以前、遊びにも片付けにも使用できる「手作り型落とし」について報告させて頂きましたが、今回は、その環境を用意してからの子どもたちの姿について報告したいと思います。子どもたちはというと、こんな感じで大盛況でした。
落とし入れるのに順番待ちができたり、入れ終わった玩具を箱から取り出して、再び入れ直すという姿も見られます。しかし、以前「いい玩具っていうのは…」という題で報告した、家具のフックを付ける用の小さな穴部分から、玩具を入れて遊ぶ姿はなくなりませんでした。その遊びを無くすために「手作り型落とし」を作ったわけではないので別にいいのですが、大人にとって同じように見える遊びでも、子どもにとっては別な遊び、唯一無二なものであるということが理解できました。
また、「手作り型落とし」によって子どもが意欲的に遊べる物が増えただけでなく、職員に余裕ができた印象があります。散らばった玩具を拾い集める作業が減り、子どもと少ない玩具で一緒に片付けをすることが出来ています。子どもたちも、すぐに片付けを終えて食事や昼寝スペースへ移動したりとスムーズです。
次に、その片付けをどう発展させるべきかという疑問が浮かびました。子どもがしている遊びを観察し、その遊びを片付けに応用し、次にやることは…と考えた時、やはり原点に戻りました。原点とは「子ども同士」です。子ども同士で片付け遊びが出来る方法はないものでしょうか。例えば、手で持てるサイズで1人に1つの型はめボックスを数個用意し、その担当になった子どもが他児の場所に行ってその形(種類)の玩具のみをもらって(集めて)くるのです。きっと、そこでは自然に「(この箱に)いーれーて」「はーい」とか、「まだやるの(遊びたい)!」とか「お片づけだよ」などといったやり取りが生まれるかもしれません。1歳児では難しいかも…と思うことでも、子どもはこちら側の想像をはるかに越えてくることがあるので、そのような、遊びを発展させる物を今後も考え形にしていきたいと思っています。
(報告者 小松崎高司)
手作り型落としを作っても、家具の穴部分に玩具を入れる遊びはなくならなかったとありました。このことを発見したということがとても素晴らしいですね。頭で考えて結論を出して、こうだろうと考えるのではなく、実際にやってみることで得られた結論、結果というものはものすごく価値のあるものだと思います。結果ではなく、その過程が大切であると教えていただきました。「大人にとって同じように見える遊びでも、子どもにとっては別な遊び、唯一無二なものであるということが理解できました」という発見もまさにやってみたからこその結論ですね。このような考え方を私もしていきたいと思います。そして、子ども同士の関係を生む玩具という視点もまた大切にしていきたい部分だなと感じさせてもらいました。
〝大人にとって同じように見える遊びでも、子どもにとっては別な遊び、唯一無二なものである〟〝原点とは「子ども同士」〟心打つ言葉がふんだんに織り込まれたこの度のブログです。大人の意図した通りにその姿を見せてくれたり、また意図した大人を超える姿を見せてくれる、そんな力を子ども達は携えていることを改めて感じます。そしてやはり〝子ども同士〟へとつなげていこうとする小松崎先生の考えは流石ですね。玩具という媒体を子ども通して子ども同士が関われる環境を設定する。見守る保育の環境の部分をそういう風にも解釈することができるのだととても勉強になりました。