ロボットVS人間

新宿せいが保育園の誕生会は、担当のクラスが決まっており、その月の担当になったクラスは誕生会を仕切る役割になります。

今年から定員増により、0、1歳クラスと2~5歳クラスまで二つに分かれて行うようになりました。ちなみに私が所属するクラスは職員室ですので、職員室フリーと共に2~5歳クラスの誕生会を行います。

先月は職員室の担当でしたので、職員室フリーと何しようか?と相談していたところ、先輩保育士が

「あのロボット使ったら?」

と助言を下さいました。

あのロボットというのは、先日ある業者からモニターになってもらいたいという依頼がありました。

そのモニターというのは、ロボットを保育園に置いてみて実際に使用してもらいたいという依頼です。

まだ未完成ということもあり、機能はそこまで充実していませんが、最低限のコミュニケーションを取ることができます。

まず顔認証する機能があるので、玄関に置いておくと、朝の登園の時に登園してきた子どもや保護者の顔を見つけると「おはよう!今日も楽しく遊ぼうね」と挨拶をします。また同様に降園の時も「また一緒に遊ぼうね」みたいな挨拶ができます。

あと写真も撮れるので、保育室で遊んでいる子どもの自然の姿や表情も撮影することができます。

さらに子ども達と遊ぶ「クイズ」や簡単な「ダンス」もできます。

挨拶などは設定すれば勝手にロボットが行いますが、クイズやダンスはリモコンを使って操作しないといけません。ちなみにリモコンはスマホになっており、WiFiを使って操作できるようになっています。

DSC_1168

 

せっかくの機会なので、今回の誕生会はそのロボットを使って子どもたちの反応を見て見ようと思いました。

しかし、ただロボットと遊ぶだけではつまらないので「ロボット対人間」というテーマで、子ども達にどっちが面白かったか最後に聞いてみようという流れにしました。

ちなみに人間代表は塾生の西村君です!

まずはロボットに動物の鳴き声をしてもらい、子ども達に当ててもらいました。

もちろん本物の泣き声なので子どもたちは簡単に正解しました。

続いて、西村君はまず、泣き声でなく動物の動きで何の動物かクイズを出しました。

ちょっと面白くて写真を撮るのを忘れてしまいましたが、今年の干支の猿の物まねでした(笑)

もちろん子どもたちは正解!!西村君の2問目は「何に乗っているでしょうか?」という問題。

本当は実際に見た方が面白いですが・・・ただ馬に乗っている動作ではなく、

流鏑馬をしていました(笑)子ども達も簡単に「うまぁ(馬)!」と正解していました。

 

そして次の対決は「ダンス対決」です。

ダンスと言っても、ロボットの可動範囲は決まっているので、腕を上げ下げしかできません。

子ども達に「右手を上げて!左手を上げて!」と伝えながら子ども達と一緒に踊りをします。

一応、2パターンあり、両方共、子ども達も一緒になって踊っていました。

そして、いよいと西村くんの番です!

どうやら前日に自分で色々な曲を組み合わせてきたそうで、準備は万端です!

まず1曲目は「セーラー服を脱がさないで」です(笑)そして、続いて2曲目、3曲目はももいろクローバーZから(笑)そして、ずっとアイドル路線かと思いきや3代目JSBからポッキーのCMで流れているあの曲(笑)そして最後の曲はアイドルに戻りモーニング娘の曲で有終の美を飾りました!

全て振り付けも完璧で、個人的には面白さというよりも、尊敬の眼差しで見ていました(笑)

 

そんな感じで対決が終了し、いよいよ子ども達に聞くと気がやってきました!

「では、みんな!ロボットと西村先生、どっちが面白かったか手を上げてもらおうかな!!

まずロボットが面白かったという人は手を上げてください・・・」

と結果発表は続編に・・・(報告者 山下祐)

GTO〜Great Teacher ONI〜

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2006年2月2日『文化の伝承』の中に、こう書かれています。

〝明日は、節分です。園でも、節分の行事を行います。行事の一つの目的に、「地域の文化を伝承する」というものがあります。では、地域の文化というものは、何でしょうか。また、何で、伝承しなければならないのでしょうか。〟

本当ですね。ブログは、こう続きます。

〝1989 年に行われた第25 回ユネスコ総会で「伝統的文化及び民間伝承の保護に関する勧告」というものが採択されました。そこでは、民間伝承は「人類の普遍的遺産の一部を形成するものであり、また、それは異なる民族及び社会集団を結び付け、かつ、その文化的独自性を主張するための有力な手段である」といっています。〟

日本という国が独自の文化を持っているということを、日本の国民が行事や伝統に関するものを通して理解することで、諸外国との文化の違いを理解することができます。また、自国の文化、伝統に触れることは、諸外国、諸民族の文化、伝統を理解することに繋がり、それは相手を理解することに繋がり、文化と国同士を結びつけ得る有力な手段である、ということですね。

そして、〝文化を伝承していくことは、〟と、続きます。

〝文化を伝承していくことは、多様性の世界観の中で、さまざまな社会集団を結びつけ、よりよい新しい時代を作っていくために、過去の知恵から学んでいくというものである気がします。〟

新しい時代のために、僕らは、過去の知恵を学ぶ必要があるのですね。

藤森先生は、この回のブログで、節分についても詳しく説明して下さっています。この報告がアップされる頃には、豆まきは終わっていると思うのですが(笑)来年の参考にしていただけたらと思います。

〝子どもたちに日本の文化を伝承していくことが必要です。そこで、まず、鰯の頭を焼いて、ヒイラギの枝に刺し、家の入り口に差します。これは鰯の頭の悪臭で、邪気が家に入るのを防ぐという意味があります。季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うためです。「邪気」も悪臭は苦手と見えます。そして、炒った大豆を撒くのですが、それは、鬼に豆をぶつけることにより、邪気を追い払い、一年の無病息災を願うという意味合いがあるからです。その際の掛け声は、通常「鬼は外、福は内」ですが、地域や神社によっては、鬼を祭神または神の使いとしている神社、また方避けの寺社では「鬼は外」ではなく「内」としているそうです。また、家庭での豆まきでは、「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家では「鬼は内」の掛け声が多いといいますが、私の知り合いにもこの苗字の人がいるので、本当か、聞いてみたいものです。そのあと、自分の歳の数だけ豆を食べます。〟

Wikipediaでも、〝「鬼」の付く姓(鬼塚、鬼頭など)の家では「鬼は内」の掛け声が多い〟という内容のことが書かれています。面白いですね。

そんなわけで、園では、今年も豆まきを行います。「あまり子ども達を怖がらせないように」という藤森先生のお言葉通り(?笑)昨年も、もちろん鬼が登場し、それはもう、最高の豆まきでした。僕らや子ども達がいくら豆を投げても退散してくれなかったのですが、最後、藤森先生が豆を投げると、「うわー!」と言って、逃げて行きました。藤森先生は子ども達のヒーローです。

今年は、写真をたくさん撮って、その模様を報告したいと思います。お楽しみに!

塗り絵も盛り上がっていますね。

塗り絵も盛り上がっていますね。

 

たっくさん♪

たっくさん♪

 

節分の気分を盛り上げる(?笑)為に、絵本係りでこんなものを作りました。いよいよその日がやってきます!

節分の気分を盛り上げる(?笑)為に、絵本係りもこんなものを作りました。いよいよその日がやってきます!

 

(報告者 加藤恭平)

愛を込めて草花を 大袈裟ではないんです

先日、にこにこ組(2歳児クラス)のテーブルにお花が置かれました。

ちょこん、と2つ。

ちょこん、と2つ。

 

可愛らしいですね。

可愛らしいですね。

我らが誇るベテランの先生のアイディアです。

新宿せいが保育園は、よく見ると、至るところに草花があります。

 

ざっと見渡してみると、にこにこ組(2歳児クラス)の周りだけでもこんなにあります。

ざっと見渡してみると、にこにこ組(2歳児クラス)の周りだけでもこんなにあります。

 

接写!

接写!

 

ここにも。

ここにも。

 

ここにも。

ここにも。

 

ここにも。

ここにも。

 

ここにも。

ここにも。

なんだか、胸がすくような気持ちになります。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年11月2日『室内の花』の中でこう書かれています。

〝ドイツの園に行って、室内に入ってまず驚くのが、緑の多さです。日本の保育室で緑はほとんど見かけません。以前、このブログで緑視率のことを書いたことがありました。視野にあるパーセントの緑が入ると仕事能率が上がるという研究です。それは、緑色という色の効果です。その研究は日本で行なわれているもので、ドイツでそれを知っているわけではないと思うのですが、どちらの方向を見ても、必ず視野に緑が入ります。それは、四方向だけでなく、上を見ても緑があります。

 また、その緑はドイツでは基本的に緑の自然の植物の葉です。造花は使いません。したがって、その緑は酸素を供給し、空気を清浄化し、加湿をしてくれます。緑色が視野に入ることで仕事能率が上がるという研究では、なお、その効果を増すものとして、自ら育てる緑であるというものがあります。自ら育て、成長していく植物が机の上にあることが、より効果があるということが研究されているのです。また、カポックという植物の葉は、よくある加湿器並みの湿気を室内に出すことが知られています。〟

 

草花を置く、ということに、このような意味があり、理由があるということがわかります。

そして、この日のブログは、こう展開されていきます。

〝日本の教室、保育室にはあまり植物を見ることがないのはなぜでしょうか?まず、小さい子が土をいじる、葉をちぎってしまう、植木鉢を倒してしまうということがよく言われます。ほかの大きな理由に、育てるのが大変で、すぐ枯らしてしまうということも言われます。ドイツでは、なぜ子どもたちが倒したり、土をいじったり、葉をちぎったりしないのでしょうか?それは、保育のあり方だと思います。その理由がこれということは、よく分かりませんが、まず、ドイツの保育室には教具、遊具があふれんばかりに置かれていることも理由の一つかもしれません。非常に豊富です。乳児から、たくさんの遊具が棚に並べられ、いつでも自分で取り出せるようになっています。土や葉を遊具にする必要もないのです。

 もう一つ、子どもたちがとても落ち着いています。テンションが上がっている子や走り回っている子、大声を出している子はほとんど見ることがありません。好きなことに黙々と取組んでいます。植木にぶつかって、倒してしまったりするなどということはないように思います。しかし、なぜ枯れてしまわないかは不思議です。気候のせいか、木の種類なのか判りませんが、植木に水をやっている姿を見ることはありません。いつ、誰が水やりをしているのか、また、葉もほこりがなく、いつも拭いているようで、それは不思議です。ただ、私の園では、植木の植物の枯れ具合で、保育の落ち着きを見ることがあります。心に余裕がないと、植木は枯れてしまいます。植木が水を欲していることに気がつかないと、子どもの心が渇いているのに気がつかない気がするのです。〟

〝心に余裕がないと、植木は枯れてしまいます。植木が水を欲していることに気がつかないと、子どもの心が渇いているのに気がつかない気がするのです。〟

この一文に、とても心を打たれます。

というのも、にこにこ組(2歳児クラス)周辺の草花に、いつも丁寧にお水をあげ、枯れないようにケアをして下さっているのは、何を隠そう我らが誇るベテランの先生、その人だからです。

朝の受け入れの時に、泣いていた子を抱きかかえる我らが誇る先生。何かの保育書で読みましたが、大きくなったら抱っこしない、なんてことはありません。

朝の受け入れの時に、泣いていた子を抱きかかえる我らが誇る先生。思わず撮ってしまいました。何かの保育書で読みましたが、大きくなったら抱っこしない、なんてことはありません。

 

毎日、その先生の保育を見て、姿勢を見て、背中を見て、過ごせたこの2年間を、本当に幸せに思います。

さぁ、子ども達が散歩から帰ってきました。花を添えた初めてのその日の給食の風景です。

皆、うまいことよけています。

皆、うまいことよけています。

 

まるで今までずっとあったかのような自然さです。

まるで今までずっとあったかのような自然さです。

 

配膳完了。

配膳完了。

 

誰一人触ってこぼすこともなく、文字通り、給食に花を添えていました。

触ってこぼすこともなく、文字通り、給食に花を添えていました。

「なんかきれーだよね。」「においするね。」と、嬉しそうな子ども達を見て、花を愛でられる状況を子ども達が自分たちで作り上げていることのすごさに気付いていないそのあどけなさに、そして、子ども達をこうして見守ることで、このように育っていくんだよ、と強い信念で僕らを導いてくれた我らが誇る先生に、感動してしまいます。

愛を込めて草花を。大袈裟でなく、草花が枯れることのない瑞々しい毎日は、きっと、毎日を幸せに生きようとする、その人の心が生み出す産物なのだと思います。

午睡中、いつもよりちょっと早く起きた子とお絵かきを楽しむ先生です。輝いて見えるのは、差し込む日差しの強さだけではないと思います。

午睡中、いつもよりちょっと早く起きた子とお絵かきを楽しむ先生です。輝いて見えるのは、差し込む日差しの強さだけではないと思います。

(報告者 加藤恭平)

子どもの姿を信じて・・

先日、子ども同士のけんかがありました。

私が入った時点でかれこれ、20分くらい経過していました。

はじめは男の子が遊んで、女の子が「遊ぶのやめて」と指摘し、話をするためにその様子を注意していました。

しかし、男の子は遊ぶのをやめません。

 

そんなとき、おやつの時間が始まり、子どもたちは食事の部屋に移動してしまうので、部屋には二人だけになりました。

そこで初めて男の子は気づきました・・・そう話が終わらないとおやつが食べれないということを・・・

無題

それから怒涛の「ごめんなさい」攻撃!

しかし、女の子は「そんな謝り方やったら、許したくない!」とかたくなです。

 

 

 

無題1

すると、男の子は「謝ってるやん!許して!おやつ食べたいねん!」と机をたたいて訴えます。

しかし、女の子は許しません。

当然ですね。謝るのはおやつを食べたいからで、女の子に悪いと思って謝っているわけではないですから。

 

その後、このやりとりが数分続きました。

 

無題2

 

最終的には男の子の根負けです。

女の子が男の子になにで起こっているのか。なぜ許さないのかを話し、「今度やったら、もう絶対許さんからな」

「絶対やで!」と注意し、あれだけ強気だった男の子もうなずき「わかった」「ごめんね」

といって、この喧嘩は終わりました。

 

普段、こういった喧嘩にもう少し早めに大人が入り、仲裁をすることが多かったのですが、子どもたちを信じ、そのやりとりを見守ることが大切だねと職員の先生と話をしました。大人が介入し、話を収めるのは簡単です。しかし、今回の男の子のように「ごめん」といえば、許してもらえると勘違いされるとそれは大きな間違いです。「ごめん」「いいよ」というのは大人からみると「おさまりのいい喧嘩」かもしれませんが、今回の女の子のように納得いかない場合も多いかもしれません。こういった喧嘩は時間がかかるかもしれません。

しかし、この時間をかけることを大切にしなければいけないように思います。そうすることで、本来の形だけの喧嘩ではなく、「内容のある喧嘩」になると思いますし、それこそがコミュニケーション能力をつけることに大きく影響するように思います。そして、そのために子どもたちの理解を深め、信じ、「見守る」こと、距離感を見通すことが保育者としては大切だなと改めて子ども達から学んだ気がします。

 

藤森先生の講演でも

「大人が介入することで、子どもたちの発達を止めてしまうことがある。だからこそ、しっかりと子ども理解をしたうえでどう介入するかを考えていかなければいけない」と言われていました。

また、「保育者はねらいをもって子どもたちが発達できるように見通しをもち、違う場面に向かいそうになったときに軌道修正する必要がある」ということもおっしゃっていました。

この軌道修正の介入はとても難しいですね。それこそ、子ども理解ができていないと無駄な介入になるかもしれませんし、逆に放任にもなりかねません。

 

子ども達は十人十色です。だからこそ、しっかりと子ども達一人一人を理解し、見守っていけるようにしたいと改めて強く思いました。

(投稿者 邨橋智樹)

君を見守るため そのために生まれてきたんです~あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)~ 後日談

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの完結編です。

 

にこにこ組(2歳児クラス)の子達のケンカがすいすい組(5歳児クラス)の子によって解決された数秒後です。

 

あれ!?

あれ!?

 

えぇー!?

えぇー!?

 

えぇー!!(笑)

えぇー!?(笑)

 

子どもって、ほんっとに(笑)

 

先日の報告で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中の一文を改めて、紹介させていただきます。

 

〝子どもたちを見ると、(中略)けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。〟

 

また、2歳児のイヤイヤ期に対してどう対応すればいいですか?という質問についても藤森先生は、「大人が本気にならないことです。」と答えられています。

あきれたー、と思わず言ってしまいそうになりますが(笑)子どものこういう切り替えの速さや、相手を許す気持ちの寛大さは、見習う必要がありますね。

さて、ケンカの仲裁を鮮やかにしてくれた彼はというと、

 

「上履き取りに行くとこだったんだ。じゃーねー。」

「上履き取りに行くとこだったんだ。じゃーねー。」

颯爽と行ってしまいました。格好いいですね。

さて、後日談へ。

「さっきのGLAYくん(すいすい組の子の仮名)のやりとりさ、」

我らが誇るベテランの男性保育者が、このやりとりを遠くから見守っていて下さったようで、こんな話をしてくれました。

「あれと全く同じケンカをわいらんすい(3・4・5歳児クラス)でしてるよ。」

(笑)なるほど!だからこその姿だったのですね!

あの時の彼は、自分がいつも耳にしている言葉達を、彼の言葉として、ありありと蘇らせていたのでしょう。それだけでなく、自身の毎日のぶつかり合いの中から当人達への共感を導き出し、その気持ちを察して対処することが出来る心持ちに、自分を至たらせることができていたのでしょう。

でも、なんだか笑ってしまいます(笑)人に物を言う時は、大体自分のことは棚に上げているものですね(笑)

我らが誇るベテランの先生の言葉に、人間の可愛さ、面白さというものを改めて感じたこの度の出来事でした。

さて先生との会話を終えて部屋に戻ってみると、

黄緑くんが電車の玩具で遊び始めた数分後の現場写真です(笑)

たった数分の間の出来事です(笑)

 

その瞬間の赤井くんです(笑)子どもって、本当に可愛いですね。

その瞬間の赤井くんです(笑)

 

子どもって、本当に(笑)可愛いですね。

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです〜あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)〜 完結編

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの続編です。

 

赤い服の子(以下 赤井くん)赤井くん「もーヤダー!」

赤い服の子(以下 赤井くん)赤井くん「もーヤダー!」

 

と、玩具の取り合いから起きたやりとりに対して、体全身でヤダを表現する赤井くんです。

 

ピンクの服の子が涙を拭いてあげようとティッシュを持ってきてくれました。

ピンクの服の子が涙を拭いてあげようとティッシュを持ってきてくれました。

 

それすらペシっとやって、受け付けません。

 

そして、灰色の服の子(以下 GLAYくん)が口を開きます。

 

「赤井くんも怒るのも違うよ。勝手にとる黄緑くん(黄緑の服の子)も悪いよ。」

「赤井くんも怒るのも違うよ。勝手にとる黄緑くん(黄緑の服の子)も悪いよ。」

 

 

そして言葉は続きます。

 

「人のせいにしちゃだめだよ。」

「人のせいにしちゃだめだよ。」

 

赤井くんも黄緑くんも、争うことをやめ、聞く体勢に。

 

「人ががんばってつくったものを勝手にやっちゃだめだよ。」

 

「わいわいさん(3歳児クラスの名称)になったらそういうの本当ダメだから。」

 

「ちゃんと口で伝えて?」

 

すると、

 

黄緑くん「…かーしーて。」赤井くん「…いーいーよ。」

黄緑くん「…かーしーて。」赤井くん「…いーいーよ。」

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年12月24日『生命の本質』の中で生命平和運動家のファン・デグォン氏の活動に触れ、こう書かれています。

 

〝「生命の本質は平和である。」(中略)そこには、二つの原則があります。その一つは、「世界の平和を望むなら、自分がまず平和になろう」もう一つは、「暗闇を呪うより、1本のろうそくを灯そう」です。そして、その運動の最大の特徴は、「反対の拳を振り上げる代わりに、問題を前にしていったい何が生命同士の平和を保障する道なのか、共に悩み、考え、問題の現場に身を置き、自らに問う。反対ではなく、代案を示す。創造の力へとエネルギーを転換するのです。」

私は、やはりこれこそ現場人の原則であると思っています。今、保育の制度が変わろうとしています。それに対してただ反対の拳をあげるのではなく、そのエネルギーを創造の力へと転換させ、代案を示すことが必要だと思います。そして、実際にそれに沿って行動を始めることです。〟

 

ケンカをしている彼らに苛立つなどの無粋な感情を抱くこともなく、至って冷静に、解決へと導いたGLAYくんの手腕に驚きました。ただ反対の拳をあげる彼らに、わいわいさんになるんだ、という創造のエネルギーを添え、事態の収集をつけようと試みたのです。

 

また、『生命の本質』には、こうも書かれています。

〝私が提案する怒りを静める方法は、高い志を見つめることであると思っています。自分が目指している志にとって、当面の怒りはどのような意味があるのであろうかと考えることです。多くの怒りは、かえって志を遠ざけてしまう可能性があるような気がしています。それは、怒りへの対抗が、志を邪魔することが多いからです。〟

 

彼らにとって進級することが、〝高い志〟と似た気持ちであるとしたら。彼らは、GLAYくんの言葉を受けて、自身でその怒りを鎮めるに至った、と解釈もできるかもしれません。

 

異年齢保育の良さは口にすればキリがないですが、一つに〝憧れ〟の気持ちがあるとして、その憧れの対象である彼に言われる言葉というのは、とても心に響くものなのでしょう。

 

そして、『生命の本質』は、このような言葉で締めくくられています。

〝ファン・デグォン氏も、結局のところ人類学に戻ります。長い人類の歴史の中で、文明の歴史はたった1万年にもなりません。それは、人間の歴史の中でほんの一部に過ぎません。そこで、ファン氏は、文明以前の生き方に人間の原型を探りたいと思っています。そこにこそ、自然の生態系と見事に調和し、他の生き物たちと対等な共生関係にあった人間の姿を見ることができると言います。この世界には数えきれないほどの物や命がありますが、そのすべてが、一寸の狂いもなく、本来の場所に収まっている。それは、人知を超えた神の精妙なるデザインです。いるべき場所にいる。それは、この世の様々なものには、それぞれの役割があります。幸せとは、平和とは、自分がいるべき場所にいることだとファン氏は考えています。をれは、多様性を認め合うことと同じことかもしれません。「ない物ねだり」をせずに、「ある物探し」をすると同じことかもしれません。ある意味では、身分不相応なことを望むから心の平和を望めないのかもしれません。幸せになれないのかもしれません。まず、自分をよく知るということが大切かもしれません。〟

 

彼らの育ちを見守るためにGLAYくんがいて、その育ちを見守るために僕ら保育者がいます。その保育者を見守るために藤森先生がいて、と延々と続く温かみのあるこの螺旋は、〝人知を超えた神の精妙なるデザイン〟と言えるものであるようにも感じられます。

 

それぞれの役割を幸せな気持ちで全うできるような世の中になったら、この地球が天国になりますね。

 

では、何から始めよう。まず、自分が幸せになることから始めるべきなのかもしれない、ということを、強く感じたこの度の出来事でした。

 

さて、GLAYくんの見事な仲裁。このような解決法を身につけるに至った経緯を知りたい、という衝動に駆られました。後日談にて、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです〜あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)〜

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードです。

 

手前赤い服の子(以下 赤井くん)その正面黄緑色の服の子(以下 黄緑くん)そして、机に手をかけた灰色の服の子(GLAYくん)がこの回の主役です。

手前赤い服の子(以下 赤井くん)その正面黄緑色の服の子(以下 黄緑くん)そして、机に手をかけた灰色の服の子(GLAYくん)がこの回の主役です。

 

赤井くんの前に磁石の玩具がたくさん並んでいますね。どうやら赤井くんが遊んでいたものを黄緑くんが何も言わずにとってしまった様子。「勝手にとらないで」と主張する赤井くんに対して、黄緑くんにも「全部赤井くんのはダメだよ。みんなの玩具だよ」という主張があるようで(笑)ぶつかっていました。

 

黄緑くん「優しく言って!」赤井くん「怒って言わないで!」

黄緑くん「優しく言って!」赤井くん「怒って言わないで!」

 

なぜか強気な黄緑くん(笑)言い方の問題になるとややこしくなりますね(笑)事の本質からずれたところでのケンカになると収拾がつかなくなるのは大人も同じかと思います(笑)

 

〝人の振り見て我が振り直せ〟とは本当にこのことだなぁと思うのですが、言い方ってとても大切なのだと思います。

 

あ!掴み合いに!

あ!掴み合いに!

 

でも止めません(笑)この二人なら多少こうなっても怪我にならないことは想像できますし、何よりGLAYくんが〝止めない〟という姿勢をとったので、それを見ていたいという衝動に駆られました。最終的に一度も手を出すことなく言葉でのやりとりのみで二人のケンカを仲裁するに至るGLAYくんなのですが、その基本姿勢を最後まで崩さない態度は、圧巻でした。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中でこう書かれています。

〝子どもたちを見ると、(中略)けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。

また、3歳以上になると、私の園に設置されている「ピーステーブル」という場所にいって話し合いをしています。その話し合いをしている姿を見ると、まず、そこまで行くまでに頭を冷やし、断固した態度で相手と対決しています。しかし、普段の生活で、それほどストレスがないのか、簡単に解決し、仲よく一緒に戻っていきます。たまに、自分で自分の気持ちの整理ができないときには、仲裁する子がいます。こんな時に、変に大人が仲裁に入ると、怒りが増大してしまうことがよくあります。大人は、集結しようとその怒りの原因を聞きだそうとしますが、子どもたちは、腹の立つことを思い出すたびに怒りが少しずつ積み重なっていくばかりです。そして、最後には大人の権力を持って、集結させてしまうのです。子どものけんかは、けがのない限りは、放っておけばいいのです。〟

 

赤井くん「もーヤダー!」

赤井くん「もーヤダー!」

 

あ、やっぱり(笑)

 

さて、その様子をずっと見守っていたGLAYくんが、にわかに動き出します。

 

予想を超えた展開に、胸が熱くなる想いがしました。

 

続編にて、報告します。

 

(報告者 加藤恭平)

用務員

先日職域別セミナーが行われました。
少しですが懇親会に参加させていただき、全国の保育園の皆様の挨拶を聞かせてもらいました。それぞれの栄養士の方や調理の方、そして用務の方といった方々の話はとても面白く、勝手ながらにいい雰囲気を感じさせてもらいました。
それは置いておいて…
そのセミナーの時は多くの方が新宿せいが保育園に見学に来てくださいました。
その案内人として臥竜塾生の塾頭である環境マイスター山下氏が保育室にいました。
私はクリスマスにサンタさんからもらった宇宙独楽を回そうと子どもたちに一度見せるために必死でやっていましたができずに子どもたちに渡して挑戦してもらっていました…情けない…。
宇宙独楽

宇宙独楽

そして時間が過ぎ、お片づけ近くの時間になってもうまくできずにいると、
「簡単でしょ!」
と言って山下氏登場。
ささっと紐を回し、いざ!…
でもちょっと失敗!笑
その後すぐに回し、子どもたちは興味津々。
回っている所をじっくり見てます。

回っている所をじっくり見てます。

さすが!
そして宇宙独楽の特徴でもある紐に乗せる技を思いつきやってみることにしました。
しかし、「カーン!」(お片づけの合図)
「あぁ…」
と、思っていた私ですが、山下氏は片付けなんて無視!笑
やるぞ!といった感じで子どもたちと夢中になり、子どもに紐を持つシュミレーションをしっかり教え、いざ!
「はい、独楽がまわりました、はい紐伸ばして!」 のシュミレーション。笑

「はい、独楽がまわりました、はい紐伸ばして!」
のシュミレーション。笑

でも、2回ほど失敗!笑
よし頑張るぞ!っとその場の空気は紐に乗せるために必死!
3回目で出来た!
紐乗ったー!

紐乗ったー!

山下氏の熱心に諦めない精神をしっかりと目に焼き付けていた子どもたち。
その姿を見て、こういった山下氏のような用務の存在が現場を潤いを与えてくれているのだと思いました。
子どもたちは次々に集まってきて片付けをそっちのけで見に来ていましたが、それが終わると満足したかのように片付けはズムーズに行われていきました。
職域セミナーで生き生きとお話されていた先生方もきっとこのように現場にさまざまな形で現場に潤いを与えてくれているのだろうと思うと嬉しくなる出来事でした。
(報告者 本多悠里)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜 完結編 補足

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年3月5日『他人を察する』を読むと、改めて感じることがあります。

 

〝人類は、どんな使命を持って生存しているのかを考えないといけないと思います。また、その生存戦略のために、どのような能力を乳児につけているのでしょうか?その能力の多くは、私が言うところのダークセンスなるものであるとしたら、その中の大きな役目を果たしているのが、一部社会脳の働きから解明されている力のような気がします。

現在、「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。例えば、「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを理解する能力なのです。〟

 

 〝すなわち、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。ですから、私は、この対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。〟

 

この度3回の報告を、僕は、人を思いやる気持ち(対人知性)と、〝ルールを守る〟などの、子どもが環境に働きかけようとする気持ちは、密接な関係がある、とまとめたいと思います。

 

そして、〝対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。〟という藤森先生の言葉に代表されるように、〝子ども達はそもそもその力を持っている〟ということが大前提にあります。それを、新宿せいが保育園の職員は純粋に信じ、また、それを、日々の保育の中で、信じるに足るものと体感し、確固たる信念へと昇華していくのです。

 

かのイエス・キリストもその聖書の中で、〝子どもを育てることは、信じることと、許すこと〟という言葉を残しているそうです。

 

藤森先生の考え方に、とても通ずるものを感じます。

 

さて、先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードです。

 

次回、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜 完結編

さて、水を飲み終わった子ども達です。

きれいに並べて置かれています。

きれいに並べて置かれています。

上の写真、左側に写っている子も、もちろんここに。

上の写真、左側に写っている子も、もちろんここに。

さて最後に飲み終えたこの子。

さて最後に飲み終えたこの子。

この子はどうするのでしょう。

一回、淵に置いて〜、

一回、淵に置いて〜、

やっぱりここに置きます。

やっぱりここに置きます。

面白いですね〜(笑)

 

先日、『ちょっと変わった職員が考える『臥竜塾ブログ』のすすめ』というタイトルで報告をしました。その中で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年4月9日『ルールは誰が』を紹介しています。

 

その中で、このように書かれています。

 

〝意思決定の仕組みは、私たちのあらゆる行動選択に共通ですし、それが適切に行われないと、一歩も動くことはできないと藤井さんは言います。このようなフルーツを食べる順番を決めるのも、社会的意思決定を行うのも、意思決定のメカニズムという点で見るなら、基本的にあまり変わらないということであれば、社会のルールも、結局は各個人の脳がそれを支えることで作っていることに気がつくと言います。

 

つまり、私たちの行動に影響を与えるルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っていることになるというのです。これは、ルールというものが、社会というシステムとその構成要素である私たちの間に起きる相互作用によって維持、実行されているということを示しているのです。そう考えると、「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となるのです。〟

 

コップを並べて置く子ども達の姿から、〝「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となる〟ということが、とても理解できるように思います。

 

それだけでなく、前回報告させていただきましたように、〝これに近付いたらいけないよ〟というルールを、わざわざ線を引いたり、人が立っていたり、毎回声をかけたりしなくても、子ども達は守ることができるようになるのです。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

車の近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

この子達も同じような感じです。

この子達も同じような感じです。

先日、藤森先生が見学者の方から「給食中に子ども達が走らないのはなぜですか?」という質問を受けたということを教えてくださいました。その時に藤森先生はこう答えられたそうです。

 

「それは、子ども達に聞いてみて下さい。」

 

なんとも深みのあるお言葉で、実際に見学者の方が子どもに聞いたところ、首を傾げて〝わからない〟というポーズをしたとか。

 

僕は、その鍵の一つが、にこにこ組(2歳児クラス)で見られるこの姿の中にあるように感じています。

 

それは、対人知性というものが、対人(たいひと)だけでなく、物にも働き、ルールを守ろうとする心にも働くものだから、とは言えないでしょうか。

 

いや、むしろ、相互の関係です。つまり、人がルールを守ろうとしたり、給食中に例え走りたくなったとしても、走らないとする理性、ある欲求を我慢しようとする力、自制心、それらが、対人知性と共に高まっていく。むしろ対人知性というものも、心の働きの一つで、人が人として育っていくことで、実は当たり前に習得していく一過程のことを指すのかもしれません。

 

またそれを増長させる環境、〝給食中に走ることはおかしい〟ということが当たり前であるという環境が、子ども達の心に、理性や、モラル、耐性を育ませ、そして、対人知性を共に育てるのではないかと思います。

 

さらに、そんな子ども達の姿を見守る職員の心、職員の思考は、とてもシンプルです。アメリカ合衆国著作家であり成功哲学の祖としてあまりにも著名なナポレオン・ヒルもその著作のタイトルとして、この言葉を残しています。「思考は現実化する。」

 

簡単な言葉で表せば、職員は〝子ども達を信じています。〟

 

ルールを守る子ども達の像、イメージが、当たり前な程に職員の脳裏に、心に浸透しているのです。

 

行事〝成長展〟の今年度のテーマとして、対人知性がテーマに置かれた時からずっと、職員の心は、そこに向かっていました。子ども達の関わりを、今まで以上に無意識の中でも追うようになりました。「この子達は、人とどう関わっているのか」

 

ああしろ、こうしろ、という世界ではない世界で、子ども達を見守り、〝きっとこの子達ならこう関わるだろうな〟という温かで柔らかな予測に基づいたような思考が、子ども達同士の柔らかで温かな関わりを生んでいる、ということは、全否定できるものではないと思います。

 

そして、その環境を織り成すその思考を、簡単に言えば、経験年数の高い方々が一番強く持たれています。

 

それが、後輩におりて、子ども達におりていく、といったイメージです。

 

締めとしては弱いのかもわかりませんが、言いたいことが言えてスッキリしました(笑)

 

とても個人的な見解に終始してしまって大変恐縮なのですが、この度の報告から、困っている保育園さんのお悩みを解決できるヒントが少しでもあれば、これ以上の幸せはありません。

 

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

 

(報告者 加藤恭平)