昨年(1歳児クラス)から、大の仲良しの2人がいます。
先日の午睡明け、まだちょっと眠たい気持ちから、写真右手の男の子(ピンクの服を着ているので以下Pくん)が立ち尽くしていました。

さすがです。ちょっとずつ距離を縮めていきます。
付き合いの長さがこんなところにも出ているように感じます。

(彼のことだからいきなりいくと嫌がるだろうしなぁ…)

その様子を見守るクラスの先生達。子ども達は本当に見守られて育っています。

ゆっくりゆっくり。この間まだ一言も声はかけていません。

そして、初コンタクト。内容は聞き取れませんが、次の瞬間っ!

手をつないでいます。

むしろPくんの方がエスコート!
「慰めにくるなら早くしてよ!」と言ったところでしょうか(笑)スタスタと歩いていくのですが、

Pくんの心の声(あ、ちょうど読みたかった絵本がある)

よいしょ。
スムーズにいくかと思いきや座り込んでしまったので、それを見ていた職員は驚いていますね(笑)ですが、親友(ブルーの服を着ているので以下Bくん)は座り込むPくんを見つめています。その表情は、もううんざりというのではなく、見守っているような、そんな感じです。
おやつの配膳も始まっています。ブルーの服のBくんにはそんな見通しもあったのでしょう。そして、次の瞬間、手をとってあげていました。

(ほら、いくよ)(…うん)

そして絵本を持って、上へ。

自分の分のタオルをとって、そして、Pくんのタオルをとってあげていました。

あっははー!
タオルを受け取ってくれて嬉しかったのでしょうか。親友Bくんは、笑い出していました。

「いただきます!」一件落着。仲良く隣に座って、食べていました。
友だちの存在って本当に大きいと感じます。
また、別の場面では、

お菓子の袋が開けられなくて困っていました。写真一番左が親友Bくん。困っているところを、親友Bくんではなくその隣の友だちが助けてあげようとしているシーンです。

(やってあげるね。) (あ、うん…)

んーと…(ちょっと難しいな)

(ごめん、できなかった)
開けられなかったようで、戻されてしまいました(笑)
すると、

(貸してみて)
親友の登場です。

(開いた!)

(さすが相棒!サンキュー!)
こんな風にして、関わり合い、手を取り合って子ども達は成長しています。
藤森先生が11年間毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年10月20日『手伝う動機』の中で、
〝幼児たちは、大人にまったく促されなくても、視線さえ合わせなくても、手を貸した〟と紹介されています。
ブログの中では困っている大人に子どもが手を貸したということで紹介されていますが、それを読んでとても納得ができるのは、日々子ども達が見せるこういった場面があるからです。しかも、保育園では、それが対大人ではなく、子ども達同士の中で生まれ、このように育まれていっています。
ですから、この日のブログの後半に書かれていることにも、とても納得ができます。抜粋します。
〝ブルームの同僚のアリア・マーティンとクリスティーナ・オルソンは、大人に、3歳児と遊んでから、ある用途に必要なものを取ってきて、と頼むように指示してみました。例えば、大人の近くに水が入った水差しが置かれているとします。大人は、子どもに、「水が注げるようにカップを取ってくれる?」と頼みます。頼まれたものが用途に適していれば、たとえば、カップにひびが入っていなければ、子どもはたいていそれを手渡してくれます。頼まれたものが、カップにひびが入っているといった具合に、用途に適さない場合には、子どもは取ってきてと頼まれたものには触れず、部屋の別の場所にある、ひびの入っていないカップのような、用途に適ったものを取ってくることを発見したのです。つまり、子どもたちは大人にただ盲目的に従うのではなかったのです。大人が用を足すのを実際に助けたいと思っていたのです。〟
〝子どもたちは大人にただ盲目的に従うのではなかったのです。大人が用を足すのを実際に助けたいと思っていたのです。〟という部分に、とても共感します。それと同時に、子ども達は、大人に指示されなくても、このように自発的に、誰かを助けたい、手伝いたい、慰めたい、というものが、心の中から湧き出てくるようなのです。
お菓子の袋を開けてもらった子。助けてもらった子はやはり嬉しいでしょう。それは写真の表情からも読み取れます。
そして、きっと手伝ってあげた方も嬉しい。配膳のタオルを渡して、受け取ってくれた時の喜び、やってあげたことで喜んでもらえたという喜びが、親友Bくんの笑いとなって表出したのでしょう。
ブログは、2015年10月20日『手伝う動機』の後、2015年10月21日『誰と分かち合う?』そして、2015年10月22日『誰を思いやる?』と展開されていきます。
誰と分かち合うのか。誰を思いやるのか。子どもが子どもを、子どもが人を手伝う動機は、〝喜んでくれるあの人の為に〟という、とても純粋で清らかな奉仕の気持ち、それはまるで、無償の愛そのもののようにも感じられる思いがしました。
(報告者 加藤恭平)