南京玉すだれ

12月5日(土)、新宿せいが保育園では「お楽しみ会」が開催されます。今年のテーマは『伝統を見直そう』ということで、各クラスの劇と劇の間にある「幕間」も、職員による伝統芸能を披露することが決まりました。その中のひとつである「南京玉すだれ」を、先日、係のリーダーからオファーを頂きました。そこで、南京玉すだれを実際に会で披露する前に、その物の歴史を知りたいと思い、ここに報告させて頂きます。

南京玉すだれ

南京玉すだれ

―南京玉すだれの歴史(定説)―

日本南京玉すだれ協会によると、富山県東礪波郡平村上梨の白山宮を「南京玉すだれ発祥の地」として認定しており、平村上梨の民謡「こきりこ」が南京玉すだれの原点であり、「こきりこ」に使用されている「ささら」(編竹)が南京玉すだれの原型です。編竹は平家の子孫が遠く都を偲んで竹を編んだ物で形を作ったとも言われています。

ささら

ささら(南京玉すだれの原型)

そもそも、南京玉すだれとは、「アさて、アさて、さては南京王すだれ…」といった独特なしゃべり方と軽快なりズムに乗って、竹製の専用のすだれを釣竿や橋などの形に見立てて操る大道芸です。南京玉すだれは日本で生まれた、生粋の日本オリジナル大道芸でもあり、もともとは、旅芸人や富山の薬売りが、客寄せの為に道端や広場で演じ、投げ銭を貰うのが目的だったようです。 誤解されがちですが、決して、中国の南京で生まれたものではありません。もともと南京玉すだれは、放浪芸人の色々な商売の売り言葉(口上)のなかで、「唐人阿蘭陀南京無双〔とうじんおらんだなんきんむそう〕玉すだれ」と呼ばれていました。いつしか無双がなくなり「南京玉すだれ」と呼ばれるようになりました。また、当時南京は先進都市の代名詞で、大変モダンな風潮があったので南京の名前がついたと考えられています。

そして、玉すだれは世界ギネス記録にも認定されています。内容はというと『最大人数で行う南京玉すだれパレード(The largest parade of people performing nankin tamasudare)』という記録です。その数、272人。2013年5月19日に行われた第43回神戸まつりの中での記録挑戦ということで、 公道を練り歩く形で20分間のパレードを行ったそうです。

南京玉すだれパレード

南京玉すだれパレード

 

ということで、私は『旅芸人や富山の薬売りが、客寄せの為に道端や広場で演じている』といった心境で「南京玉すだれ」を披露すれば、間違いないということになります。塾長のブログには『「幕間」とは、劇と劇の間をつなぐもので、次の出し物の準備をしている間をつなぐもので、準備が出来たら合図をして次の出し物の紹介をして去るという役目があるのですが、前の出し物の振り返りと、次の出し物への期待を持たせる役目もあります。』と書かれてあります。残り2週間という中でしっかりとした芸を身につけることは出来ないかもしれませんが、見ている方々も、そして自分も、次の劇も楽しそうだなぁと思えるような「南京玉すだれ」にしたいですね。

(報告者 小松崎高司)

行事ってこんなに楽しい!〜秋の名物お芋掘り報告〜 完結編!!!

埼玉いるま保育園に到着しました。先ず驚くのは、その園庭の広さです。

その魅力的な園庭の脇に荷物を置かせていただきました。

いきなりパーっと遊びに出てしまうのではなく、なんとなく集まって先生の指示を待っています。

いきなりパーっと遊びに出てしまうのではなく、なんとなく集まって先生の指示を待っています。

 

本多先生は今日の流れを埼玉いるま保育園さんのお芋掘り担当の先生と確認しようとしています。その空気を読んでその場に待機しています。いつもと違う雰囲気を感じているようで、まるで久しぶりに会う親戚のお家に来た子どものように静かでした(笑)

 

今回も新宿いるま保育園さんとの3園合同の企画であり、そのバスが遅れているとのこと。先にちょっとあそんで待つことになりました。

園庭での注意事項、遊び方の説明を受けています。時に聞き手に問いかけるような紙芝居のようなつくりになっていて、とてもわかりやすかったです。

園庭での注意事項、遊び方の説明を受けています。時に聞き手に問いかけるような紙芝居のようなつくりになっていて、とてもわかりやすかったです。

この子達は、後に始まる開会式の司会の練習をしているのです!

この子達は、後に始まる開会式の司会の練習をしているのです!

この日の為に、司会者数名が立てられ、内容を考え、練習をしてきてくれたのだそうです。それも、ほとんど子ども達が自分で考えてきたものだということを後で知って驚きました。とても立派な司会ぶりに、この子達の豊かな才能を感じます。同時に、それを伸ばすことができる、尊重してあげる環境があることを、とても感じました。

 

そして、お芋掘り前の自由な時間がスタート♪

ベテランの先生も楽しそう♪

大人も楽しい♪

三輪車に乗ったり、うんていをやったり、ブランコをやったりと思い思いに遊んでいました。

何か楽しい場面を見つけたようで、オシャレなポーズで写真を撮っていますね。

何か楽しい場面を見つけたようで、オシャレなポーズで写真を撮られていますね。

その先にあったのはこんな遊びの場面でした。流れてくる水をタイヤで止めようとしています。

その先にあったのはこんな遊びの場面でした。流れてくる水をタイヤで止めようとしています。

 

数分後。

水の勢いが増し、その先にブロックを置くことに。埼玉いるま保育園の子も興味津々といった様子で、集まってきてくれました(写真黄色帽子が埼玉いるま保育園の子ども達です)

水の勢いが増し、その先にブロックを置くことに。埼玉いるま保育園の子も興味津々といった様子で、集まってきてくれました(写真黄色帽子が埼玉いるま保育園の子ども達です)

あそびが自然と子ども同士を繋げるということを目の当たりにした思いがしました。

 

新宿いるま保育園さんも到着し、いよいよ開会式です。

わくわくした視線が司会の子ども達に集まります。

わくわくした視線が司会の子ども達に集まります。

くじ引きをして、ペアが決まりました。

くじ引きをして、ペアが決まりました。

それでは、本多先生の後に続いて、畑へ出発!

IMG_2808

IMG_2812

到着!

そして待望の!お芋掘り!!開始!!!

そして待望の!お芋掘り!!開始!!!

掘ってます掘ってます。

掘ってます掘ってます。

掘ってます掘ってます。

掘ってます掘ってます。

 

大収穫でした!皆思い思いに自分の掘ったお芋を嬉しそうに持ち上げて見せてくれました♪

 

お芋掘りも終わって、待望のお弁当タイムです♪

園庭のでレジャーシートを広げました。

園庭でレジャーシートを広げました。

そして、いよいよこの度の企画のクライマックスへと突入していきます!

 

お弁当もほぼほぼ食べ終わった頃、にわかに聞こえる声が!!!

「いぃしやぁきいもぉぉおお〜!♪」

「いぃしやぁきいもぉぉおお〜!♪」

そう!焼き芋カーの登場です!!!

 

焼き立てのお芋を味わうに、これほど最高なシチュエーションがありますでしょうか!!!

「熱いからな〜」ーお世話になりました。

「熱いからな〜」ー焼き芋カー、ありがとうございます!

このようにして、焼けたお芋を置いておくのですね。

このようにして、焼けたお芋を置いておくのですね。

食べやすい大きさに切って、

食べやすい大きさに切って、

そして子ども達の元へ♪

そして子ども達のもとへ♪

「おいしーい!」「あまーい!」

「おいしーい!」「あまーい!」

かわいい後輩のお芋とシャッターチャンスを狙う黒い影…

かわいい後輩のお芋とシャッターチャンスを狙う黒い影…

 

食べ終わった後は、また園庭で遊ばせてもらいました♪

 

そして、お礼を言って帰路に。

帰りも、わくわくの〝レッドアロー〟です!

電車が来るまで駅でちょっと休憩。

電車が来るまで駅でちょっと休憩。

個人的に感動したことなのですが、水筒の中身がなくなった子達に、職員が駅の売店でお茶を買ってきて配っていました。考えてみれば当然のことなのですが、そのあまりにも自然な流れに、とても感動を覚えました。この爽やかな優しさ、シンプルな行為の中にある豊かな愛情を、子ども達はいつも受けて育っています。

「他に水筒全部飲んじゃった人はいるー?」

「他に水筒全部飲んじゃった人はいるー?」

そして、いざレッドアロー号へ!

 

乗り込むとすぐに、埼玉いるま保育園芋掘り担当の先生から連絡が入りました。

 

「せいがさんをみんなで見送りたいと思うので、進行方向右を見てください」

 

ということで、皆で窓に張り付くようにして見ました。

感動のラスト!

感動のラスト!

 

最後まで、本当に心温まるおもてなしとご配慮をいただき、子ども達はもちろんのこと、職員も心から楽しませていただきました。埼玉いるま保育園さん、新宿いるま保育園さんに、改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。本当にありがとうございました。

 

このように楽しかった思い出は、子ども達の心の中に深く染み込んで、お芋の栄養分それ以上の栄養を心に摂らせ、心を大きく豊かに太らせていってくれることでしょう。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』2014年1月22日『特別な日』の中にこう書いてあります。

 

〝保育指針にも書いてありますが、生活リズムは、情緒の安定につながるのです。しかし、江戸時代では、なかなか波乱万丈ということは起きません。そこで、人為的に「ハレ」を作り出す必要があったのです。それが祭り、能狂言、正月などの行事です。それが年中行事であり、こういった「ハレ」の日には農民も毎日の農耕を忘れ、思いっきり楽しみました。日常、変わらずにおこなっている農作業の合間にも、「あと何日で祭りがある」とか言って、退屈な労働にも耐えることができたのです。「ケ」の中に「ハレ」の要素を取り入れて、人間は生きてきたのです。〟

 

行事というものが、どの保育園にとっても、子どもにとっても職員にとっても〝ハレ〟の日となることを切に願いつつ、この度の報告を終わらせていただきます。

最後は、

帰りの電車内にて。

着くまでの間、ゆっくり寝てね。子どもって、本当に可愛いですね。

気持ち良さそうに、スヤスヤと寝息を立てていました。

(写真提供:本多悠里 報告者:加藤恭平)

行事ってこんなに楽しい!〜秋の名物お芋掘り報告〜

先日、すいすい組(5歳児クラス)さんのお芋掘りへ同行させていただきました。

 

一口にお芋掘りと言っても様々な楽しみ方、様々なスタイルがあるかと思います。今回も新宿せいが保育園ならではの楽しみがこの度の企画にふんだんにありました。あますところなく報告させていただきます。

 

今回も、埼玉いるま保育園、新宿いるま保育園さんに多大にご協力をいただきました。至れり尽くせりのご配慮をいただき、本当にありがとうございます!

 

さて、目指すは埼玉いるま保育園!ということで、駅に向かいます。道中も期待で胸がいっぱいの様子の子ども達でした。

駅で、乗車券について説明をしています。

駅で、乗車券について説明をしています。

そう、なんと西武鉄道の特急列車〝レッドアロー号〟に乗って行くのです!!!現地に着くまでにも魅力的なことがいっぱいですね。

本多先生(5歳児クラス担任)を先頭に歩いていきます。

本多先生(5歳児クラス担任)を先頭に歩いていきます。

さて電車がくるまで、しばし待機。大人もほっと一息といった感じです。

「せっせせーの、よいよいよい♪」

「せっせせーの、よいよいよい♪」

「アーループースー♪」

「アーループースー♪」

ふと気づくと10分ほど経っていました。子ども達の待てること待てること。

手遊びをしたり、ペアを替えたりしながら楽しんで待っていました。売店のお姉さんが微笑ましそうに、見てくださっていたことが印象的でした。

 

電車が到着し、車内へ。思い思いに水筒を取り出します。

席に着きました

席に着きました

大人もそうですが、〝電車の中で飲む〟ことってとても魅力的です(笑)ついつい飲みすぎる子も中にはちらほら。

 

すると写真右の子が、

「僕の水筒は◯◯くんの水筒より小さいから、我慢しておこう…」

「僕の水筒は◯◯くんの水筒より小さいから、我慢しておこう…」

呟くように、自分に言い聞かせていました(笑)お弁当の時に飲む量を残すことを自分で考えたりできるのは、見通しをもつ力が育まれている証拠ですね。

 

数分後。

職員も皆座っています

職員も皆座っています


席から立って子ども達を常に〝監視〟するようなこともないのは、子ども達を信頼しているからこそです。子ども達もそれに応えるように、話す声の大きさに注意をしたりしているようにも感じられました。

 

また、特急列車に乗った後に、私鉄電車に乗り換えるのですが、その電車の中は通勤の方も多かったからか、とても静かでした。乗り込んだ瞬間、空気を察知して静かになる子ども達です。この〝空気を読む〟という力も対人知性の一つと言えます。

 

さて、埼玉いるま保育園さんの最寄り駅に到着です。

「なんかお茶の匂いがするー。」

「なんかお茶の匂いがするー。」

歩いてすぐの道路沿いに、お茶屋さんがありました。埼玉県は静岡茶、宇治茶と並んで『日本三大茶』の一つである〝狭山茶〟の産地としても有名です。道中にも香るお茶の香りを楽しみながら、散策しながら向かいます。

「川があるよ」「なんかキラキラしてるね」

「川があるよ」「なんかキラキラしてるね」

さらに、

遠くに見えるのは飛行機です。

遠くに見えるのは飛行機です。

 

「うぉー!ジェット機!」「かっこいいー!」大興奮の子ども達でした。

 

そして、いよいよ埼玉いるま保育園さんに到着です!

「おーい!せいが保育園ー!」

「おーい!せいが保育園ー!」

大歓迎をして下さいました。事前に、今日参加する子ども達の顔写真を送り合ったり、手紙を贈り合ったりと、お互いに期待をしながら今日に至っています。

 

いつも子ども達がこんなにも歓迎してもらえるのは、一重にいるま保育園さんの先生方のご尽力の賜物です。本当にありがとうございます!!!

 

この度の報告で、着くまでの道中の楽しみを見ていただきました。次回は、いよいよお芋掘りへと展開していきます♪

 

(報告者 加藤恭平)

取り込み忘れ

夕方、勤務を終えたクラスの先生から「まだ洗濯物が干しっぱなしなので、取り込んでもらっていいですか?」と頼まれました。私は、保育室からテラスに出て洗濯物を取り込み、洗濯ハンガーから洗濯物を外して、ふと近くのテーブルに置き、洗濯ハンガーを別の場所に置いて帰ってくると、ギュッと握ったり、広げて畳んだりと、洗濯物に興味を示している子どもたちの姿がありました。遊びの延長上として、手伝ってもらうことにしました。子どもたちの輪の中に私も入り、畳む姿を見せると、一生懸命真似をしようとしています。正方形のタオルを、2回半分にして最後は手で押して形を整えます。「パターン。パターン。そして、ギュッ!」「パターン。パターン。そして、ギュッ!」といった感じにリズムをとって遊びながら洗濯物を畳んでいると、子どもたちも楽しそうにやっていました。

真剣です

真剣です

「できた〜」

「できた〜」

ここで、ある光景が浮かびました。それは、午前おやつを食べる前に、子どもたちが自分のタオルで手を拭いた後、専用のトレイに戻す時に、子どもたちは律儀にそのタオルを畳んでトレイに乗せようとしている姿です。(その時間帯に一人の子どもがゆっくりじっくり自分のタオルを畳んでいると、他児を必要以上に待たせることになりますし、いただきますが遅くなってしまうという先入観からか、職員としてはもどかしい時間となることもあります…汗)しかし、洗濯物を取り込み忘れてくれたきっかけによって、それを遊びにしてしまうという発想が生まれました。家庭からのお便り帳の中でも、「今日は洗濯物を畳むお手伝いをしてくれました。」などという内容のものもありましたし、単純な物を「折り畳む」とか「形を変える」とか、そういった遊び(発達)の時期であるのかなと思いました。ということは、ままごとゾーン付近にタオルを数枚置いてみるのと同時に、洗濯物を干せる紐とかラックを用意する事で、その遊び(発達)を保障することができると思いました。

以前、塾長がした海外の保育の話に、昔、職員が玩具を入れておいた棚の鍵をし忘れていると、その棚から子どもたちが自発的に玩具を取り出して遊んでいる姿を見て、子どもの主体性を育む考えやそれを促す環境が生まれたというものがありました。そのようなハプニングから大事な事が見えてくるのは、非日常が日常に潤いを与えてくれる、塾長の「行事」の考え方にも似ているようにも感じました。そして、大人が思っている以上に、子どもたちは大人が「これは子どもが好きだろうなぁ」といって与えている物よりも、魅力的な物が数多くあるのかもしれません。子どもが興味を示す物が何なのかはっきりしないからこそ、多くの素材や環境に触れることができる空間の設定が重要であり、細かな“計画”が先ではなく「Do See Plan」であるのですね。塾長は、保育の計画について『主題を中心とした「誘導保育案」だけが必要であるのではなく、子どもの活動の中から子どもの興味関心の実情を理解し、子どもに経験して欲しいねらいや内容を探っていくのです』と言っています。実際の子どもの姿に沿った上での計画が必要なのですね。

保育所保育指針のおおむね2歳の部分には、「指先の機能の発達によってできることが増え、食事や衣服 の着脱、排泄など、自分の身の回りのことを自分でしようとする意欲が出てきます。」と書かれていました。折り畳んだり、形を変えようとするのは、指先を使った遊びが心地良かったからなのですね。そういった意欲を十分に保障できる指先で遊べる環境が、必要であることが理解できました。

(報告者 小松崎高司)

1000回ダメでへとへとになっても1001回目は何か変わるかもしれません

新宿せいが保育園は、20:30までが開園時間です。土曜日もその時間まで過ごす子がいます。自然、夕方から夜は2歳児クラスから5歳児クラスと幅の広い異年齢での、しかも少人数といった魅力的な時間帯に突入します。

 

先日の土曜保育の遅番で、これも対人知性の一つでは、と思えることがあったので、報告します。

 

土曜日は、基本的に、0・1歳児クラスの部屋(通称:赤い部屋)で過ごします。1歳児クラスが日常過ごす場所として使われているその部屋には、運動ができるスペース(動の空間)、おままごとや絵本など、ゆったりと関わりながらあそびを楽しめるスペース(静の空間)と、パーテーションを境にして、分かれています。

 

この日は、おままごとや絵本、ブロックなどを開け、運動のできる方のスペースは閉めていました。

 

すると、「そっち(運動スペース)で遊んでもいい?」とすいすい組(5歳児クラス)の男の子から提案が。その日の遅番にいる子は5人。その内の何人かも遊びたい様子。

 

もちろんいいよ、と。ただ、条件をつけてみました。

 

・︎玩具を全部片付けること

 

流石すいすい(5歳児クラス)さんで、速いこと速いこと。あっという間に大方片付いてしまいました。

 

しかし、条件は〝玩具を全部片付けること〟なので、遊んでいる何人かの玩具もどうにかして片付ければなりません。(今思うと、とても酷なルールです笑)

 

5人の内2人は、おままごとのカゴをお面にして、何やら遊び始めました。「(僕らはそっち(運動のスペース)へは行かないよ)」「(片付けの流れには乗らないよ)」と言葉にはしないものの、そんなアピールがあるように見てとれました。

「おーい。片付けだよー。」

「おーい。片付けだよー。」

 

「全部片付けたらあっちに行けるよー。」「あっちに言ったら面白いことがあるよー。」など、運動スペースで遊びたい子逹(3歳児クラスの子(写真中央)と5歳児クラスの子(写真一番左カーキ色の服の子))は色々言っていました。普段2歳児クラスにいるので、言葉の豊富さ、その言葉選びの豊かさがとても面白く、もう少し様子を見てみたくなりました。

 

それでも中々片付けようとはしてくれません。

 

すると、次の瞬間です。

「その内お父さんに怒られますよー。」

「その内お父さんに怒られますよー。」

「怒られたら怖いですよー。」その言葉を聞いた子たちの片付けの速いこと速いこと(笑)

あっという間に片付けていました(笑)

あっという間に片付けていました(笑)

そして、晴れて運動スペースへ。全員で楽しそうに遊んでいました。

 

「その内お父さんに怒られますよー。」これを言ったのは、5歳児クラスの男の子で、後で聞くと、「お父さんって怒ると怖いんだよって言ってたから」と言っていました。これも、アメリカの心理学者ハワード・ガードナーの説く〝対人知性〟の一つである、

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。

という文章に重ね合わせて考えることができるように思います。自分の要望、要求を通したいという動機を起源に、その相手に対してどういう効果的な言葉を用いるべきか。そして、相手を傷つけたりしない、ユーモアを多分に含んだ言葉で相手にアプローチをしていく。相手を叱りつけたり、怒ってみたり、と感情的な手段に訴えるのではなく、これでダメなら、次の手、これでダメならまた次の手、と、何度も何度も相手を思いやりながら言葉を選び、アプローチをしていく姿勢は、とても見習うべきものがありました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新している『臥竜塾』ブログ2013年2月1日『さまざまな能力』の中で、藤森先生はこう述べられています。

 

〝私たちは、多くは非常に狭い範囲で子どもたちの能力を評価、判断しているのではないでしょうか。(中略)もっと、人として生きていく上で大切な能力に目を向けなければならないのです。〟

 

何かの本で読んだのですが、千手観音は、千の手でもって相手を救おうとする、という意味合いの中で、この手がダメならまた次の手、この手がダメならまた次の手、と相手を思いやって何度も何度も、それこそ千回試みてみる。〝千の手(この場合の手は方法の意)〟を使う、という意味もあるそうです。

 

一面的に見れば、その子に秀でたものを感じられないこともあるのかもしれません。また、自分が相手に求める理想のような姿があれば、それが結果として相手を自分の許容の枠の中に押し込める形になり、相手に窮屈な思いをさせてしまうこともあるものなのかもしれません。

 

カーキ色の服を着た彼が、何度も何度も優しくアプローチをしているその姿に、生きていく上で大切な能力が彼の中に育まれていることを感じます。それと共に、自分も相手に対して、何度でも何度でも優しく教えてあげられるような、思いやりのある人間でありたい、と感じる出来事でした。

 

(報告者 加藤恭平)

自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる⑤

今回から「SATイメージ療法」の具体的内容に入っていきます。

前回の内容にも書きましたが、がんやうつ病など、心身両面で深刻な問題を抱えている人は、前世代から伝えられたと思われるトラウマ情報や、胎児の時代に経験した不安や恐れの無自覚な潜在情報を抱えており、そうした潜在情報が様々な問題の質的な原因として作用していると考えられているそうです。

SATイメージ療法では、いくつもの異なる手法を組み合わせて、そうした潜在情報の中のイメージの意味を前向きなものに促し、そのことによってトラウマを克服してもらう。

そうした上で、セラピーを通してあるべき自分の姿を構築していくそうです。

ですので、SATイメージ療法では、「こうあるべき」という生き方を押し付けるのではなく、クライアント自身が満足するために「どうなりたいか」(自己変容目標)の気付きを促し、そういう自分になれるよう支援します。

そのためにはまず、脳内にある固着しているトラウマを払拭しなければなりません。

そこで、療法の事例が紹介されていたので、ここでも紹介させていただきます。

乳がん患者の(44歳)女性の場合、「少々のことで動じない自分になりたい」とのことで、そうなる自信度は65%しかないと答えたそうです。

これが脳内にトラウマ気質が作用している結果だそうです。

もしトラウマ気質が作用していなければ、そうなれると信じ前向きに行動し、少しのことでも動じないようになれるために予測し始め、準備するそうです。

そこで、自己変容を妨げる気持ちを「色」と「形」という視覚のイメージで表現してもらう。

視覚のイメージの方が右脳で処理しやすくなり、身体感覚のイメージにトランスフォーメーション(情報交換)しやすいからだそうです。また、こうすることで胎内のイメージも探ることができるのだそうです。

それに対するクライアントの答えは「暗い青、鋭角のある形」で、この色・形をイメージし続けるとどうなるのか聞くと、「呼吸が落ち着かない、冷える」とのことでした。

ネガティブなイメージを伝えてきたので、「どうなったらいいと思いますか?」と聞きます。

この質問をすることで、クライアントの意識を報酬系情報に切り替えることができます。

報酬系情報とは、心が安定する、あるいは嬉しくなる情報です。

ネガティブな状態が続くと本人の負担が増えてしまうので、すぐ報酬系に切り替えてもらうためだそうです。

前回の内容にも書きましたが、この方法はペシミストの短所である部分をオプティミストの長所である部分に変換することができるものではないかと思うのです。

人間誰しも落ち込むときがあります。その際にネガティブなイメージからポジティブなイメージのへ、嫌悪系から報酬系へと、「自分がどうなりたいか」、「自分がそのイメージになったときを想像する」ことが、自分の置かれている悪い状態から脱する1つの手がかりであることがわかりました。

そしてこの方法の面白いところは、方法さえ知れば自分1人でもできるのではないかと思ったのですが、どうやら違うようで、このようなネガティブで嫌悪系の情報に触れ、トラウマを抽出する手法が入る際は危険が伴うようで、担当者の補助がどうしても必要なようです。

しかし、クライアントの症状が軽度であると判断された場合、自分1人でもできる「未来自己イメージ法」と呼ばれるものがあるそうです。

簡単に説明すると、上記の例にあるネガティブな部分にはアクセスせず、報酬系情報にだけアクセスするという方法です。これを知ることで、自信が持てなくなったとき、心が疲れたときに効果があると思えたので、次回に少し詳しく紹介させていただけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

51%〜60%

現在、塾長のブログでは「日本家屋」について考察されています。日本家屋には、こんなにも洗練されたデザインと知恵、そしておもてなしが存在しているのかと驚いてばかりいます。すると、次第にこんな感情が浮かんできました。

「日本家屋に住んでみたい」

日本家屋内を見学したことはあっても、実際にそこに住んでみたことがないのが、現代の若者たちではないでしょうか。地域差等も影響するかと思いますが、私たちの世代はなかなか「日本家屋」に親しんだことがありません。あっても、幼い頃とか、祖父母宅に行った際に体験したくらいでしょうか。現在、そのような環境で暮らしている人は素晴らしい体験ができていますね。そんな思いを抱いて出かけていると、こんなパンフレットに目が止まりました。

Corot

Corot

中身

中身

古民家と農園

古民家と農園

古民家付き農園「Corot」 http://www.corot.bz

ここでは農業体験だけでなく、かまどや囲炉裏、五右衛門風呂などを使って昔ながらの生活も体験することも、宿泊することもできます。また、この「Corot」を運営する峯岸祐高氏は、“食から地域を活性化する”という理念のもと、人同士のつながりを構築していく中で、物事のバランスについてこう語っています。

 

『51%〜60%』

新しくものごとを立ち上げる際に参考にする割合。

私達とお客様のバランス。

準備と開始後のバランス。

私達が作るのは51%〜60%まで。

すべてを作りこむやり方もあるけれどもたいていはオープンしてからのお客様との共同作業。

変化の激しい時代。

私達の考え方だけを詰め込むのではなくお客様の意見を入れる、または入り込む余地を大きく残して

その後の5年、10年を見据えて共に作るスタンスをとりたい。

最低51%作っておけば土台となる風船が飛んで行くこともない。

しかし60%を超えると入ってくる余地が少なくなる。

51%〜60%の調整はその時々で変わってくる。

こちらのヒト・モノ・カネ・情報のバランスとお客様や地域の相性やバランス。

こちらの人員なども少なくオープン後に頼れる方々がいればいっそ51%で勝負。

そうでなければ60%まで調整する。

なかなか伝わりにくいかもしれないけれども大切にしたいバランスをまとめました。

 

これを見て、「一隅のヒント」という塾長の言葉を思い出しました。運営側が全てを作り上げるのではなく、そこに訪れる人々と「共に作るスタンス」であるように、保育の中でも、保育者が全ての環境を用意するのではく、子どもたちで作り上げる・答えを探す・共生することができる余地を必ず残すということ、つまり、私たちは「一隅のヒント」を用意することが大切であるということです。それをパーセントでは、51%〜60%の完成度であると、峯岸祐高氏なりのちょうど良いバランスであるということなのだと思います。こう思った時、縁側や土間等の日本家屋のシンプルさには、他者が入り込める・クリエイティブになれるような「余地」が多くあるようにも思いました。また、地域とのつながりについてはこう言っています。

 

『ローカリズム』

地域主義(ちいきしゅぎ)とは、中央による画一的・普遍的なコントロールに対して、各地方の独自性や特徴を重視・尊重する考え方をいう。英語圏ではローカリズム(Localism)と一般に呼称される。

上記Wikipediaより。。

ローカリズムには様々な解釈がある。

私達も地域と密接に関わっているからこそ意識するワード。

でも解釈が少し違う。

ローカル+イズム=ローカリズムではなくローカル+リズム=ローカリズムでは無いだろうか。

ものやコトには必ずリズムがあるように地域にもリズムがある。

人の会話、お金の流れなど様々な地域のリズムがローカリズムじゃないんだろうか。

いつもの地域とちょっと違うリズム。元々のリズムに私達が関わることに寄ってリズムが変化することもあれば元々のリズムを大切にしたいこともある。

ローカル+リズム=ローカリズム

 

地域にも「リズム」があるというのはなんだか新鮮でした。大切なのはリズムに寄り添う事。同じように、子ども一人一人にもリズムがあり、それに寄り添って保育していくということなのでしょうが、それには人間性とか生きてきた環境であるとか、その場では変える事もできない環境が大きく左右することがあるように感じています。実際に体験できる素晴らしさというのは、何事にも変えがたい経験であると思っているからです。そういった個人・素材のリズムの部分を、意図的に活かす方向へと向かわせるのが、日本家屋でもあり、新宿せいが保育園であるようにも感じています。塾長の日本家屋についての考察から、保育の見方が増々広がっています。日本が増々好きになりましたし、「Corot」にも足を運んで泊まってみたいなと思いました。

大広間

大広間

土間

土間

(報告者 小松崎高司)

 

ちょっと強引naMy Way〜自分のスペースを意欲的に探す彼の姿勢〜

生臥竜塾ブログ『今日の臥竜塾』2015年10月16日 0からの協力を基盤にするの中で、藤森先生の言葉を塾生西田先生がこのように報告されていました。

 

〝塾長(藤森先生)が最近子どもの様子で感動したことの話では、

見学者は午前中に見に来ることが多いが、塾長が3時から5時の間のいわゆる何も設定していない時間に感動することが多い。

それは子どもたちが誰も走り回らず、遊びに集中しているということ。

 

モンテの体験談で、普段はその日の終わりに棚に教具をしまってカギをかけるが、ある時そのカギをかけ忘れてしまったということがあったそうです。すると、その次の朝、子どもたちが棚から自分たちで取り出して遊んでいる姿を見て感動したという話があるそうです。

 

午前中のカリキュラムは、いわばその鍵を閉めている保育で、3時から5時は、その鍵を閉め忘れた時間帯。そこでの姿がどう出るかが午前中の保育が関係している。

午後の目的のない時間帯こそが子どもたちの本当の姿となる。

そこを目指してどんな切り口から攻めるかという所が、モンテや、レッジョなど様々な保育の形となっている。〟

 

その日から夕方の保育が今まで以上に楽しみになりました。面白かったのは、藤森先生の教え、言うなれば、〝新しい保育観〟が頭に入ると、なるほど確かにと納得してしまう場面に必ず出くわすのです。

今回の報告は、その夕方の時間帯、3時から5時の時間帯にあったエピソードです。

(あの間に入りたいんだけど…。)

(あの間に入りたいんだけど…。)

写真手前の男の子(ボーダーを着ているので、以下Bくん)がグレーの服の子と、黒い服の子の間に入りたいようです。2人が展開している棚の上のおままごとが楽しそうで、ここに至るまでに一度トライしたのですが、「ここは狭いよ」という理由で、入れてもらえなかったというのが、この写真に至る経緯です。

(えい!)「ここも狭いよー」(あ、はい…。)

(えい!)「ここも狭いよー」(あ、はい…。)

Bくんは「入れて」など、お友だちに声をかけて遊びに入れてもらうというよりも、グイッと半ば力で(笑)遊びの中に入っていくタイプのようです。月齢が低いこと、4月からの新入園児であること、など関係があるようなないようなことも前情報として頭の中にありつつ、彼の遊びを見守っていました。

じーっと見つめているのがわかります(笑)

じーっと見つめているのがわかります(笑)

そこで提案。〝間は無理でも、隣ならどうだろう〟ということで、椅子を置いてみました。

(よいしょ。)

(よいしょ。)

 (うんうん、いいかもね。)

(うんうん、いいかも。)

 

元々遊んでいた2人も寛大で、数分程、並んで楽しそうに関わって遊んでいました。

 

Bくんの関わり方が面白かったもので、追跡することに。

 

先程の遊びで使ったかごを持って、今度はおままごとゾーンの中へ。その中では、既に女の子2人がおままごとの真っ最中です。

よく見えないと思うのですが、写真左の女の子の前にチェーンリングがあります。Bくんはそれが欲しくてか、遊びの中に入りたくてか、何も言わずにとってしまいます。

よく見えないと思うのですが、写真左の女の子の前にチェーンリングがあります。Bくんはそれが欲しくてか、遊びの中に入りたくてか、何も言わずにとってしまいます。

 

「Bくん。それ私のだよ!」と言いながらも、ここでも、女の子は寛大で、「じゃ、ここに入れて」と優しくチェーンリングを戻すよう促しつつ、遊びの中へ入れてあげようとするような関わりをするのでした。

「じゃ、ここに入れて」(あ、はい…。)

「じゃ、ここに入れて」(あ、はい…。)

ここまで見ていると、Bくんはちょっと強引で、対応する子ども達が寛大、というような縮図があるようにも思えてきます。Bくんの関わり方やその性格を理解しているような子ども達の寛大とも言える態度は、まさに対人知性であると言えると思います。それとは反対に、Bくん自身、どんな遊びがしたい、友だちと関わりたい、というよりも、人の持っているものが欲しい、人のやっていることがしたい、といったシンプルな思考から、それが結果としてちょっと強引ともとれる行動になってしまうのかなぁと、そんな風にも思っていました。

 

そう感じていたことが、次の場面で、にわかに展開します。

クラスの職員が、絵を描いています。

クラスの職員が、絵を描いています。

それを覗きにきたBくんです。僕はてっきり、黒と白のボーダーの子と、黒に緑の長袖の子の間にちょっと強引に割って入るものと思っていました。そしてケンカになるものと(笑)思っていました。

 

次の瞬間です。

割って入らずに、見つけたスペースの中へ入っていきました。

割って入らずに、見つけたスペースの中へ入っていきました。

僕はこの時、頭の中で何かがつながったような感動を覚えました。

 

最初の関わりで、椅子を提案しました。そこには、〝まだ関わり方が未熟な子〟と判断した僕の思いが多分に入っていました。しかし、Bくんは、スペースがあれば、つまり、自分の居場所、自分の楽しみがスムーズに行える環境があれば、争うことなく、また、見方によっては強引な行動と思われるような行動をとることもなく、その場所で存分に楽しめるのです。

 

友だちと友だちの間の狭い場所に入ろうとしたり、目に入ったチェーンリングをすかさずとろうとしたのも、遊びの中に入れて欲しい、という、自分のスペースを意欲的に探す彼の姿勢の一つだったのかもしれません。

 

そのスペース、その環境を子ども達一人一人の特性に応じてつくってあげることが、保育者の大きな仕事の一つである、ということを改めて感じました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年10月30日用途別』の中に「空間は第3の保育者」という言葉が登場します。今回の報告とは違った意味でですが、研修先のドイツの保育者の方が仰っていた言葉であるということです。

 

その言葉通り、保育者はどう環境になれるのか、と思います。

 

やたらと子ども達のやりとりの中に、喧嘩の仲裁に入っていないだろうか。一方的な目で子どもを捉えていないだろうか。狭い尺度で物事を決めてつけていないだろうか。

 

「本当に大きい恩恵は気がつかないもの。」藤森先生は、例えとして雑巾絞りを挙げられていました。雑巾を絞った時に、これを誰かに教わったな、と感じるとする。

 

「その誰かになりたい」と仰っていました。

 

〝本当に大きい恩恵。〟まるでそう、太陽のようです。

 

環境という名の陽を子ども達に与えられるように、子ども達が自分の居心地の良い空間、陽だまりのような空間を日々味わえるように、今日も子ども達のことを見守っていこうと思いました。

(報告者 加藤恭平)

おもちゃまつり

おもちゃ美術館

おもちゃ美術館

先日、東京おもちゃ美術館 四谷ひろばで開催されていた「東京おもちゃまつり」に行ってきました。そこでは、おもちゃの縁日と呼ばれる約70以上ブースが並ぶ遊びのプロによるワークショップや、国内最大級の木のおもちゃの見本市、大道芸や様々な遊びが盛りだくさんのおもちゃ広場等が開かれていました。

東京おもちゃまつり http://goodtoy.org/ttm/matsuri/

様々な遊びのワークショップや展示、遊びのプロと呼ばれる方々との出会いがたくさんありましたが、私が感動した部分を2つほど紹介したいと思います。

〈そこにあるもの〉

70以上ある遊びのワークショップのほとんどに共通する事がありました。それは、材料が「身近にある物」で構成されているというところです。セロハンテープの芯であったり、スーパーでお惣菜を詰めるビニールタッパーであったり、トイレットペーパーの芯やストロー、そしてクリップ…等、生活をしている場所でよく目にしている素材を使うだけでなく、その素材の特性を活かした使い方をしている印象がありました。

感動した蝶

感動した蝶(材料:紙・アイスの棒・スポンジ)

スポンジを押し当てると羽が優雅に動く

スポンジを押し当てると羽が優雅に動く

それにはきっと、子どもたちは身近な物に興味を示し、遊びを“すぐに”行えることが良いとするためではないでしょうか。「あれで遊ぼうと思うんだけど、今はないから無理だ」といった感覚ではなく、好奇心と遊びが同時にスタートしているように、大人が普段使用している物や目に付く頻度が高い物を通して、別の可能性を探す行為〈遊び〉を瞬時にすることを求めているのだと感じます。つまり、子どもたちは、すでに〈そこにあるもの〉に最大の関心が向けられるということであると思うのです。

そういうことを考えると、このワークショップは単なる子どもへの遊び方の提案ではなく、子どもが興味ある物がこんなところにも転がっているのですよという大人に対する子ども理解、物にはこんな可能性だってあるのですよという再発見といった、「人や物の見方の提案」をしているようにも映りました。

ある1人の遊びのプロが、「お客さんに教えてもらったの!」と言いながら、自分のブースで作るおもちゃ以外のニワトリが「コッコッ」と鳴くおもちゃを即興で作って私に見せてくれました。遊びのプロたちは、子ども以上に楽しそうに笑って楽しんでいました。心底、こういったことが好きなんだなぁと感じられるほどに笑っていました。シンプルに、自分が面白いとか楽しいと思う事を追求していく先に「プロ」があることを感じました。

〈走りを止めるもの〉

おもちゃまつりでは、屋外の校庭のような場所でもブースが開かれていました。そこでは、ダイナミックな積み木やボードゲーム、そろばん制作や桧でできた「木んぎょすくい」などがありました。魅力的な物がたくさんあった中で、ふと周囲を見渡し気がついたのは、“誰も走っていないこと”です。

広場

広場

校庭のような場所ということもあり、走るのにはかっこうの直線もあります。おそらく、「走ってはいけません」ということも言っていないので、実際に走っていい場所であると思います。そのような中でも、子どもが誰1人として走っておらず、普段から塾長が「ただ走り回るのは、他に興味ある物がないから」と話していることが、目の前で実際に起きていたので感動しました。保護者も、走って追いかけることもなく、子どもと一緒にその場で楽しんだり、少し距離をとってゆったりしながら子どもが遊んでいる様子を眺めているといった感じでした。

何もない広い空間で、子どもに「走らないで!」と言うことと、こういった場で、「早くここを走りなさい!」と言うことはむしろ同じことであるように、子どもが「興味関心を抱いたもの」を通して、生活や遊びを展開し、社会や対人関係を経験させてあげるかであり、それが「環境を通して」ということなのかなと思いました。

最後に、一部ですがワークショップの紹介をしたいと思います。

タッパーの中に入ったモール。底から磁石で中のモールを動かす。

タッパーの中に入ったモール。底から磁石で中のモールを動かす。

セロハンテープの芯を使ったマリオネット。

セロハンテープの芯を使ったマリオネット。

クリップをつなげて…

クリップをつなげて…

漁をする

回転させながら漁をする

花はじきのジャラジャラ

花はじきのジャラジャラ

ビニール素材の飾り

ビニール素材の飾り

縁日

縁日

探し求めていた投扇興

投扇興

(報告者 小松崎高司)

「育ちを待つ」

保育園の新しい環境の一つに「水耕栽培」があります。

水耕栽培の長所としては野菜の成長を身近に感じることが出来るということです。

また地方のように大きな畑を持つことが出来ない東京の都心のような場合でも、少しのスペースで野菜を栽培できることが可能ですし、基本的に室内で育てるので虫が寄らないので完全な無農薬栽培が可能なので、安心して食べる事ができます。

詳しくは新宿せいが保育園の公式フェイスブックに投稿されているので・・・・。

https://www.facebook.com/469676043191221/photos/pcb.476479735844185/476479429177549/?type=3&theater

 

そんな水耕栽培ですが当初は設置業者から指導を受けながらレタスを栽培し上手くいっていましたが、自分達だけでやってみると、なかなか上手くいかず、失敗の連続でした。

 

今回の3度目の栽培でやっと収穫までたどり着いたのです。

DSC_1024

先日、やっと収穫をして子ども達を食べることが出来ました。

DSC_1025

写真の通り、水菜を栽培し、収穫しました。一応、クラスの先生に今日、収穫して食べましょう!と言っていたので、収穫をする時に声を掛けて欲しかったそうですが、私の独断で勝手に収穫をしてしまい・・・本多先生が焦っていました、本多先生、どうもすみませんでした。

せっかくなので、子ども達と水菜を調理をすることに。 ただ、包丁を使うのは無理だと思ったので手でちぎることに(笑) なので、子ども達とひたすら、ちぎちぎ ちぎちぎ…

途中、せっかくなので味見をしよう! と何もつけずに水菜をパクリ!

美味しい!!

子ども達の口から美味しいを頂き、とても嬉しかったです。ただ、さすがに何もつけずにたくさんの量を食べるのは無理なので、調理の柿崎先生に頼み、今日の献立がカレイのネギ味噌焼だったので、ネギ味噌を少し多めに作ってもらい、水菜に浸けて食べることに。これもとても美味しかったです!

DSC_1027

自分で育てた野菜というのは、市販されている野菜よりもなぜか美味しく感じるのは私だけでしょうか。

水耕祭場に関していえば、作業が少し難しいので私と西村君で行いますが、常に成長を見ているというだけでも、もしかしたら野菜に対する気持ちが変わるようにも思います。さらに自分で調理をするとなると、やはり食べてみたい!という意欲が湧くと思います。

 

そういえば大河ドラマ「花燃ゆ」で主役の美和がお世継ぎ(殿様の息子)の世話役を任され、食事などの身近な世話をすることになりましたが、野菜をなかなか食べないお世継ぎに野菜の世話を一緒に始めたのです・・・。すると今まで食べなかった野菜を自分で育てたということで、たくさん食べれるようになったというシーンがありました。まぁ言ってしまえばドラマなのでどうにでもできますが、あながち間違っていないと思います。

 

塾長の講演でよく言われることが、

「野菜を育てて、収穫し、調理をするというのは、人間にしか出来ない能力です。」

 

野菜がどの時期に出来るのか予測し、一番美味しい時期に収穫し、そして火を使って調理をする。そのすべての行為に共通することが「待つ」という行為です。収穫できるまで「待つ」、調理をして出来上がるまで「待つ」。保育園では子どもを待たせる行為を避けています。しかし「待つ力」というのは社会で生きていく中で必要な能力です。しかし、子ども達にただ待たせるのでなく、待った先に楽しみがないといけません。そこが保育士の専門性が試されるところかもしれません。

 

よく見学者にディズニーランドの例を話します。

ほんの数分で終わるアトラクションに何時間もかけて並べるのは、待ったあとに楽しみがあるから待てるのであって、何もなければ待てないですよね・・・。

 

見守る保育では「子ども主体」という考え方が基盤にあります。子どもたちの将来を考えて、いま、どういう体験が必要なのか?と考えながら保育、環境を考えていく必要があります。

なんだか最後は話がずれてしまいましたね・・・(報告者 山下祐)