干し芋作り

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秋頃にとある保育園さんからさつまいもをたくさん頂いたのですが、なかなか食べることができずに、職員室の片隅へ置かれていました。近くを通るたびに気にはなりつつも手をつけられずにいました。そしてようやく塾長から「置いておいても悪くなっちゃうから干し芋にしちゃおうよ」という一言があり、先週の金曜日に朝から干し芋作りをしました。

 

朝からという事で私自身は手伝えずというか、その時間に干し芋作りをしている事さえ知りませんでした(笑)なので途中までは聞いた話になってしまうのですが・・・。

最初は山下君が蒸し器でさつまいもを蒸し始めました。蒸している途中で、山下君のお子さんが体調不良になってしまったらしく帰宅してしまいました。お昼をはさみ、その後は蒸しあがったさつまいもはなんと、塾長自らが皮をむき、それを西村君が食べやすい大きさに切っていくという作業をしていたそうです。たくさんの量をやっていたので、そのころには夕方になってしまったのですが、ようやくそこで仕事を終えた私と小松崎君が参戦します!

切ったさつまいもを平ザルに並べていきました。並べながら思い出したのは、小松崎君の実家の茨城県は干し芋が有名で、買ってきてもらったことあったのですがとてもおいしかったのを思い出しつつ、「小さい頃に干し芋作り体験とかしたことある?」と聞いたところ、地元の名産だったとしてもやったことはないということだったので、塾長が「これで実家の保育園に帰った時に子どもたちとできるし、先にやっといたおかげでどこが大変かわかってよかったね」と言っていました。

 

子ども達と一緒にいきなりクッキングをするのではなく、先ずは大人同士でも楽しくやっておけば子ども達とやるときにも慌てないし、楽しさも伝えられるのかなと思いました。また、干し上がるまではやはり時間が必要です。「待つ」ということは人類しかできない行為であるため、その能力を育てるにも大切な時間だなと思いました。

つまり、私たち日本人は元々農耕民族であったため種を撒き、それが育ち収穫し食べられるようになるまでには長い時間が必要です。その間待つという事は自然と「我慢」をしていまし、待つという事は得意だったと思います。

最近では食べ物や欲しいものがすぐに手に入ってしまうため「我慢」するということが減ってきていると思います。例えば子どもが何かを欲しがり、そのものをすぐ与えてしまっていると我慢が出来なくなり、カッとした時に自分を抑えるという事も出来なくなってしまいかねません。確かに蒸し上がった時点で食べる事も出来ますが、子どもたちと一緒に出来あがるまで「待つ」ことは、わくわくできる時間でもあります。

 

今回は子どもたちには見せていませんが、私自身も初めての体験だったので出来上がりが楽しみです。

次回子どもたちとやるときには一緒にわくわくしながら食べる日を待ちたいと思います。(報告者 柿崎)

切った芋を並べて干します

切った芋を並べて干します

干し芋作り」への2件のフィードバック

  1. かつての日本人は待つということを自然にやっていたんだなと思います。干し芋作りや、干し柿もそうで、出来上がるまで何日も待ちますね。味噌もそうですし、お酒もそうですが、出来上がるのを待つというあの感覚は大切なことだなと思います。今は少しでも待たない方が求められる時代でもあるかもしれません。注文したものは直ぐに届きます。それはそれでこちらとしてはありがたいのですが、だからこそ何かを楽しみに待つという経験はより大切にしたいなと思いますね。

  2.  〝「これで実家の保育園に帰った時に子どもたちとできるし、先にやっといたおかげでどこが大変かわかってよかったね」〟と、本当にその通りで、よく昔は何かやろうとする度に指導案のようなものを書かされていたことを思い出します。今思うと、良い経験をさせていただいたと感謝の気持ちが湧いてきます。実際に自分がやってみる、どのような展開になるかを想像してみるという、いわばイメージトレーニングは、その実践を成功から大成功に近づける大きな力を持っていると感じます。
     塾長を始め、たくさんの人の手が加わった干し芋。それだけで美味しさは保障されたようなものですね。出来上がりが楽しみです!!!

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