最近、保育の話を聞くことや話すときに注意していることがあります。よく藤森先生の話でもたびたびでてくる「そもそも・・」という視点です。これは非常に簡単なようでいて、とても奥が深いものです。しかし、その視点を持つことの重要さは意識していなかったときの何倍も自分に実りのある学びをもたらしてくれ、毎日訓練のように考えるようにしています。
そんな「そもそも論」ですが、まさにこの内容が「7つの習慣」の2つめに書かれていました。ここで、まず始めにコヴィ氏は「終わりを思い描く」という作業することが必要であると言っています。その「終わり」とは目的であり、夢や志ですね。「終わりを思い描くことから始めるということは、日々の中でさまざまな役割を果たすときに、自分の価値観を明確にし、方向をはっきりと定めて行動することである。」
よく保育の話をしていると「それって夢ですよね」とか「理想と現実はねぇ」と言われることがたびたびあります。しかし、志や夢がないとやはり実現することはできないのです。志や夢があるからこそ、価値観が生まれ、向かう方向を明確にしてくれるのだと思います。そして、コヴィ氏はこれらの「終わりを設定し、方向性を持つこと」を知的創造とし、日々の中での活動を物的創造としています。
とはいえ、毎日の日々の生活の中では、大きな志や夢の問題だけでなく、具体的な話や考えなどが出てきて、迷いや悩みが生まれることが多くあります。夢や志は持っていても、そればかりを言ってもなかなか納得してくれません。そうしたときにその夢や志の価値観をとおして、「なにができるのか」「大切にしていることはなにか」をはっきりと意識し、立ち返ることが必要だと7つの習慣には書いています。コヴィ氏は迷ったときの立ち返る目的や他人に影響されてぶれることのない基本的な価値観を「原則」とし、このことを持つことが非常に重要であると言っています。「そもそも、なぜそれをしなければいけないのか」「自分がやろうとしていたことの原点はなんだったか」をかんがえることがブレない自分を作り出すとしています。
そして、その価値観のもとに問題や活動に力を注ぐと、次第に言動や行動にブレがなくなり、人間としての安定性が増していきます。その安定性は言い換えると「自信」ですね。その自信は相手との違いを尊重し、自分の目標にむかえるようになるのです。
私は「見守る保育」に出会い、藤森先生から学ぶことで一つの大切な価値観を持ちました。その中で、これからの保育を考えたときにどう子どもたちを見ていけば良いのか、そもそも子どもたちに必要な能力とはと考えることが多くなりました。これらの視点を通して、今後とも保育に携わっていきたいと思います。
(投稿者 邨橋智樹)
「毎日の日々の生活の中では、大きな志や夢の問題だけでなく、具体的な話や考えなどが出てきて、迷いや悩みが生まれることが多くあります」とありました。とてもよく分かります。大きな志、夢を持つことはもちろん大切ですが、現実の具体的な問題に丁寧に向き合い、行動していくことの積み重ねが大きな志や夢に繋がっていくような気もします。この現実の具体的な問題、課題に丁寧に…全く私の課題でもあります。自分の足下をしっかり見つめることは忘れたくないです。
素晴らしい学びの数々です。大変勉強になります。ありがとうございます。
自分にとって発言力のある人が誰しもいるかと思います。家族、友人、尊敬している人、などなどです。その人達はよくも悪くも自分にとってとてつもない影響力をもっています。特に心配されて言われる意見というのは、自分にとってネガティブなものであることが多いかと思います。
迷ったときの立ち返る目的や他人に影響されてぶれることのない基本的な価値観を「原則」としました。その原則は自分の良心から成り立つ部分があると思っています。世界でも有数の資産家であり、「オマハの賢人」と称される著名投資家ウォーレン・バフェットは、著書の中で「私は困った時、鏡を見る」という内容の言葉を言っています。自分にひたすら問いかける、その作業こそが自分の良心に基づいた原則をしっかりと胸に焼きつかせることとなったり、時に思い起こさせるものとなったりするのではないかと思います。