意図性

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私のいる園では毎週体育の時間あります。その中では、決まった2つのグループに分かれて、鉄棒や跳び箱、マットなどの運動をしています。

つい最近、その中で面白いことに気付きました。

その面白いことは、鉄棒で逆上がりができた人数を、2つのグループ(仮にAとBグループで呼びます)で競い合っている場面で起きました。

結果はAグループが3人できて、Bグループが2人できたという感じだったのですが、先生が「今回はAグループの方ができた人が多かったね」と話し、Aグループが喜んでいると、Bグループは悔しがりながらも、ある子が「ちょっとまって!だってAの方が人数が多いからじゃない?」と発言したのです。

そうなんです。その日は確かにお休みの子がいて、決まったグループでやっているため、偏りができて、Aグループが10人、Bグループが8人だったのです。

私は「良く気付いたな」と子どもたちに感心していたのですが、本当に驚かされたのはその後でした。

体育後に、担当していた先生にその場面のことを聞いてみた所、こんな話が返ってきました。

「体育というと、跳び箱を飛べたか、鉄棒ができたかという所だけ見られがちなのですが、今日の様に意図して人数を合わせず、そこで数のことも学べるようにしているんです」

この話を聞いた時に、確かに数を学ぶことを意図していない人だと、おもわず最初に人数を合わせるだろうなと感じました。

そうなると、今回の様に数の違いに気付く子は出てこないと考えるとすごくもったいない気がしてきます。

普段、遊びの環境、言葉掛け、関わりの中では、文字であったり、数を意識していたのですが、運動の中に数というのは意識したことがなく、その話を聞いた日から運動の見方が変わりました。

他にも、日常の中で普通になっていることの中に、まだまだそんな子どもたちの学びチャンスがあるのではと思うと、常に子どもたちの様子をみて学ぶ大切さを感じます。

(投稿者 西田 泰幸)

意図性」への2件のフィードバック

  1. その数の違いに子どもたちが気づいた時には意図していた先生は嬉しかっただろうなと勝手に想像してしまいました。そんな嬉しい、楽しい体験を先生が感じる機会が増えると毎日にやりがいがうまれてきそうですね。そのためにはいかに意図して子どもたちと関わるかが大切ですね。僕もまだまだだなと感じましたので、明日からの保育にまたスイッチが入りました!

  2.  そこに数を学ぶことを意図する企みがあるなど、面白いアプローチですね。単純に跳び箱や鉄棒などを行うものが体育と思っていましたが、いわば〝体育〟という刷り込みの中にいたのではないかと思いました。そこに別の意図をもたせて含みによる広がりをもたせるなど、体育というものが自分の手元に落とし込めていなければできないことだと思います。専門家のなせる技というのでしょうか、そのような広がりのある体育を日常の中で楽しむことのできている子ども達は幸せですね。

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