道徳のかけがえのない部分

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整理をしていたら出てきた風車を、

思い付いてエアコンの風のくる場所に

いただきますを待つ子たちがフーフー

嬉しかったのはその後で、

棚から降りやすいようにと子どもたちが椅子をセッティングしてくれました

ブログ『臥竜塾』2017年1月4日『道徳のかけがえのない部分』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

正しくは、私たちの道徳感は、二つの部分から成り立っていると彼は考えています。道徳は、私たちに生まれつき備わっている部分から始まっているからだと言います。そしてそれは、目を見張るばかりに豊かでもあるのです。赤ちゃんは道徳的な生き物だということは明らかになっています。進化のおかげで、他者に共感し、他者を思いやることができます。他者尾行動を評価することもできます。正義と公平も少しは理解しています。しかし、私たちは、単なる赤ちゃんを超えた存在なのです。私たちの道徳のかけがいのない部分、私たちを人間たらしめているものの多くは、人類の歴史と、個人の発達の過程で現われます。それは、私たちの思いやり、想像力、そして、合理的思考を可能にするたぐいまれなる能力の産物であると結論しています。

赤ちゃんの頃から育まれてきた思いやりや優しさをこうして表現してくれる子どもたち。この仕事だからこそ得られる喜びがあることを改めて感じます。

(報告 加藤)

道徳のかけがえのない部分」への2件のフィードバック

  1. 「子どもは生まれながらにして他者を思いやる力を持っている」ということを初めて知った時には、すごく感動しました。子どもたちと生活していると、素直に先生やお友達のことを気遣う場面によく出会います。そして、その素直さに感動させられることも多いです。生まれながらにして、そういった能力を私たち大人も持っているはずですよね。子どもたちの姿から学び、素直に他者を気遣える人間でありたいと思います。

  2. 他者を思いやる能力を携えていながら、そうではないような行動をとるような大人も存在するように思えたりもしますが、きっとその人は伝える能力をこれから磨いていく段階の人なのかもわかりません。子どもを丸ごと信じる、それはつまり人を丸ごと信じるということで、そういう気持ちでもって人と関わることができるように自分の前に現れてくれた観音様だと思ってその人を見る。そうできるように、いつでも自分の気持ちを保っていくことは、生きる上で大切な能力と言えるかもわかりません。

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