前回からかなり時間が経ってしまいましたが、今回は10の姿の「協同性」についてこの場をお借りしてあれこれと考えてみたいと思います。
まず、幼児期の終わりに育てたい10の姿における「協同性」はこのようにあります。「友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる」
そもそもなのですが、「協同性」という漢字が少し気になりました。「きょうどう」というと「共同」であったり、「協働」であったり、「協同」であったり、「今日どう?」というような文字が浮かんできますし、パソコンでもこれらの漢字が変換されるように思います。
少し調べてみると、
共同は、「きょう – どう【共同】二人以 上の者が力を合せること。二人以上の者が同一の資 格でかかわること。「協同」と同義に用いることが ある。→協同。」
とあり、
協同とは、「きょう – どう【協同】ともに心と力をあわせ、助けあって仕事をすることや、複数の個人や団体が心や力をあわせて同じ目的、共通の利益を守るために事にあたること。共同。」
とあり、
協働とは、
「きょう – どう【協働】(cooperation ; collaboration) 協力して働くこと。複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動することをいう」
とありました。
それぞれ同じような内容ではあるのですが、「複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動することをいう」ということからも保育の現場では「協同」や「協働」という字が当てはまるのかもしれません。
ということで、「協同性」ですが、改めて「友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる」と説明してあります。
まず、「友達と関わる中で」とあります。この協同性は5領域の部分だと「人間関係」の部分になっていくのではないでしょうか。そして、「乳児保育に関わるねらい及び内容 」の部分だと「身近な人と気持ちが通じ合う(これがやがて人間関係という領域になっていきます)」という部分に当てはまるのかなと思いました。
そして、ねらい①に「安心できる関係の下で、身近な人と共に過ごす喜びを感じる」とあります。協同性というのはまずここから始まるのではないでしょうか。自分とは違う他者と共に過ごすことから始まるのだと思うと、保育園という集団がいかに必要であるかということが分かります。協同性の説明の中に、「友達と関わる中で」とありますが、友達と関わる場、つまり子ども集団に属すると様々な経験をします。それは楽しいこともたくさんありますし、時にはストレスを感じることもあると思います。乳児でも、おもちゃを介して、または保育士や他の子との関わりを通して、楽しさを共有しているような姿が見られます。お互いに笑い合ったりする何気ない場面から、友達と関わることが始まり、関わるからこそ、「互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて」という部分に繋がっていくのではないでしょうか。
友達同士での関わりを通すからこそ、相手が何を考えているのかが分かってくるのかなと思います。藤森先生の講演の中でも「共感力」の重要性がよくでてきます。共感力というのは「白目が見える距離」にいることが大切であるということを言われます。それはつまり、集団を形成するということになるのだと思います。集団を形成することで、様々な他者が自分と関わります。その距離は近い距離であり、つまり白目が見える距離ということになるのではないでしょうか(白目が見えることで相手の感情を感じることができるので、そのような表現をされます)。
そして、「共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる」とあります。
園という集団の中で、乳児から他者と関わることを経験することで、次第に相手が何を考えているのか、思っているのかを感じることができ、そして、そこから共通の目的の実現に向けて協力していく姿になっていくのですね。
また、とても大切だなと思うのが、協働の説明の中に、「複数の主体が、何らかの目標を共有し、ともに力を合わせて活動することをいう」とあります。これはつまり、主体でなければ目標を共有することができないということになるのではと思いました。「考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる」ためには、「共通の目的」を持たないければいけません。そのためにはそれぞれの子どもたちが、人が主体でなければならないとあります。
藤森先生のブログの中でもこのようなことが書かれてありました。「目標の共有化が必要です。そして、その目標に向かって、協働する各主体はお互いに自主・自律性を確保し、他の主体から支配されないことが必要になります。また、目標が効率・効果的に達成されるために、各主体は能力や資源を互いに補完し、相乗効果をはかる必要があります。ですから、関わる主体は成果に対してもそれ相応の責任をとらなければなりません。このようにそれぞれが主体であり、その能力や資源を補完し合うためには、考え方や取り組み方が異なっても、その異なる点をお互いが尊重していくことが大切です。そうすれば、共有目標の達成も効率的・効果的となるのです」
このように考えると、「協働」の方がしっくりくるのかもしれません。
では、複数の子どもが主体になるためにはどうすればいいのでしょうか。それはまさに、見守るという大人の関わり方が大切であり、園の環境としては様々な遊びの環境が用意してあるまさに藤森メソットの中のゾーン保育につながっていくのではないでしょうか。
大人が指示し、コントロールするように子どもと関わってしまうと、子どもは大人の言う通りに動くようになってしまいます。それでは、子ども主体は守られていことになりますね。
また、自分でどこで遊ぶか、誰と遊ぶかを決められる環境はまさにそれぞれの子どもたちが主体的です。例えば、ブロックゾーン。ブロックゾーンをやりたいと思った子どもしかそこにはいません。それぞれが主体であり、自発的に遊んでいます。だからこそ、目標を共有し、同じ目的に向かって遊ぶことができるのですね。
そして、「考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる」という部分ですが、先ほどの藤森先生の言葉の中にある「考え方や取り組み方が異なっても、その異なる点をお互いが尊重していくことが大切です。そうすれば、共有目標の達成も効率的・効果的となるのです」と同じことであるように思います。遊びの中で、「こうしたらいいんじゃない?」「でも、こうの方がいいよ」「あ、それいいね」というような子どもたちのやりとりはまさに、考え方や取り組みが異なってもそれを尊重していくという姿になっていくのかもしれません。
乳児の頃から他者と関わることを当たり前にしてきた子たちは、他者と関わることを楽しみ、そして、自然に共通の目的に向けて、協力していくように思います。それは人類が生き残ってきた戦略でもありますし、何よりその方が楽しいと知っているからではないでしょうか。そのためにもやはり、子ども同士が関わることが大切になってくると思うので、私たちはそれが十分にできる環境や関わり方を意識しないといけないのかなとも感じました。
つまり、とても強引のまとめになってしまいますが、乳児の頃から、子どもたち同士が関われる場があり、主体的になり、自発的に遊び込める環境があれば、子どもたちは協同性を育んでいくということになるのではないでしょうか。このように指針の内容を考えるといかに見守る保育、藤森メソッドが教育の真髄であるかということを改めて感じます。
僕なりに思ったことを書かせてもらいました。
このように形にすることで、まだまだ理解できていないことがたくさんあるなと思わされました。そのことに気づくためにもとてもいい機会なので、また続けていけたらと思います。
投稿者 森口達也