく、そのもの自体はなくても困らないが、そこから何かが生まれるきっかけ、又は広がりのある世界観を誘発させる効果があるように感じます。つまり、あえてくっきりさせない、カテゴライズしない、混沌の中にある『曖昧さ』が、人々を創造の世界へといざなっているようにも感じるのです。

先日、あるTV番組で脳科学者である茂木健一郎氏が、“ロボットに教えるのが難しいこと”として言っていたのが「雑談」でした。それは、きっと「予想が出来ない」とか「曖昧さ」が関連しているのだと思います。「ちゃんとしない」「完全ではない」という事に価値を見出すことで、人間としてのこれからの生き方があるようにさえ感じさせます。

塾長は、日本語についてこう言います。

「すべての日本人に対する日本の国全体の空間の支配は、日本人の精神生活のもっとも深い層にまでおよんでいて、そのために大変に頑強なものになっているとみています。西洋人は概念やそれを表現する言葉を愛していますが、極東の人たちは、知識の言語的な側面から自らを守ることを知っているというのです。日本語は、その曖昧さにおいて豊かであって、したがって、ある実体を概念化し、孤立させて理解するということをけっして要求しないと言います。」

日本の空間そのものが、曖昧さの中に漂っており、言葉や行動のその意味は、その人個人に委ねられているという、なんとも線引きのないグレーな世界においてこそ発揮される“豊かさ”に美学等を持ち合わせている印象を感じました。

人の暮らしに楽しみを与えて、豊かにしてきた影の存在でもある「雑貨」には、『私たちの日常の生活空間に寄り添い、ささやかな彩りを与えてくれるデザイン』という定義が作られました。その中の「ささやかな彩り」というのは、豊かさのことでもあるように感じます。その豊かさは、決して経済面での豊かさではなく、心の豊かさであると思うのは、この企画展のディレクターである深澤氏が、雑貨について言っていた「生活に溶け込んだ親しみやすさや心地、細やかな配慮の上に成り立ったささやかな幸福感のシンボルのように人の心に響いている」という言葉からも想像がつきます。

そんなことを考えていると、ふとこのような光景が目に入ってきました。

スクリーンショット 2016-04-15 22.51.31スクリーンショット 2016-04-15 22.51.07

これは、新宿せいが保育園内にある雑貨たちのほんの一部です。

このような、「ささやかな彩り」があるおかげで、それが作り出す心地良い環境・雰囲気・又は空間の曖昧さのおかげで、そのような遊び心を携えた方がいるおかげで、私たちは日々の生活における豊かな仕事ができているのかもしれません。

(報告者 小松崎高司)

「雑」一

『今日、私たちの暮らしのいたるところに、「雑貨」と呼ばれるモノが存在します。しかし、非常に身近であるはずの「雑貨」は、すぐ手の届くところにありながら、その定義は曖昧にして捉えどころがありません。そもそも、私たちが普段無意識に使っている「雑」という字には、「分類できないもの」「多様に入り混じったもの」という意味があります。その中でも「雑貨」というカテゴリーが生まれた背景には、時代の節目節目に外来の多様な生活文化や新しい習慣を柔軟に受け入れてきた歴史があります。その変化に応じて、暮らしの中に様々なモノを取り込んできた日本人の生活史を象徴する存在が「雑貨」ともいえるのではないでしょうか。』

このようなメインビジュアルを表現するのは、21_21 DESIGN SIGHTで行われています企画展、「雑貨展」です。

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確かに、雑貨というものを考えた時、目の前にある物の中でどれが雑貨でどれが雑貨でないかは理解しがたいところがあります。時代と共に、幅を広げて柔軟に変化してきた「雑貨」は、まさに人の暮らしに“楽しみ”を与えて豊かにしてきた影の存在であり、「分類できないもの」「多様に入り交じっている」「区別しにくいもの」であることで、逆にその存在を確固たる物へと変容させてきたように思います。カテゴリーという枠を越え、予測の出来ないことに自然と感じる魅力、「探す、選ぶ、買う、使う、飾る、取り合わせるといった行為や経験」を通して何かを結び付けるといった姿が、『人』の未来にも似たイメージを駆り立ててくれます。

そのような中この企画展では、概念そのものが広がり続けている、生活空間に欠かせない「雑貨」というものを『私たちの日常の生活空間に寄り添い、ささやかな彩りを与えてくれるデザイン』と、定義づけています。

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また、『本展はこうした「雑貨」をめぐる環境や感性を、世界的にもユニークなひとつの文化として俯瞰し、その佇まいやデザインの魅力に改めて目を向ける展覧会です。』と語っています。そして、企画構成を手がける前村達也さんは、こう話します。

『展示作品でもある「雑」という言葉を含む二字熟語を集めた雑マンダラの中にもあるのですが、たとえば「雑煮」。それぞれ中身は自由に入れますよね。
そういう風に「雑」は、くっきり線を引いてカテゴライズしない、曖昧な境界として使われる便利な言葉です。
ですので、最初はひとつひとつのモノを「雑貨」なのかどうなのかを調べていたんですが、どうやらそうではない。モノが集まった時の集合体、それが『雑貨』なんじゃないかなと。そういう主旨のもと、展覧会を構成しました。』

雑マンダラ

雑マンダラ

塾長が提唱する、人間らしさ・日本人らしさ・人の在り方なども垣間見える気がするこのような企画展から、何がみえるでしょうか。

(報告者 小松崎高司)

ひまわりのような まっすぐなその優しさを温もりを全部 これからは僕も届けていきたいです EPISODE1

新年度が始まりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

新しい体制になり、ワクワクした気持ちでいっぱいの毎日で、僕はにこにこ組(2歳児クラス)からの持ち上がりでわいわい組(3歳児クラス)になりましたので、移行を遂げた子ども達のその後の姿をリアルタイムで見守ることができることが、嬉しくて仕方ありません。

現在の子ども達の姿を報告したい気持ちを一度横に置いて、今回は、時間がちょっと経ってしまったのですが、移行時に見ることのできた子ども達の姿、それを追う職員の姿勢から、とても多くのことを学ぶことができた出来事があり、昨年度の締めくくりとして、報告をさせていただきます。

その出来事は給食の配膳時に、突然起こりました。

ご飯が落ちています。

ご飯が落ちています。

わいわい組(3歳児クラス)の子が配膳をこぼしてしまいました。

椅子にはお味噌汁も…。

椅子にはお味噌汁も…。

 

意外とよくある光景なのではあるのですが(笑)

意外とよくある光景なのではあるのですが(笑)

移行時ということもあり、僕はにこにこ組(2歳児クラス)の場所から、初めてちゃんと意識をして、この後の流れを見ておこう、と思ったのでした。

しかし、あれ?こぼしてしまった本人は水道へ行ったっきり中々戻ってこず、時間ばかりが経過していくような、そんな感じがしました。

思わず、見ているだけに思われた黒いボーダーの女の子に声をかけてしまいました。

思わず、見ているだけに思われた黒いボーダーの女の子に声をかけてしまいました。

「なんで拭くのを手伝わないの?」

すると、

「だって紫ちゃん(後に登場するこの度の報告の主人公です。紫のボーダーの服を着ています)が〝やらないで!〟って言ったんだもん…。」

とのこと。僕は何だか驚いてしまいました。

この黒のボーダーの女の子は、紫ちゃんの言葉を受けて、手伝ってあげたいと思う気持ちを抑えながら、見守っていたのですね。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2008年10月7日『自己中』の中でこう書かれています。

〝子どもが少ない少子時代の今では、子ども同士がぶつかり合うことが少なくなってきています。物が豊富になったため、ものを取り合ったり、譲り合ったりしないで済むようになりました。物だけではなく、時間も、空間も自分だけのために確保できるようになりました。そのような意味において、幼稚園・保育園という場は、子どもにとって、貴重な場だといえます。多くの子どもが共に生活するうえで、さまざまな場面で、譲り合っている姿を見ることができます。

 今回の保育指針の改定の背景に、子どもが人と関わる経験が少なくなってきていると書かれてあります。人と関わることで当然トラブルも発生しますし、自己中のぶつかり合いも起きます。しかし、その中から人に共感する心が育っていきます。もともと人とは、社会という集団を構成するようにできています。〟

相手の気持ちを尊重して、こぼした本人に〝手伝う〟という行為を譲った黒のボーダーの女の子。子ども同士の関わりの中で育まれたものを、ありありと感じ、感動してしまいました。

今回の報告も、何回かに分けてお伝えしたいと思います。この後、こぼした本人が登場し、面白い展開を見せてくれました。次回に続きます。

(報告者 加藤恭平)

たまにはね!

3.4.5歳児クラスでは、2階と3階に分かれて食事やおやつを食べています。山下先生と私の用務2人は、山下先生が2階、私が3階に分かれて食事の後の掃除を子供たちと行うので、おやつはそれぞれの持ち場で食べます。

先日のおやつの時間、いつも通りに3階に行き、ふと外を見ると、雲ひとつない青空でした。気温もそこまで低くなかったので、これは外で食べると気持ちいいだろうなと思った私は、子供たちに「外で食べるか!」と提案してみました。すると、子供達は「いいね!食べたい!」と言ってくれて、みんなでおやつを持って外に出ました。(外と言っても、去年まで学童の子たちが使っていた外階段です)お昼寝明けで寝ぼけながら着替えをしている子もいたのですが、楽しそうに外に出て行く子たちを見て、自分も早く行きたくなったのか、すぐに着替えておやつを取り、外に出てくるのです。(笑)

結局、3階で食べる子全員が外で食べることになったのですが、階段に密集して座って食べたので、普段より会話も弾んでいたような気がします。また、あまり人気のないマーマレード蒸しパンだったのですが、おかわりも無くなるくらい、みんないつも以上に食べていました。外で食べるという、普段とは違う雰囲気がそうさせたのでしょうか。

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外で食べると、部屋に食べ物を落ちることがないので、掃除が少しラクになったということは、まだ内緒にしておきましょう。(笑)

たまには外でおやつもいいですね。たまにはね。

西村 宗玲

悲しいことがあると 開く生臥竜塾の表紙 卒業旅行のあの人は優しい目をしています 完結編

箱根美術館を後にし、次の目的地、(http://www.hakone-tozan.co.jp/gorapark/)へ向かいました

そこで面白かったのがこんな比較です。

強羅公園内にある噴水です。洋式のデザインになっています。

強羅公園内にある噴水です。洋式のデザインになっています。

 

泊まった旅館の前にあった滝です。

泊まった旅館の前にあった滝です。

 

「水の使い方一つにしても全然違うね。」と藤森先生。全てに人の手が入り、美を加工して表現する洋式のスタイルと、あくまで自然の景色をそのままに美を表現しようとする日本人のスタイルとの違いを教えてくださいました。箱根美術館の散策コースの景観を思い出し、なるほど日本の美というものを、実際に目で見て体感をして比較することで、より実感として感じられたような思いがしました。

 

公園内でパチリ!

公園内でパチリ!

そこから少し離れた駅まで歩いて帰ることにしました。

途中、〝箱根天然温泉 てのゆ〟http://(http://www.tenoyu.jp)にて昼食を摂りました。(箱根通の本多先生オススメの温泉です。)

そして大平台駅に到着。その距離約4.4km!

藤森先生を先頭に歩いて行くのですが、先生のペースの速いこと速いこと(笑)

皆で気持ちよく体を動かし、帰りもロマンスカーで帰りました♪

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2008年7月7日『卒業アルバム』http://(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2008/07/post_993.html)の中でこう書かれています。

〝私は、卒業は、希望を持って次へ進むステップだと思います。何かが終わるのではなく、これから始まるのです。〟

西田泰幸先生。先生が築き上げて下さったものの大きさを感じています。先生が残して下さったものを大切にしながら、離れていても臥竜塾生、先生と一緒に、これからも見守る保育を、もっともっと多くの人に知ってもらえるようにがんばっていきたいと思います。

卒業は悲しいことではないのですね。終わりではなく始まりを知った卒業旅行。報告は以上です。

また皆で旅行に行ける日を、心から楽しみにしています。
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(報告者 加藤恭平)

悲しいことがあると 開く生臥竜塾の表紙 卒業旅行のあの人は優しい目をしています EPISODE 4

夜は、2部屋を予約していただき、藤森先生の就寝される方の部屋で、皆で軽くお酒を飲みながら、談笑をしました。

そこで、西田先生に塾生からプレゼント。車の免許を取得中の西田先生にキーケースをあげました。

開けてみるとそこには予想以上にリーズナブルな風合いのキーケースが…

そういうサプライズが、特に塾長と塾頭は大好きです(笑)

驚いていただいたところに、誰もがご存知有名ブランドのキーケースを渡したのでした。

そんなサプライズもあり、夜は深まっていくのでした。

そして次の朝。

ホテルの前でパチリ!

ホテルの前でパチリ!

 

場所を変えてもう一枚!

場所を変えてもう一枚!

マイナスイオンを全身に浴びて出発!!!

お子さんが体調を崩され、ここで塾頭山下祐先生とお別れです。

お子さんが体調を崩され、ここで塾頭山下祐先生とお別れです。

電車の扉が閉まり、走り出す電車を追いかけようと電車に合わせて早歩きになる塾頭山下祐先生。

感動の別れ…と思いきや旧ブレーキ!(塾頭が!笑)

最後まで笑いを届けてくれる塾頭山下祐先生でした。

箱根登山鉄道(http://www.hakone-tozan.co.jp)からの景色です♪

箱根登山鉄道(http://www.hakone-tozan.co.jp)からの景色です♪

電車は、箱根美術館(http://www.moaart.or.jp/hakone/)のある、『強羅駅』を目指します。

先頭が入れ替わる為、色んな景色を見ることができます。

箱根登山鉄道の〝見た目が全然ゆるくない〟(?笑)と評判のゆるキャラ〝のびりやま てつみち君〟です。

箱根登山鉄道の〝見た目が全然ゆるくない〟(?笑)と評判のゆるキャラ〝のぼりやま てつみち君〟です。

 

〝見た目が全然ゆるくない〟など、そんな面白い紹介をふんだんに織り交ぜながら車内を明るく楽しくしてくれた車掌さんです。

〝見た目が全然ゆるくない〟など、そんな面白い紹介をふんだんに織り交ぜながら車内を明るく楽しくしてくれた車掌さんです。

 

そんな名物車掌さんに写真を撮って(笑)もらいました。

そんな名物車掌さんに写真を撮って(笑)もらいました。

藤森先生のお茶目な姿を披露してしまいました(笑)

 

そして強羅駅に到着♪

そして強羅駅に到着♪

そこから歩いて1分もかからない所に〝箱根美術館〟がありました。

そこで一枚パチリ!

そこで一枚パチリ!

 

竹の美しさ、

竹の美しさ、

 

苔の美しさを堪能しながら、館内を目指します。

苔の美しさを堪能しながら、館内を目指します。

館内は基本的に写真禁止だったのですが、縄文時代の火焔土器や土偶、桃山時代の陶器など、魅力溢れる館内をゆっくり歩いて行きました。

 

窓もきれいな場所に面して作られていて、設置されているソファーに座るとまるで一枚の絵を見ているような気分になります。

窓もきれいな場所に面して作られていて、設置されているソファーに座るとまるで一枚の絵を見ているような気分になります。

 

そしてまた散策へ。少しすると、見えてくる茶室〝真和亭〟(http://www.moaart.or.jp/hakone/space.html#teapint)にて、御茶を一杯いただきました。

なんとも清々しい空間ですね。

なんとも清々しい空間ですね。

 

このように施されています。

このように施されています。

 

開放的なつくりです。

開放的なつくりです。

 

まるで絵を見ているような感覚になります。

まるで絵を見ているような感覚になります。

 

そこで一杯。

そこで一杯。

 

あっ、

ん?

 

あぁ(笑)

あぁ(笑)

本多先生も脱帽の空間でした。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年7月18日『理念と美』(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2014/07/理念と美.html)の中でこう書かれています。

〝保育園、幼稚園という建物は、子どもを収容する箱ではありません。そこで、子どもが生活し、子ども同士の触れ合いの中で学習していく場なのです。再三このブログでも強調していますが、ドイツでは、「建物は第二の教師である」という感覚を持ちます。だからといって、機能的であればいいということではありません。機能を追求していくと、そこには「美」が生まれると思っています。そしてその美は、周りに攻撃的に存在するのではなく、周りと調和をし、周りと一体となって新たな美を産みだします。その環境をの調和によって新たな美を作り出す技を、私は日本人が世界の中で優れている民俗な気がします。それは、四季があり、豊かな自然に囲まれているからでしょう。また、鋭く、細やかな感性も日本人は持ち合わせている気がします。

私は、それらを、茶室から強く感じます。〟

本当に美しい空間で、藤森先生の仰るように、このような空間、環境の中で育てば、心穏やかで、豊かな人柄になっていくのだろうなぁ、と漠然とながら思えてきます。「建物は第二の教師である」という言葉通り、保育園の園舎というものの重要性を、日本は改めて見直す必要があるようにとても感じます。

そんなことを思いながら、それぞれに御茶を楽しみ、ほっと心を和ませたのでした。

(報告者 加藤恭平)

悲しいことがあると 開く生臥竜塾の表紙 卒業旅行のあの人は優しい目をしています EPISODE 3

〝箱根海賊船〟を後にして、次に訪れたのは、〝箱根☆サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム〟です。(詳しくはhttp://www.tbs.co.jp/l-prince/をどうぞ♪)

入場します♪

入場します♪

 

ほらまたあのポーズ!(笑)

ほらまたあのポーズ!(笑)

正直なところ、僕は〝星の王子さま〟を読んだことがなく、なので、館内の説明員の方の説明で初めて内容に触れる、といった感じでした(笑)

しかし、とてもいいお話ですね。お土産に本を買って帰りましたが、帰り道でも読み切れる程の短さで、人生の真理を描きつつ、当時の人の人生観を表しているような、壮大な作品であると思いました。

〝心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ〟

作品を象徴する言葉で、文中に出てくる数々の名言の中でも特に代表とされる王子さまのセリフです。

このミュージアムの中に、作者サン=テグジュペリの幼少期を過ごした部屋や、作品を描いていた当時の部屋が再現されていました。

ふと西村先生が、「藤森先生の子どもの頃の部屋を再現しましょう」と(笑)

それぞれに色んなインスピレーションの湧いた見学となりました。

さて、一泊二日の旅行の1日目。時間もいい時間になってきました。〝箱根☆サン=テグジュペリ 星の王子さまミュージアム〟を後にして、バスに乗って一路、本日のメイン(?笑)であります、宿泊先へ♪♪

雰囲気がありますね♪

雰囲気がありますね♪

 

バスの急勾配・連続カーブでよもやダウンかと思われた小松崎先生を癒すかのように、いい風が吹いていました。

バスの急勾配・連続カーブでよもやダウンかと思われた小松崎先生を癒すかのように、いい風が吹いていました。

 

面白い川ですね。

面白い川ですね。

 

本日の宿泊先〝天成園〟(http://www.tenseien.co.jp)に到着♪

本日の宿泊先〝天成園〟(http://www.tenseien.co.jp)に到着♪

 

心躍ります♪

心躍ります♪

チェックインを済ませ、早速お風呂へ♪

体を洗って清めた(?笑)後、藤森先生を囲んで塾生全員で数ある浴槽の一つに浸かりました。

温泉内は広く、外の露天風呂の一角に皆で入ったのですが、若林先生は中で迷ってしまい(笑)食事の時間も近付いていた為、若林先生が入った瞬間に皆あがるという(笑)何とも面白い出来事もありました。

とても開放的で気持ちのいい温泉でした♪(本多先生の顔…笑)

とても開放的で気持ちのいい温泉でした♪(本多先生、顔…)

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年10月1日『湯治』(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2013/10/湯治.html)の中にこう書かれています。

〝私は、よく温泉好きといわれます。以前ブログで書いたと思いますが、私は高校生までは入浴は銭湯でした。育った地域の下町では、ほとんどの家庭は銭湯に通っていました。ですから、私は自分で好きな時に、一人でのんびりとは入れる家庭風呂にあこがれていましたから、ホテルで、小さくてもいいのでのんびりひとりで入れるバスはあこがれました。しかし、我が家で小さい風呂に入るようになってから、大きな風呂に手足を思い切り伸ばせることが楽しみになってきました。しかし、そうはいっても、温泉はそれほど好きではありませんでした。それは、「湯あたり」なのでしょうか、温泉に入った後、だるくなるからです。また、せっかく温まりたいのに、寒い中で入る露天風呂もあまり好きではありませんでした。

それが、年を取るにしたがって、疲れをいやすのに、温泉にゆっくり浸かることが効果的になってきました。ということで、最近は、講演などに地方に行くときには、終わったその晩は、ゆっくりと温泉に浸かって、のんびりすることにしています。そうすることによって、次への活力を取り戻そうとしているのかもしれません。そんな温泉の効果を感じます。〟

藤森先生は温泉がお好きなのですね。この回のブログには、温泉についての解説も書かれていますので、紹介させていただきます。

〝日経新聞に「ヘルスツーリズム 湯治現代風に復活 温泉+散歩で病気予防/観光との連携課題」という記事が掲載されていました。そこには、「日本に古くから伝わる“湯治”が、現代の生活様式にマッチした“ヘルスツーリズム”としてよみがえろうとしている。ドイツを手本に、温泉やウオーキングで疾病の緩和や予防につなげる健康保養地作りに取り組んだり、温泉に滞在して療養する人の費用を補助する自治体もある。宿泊や飲食など地域の活性化への効果を期待する声がある一方で、定着には医療と観光の連携など課題もある。」

確かに、日本には「湯治」という「温泉に入浴して病気を治療すること」という治療方法がありました。そして、その目的として、疲労を回復させる「休養」、健康を保持し病気を予防する「保養」、病気の治療をする「療養」の3つがあります。どこか体の具合がよくないときに、知識や医療の技術が十分に発達していなかった時代、その伝聞されていた効能に期待して、温泉に入浴したり飲泉するなど、多くの人が温泉療法によって病気からの回復を試みていました。

そして、明治時代以降、医学の近代化が図られて西洋医学が中心になっていくのですが、湯治の近代化として滞在型温泉療養施設の建設がドイツのエルヴィン・フォン・ベルツ博士から提案されています。これは実現しませんでしたが、いくら医学が発達しても、江戸時代に定着していた湯治文化はすぐに廃れることはなく、細々でも続いていました。

一方、ドイツでは「クアオルト」という「健康保養地」というものがあります。これは、温泉や気候、海といった自然の力を活用し、予防や治療をする地域を指します。(1)病院などの治療施設(2)専門医(3)交流施設(4)滞在プログラムがあるという条件で、州がクアオルトを認定しています。そして、医師が処方すればクアオルトでの治療が保険の対象になるそうです。ドイツには、2007年統計によると、計374カ所(2007年)あるそうです。〟

温泉の良さを改めて感じます♪

そしてお待ち兼ね…

食事は超豪華なバイキング♪

食事は豪華なバイキング♪

 

期待に胸が高まります♪

〝食事〟という名の幸せな戦い、聖地に乗り込む勇者達の後ろ姿です

なんとも美味しいお食事でした♪中でも、本多先生はデザートのチョコクッキーを、塾頭並びに塾生は、もずくを好んでそれはそれは大量に食べました(笑)西村先生はデザートを挟んでから、カレーを食べるという奇行を(笑)西田先生はそんな西村先生を「アンダー25はすごいね」と言いつつ、デザート後に焼きたてステーキの列に並ぶという、なんともアグレッシブな食事の時間となりました。

「黒烏龍茶があるから大丈夫です♪」「黒烏龍茶でプラスマイナス0です♪」と笑顔で語る西村先生と若林先生を見て、とても応援したい気持ちになり、このブログと出会うことができましたので、最後に添えさせていただきます。

『臥竜塾』ブログ2014年8月5日『無力状態』(http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2014/08/無力状態.html)の中にこう書かれています。

〝病気になるのは、生まれつき自分は弱い体質であり、遺伝的なものであると多くの人が思っていますが、実は、自分たちが考えているよりもずっと、自らの肉体的健康をコントロールする力を持っているものだとセリグマンは言います。健康について、「私たちの考え方によって健康状態が変わる」「オプティミストの方がペシミストよりも感染症にかかりにくい」「オプティミストの方がペシミストよりも健康的な習慣を持っている」「オプティミストの方が免疫力がある」「オプティミストの方がペシミストよりも長生きであることが証明されている」

日本では、「病は気から」という言葉があり、その註釈には、「心配事や不愉快なことがあったりすると、病気になりやすかったり、病が重くなったりするものである。気持ちを明るく持ち、無益な心配はしないほうが、病気にかかりにくかったり、病気が治りやすかったりするということから。」とあります。まさに、昔から同じことが言われているようです。〟

二人の考え方はまさにオプティミストそのものではないでしょうか。

健康で長生きをして、いくつになっても皆で集まって旅行に行ったり、楽しい話をしたりしたいなぁと改めて感じた夜でした。

(報告者 加藤恭平)

悲しいことがあると 開く生臥竜塾の表紙 卒業旅行のあの人は優しい目をしています EPISODE 2

箱根の関所を後にして、次は、そこから歩いて数分のあの有名な地へ訪れました。

ここが、かの〝箱根駅伝〟のスタート地点であり、ゴール地点です。

ここが、かの〝箱根駅伝〟のスタート地点であり、ゴール地点です。

何だか感動してしまいます。

ここでも1枚パチリ!本多先生はこの瞬間に生まれたこのポーズを最後まで粘り強く貫き通しましたとさ…(笑)

ここでも1枚パチリ!本多先生はこの瞬間に生まれたこのポーズを最後まで粘り強く貫き通しましたとさ…(笑)

ここで昼食をとりました。皆で食べたカレーはとても美味しかったです♪

さて腹ごしらえも済み、いよいよお楽しみへ♪

大きな船がやってきました!

大きな船がやってきました!

〝箱根海賊船〟と呼ばれる船で、芦ノ湖の美しさを一望することができます。(詳しくはhttp://www.hakone-kankosen.co.jpこちらのサイトからどうぞ♪)

そこでも1枚パチリ!

そこでも1枚パチリ!

 

2枚パチリ!

2枚パチリ!

 

3枚パチリ!(笑)

3枚パチリ!(笑)

 

4枚パチリ!(笑)

4枚パチリ!(笑)

本当に記念になります。

そして出ました!本多先生のこのポーズ!(笑)

そして出ました!本多先生のこのポーズ!(笑)

藤森先生が写っておられないということは、このお写真、全て藤森先生撮影のものです。本当に有難いです。

肝心の景色はというと…

肝心の景色はというと…

きれいですよね。この神社、その昔塾頭山下祐先生と本多先生2人で訪れたことがあるそうです。2人の歴史の長さ、絆の強さというものを、何だか改めて感じた思いがしました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2009年10月20日『広告』の中で、2009年度「新聞広告クリエーティブコンテスト」で〝きずな〟をテーマに、優秀賞を受賞した作品のことが書かれていました。

〝私は優秀賞を受賞した作品も好きです。ここには、「人生、何年生になっても“絆”を大切に。だいじょうぶ。友達100人なんていらないんだよ。たった一人の親友がいるだけで、“ひとりぼっち”から卒業できるはず。友情って。広さじゃなくて、きっと深さなんですね。」というものです。絆、友達というとみんなと仲良くなるとか、多くの人とつながらないといけないと思いがちですが、人の多さではないことは、子どもたちの保護者の人たちにも知ってもらいたいことです。〟

そして、『臥竜塾』ブログ2009年6月28日『友』の中には、こう書かれています。

〝私は、今ある雑誌で映画批評を書いています。その欄で、来月は児童文学の中でも全世界で親から子どもへと70年も読み継がれてきたドイツのケストナーの作品の映画を紹介しました。その作品の中で私が紹介したかった作品は「点子ちゃんとアントン」ですが、残念ながらDVDは廃盤になっていて普通では手に入らないので断念しました。ちなみに私は中古で手に入れたのですが。そこで、「エーミールと探偵たち」と「飛ぶ教室」を紹介しました。「エーミールと探偵たち」の私が子どもころに映画化された作品については、このブログでも書いた気がしますので、本では「飛ぶ教室」を中心に紹介しました。

この作品の中でケストナーの多くの作品のテーマである「友情」について描いています。映画の中で、子どもたちが歌うラップの歌詞にその考えが表れています。それは、真実を見つめることを恐れずによく見つめること。正しいことは勇気を出してぶつかることで世界は広がり、きっと、進むべき道が見つかるはずなので、自分をもっと信じてくよくよするなと歌います。そして、時間がかかるかもしれないけれど、敵対しているグループも、いつも権威をかざしている先輩も、男女の間でも心が一つになることを子どもたちは実感します。そして、その友情の「飛ぶ教室」は、信頼できる先生がいることで飛ぶことができるのだと歌うのです。

友情について歌ったもう一つの歌詞があります。「僕たち二人は、もう友達を捜さなくてもいいね。僕たちはもう見つけたから。お互いに友達と呼べる人がいるから、もうけっして独りじゃないね」この喜びをこう表わしています。「I used to say I and me Now it’s us, now it’s we」(いつも「I(僕は)」や「me(僕の)」という言葉を使っていたのが、これからは「us(僕たちの)」「we(僕たちは)」と言えるようになった)

この友達関係は、心臓手術を受けたばかりで、幼な心に死の危機を予知し、孤独だったダニー少年と多くの仲間と人間を襲い、多くの人を殺し、警察から追われている「ベン」という一匹の黒いネズミです。1切れのパンで知り合った少年とねずみの交遊は、少年はねずみに全てを話せる友を求め、ねずみは純粋な少年に裏切ることのない信頼を見いだしたのです。ですから、少年はねずみの名前があの悪名高いベンと知ってもなお暖かい愛情を贈り、友情の証にこの歌詞のような「ベンの歌」を作って捧げたのです。

「ベン、みんなは君を邪険に扱うけれど、僕はみんなの言うことなんか聞かないよ みんなは君の良さがまったく分からないから。君をきちんと見てみたら、考えが変わるだろうって思うよ ベンみたいな友達がいれば、人の価値がちゃんと分かると思うけど。」という歌詞は、その映画主題歌を子どもの頃に歌っていた、一昨日亡くなった歌手マイケル・ジャクソンの心境のような気がします。

この映画「ベン」の主題歌「ベンのテーマ」をマイケル・ジャクソンが歌ったドーナツ盤のレコードを私は持っています。映画を見て、その歌に感動したからです。そのジャケットの子どものころのジャクソンの写真は、とても愛くるしく映っています。〟

友情というものの大切さ、そして、その有難さというものは、いつも感じていながらも中々口にできないものであったりしますね。二人の言葉のやりとりの中に「あの時はゆうりがいてくれて本当助かった」「たすくんがいてくれたから」という言葉がたくさん出てくることに、驚きます。〝妻が入院をして、お見舞いに行くその日まで、花を買うことをもったいぶる必要は無い〟という格言通り、僕らは、友人に、仲間に、「いつもありがとう」「君がいてくれて、本当によかったよ」と、感謝の気持ちという花束を捧げる必要があるのかもしれません。

船で過ぎてゆく神社を懐かしそうに見つめながら、当時のことを語る塾頭と本多先生の横顔を見て、そんなことを感じたのでした。

(報告者 加藤恭平)

悲しいことがあると 開く生臥竜塾の表紙 卒業旅行のあの人は優しい目をしています

先日、我らが塾生西田泰幸先生が、地元金沢へ帰られました。

塾を卒業されるにあたり、藤森先生と共に、いざ箱根へ。

今回の報告は、〝卒業旅行〟の模様をお伝えしたいと思います。

新宿からロマンスカーで出発!

新宿からロマンスカーで出発!

こういう集合写真を、折々で藤森先生が撮って下さいます。

いつもそうなのですが、藤森先生は写真を撮るスピードがあまりにも速いです(笑)その速さは並大抵の速さでなく、もちろんロマンスカーよりも速いです(笑)このスピードを体感されたい方は、来年度から装いを新たに始まります〝臥竜塾セミナー〟『ブラ…』はい!お楽しみです(笑)の回に、ぜひお越し頂ければと思います。(きっと藤森先生が写真を撮って下さる、と皆で期待しましょう笑)

いざ乗車!

いざ乗車!

席をくるっと回して、最高な感じに♪電車の席をこうすると、ぐっと旅行気分が高まりますね♪

藤森先生は僕らの後ろの席で一人、座っておられました。僕らのわいわいとした雰囲気を、後部座席から見守って下さっていました。

あっという間に箱根に到着。

先ず、箱根の〝関所〟に訪れました。

先ず、箱根の〝関所〟に訪れました。

 

門の前で一枚!

門の前で一枚!

江戸時代交通史の重要な遺跡であり、この関所を通って当時の人はこの先へと足を運ぶことができました。中には〝獄屋〟と呼ばれる牢屋など、その当時の風景がそのままに復元され、訪れる人を圧倒します。

(詳しくはこちらのサイトをご参照ください♪→http://www.hakonesekisyo.jp/index.html)

〝遠見番所〟と呼ばれる場所からの一枚です。とても美しい景色ですね。

〝遠見番所〟と呼ばれる場所からの一枚です。とても美しい景色ですね。

 

写真 中の御茶屋さんで一服。今年度、新宿せいが保育園の夕涼み会で展開された〝野点〟が設置されていました。

中の御茶屋さんで一服。今年度、新宿せいが保育園の夕涼み会で展開された〝野点〟が設置されていました。

 

皆でみたらし団子を食べました♪

みたらし団子を食べました♪

 

御茶屋さんの前で記念撮影♪

御茶屋さんの前で記念撮影♪

本当に記念になります。

探索中にこんなものを発見!

探索中にこんなものを発見!

そこに座ってみると…

なんともご利益のありそうな!(笑)

なんともご利益のありそうな!(笑)

学びながら、また、時にこんな風に楽しみながら(笑)関所を後にしました。

本多先生はここで〝竹傘〟を購入!

本多先生はここで〝竹傘〟を購入!

以降、最後までかぶり続けるという(笑)本多先生の信念の強さを感じさせますね。

さて、こんな感じで、旅行の様子をお伝えしていきます。

しかし、書いていて、改めて感じ入ることがあります。

それは、藤森先生、という人のお人柄です。

こんなにも楽しい時間、塾生という〝仲間〟との時間を、傍で見守り、そして、育んで下さいます。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年2月24日『師とは』の中にその答えの一端を見つけることができるように思います。

〝『孟子』巻第七 離婁章句上に、「人之患 在好爲人師」という言葉があります。この言葉は、「人の患は、好んで人の師に為るに在り」ということで、「人の悪いところは、大したこともないのに、とかく他人の先生になりたがることだ。」ということです。その言葉を評して、吉田松陰は、『講孟余話』のなかで、「而して己が為にするの学は、人の師となるを好むに非ずして自から人の師となるべし。人の為にする学は、人の師とならんと欲すれども遂に師となるに足らず。故に云はく、記聞の学は以て師となるに足らずと。」と書いています。

この言葉は、「自分を磨くための学問は、願わなくとも自然に望まれて師になるものである。ところが人のためにする学問は、人の師になりたいと思っても、結局、人の師となることは出来ない。だから孟子は、こう言っている。単に古い書物を読んで暗記する人の講義は、質問を待つだけで、聴く人の意欲や学力を考えることが出来ないので、師となる資格はない」と言っているのです。

(中略)

また、孟子の性善説に傾倒し、すべての人間の本性が善であると信じて疑わず、どのような人間にも可能性があることを信じ続ける人間観と教育観に貫かれています。彼は繰り返し、人間には賢愚の差はありますが、どのような人間にも潜在している才能があり、これをうまく引き出すことができれば、必ず立派な人間になることができると述べています。不要な人間は一人もいないというのです。

そして、「自分が塾を開くのは人に教えるためではない。世にすぐれた人を見つけ、親しく交際し、自分のとらわれているところを解き放ち、愚かなところを矯正したいためである」というのです。松陰にとっての塾生達は、共に学ぶ仲間であり、彼にとっての師匠でもあったのです。

私たち自身も、子どもたちと同じ学習者であるのです。教育というのは、共に学び、共に持っているものがお互いに刺激し合いながら引き出されていくということなのです。科学活動でいえば、興味のある疑問について調べたり、共通の関心ごとを一緒に探究したり、いっしょに博物館に行って感動したりする仲間なのです。もし、科学活動を子どもたちに提供するとしても、それを通して教師も日々成長していく仕事なのです。教えることをこのようにとらえることで、素晴らしい成果が得られるようになるのです。〟

藤森先生は師であると同時に、学習者である、ということをこの回のブログは伝えています。藤森先生が、師というもの、学習者というもの、そして、教育というものをこのように考えられておられるからこそ、僕ら塾生はこうしてその学びの輪の中に身を置くことができ、伸び伸びと楽しく学んでいくことができるのですね。改めて感謝の気持ちが湧いてきます。

それでは次の場所へ移動です。長期連載の予感です(笑)お付き合い下さい。

(報告者 加藤恭平)