どうも。大学生日記(仮)、西村です。
前回は駒澤大学について書きましたので、次は私について。なぜ駒澤大学に編入学したのか。何を学んでいるのかなど書いていきます。
そもそも…
私の実家は長崎県にある曹洞宗のお寺で、保育園も経営しています。小さい頃から、身近に仏教があり、お盆やお正月はその儀礼に参加をしていました。小さい頃はただ座っていただけ。(ある意味、道元禅師の只管打坐かも?)文字が読めるようになったら、経本を持ってお経を唱えるようになります。またお坊さん独特の所作なども、父や他のお坊さんの動きを真似していました。当時は、将来お坊さんになる!と宣言していましたが、高校生・大学生になると、お坊さんにはならない!と宣言するようになっていました。ちゃんと反抗期が来たのですね。それに対して両親は、お前の人生だから、好きなようにやれ。とお寺を継ぐことを強制はしなかったのです。今思えば、あそこで継ぎなさいと強制されていたら、もっと反抗していたかもしれません。
大学を卒業し、縁あって新宿せいが子ども園(当時は保育園)に就職をして、見守る保育を本格的に学ぶと、自然と仏教にも興味を持つようになりました。恐らく、見守る保育と仏教(広くは東洋思想)には共通するものが多いのだと思います。自分のやっていきたい保育に確信を持った私は、将来見守る保育を実家の園でもやっていきたいと強く思いました。さらに、せっかくお寺という環境もあるのだから、お寺も含めて、もう少し大きい規模での見守る保育ができないかと考えました。
そのためには、お寺もしっかりとやっていきたい。しかし、これまで何となく関わってはきましたが、仏教に関して知らないことが多すぎることに気付いたのです。一人前の僧侶になるために、修行をすることは欠かせませんが、その前に大学で1度、学問として仏教を学んでみたいと思ったのが、駒澤大学に入学することを決めたきっかけでした。
仏教学部は、学部柄私と同じ社会人の学生がかなり多いです。欽ちゃんこと、萩本欽一さんもその1人ですが、彼の場合、社会人編入とは違い社会人入学、つまり1年生から入学しています。その場合、教養科目や語学、体育なども履修する一般的な大学生と同じようなカリキュラムとなります。それに対して、私の社会人編入は、他大学を卒業していることが前提ですので、その大学での成績表を提出して、履修済みの単位は免除されています。私は、3,4年生の2年間で専門科目の80単位(卒業論文の8単位含む)を修得しなければなりません。
ある社会人入学(4年間)の方とお話をしました。その方は仏教の専門的な勉強だけを4年間できると思っていたのに、語学や体育の時間が少し苦痛だったとおっしゃっていました。ようやく3年生からは専門の研究に集中できるようになったそうです。4年間だとやはり時間に余裕はできますね。それに対して、社会人編入の場合、語学や体育はありませんが、専門科目をやりながら卒論を書いたりと、3,4年生の2年間に詰め込みます。なかなかハードなものでした。しかし、同時に専門的な勉強ができるため、それはそれでメリットはありました。
んー帯に短し襷に長しだねという結論に至りました。(笑)
続く
臥竜塾生唯一の大学生、そして人生2度目の大学生、西村です。
駒澤大学仏教学部に編入学して1年が経ちました。仏教の知識が全くない状態で入学して、訳もわからず1年間突っ走ってきました。昨年度突っ走ったおかげで、今年度はほんの少し余裕ができたので、昨年度1年大学に通ってみて感じたことや、現在学んでいること、また大学の様子などについてレポートしていきたいと思います。題して、「大学生日記」。そのままですね…。なんか良い題名が思いつけば、変えましょう。それまでは「大学生日記(仮)」で。変わることはなさそうですが(笑)
まず、駒澤大学について。
駒澤大学は「仏教」の教えと「禅」の精神を建学の理念、つまり教育・研究の基本とする大学です。(駒澤大学HPより)
私が入学した学部の「仏教学部」という名称からも分かるように、仏教の教えを大学教育に活かしています。まず仏教についてですが、日本仏教には様々な宗派があります。その中でも建学の理念に「禅」の精神とあるように、禅宗の中でも「曹洞宗」の宗門大学になります。同じく禅宗に括られる臨済宗ですが、こちらも駒澤大学と同じように京都の花園大学を宗門大学として設立しています。
実は、日本には多くの仏教系の大学があります。例えば、浄土真宗西本願寺派の龍谷大学、同じく東本願寺派の大谷大学は、花園大学と同じく京都にあります。関東で言うと、豊島区にある大正大学は天台宗、真言宗、浄土宗と3つの宗派が作った大学となります。また、1つの宗派で複数の大学を持っていることも多く、曹洞宗で言うと、愛知学院大学、駒沢女子大学、鶴見大学、東北福祉大学などがあります。
さらに仏教に限らず、宗教系の大学も挙げるとキリがありません。キリスト教大学の上智大学、青山学院大学や、神道系大学の国学院大学、また新宗教系の大学で言うと、創価大学や天理大学が挙げられるでしょう。
このように、宗教が大学や高校などの教育機関を設立することは、よくある話ですが、その理由は、布教のために次世代の指導者を目的としていたり、元々そのような宗教施設が学校の代わりを担っていた名残であったりと様々です。
私が学んでいる駒澤大学に話を戻します。
先ほども述べたように、曹洞宗が設立した駒澤大学ですが、その名を聞いたときに、曹洞宗の宗門大学、仏教の大学と分かりにくいですね。なぜなら大学のある駒沢という地名が大学名になっているからでしょう。ではその歴史を簡単に見ていきます。
1592年、まだ江戸幕府が開かれる前に遡ります。江戸駿河台吉祥寺(現在の文京区本駒込にあるお寺)境内に「学林」を設立し、これが駒澤大学の前身になります。学林とは檀林(だんりん)とも言い、仏教における学問所のことを言います。元々は宗派を超えて、仏教を学んでいたようですが、それぞれ宗派による学派ができてきたようです。そして曹洞宗は、禅の実践と仏教の研究、そして漢学の振興を目的として吉祥寺会下学寮と呼ばれていました。
1657年には、吉祥寺駒込に移転し、中国の名僧である陳道栄により栴檀林(せんだんりん)と命名され、現在も校歌の中にその名が出てきます。その後は、「曹洞宗専門本校」と名称を変え、専門学校令により大学として認可を受けると、1905年に「曹洞宗大学」と改称をします。それから、1913年に現在の駒沢の地に移転をすると、1925年に大学令により大学として認可を受け、「駒澤大学」と改称。このとき、寺院の子弟だけではなく、一般の学生も受け入れるようになりました。現在では、仏教学部を始め、文、経済、法、経営、医療健康科学、GMS学部などの様々な学部の学生が勉強をしています。
続く
4月最初の土曜日
給食をお花見にしようということで、
セッティング
「気持ちいいね」
「何かお家みたいだね」子どもたちから嬉しそうな声が聞こえてきます。
配膳
01歳児クラスの子たちは一足先に
「いただきます」副園長先生も一緒です
ブログ『臥竜塾』2010年8月29日『共視共食』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
人類学的視点から見たヒトの食は、「人間は料理をする動物である」および「人間は共食する動物である」といいます。複数の個人が集って食事をするという共食が、ヒトの食を特徴づけ、また、人類における家族の起源と共食は深い関係にあり、子どもは家族を中心とした共食環境の中で、食行動や食文化はもちろん、他者理解や社会的ルールを学ぶ機会を得てきたのです。特に、食の基本が形成される乳児期では、多くの発達過程が見える中での食事は、食の自立、食具使用の発達、社会認知的発達においてとても重要であったようです。
最近取り上げられる「食育」は、栄養指導、料理活動、栽培活動での事例が多く、どれも「食材」に焦点が当たっていますが、誰と食べるかも重要です。そういう意味では、少子社会において、幼稚園や保育所で、子ども集団による食事はとても意味があります。特に、乳児からの食事も大人との二人きりで食べることは見直さなければならないようです。今年ドイツに行ったときに、園で保育者が乳児に食事を与えている姿を、幼児にも見せていました。
皆よく食べました
その日出勤された先生方皆で春を満喫できたこと、とても素敵な時間でした。
(報告 加藤)
昨年度3月後半のブロックゾーン
今年度もこのような遊びの広がりを見られることを楽しみにブロックゾーンを見ていると、「写真撮って」と今年度のすいすい組(5歳児クラス)の子たちに声をかけられました。
群馬県にある駅だそうです
一人の旅行先での思い出が共有されて作品になったとのことで、それよりも思い掛け無い所で成長を感じたのは、カメラの中に子どもたちが写ろうとしないことでした。
「だって作ったものを撮ってほしいから」
「それに皆が写ったら作ったものがあんまり見えなくなっちゃうじゃん」
ブログ『臥竜塾』2019年3月6日『仲間のようになりたい』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
年少の子どもたちは年長の子どもたちと同じように行動し、話し、そして装いたいと願うのです。いかに行動し、話し、装うべきか、子どもたちはその指標を成人に求めようとはしません。なぜなら、子どもと成人とでは、属する社会的カテゴリーも違えば、従うべき規則も違うからです。より高い地位に就きたい、年長の子どものようになりたいという願いは集団の中に対して、〈子ども〉という社会的カテゴリーの中に対していだかれるのです。
昨年度のすいすい組(5歳児クラス)の背中を見て育った彼ら。今年度もとても楽しみです。
(報告 加藤)
「お家で作ってきたんだ」
「早く田崎先生と森口先生に見せたい」
野球好きな二人を想いながら作ったのですね。
「じゃここから投げるからね」
「上手く捕れるかな?」
わいわい組(3歳児クラス)の子たちを誘って遊びを作っていました。
「城下町が出来てきたから写真撮って」
屋根はお家セットの三角のコーナーに置く棚でアレンジ
「これ(棚)がないと城にならないんだよね〜」
こだわりですね。
「カメラを作りました」
「撮るね」
一旦製作ゾーンへ行った二人に渡されました
「はい、先ほど撮った写真です」
ブログ『臥竜塾』2019年3月13日『取捨選択』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
取捨選択が個人の自由裁量で行なわれ、さらに先進国社会の若者たちには同年代の仲間とかかわるので、高校や大学に新たに入学した者たちは、独自の文化を構築することになります。その新たな文化には社会全体、すなわちメディア、世界情勢、そして先輩の文化から迎え入れた情報と、先人たちと差別化を図る目的で文化の構築者たちが新たに加えたものとがプレンドされているというのです。
子ども社会の中でもこのような文化の構築があったことでしょう。そんな大いなる担い手である彼らが、卒園式を迎えました。たくさんのアイデアと感動を与えてくれた彼らに、感謝の気持ちでいっぱいです。
(報告 加藤)
土曜日の午睡中、すいすい組(5歳児クラス)の子たちがアメリカンドッグを職員に配ってくれました。
料理上手で有名な看護師の先生が特別に、と企画してくれたものです。
看護師の先生にとって、卒園式を除けば、この子たちと過ごせる最後の土曜日。特別な想いが込み上げてきますね。
食べながら談笑していると、すいすい組の子から「この粉の名前なんだっけ」「お家で作りたいから」とのことで、
レシピをプレゼントすることに。
先生の言葉を書き写していきます
完成
親切心もあり、隣の友だちにコピーを渡すことに。プライドも働いてか、プレゼントされたコピーの誤字脱字探しを始めた友だちには笑ってしまいました。
見守る保育GTプラン第3条の中にこう書かれています。
『子どもは多様な大人、子ども同士の体験から、社会を学んでいくこと。(シティズンシップ)』~社会の先輩は、将来の社会人を見守る~
たくさんの人たちに見守られてきたのですね。
出会いと別れの季節がゆっくりと近づいてきています。
(報告 加藤)
「お城のお堀を作ったんだ」
「これ(箱)とこれ(箱)とこれ(箱)を組み合わせてお城にするよ」
大きな計画ですね
するとその横でらんらん組(4歳児クラス)の子
「真似してるんじゃなくて、すいすい組(5歳児クラス)の子よりもっとすごいの作ろうとしてるんだよ」
ブログ『臥竜塾』2019年1月9日『子ども文化は寄せ集め』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
遊び、言葉、大人を欺く戦略、細かな慣習、子ども文化はまさに寄せ集めだと言います。子どもたちは好き勝手に、その集団に属する子どもたちの大半に認められたものであれば何でもかんでもその中に投げ入れます。大人文化からも取捨選択をして取り入れるため、集団ごとに文化の内容は異なります。(略)
複数の文化に属する子どもたちは、それぞれの文化から取捨選択ができるので、選択の幅はいっそう広まります。
様々なものを取り入れて新しいものを生み出す。こういったことが子どもたちの日常のあらゆる場所で繰り広げられていることを感じます。
(報告 加藤)