ちょっと強引naMy Way〜自分のスペースを意欲的に探す彼の姿勢〜

生臥竜塾ブログ『今日の臥竜塾』2015年10月16日 0からの協力を基盤にするの中で、藤森先生の言葉を塾生西田先生がこのように報告されていました。

 

〝塾長(藤森先生)が最近子どもの様子で感動したことの話では、

見学者は午前中に見に来ることが多いが、塾長が3時から5時の間のいわゆる何も設定していない時間に感動することが多い。

それは子どもたちが誰も走り回らず、遊びに集中しているということ。

 

モンテの体験談で、普段はその日の終わりに棚に教具をしまってカギをかけるが、ある時そのカギをかけ忘れてしまったということがあったそうです。すると、その次の朝、子どもたちが棚から自分たちで取り出して遊んでいる姿を見て感動したという話があるそうです。

 

午前中のカリキュラムは、いわばその鍵を閉めている保育で、3時から5時は、その鍵を閉め忘れた時間帯。そこでの姿がどう出るかが午前中の保育が関係している。

午後の目的のない時間帯こそが子どもたちの本当の姿となる。

そこを目指してどんな切り口から攻めるかという所が、モンテや、レッジョなど様々な保育の形となっている。〟

 

その日から夕方の保育が今まで以上に楽しみになりました。面白かったのは、藤森先生の教え、言うなれば、〝新しい保育観〟が頭に入ると、なるほど確かにと納得してしまう場面に必ず出くわすのです。

今回の報告は、その夕方の時間帯、3時から5時の時間帯にあったエピソードです。

(あの間に入りたいんだけど…。)

(あの間に入りたいんだけど…。)

写真手前の男の子(ボーダーを着ているので、以下Bくん)がグレーの服の子と、黒い服の子の間に入りたいようです。2人が展開している棚の上のおままごとが楽しそうで、ここに至るまでに一度トライしたのですが、「ここは狭いよ」という理由で、入れてもらえなかったというのが、この写真に至る経緯です。

(えい!)「ここも狭いよー」(あ、はい…。)

(えい!)「ここも狭いよー」(あ、はい…。)

Bくんは「入れて」など、お友だちに声をかけて遊びに入れてもらうというよりも、グイッと半ば力で(笑)遊びの中に入っていくタイプのようです。月齢が低いこと、4月からの新入園児であること、など関係があるようなないようなことも前情報として頭の中にありつつ、彼の遊びを見守っていました。

じーっと見つめているのがわかります(笑)

じーっと見つめているのがわかります(笑)

そこで提案。〝間は無理でも、隣ならどうだろう〟ということで、椅子を置いてみました。

(よいしょ。)

(よいしょ。)

 (うんうん、いいかもね。)

(うんうん、いいかも。)

 

元々遊んでいた2人も寛大で、数分程、並んで楽しそうに関わって遊んでいました。

 

Bくんの関わり方が面白かったもので、追跡することに。

 

先程の遊びで使ったかごを持って、今度はおままごとゾーンの中へ。その中では、既に女の子2人がおままごとの真っ最中です。

よく見えないと思うのですが、写真左の女の子の前にチェーンリングがあります。Bくんはそれが欲しくてか、遊びの中に入りたくてか、何も言わずにとってしまいます。

よく見えないと思うのですが、写真左の女の子の前にチェーンリングがあります。Bくんはそれが欲しくてか、遊びの中に入りたくてか、何も言わずにとってしまいます。

 

「Bくん。それ私のだよ!」と言いながらも、ここでも、女の子は寛大で、「じゃ、ここに入れて」と優しくチェーンリングを戻すよう促しつつ、遊びの中へ入れてあげようとするような関わりをするのでした。

「じゃ、ここに入れて」(あ、はい…。)

「じゃ、ここに入れて」(あ、はい…。)

ここまで見ていると、Bくんはちょっと強引で、対応する子ども達が寛大、というような縮図があるようにも思えてきます。Bくんの関わり方やその性格を理解しているような子ども達の寛大とも言える態度は、まさに対人知性であると言えると思います。それとは反対に、Bくん自身、どんな遊びがしたい、友だちと関わりたい、というよりも、人の持っているものが欲しい、人のやっていることがしたい、といったシンプルな思考から、それが結果としてちょっと強引ともとれる行動になってしまうのかなぁと、そんな風にも思っていました。

 

そう感じていたことが、次の場面で、にわかに展開します。

クラスの職員が、絵を描いています。

クラスの職員が、絵を描いています。

それを覗きにきたBくんです。僕はてっきり、黒と白のボーダーの子と、黒に緑の長袖の子の間にちょっと強引に割って入るものと思っていました。そしてケンカになるものと(笑)思っていました。

 

次の瞬間です。

割って入らずに、見つけたスペースの中へ入っていきました。

割って入らずに、見つけたスペースの中へ入っていきました。

僕はこの時、頭の中で何かがつながったような感動を覚えました。

 

最初の関わりで、椅子を提案しました。そこには、〝まだ関わり方が未熟な子〟と判断した僕の思いが多分に入っていました。しかし、Bくんは、スペースがあれば、つまり、自分の居場所、自分の楽しみがスムーズに行える環境があれば、争うことなく、また、見方によっては強引な行動と思われるような行動をとることもなく、その場所で存分に楽しめるのです。

 

友だちと友だちの間の狭い場所に入ろうとしたり、目に入ったチェーンリングをすかさずとろうとしたのも、遊びの中に入れて欲しい、という、自分のスペースを意欲的に探す彼の姿勢の一つだったのかもしれません。

 

そのスペース、その環境を子ども達一人一人の特性に応じてつくってあげることが、保育者の大きな仕事の一つである、ということを改めて感じました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年10月30日用途別』の中に「空間は第3の保育者」という言葉が登場します。今回の報告とは違った意味でですが、研修先のドイツの保育者の方が仰っていた言葉であるということです。

 

その言葉通り、保育者はどう環境になれるのか、と思います。

 

やたらと子ども達のやりとりの中に、喧嘩の仲裁に入っていないだろうか。一方的な目で子どもを捉えていないだろうか。狭い尺度で物事を決めてつけていないだろうか。

 

「本当に大きい恩恵は気がつかないもの。」藤森先生は、例えとして雑巾絞りを挙げられていました。雑巾を絞った時に、これを誰かに教わったな、と感じるとする。

 

「その誰かになりたい」と仰っていました。

 

〝本当に大きい恩恵。〟まるでそう、太陽のようです。

 

環境という名の陽を子ども達に与えられるように、子ども達が自分の居心地の良い空間、陽だまりのような空間を日々味わえるように、今日も子ども達のことを見守っていこうと思いました。

(報告者 加藤恭平)

おもちゃまつり

おもちゃ美術館

おもちゃ美術館

先日、東京おもちゃ美術館 四谷ひろばで開催されていた「東京おもちゃまつり」に行ってきました。そこでは、おもちゃの縁日と呼ばれる約70以上ブースが並ぶ遊びのプロによるワークショップや、国内最大級の木のおもちゃの見本市、大道芸や様々な遊びが盛りだくさんのおもちゃ広場等が開かれていました。

東京おもちゃまつり http://goodtoy.org/ttm/matsuri/

様々な遊びのワークショップや展示、遊びのプロと呼ばれる方々との出会いがたくさんありましたが、私が感動した部分を2つほど紹介したいと思います。

〈そこにあるもの〉

70以上ある遊びのワークショップのほとんどに共通する事がありました。それは、材料が「身近にある物」で構成されているというところです。セロハンテープの芯であったり、スーパーでお惣菜を詰めるビニールタッパーであったり、トイレットペーパーの芯やストロー、そしてクリップ…等、生活をしている場所でよく目にしている素材を使うだけでなく、その素材の特性を活かした使い方をしている印象がありました。

感動した蝶

感動した蝶(材料:紙・アイスの棒・スポンジ)

スポンジを押し当てると羽が優雅に動く

スポンジを押し当てると羽が優雅に動く

それにはきっと、子どもたちは身近な物に興味を示し、遊びを“すぐに”行えることが良いとするためではないでしょうか。「あれで遊ぼうと思うんだけど、今はないから無理だ」といった感覚ではなく、好奇心と遊びが同時にスタートしているように、大人が普段使用している物や目に付く頻度が高い物を通して、別の可能性を探す行為〈遊び〉を瞬時にすることを求めているのだと感じます。つまり、子どもたちは、すでに〈そこにあるもの〉に最大の関心が向けられるということであると思うのです。

そういうことを考えると、このワークショップは単なる子どもへの遊び方の提案ではなく、子どもが興味ある物がこんなところにも転がっているのですよという大人に対する子ども理解、物にはこんな可能性だってあるのですよという再発見といった、「人や物の見方の提案」をしているようにも映りました。

ある1人の遊びのプロが、「お客さんに教えてもらったの!」と言いながら、自分のブースで作るおもちゃ以外のニワトリが「コッコッ」と鳴くおもちゃを即興で作って私に見せてくれました。遊びのプロたちは、子ども以上に楽しそうに笑って楽しんでいました。心底、こういったことが好きなんだなぁと感じられるほどに笑っていました。シンプルに、自分が面白いとか楽しいと思う事を追求していく先に「プロ」があることを感じました。

〈走りを止めるもの〉

おもちゃまつりでは、屋外の校庭のような場所でもブースが開かれていました。そこでは、ダイナミックな積み木やボードゲーム、そろばん制作や桧でできた「木んぎょすくい」などがありました。魅力的な物がたくさんあった中で、ふと周囲を見渡し気がついたのは、“誰も走っていないこと”です。

広場

広場

校庭のような場所ということもあり、走るのにはかっこうの直線もあります。おそらく、「走ってはいけません」ということも言っていないので、実際に走っていい場所であると思います。そのような中でも、子どもが誰1人として走っておらず、普段から塾長が「ただ走り回るのは、他に興味ある物がないから」と話していることが、目の前で実際に起きていたので感動しました。保護者も、走って追いかけることもなく、子どもと一緒にその場で楽しんだり、少し距離をとってゆったりしながら子どもが遊んでいる様子を眺めているといった感じでした。

何もない広い空間で、子どもに「走らないで!」と言うことと、こういった場で、「早くここを走りなさい!」と言うことはむしろ同じことであるように、子どもが「興味関心を抱いたもの」を通して、生活や遊びを展開し、社会や対人関係を経験させてあげるかであり、それが「環境を通して」ということなのかなと思いました。

最後に、一部ですがワークショップの紹介をしたいと思います。

タッパーの中に入ったモール。底から磁石で中のモールを動かす。

タッパーの中に入ったモール。底から磁石で中のモールを動かす。

セロハンテープの芯を使ったマリオネット。

セロハンテープの芯を使ったマリオネット。

クリップをつなげて…

クリップをつなげて…

漁をする

回転させながら漁をする

花はじきのジャラジャラ

花はじきのジャラジャラ

ビニール素材の飾り

ビニール素材の飾り

縁日

縁日

探し求めていた投扇興

投扇興

(報告者 小松崎高司)

「育ちを待つ」

保育園の新しい環境の一つに「水耕栽培」があります。

水耕栽培の長所としては野菜の成長を身近に感じることが出来るということです。

また地方のように大きな畑を持つことが出来ない東京の都心のような場合でも、少しのスペースで野菜を栽培できることが可能ですし、基本的に室内で育てるので虫が寄らないので完全な無農薬栽培が可能なので、安心して食べる事ができます。

詳しくは新宿せいが保育園の公式フェイスブックに投稿されているので・・・・。

https://www.facebook.com/469676043191221/photos/pcb.476479735844185/476479429177549/?type=3&theater

 

そんな水耕栽培ですが当初は設置業者から指導を受けながらレタスを栽培し上手くいっていましたが、自分達だけでやってみると、なかなか上手くいかず、失敗の連続でした。

 

今回の3度目の栽培でやっと収穫までたどり着いたのです。

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先日、やっと収穫をして子ども達を食べることが出来ました。

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写真の通り、水菜を栽培し、収穫しました。一応、クラスの先生に今日、収穫して食べましょう!と言っていたので、収穫をする時に声を掛けて欲しかったそうですが、私の独断で勝手に収穫をしてしまい・・・本多先生が焦っていました、本多先生、どうもすみませんでした。

せっかくなので、子ども達と水菜を調理をすることに。 ただ、包丁を使うのは無理だと思ったので手でちぎることに(笑) なので、子ども達とひたすら、ちぎちぎ ちぎちぎ…

途中、せっかくなので味見をしよう! と何もつけずに水菜をパクリ!

美味しい!!

子ども達の口から美味しいを頂き、とても嬉しかったです。ただ、さすがに何もつけずにたくさんの量を食べるのは無理なので、調理の柿崎先生に頼み、今日の献立がカレイのネギ味噌焼だったので、ネギ味噌を少し多めに作ってもらい、水菜に浸けて食べることに。これもとても美味しかったです!

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自分で育てた野菜というのは、市販されている野菜よりもなぜか美味しく感じるのは私だけでしょうか。

水耕祭場に関していえば、作業が少し難しいので私と西村君で行いますが、常に成長を見ているというだけでも、もしかしたら野菜に対する気持ちが変わるようにも思います。さらに自分で調理をするとなると、やはり食べてみたい!という意欲が湧くと思います。

 

そういえば大河ドラマ「花燃ゆ」で主役の美和がお世継ぎ(殿様の息子)の世話役を任され、食事などの身近な世話をすることになりましたが、野菜をなかなか食べないお世継ぎに野菜の世話を一緒に始めたのです・・・。すると今まで食べなかった野菜を自分で育てたということで、たくさん食べれるようになったというシーンがありました。まぁ言ってしまえばドラマなのでどうにでもできますが、あながち間違っていないと思います。

 

塾長の講演でよく言われることが、

「野菜を育てて、収穫し、調理をするというのは、人間にしか出来ない能力です。」

 

野菜がどの時期に出来るのか予測し、一番美味しい時期に収穫し、そして火を使って調理をする。そのすべての行為に共通することが「待つ」という行為です。収穫できるまで「待つ」、調理をして出来上がるまで「待つ」。保育園では子どもを待たせる行為を避けています。しかし「待つ力」というのは社会で生きていく中で必要な能力です。しかし、子ども達にただ待たせるのでなく、待った先に楽しみがないといけません。そこが保育士の専門性が試されるところかもしれません。

 

よく見学者にディズニーランドの例を話します。

ほんの数分で終わるアトラクションに何時間もかけて並べるのは、待ったあとに楽しみがあるから待てるのであって、何もなければ待てないですよね・・・。

 

見守る保育では「子ども主体」という考え方が基盤にあります。子どもたちの将来を考えて、いま、どういう体験が必要なのか?と考えながら保育、環境を考えていく必要があります。

なんだか最後は話がずれてしまいましたね・・・(報告者 山下祐)

「伝承」

先日、年長さんがお芋堀に行ってきたので保育園に残ったのはもちろん年中さんと年少さんです。朝のお当番活動の一貫で職員室と調理室にお休みを伝えにいくお仕事がありますが、今日に限っては年中さんが気合い入っていたようにも感じます。やはり年長さんがいない分、自分達がしっかりやろう!という気持ちが子どもなりにあるのでしょうね。

 

そして午前中の活動も終わり、給食も食べ終わり、私の日課である食事スペースの掃除をしようと思い、お部屋にいくと何やら椅子を運んでいる音が聞こえました。

すると年中さんが自ら椅子を運んで掃除を始めているのです。少し驚きました。

まだ年長さんに比べると、運ぶ力やのコツも分からないので若干危なっかしい感じもしましたが、一生懸命に運んでいる姿に見とれてしまいました。

そして運び終えると、机も皆で協力して片付け始めたのです。

まだ年長さんもやってないことを始めて、最初は止めようか悩んだあげく、

少し見守ることに…ここも少し危なっかしいのですが、子ども達なりに、みんなで協力して机の片付けをやってのけました。さらに驚きました。

そして箒も勝手に自分達で持ってきて始めました。そして最後のちりとりも…。 続いて雑巾がけですが、まぁ雑巾絞りはまだまだ下手くそだろうなぁ、と思っていたら絞って持ってくる雑巾全てがちゃんと絞れていて、様子を見ていると絞り方も上手に絞ってるんですね…どこから覚えたんだろう…。

そして雑巾がけに関しても思った以上に上手で私から伝えることはほとんどないくらいでした。そして最後は机を並べて椅子を運ぶのも慣れたようにやってました。

DSC_0983

「なんで教えてないのに出来るの?」 と聞くと

「だって、いつもあそこから見てるから~」

と言うのです。「あそこ」というのはテレビの事です。

ご存じの方もいると思いますが、定員が増えて3、4、5歳の保育室は2フロアを使用しています。

その部屋同士は階が別れているので、お互いの様子を見れるようにモニターをつけて常時見れるようにしてあるのです。 子ども達はそのモニターをいつも見ていて年長さんがどのように掃除をしているのか見ていたそうです。

ただ見ているだけで、あんなに上手に出来るとは正直思ってもいませんでした…。 まさに「伝承」の力を改めて感じた30分です。(報告者山下祐)

結び付き

「◯◯君、ご飯だから◯◯君をおいでおいでしてきて〜」

0歳児クラスの保育者から、その言葉を受けた18ヶ月児は、同じ0歳児クラスの19ヶ月児に、食事ゾーンを指さして“一緒にご飯行こう”、“あっちだよ”とお誘いをしていました。それに気がついていない様子を察してか、迎えにいきたくなったのか、近づいてそうっと背中に手を添えて一緒に行こうとします。それに快く応えるかのように、颯爽と食事ゾーンへと足を運んでいくのです。

お迎え

お迎え

一緒に行こう

一緒に行こう

僕も行くよ

僕も行くよ

ご飯だね

ご飯だね

その一部始終を目の当たりにした私は、この言葉がけをした先生に「これ、すごいですね〜」と伝えると、その先生は「そうなんですよ。最近この2人よく関わるんですよね。」と言っていました。そして私は再び「すごいな〜」と心の中で思いました。1回目の「すごい」は子どもたちへでしたが、2回目は、働きだして1年目のその先生にでした。互いを求め合っていること、その子に関心があるという関係性を理解した上での言葉がけであったからです。

その時、こう思いました。もし、保育者が子どもに伝えるべきことをすべて、他児を通してそれを伝えることができたなら、他児の特性を活かして伝えることができたなら、どうなるだろうかと。おそらく保育者は、全体的にではなく個人的に伝えるため、声の大きさは小さくて済みます。また、直接子どもと話す機会が減るということは、必然的に子どもとの距離もとることができ、全体に目が行き届きやすくなります。そして、子どもは「伝え・伝えられる」関係によって他児との関わりが増え、社会を知り、生きていく上で必要な対人知性や自己理解をしていくのではないでしょうか。

私が、見守る保育に出会って衝撃を受けた本のひとつにこの本があります。

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これによって、保育者の常識とは何なのか、常識を疑い本質を見る姿勢を持つことの重要性などを知るきっかになりました。ここでも、声の大きさについて書かれています。

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声を小さくしましょうということではなく、子ども同士を結び付ける保育をしていると、自然と大人の声が小さくなっていくということであると、その本のひとつの答えにやっと辿り着いた気がしたのです。

保育者が排泄や食事、昼寝などに誘っても来ない時、手をつなぐことが好きな子に「◯◯ちゃんと手をつないで来て」と声をかけると、嬉しそうにその子を誘って来たりもしますし、お世話をしたがる子どもには、おやつを「◯◯ちゃんに渡してあげて」とか、「エプロンをつけてあげて」という主体的な役割を生む言葉をかけると、意気揚々と応えてくれます。一見、保育者主導に映る「言葉がけ」ですが、今後、子ども同士の関わりが加速する、自ら他児に関わろうと積極的になるような「言葉がけ」というのは重要であると思いますし、言い過ぎてもいけない難しさがあるように感じています。

対人知性を育むには、まず子ども同士を結び付ける必要があります。子ども同士を結び付ける「距離・言葉がけ・物的環境」によって、子どもは他児をより意識していくように感じます。その中でも、最近は「言葉がけ」に感動すること多かったので、報告させて頂きました。保育者の一言で子ども同士が結び付き、関わるきっかけが生まれます。「言葉がけ」は、不必要な介入を生みやすい印象がありましたが、一人一人の発達や特性を理解し、それを活かすために他児に向けさせる「言葉がけ」は、保育者の専門性のひとつでもあるように感じましたし、人間性が表れる部分でもあるように思いました。

(報告者 小松崎高司)

自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる④

少し読み進めるのに手間取ってしまい、報告が遅くなってしまいました。すみません…

今回は前回にも少し触れさせていただいた本来のDNA気質を活かしいくために、トラウマ情報を払拭する「SATイメージ療法」について報告させていただきます。

SATイメージ療法では、まず本人が取り除きたい感情を喚起させるイメージを想起させ、その人が抱えているトラウマ情報を発見し、そのトラウマが教えてくれるネガティブな部分を克服できるように、トラウマとなっている出来事に対するその人の受け止め方、つまりその意味を前向きなものに変更し、そうしていくことでその人のDNA気質に基づいたあるがままを模索することで、その人本来の生き方を探っていくそうです。

塾長の臥竜塾ブログを読まれている方は気付かれた方もいると思いますが、以前の臥竜塾ブログで「オプティミスト」と「ペシミスト」に関する考察が塾長によって行われていました。

オプティミストにもペシミストにも互いに長所、短所があり、互いの長所を活かしていくことが大切であることに私自身気付けたのですが、このSATイメージ療法に関して読み進めていると、ペシミストの短所である部分をオプティミストの長所である部分に変換する術に近いものがあるのではないかと思いました。

だとすれば画期的なことですね!

SATイメージ療法は、右脳に重点的にアプローチし、その人の内側に眠っているイメージを想起させることを特徴としています。

人間の脳は大きく右脳と左脳に分かれており、その働きもまったく違っています。

左脳の働きがロジック(論理)や言語といった領域を受け持っているのに対して、右脳はイメージや感覚といった領域での働きを受け持っています。

また、左脳が物事を論理に基づいて断片的に捉えるのに対して、右脳は論理を超越して全体的観点から物事の本質を捉える働きを持っています。

そして人為的にトラウマ情報を喚起させるためには、その人のイメージに訴えかけなければなりません。

そのために感覚領域の働きを担っている右脳に働きかける必要があるそうです。

第1段階に右脳に働きかけ、トラウマ情報を引き出す技法に「退行催眠」があります。

この退行催眠は別名「前世療法」とも呼ばれているそうで、自分の出生以前にまで誘導するとか…

前世療法の話は置いといて、ここでの退行催眠はあくまでトラウマ情報を引き出すためにそのときのトラウマを生んだ情景を露わにするためだそうです。

また補足として、従来の現代医学では「心は心」「体は体」と心と体を明確に区分していますが、心身医学では心と体は密接に繋がり合っている、むしろ一体、同じだと言われるそうです。

あるときは心に、あるときは体に現れる。

ですので、身体病は体の異変ですが、実は「心」のレベルでも異変を表していると考えられているそうです。

例えば3大疾病の1つの「がん」が挙げられるそうです。

著者によるがんの考察には、「がんという病気は、心のレベルで過剰なストレスを抱え、そのエネルギーが作り出した活性酸素にさらされ続けた結果起こる病気で、いわば“うつ病の身体化現象”である」とありました。

この考察から、SATイメージ療法は「がん」をはじめとする身体の病気に苦しむ人たちのセラピーにも有効に作用すると考えられているそうです。

そして、これは他の心理セラピーには見られない特徴といっていいでしょうともありました。

話は少し逸れましたが、次回は「SATイメージ療法」の具体的な内容に入っていけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

ありがとう 君がいてくれて本当よかったです

昨年(1歳児クラス)から、大の仲良しの2人がいます。

 

先日の午睡明け、まだちょっと眠たい気持ちから、写真右手の男の子(ピンクの服を着ているので以下Pくん)が立ち尽くしていました。

 

さすがです。ちょっとずつ距離を縮めていきます。

さすがです。ちょっとずつ距離を縮めていきます。

付き合いの長さがこんなところにも出ているように感じます。

 

彼のことだからいきなりいくと嫌がるだろうしなぁ…

(彼のことだからいきなりいくと嫌がるだろうしなぁ…)

その様子を見守るクラスの先生達。子ども達は本当に見守られて育っています。

その様子を見守るクラスの先生達。子ども達は本当に見守られて育っています。

ゆっくりゆっくり。この間まだ一言も声はかけていません。

ゆっくりゆっくり。この間まだ一言も声はかけていません。

 

そして、初コンタクト。内容は聞き取れませんが、次の瞬間っ!

そして、初コンタクト。内容は聞き取れませんが、次の瞬間っ!

手をつないでいます。

手をつないでいます。

むしろPくんの方がエスコート!

むしろPくんの方がエスコート!

「慰めにくるなら早くしてよ!」と言ったところでしょうか(笑)スタスタと歩いていくのですが、

Pくんの心の声(あ、ちょうど読みたかった絵本がある)

Pくんの心の声(あ、ちょうど読みたかった絵本がある)

よいしょ。

よいしょ。

スムーズにいくかと思いきや座り込んでしまったので、それを見ていた職員は驚いていますね(笑)ですが、親友(ブルーの服を着ているので以下Bくん)は座り込むPくんを見つめています。その表情は、もううんざりというのではなく、見守っているような、そんな感じです。

 

おやつの配膳も始まっています。ブルーの服のBくんにはそんな見通しもあったのでしょう。そして、次の瞬間、手をとってあげていました。

 

(ほら、いくよ)

(ほら、いくよ)(…うん)

そして絵本を持ったまま、上へ。

そして絵本を持って、上へ。

自分の分のタオルをとって、そして、Pくんのタオルをとってあげていました。

自分の分のタオルをとって、そして、Pくんのタオルをとってあげていました。

あっははー!

あっははー!

タオルを受け取ってくれて嬉しかったのでしょうか。親友Bくんは、笑い出していました。

「いただきます!」一件落着。仲良く隣に座って、食べていました。

「いただきます!」一件落着。仲良く隣に座って、食べていました。

 

友だちの存在って本当に大きいと感じます。

 

また、別の場面では、

お菓子の袋が開けられなくて困っていました。写真一番左が親友Bくん。困っているところを、親友Bくんではなくその隣の友だちが助けてあげようとしているシーンです。

お菓子の袋が開けられなくて困っていました。写真一番左が親友Bくん。困っているところを、親友Bくんではなくその隣の友だちが助けてあげようとしているシーンです。

(やってあげるね。) (あ、うん…)

(やってあげるね。) (あ、うん…)

んーと…(ちょっと難しいな)

んーと…(ちょっと難しいな)

(ごめん、できなかった)

(ごめん、できなかった)

開けられなかったようで、戻されてしまいました(笑)

 

すると、

 (どうしようかな)

(貸してみて)

親友の登場です。

(開いた!)

(開いた!)

 (さすが相棒!サンキュー!)

(さすが相棒!サンキュー!)

こんな風にして、関わり合い、手を取り合って子ども達は成長しています。

 

藤森先生が11年間毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年10月20日『手伝う動機』の中で、

 

〝幼児たちは、大人にまったく促されなくても、視線さえ合わせなくても、手を貸した〟と紹介されています。

 

ブログの中では困っている大人に子どもが手を貸したということで紹介されていますが、それを読んでとても納得ができるのは、日々子ども達が見せるこういった場面があるからです。しかも、保育園では、それが対大人ではなく、子ども達同士の中で生まれ、このように育まれていっています。

 

ですから、この日のブログの後半に書かれていることにも、とても納得ができます。抜粋します。

 

〝ブルームの同僚のアリア・マーティンとクリスティーナ・オルソンは、大人に、3歳児と遊んでから、ある用途に必要なものを取ってきて、と頼むように指示してみました。例えば、大人の近くに水が入った水差しが置かれているとします。大人は、子どもに、「水が注げるようにカップを取ってくれる?」と頼みます。頼まれたものが用途に適していれば、たとえば、カップにひびが入っていなければ、子どもはたいていそれを手渡してくれます。頼まれたものが、カップにひびが入っているといった具合に、用途に適さない場合には、子どもは取ってきてと頼まれたものには触れず、部屋の別の場所にある、ひびの入っていないカップのような、用途に適ったものを取ってくることを発見したのです。つまり、子どもたちは大人にただ盲目的に従うのではなかったのです。大人が用を足すのを実際に助けたいと思っていたのです。〟

 

〝子どもたちは大人にただ盲目的に従うのではなかったのです。大人が用を足すのを実際に助けたいと思っていたのです。〟という部分に、とても共感します。それと同時に、子ども達は、大人に指示されなくても、このように自発的に、誰かを助けたい、手伝いたい、慰めたい、というものが、心の中から湧き出てくるようなのです。

 

お菓子の袋を開けてもらった子。助けてもらった子はやはり嬉しいでしょう。それは写真の表情からも読み取れます。

 

そして、きっと手伝ってあげた方も嬉しい。配膳のタオルを渡して、受け取ってくれた時の喜び、やってあげたことで喜んでもらえたという喜びが、親友Bくんの笑いとなって表出したのでしょう。

 

ブログは、2015年10月20日『手伝う動機』の後、2015年10月21日『誰と分かち合う?』そして、2015年10月22日『誰を思いやる?』と展開されていきます。

 

誰と分かち合うのか。誰を思いやるのか。子どもが子どもを、子どもが人を手伝う動機は、〝喜んでくれるあの人の為に〟という、とても純粋で清らかな奉仕の気持ち、それはまるで、無償の愛そのもののようにも感じられる思いがしました。

(報告者 加藤恭平)

給食の楽しみ その中から育まれていくもの

新宿せいが保育園を知る前は、給食の楽しみって、食べることだけだと思っていました。

 

2歳児クラスでは、先日からトレイによる配膳を始めています。

最初は簡単なおかずなどのお皿を持って自分が選んで決めた席に座ることからスタートした配膳でしたが、

いよいよ今年度も子ども達待望のトレイを導入。

お皿を持っていくことも緊張していた子ども達が、、、と成長を感じています。

わくわくとドキドキの入り混じった表情です!

まずは見本を。わくわくとドキドキの入り混じった表情です!

 

〝いっぱい・ちょっと〟自分で量を決めることはもうお手の物♪

〝いっぱい・ちょっと〟自分で量を決めることはもうお手の物♪

「どれにしよっかなー」

「どれにしよっかなー」

「そーっとそーっと…」

「そーっとそーっと…」

慎重に運んでいく子ども達です。初日は、緊張に緊張が重なった様子で、逆に(?笑)誰もこぼしませんでした。

お茶をトレイに置かず行ってしまった子に声をかえても、振り返れないという(笑)子ども達の真剣さがわかる配膳の時間となりました。

 

トレイの導入に前後して、先日から時計も導入しています。おかわりが始まる時間、また、おかわりの終わりの時間を子ども達に提示しています。

 

「長い針が2のラクダまでです」

「長い針が2のラクダまでです」

早くに食べ終わってしまう子は、その時間がくるまでおしゃべりをしたり、なんとなく時間を潰しています。配膳の際に〝いっぱい・ちょっと〟と、保育者に口頭で伝え、自分で量を決めている子ども達ですが、食べ切れる喜びが発展した形で、自分から全部を〝ちょっと〟にする子もいます。最初のうちはいいのですが、段々自分が「もっと食べられる」ということがわかっていくと、このおかわりまでの時間を待つことよりも、給食を最初から〝いっぱい〟にすればいいのだ、ということがわかっていきます。そうして、本当の自分の量がわかっていく、という、奥の深い設定がされていることに気付きます。

時計も可愛く、例えば「(動物)から(動物)までね」と伝えることで、時計への興味、ひいては数字への興味へと発展していくのです。

 

かわいい動物の時計です。「サルになったらお片づけしよう」など、数字がまだ難しい子にもわかりやすいようです。

かわいい動物の時計です。「サルになったらお片づけしよう」など、数字がまだ難しい子にもわかりやすいようです。

先日、他園の見学・研修に行ってきました。とても充実した勉強をさせていただきました。

その中で、「(2歳児クラス)月齢の高い子が給食中に立ったりして落ち着かない。新宿せいがではどうされていますか?」という質問をいただきました。

 

給食の場面だけで一概に解決できることではないようにも思われますが、話をしていく中で、「なるほど、給食中は子ども達が受け身になっているのかもしれません」ということを、研修先の先生が仰っていました。

 

給食は盛り付けられた量。それが座っていると目の前に出されます。苦手な食べ物も、もしかしたら入っているかもしれません。それも食べなくてはならない。楽しく食べようと思っても、〝自分が選んでいる〟〝自分から働きかけている〟という感触なしでは、やはり退屈してしまうのかもしれません。〝月齢の高い子が〟という風にも仰っていたので、やはりできることがどんどん増えている時期の子こそ、意欲的に行動したいと思う気持ち、それがどうしても、〝落ち着かない〟という姿となって表れてしまうのかもしれません。

 

〝楽しいことが待っているという期待感〟が子ども達の〝待つ〟力を育てます。〝待つ〟力は、〝我慢〟をする力に繋がります。それは〝耐性〟とも呼ばれ、また、〝粘り強さ〟とも言い換えることができ、これから先、生きて行く上でとても必要な力へと発展していきます。

 

食べる以外の楽しみがある。給食の楽しみの中から、子ども達は知らず知らずの内に、とても大切な力を育んでいることを感じています。

 

(報告者 加藤恭平)

研修旅行 IN福岡

10月10日~11日は新宿せいが保育園の研修旅行、今年の研修先は福岡県です。
なかなか他の保育園に見学に行く機会がないので職員全員とても楽しみにしている研修です。

福岡にはもちろんGT園も多く、GT福岡も立ち上げて、公開保育や独自に研修を行ったりと熱心に勉強をされています。毎年、見学先は多くて2園ですが、福岡には先ほど書いたように、GT園も多く、見学先ももちろん多いので、なんと!8園も見学を受け入れていただくことになりました。本当に感謝です。

事前に8園の保育園さんから各園の概要やPRを書いた紙を頂き、職員がそれを読んで見学先を各自決めました。本当は全て見学をしたいのですが…さすがに時間に限りがあるため選択制です(笑)

午前中は見学で、午後は1つの園に集まり、そしてクラスごとに別れての意見交換です。私は特にクラスのも所属していないので…せっかくなので園長先生のお部屋に(笑)そこでは塾長のミニ講演会でしたので、久しぶりに塾長の講演を聞けてとても勉強になりました。
途中、各クラスでの話し合いの様子を見に行こうと思っていましたが、あっという間に時間が過ぎ、午後の研修も終了の時間に…。

新宿せいがのメンバーは一度ホテルにチェックインをして、夜の部へ…。
夜はもちろん福岡の先生方と2回目の話し合いです!お酒有りの(笑)
やはり九州の先生方はパワーがスゴイですね!夜はクラスも関係なく、ランダムで座りましたが、それでも保育の話で盛り上がっているようでした!

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保育園という施設は言ってしまえば外部と関わらなくても成り立つ機関です。しかし国の補助金で運営をしているという事と日本の将来を担っていく人材を育てる機関でもあります。そう考えると、やはり中途半端な考え方で保育をするのでなく、やはり子ども達のことを考えて保育をしていく必要があります。
「見守る保育」は今後、日本のスタンダードになると信じています。そして全国の実践している保育園の先生方もそう信じて実践していると思います。同じ理念の基で保育をしている仲間が全国にたくさんいることで勇気にもなりますし、同じ理念だからこそ話し合いが盛り上がるのだと思います。

先輩保育士がよく言われる言葉で
「美味しい食事を一緒になって『美味しいね』と言って食事をする事が大切だし、そこに上下関係はないから、同じ目線になって話ができる」
おそらく福岡での夜の懇親会では各テーブルは年齢も様々でなかにはベテランの先生もいたのかもしれません。しかし、同じ目線になって保育の話や悩み、様々な話が展開されていたのではないでしょうか…。
本当に有意義な一日なったのでした・・・。

そして次の日の午前中は福岡で有名な太宰府天満宮を観光しました。
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そして午後は最近、糸島市が注目を浴びているようで、私の妻が福岡出身ということでプランを組んでくれましたが、
とても素敵な場所でした。糸島市には有名なGT園があり、そこで休憩をさせていただき、二日目の観光も無事に終わり新宿せいが保育園の研修旅行が終了しました・・・。
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行事と匹敵するほど一大イベントが終了し、思い出に浸りながら報告を書かせていただきました。(報告者 山下祐)

おうかがい

1歳児の子どもたちの姿を見ていると、よくもまぁ言葉も交わさないで自分たちの意志を伝え合っているなぁ・察し合っているなぁと思うことが多々あります。指さしや相手の視線、表情や身振り等、ありとあらゆる情報源を頼りに、相手を理解しようと詮索しているのです。その様子が時に面白くもあり、ぎこちなく感じる時もあるのですが、子どもたち自身による(非言語)コミュニケーションは、その部分を大切にしなくてはいけないと省みる日々です。大人が他者を理解していくのに時間がかかるように、打ち解けるのに時間がかからない子どもであっても、相手を知ろうと様々な手法でゆっくりと理解していくようですね。

先日は、自分の足が痛いと訴える女児(19ヶ月)と、それを見てあれやこれやと詮索していく男児(27ヶ月)とのやり取りがありましたので、報告させて頂きます。

まず、女児が座りこんで自分の足を指さして、か細い声で「ぅぇ〜ん」と言っているところから始まります。その声や姿に気づいたのか、そこへ男児がやってきて様子をうかがっています。

男児はしばらく女児を観察してから、「ここ(が痛いの)?」といったように指をさしながら相手に聞いていくのです。

女児は、そこだけじゃないよ、ここもだよといった感じに別の場所を指さして訴えます。男児はまた、「ここ(が気になるの)?」といったように、相手の足を指さして聞きます。そこで、相手は虫さされ痕やぶつけた痕を指さしていると理解したのか、男児は自分の足を見て、そのような痕がある部分を指さし、僕にもあるよといった感じに訴えたのです。

IMG_4769女児は、その部分をまじまじ見ています。それでも悲しい気持ちが消えないと察した男児は、半ズボンの裾を引っ張ってその痕を見えないようにして大きく笑ったのです。私には、まるで、見えなければ大丈夫だよ、こんなの平気さと言っているかのようです。

IMG_4770それだけではなく、その服の上から足を「パンパーンッ」と両手で大きく叩いてまた大きく笑いかけたのです。

IMG_4772これで、やっと女児も男児の頑張りに答えてくれるだろうと見ていると、そんなごまかし私には通用しないのよといった感じに、女児は近くにあった紙をポイッと投げたのです。きっと、私同様、男児も「…!?」といった感じであったでしょうね(笑)。その様子を見て、さて男児はどうするかと注目していると、驚く行動をとったのです。皆さんは、想像つくでしょうか。

男児はというと、再び「ここ(が痛いの)?」と相手の足を指さして心配そうにおうかがいをたてたのです。(大人でもこのような男女による関わりがあるような…とふと思いましたが、この自問は詮索しないようにしました。)

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スクリーンショット 2015-10-09 21.25.14また、これこそ対人知性であるなぁと思いました(笑)。相手をなぐさめようとして取った行動が、相手にはまらなかったことを瞬時に察して、すぐに行動を変えられるのは、他者の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適応しようとしている過程でもあり、他者との多くの関わりがなくてはできないことであると感じました。

その後はというと、男児はおうかがいをたててみたものの女児はそれでも悲しげな表情を浮かべていました。男児は諦めて他の遊びへと移ってしまいましたが、多くの共感をもらった女児に、その後やわらかな表情が戻ったのは言うまでもありません。

(報告者 小松崎高司)