取り込み忘れ

夕方、勤務を終えたクラスの先生から「まだ洗濯物が干しっぱなしなので、取り込んでもらっていいですか?」と頼まれました。私は、保育室からテラスに出て洗濯物を取り込み、洗濯ハンガーから洗濯物を外して、ふと近くのテーブルに置き、洗濯ハンガーを別の場所に置いて帰ってくると、ギュッと握ったり、広げて畳んだりと、洗濯物に興味を示している子どもたちの姿がありました。遊びの延長上として、手伝ってもらうことにしました。子どもたちの輪の中に私も入り、畳む姿を見せると、一生懸命真似をしようとしています。正方形のタオルを、2回半分にして最後は手で押して形を整えます。「パターン。パターン。そして、ギュッ!」「パターン。パターン。そして、ギュッ!」といった感じにリズムをとって遊びながら洗濯物を畳んでいると、子どもたちも楽しそうにやっていました。

真剣です

真剣です

「できた〜」

「できた〜」

ここで、ある光景が浮かびました。それは、午前おやつを食べる前に、子どもたちが自分のタオルで手を拭いた後、専用のトレイに戻す時に、子どもたちは律儀にそのタオルを畳んでトレイに乗せようとしている姿です。(その時間帯に一人の子どもがゆっくりじっくり自分のタオルを畳んでいると、他児を必要以上に待たせることになりますし、いただきますが遅くなってしまうという先入観からか、職員としてはもどかしい時間となることもあります…汗)しかし、洗濯物を取り込み忘れてくれたきっかけによって、それを遊びにしてしまうという発想が生まれました。家庭からのお便り帳の中でも、「今日は洗濯物を畳むお手伝いをしてくれました。」などという内容のものもありましたし、単純な物を「折り畳む」とか「形を変える」とか、そういった遊び(発達)の時期であるのかなと思いました。ということは、ままごとゾーン付近にタオルを数枚置いてみるのと同時に、洗濯物を干せる紐とかラックを用意する事で、その遊び(発達)を保障することができると思いました。

以前、塾長がした海外の保育の話に、昔、職員が玩具を入れておいた棚の鍵をし忘れていると、その棚から子どもたちが自発的に玩具を取り出して遊んでいる姿を見て、子どもの主体性を育む考えやそれを促す環境が生まれたというものがありました。そのようなハプニングから大事な事が見えてくるのは、非日常が日常に潤いを与えてくれる、塾長の「行事」の考え方にも似ているようにも感じました。そして、大人が思っている以上に、子どもたちは大人が「これは子どもが好きだろうなぁ」といって与えている物よりも、魅力的な物が数多くあるのかもしれません。子どもが興味を示す物が何なのかはっきりしないからこそ、多くの素材や環境に触れることができる空間の設定が重要であり、細かな“計画”が先ではなく「Do See Plan」であるのですね。塾長は、保育の計画について『主題を中心とした「誘導保育案」だけが必要であるのではなく、子どもの活動の中から子どもの興味関心の実情を理解し、子どもに経験して欲しいねらいや内容を探っていくのです』と言っています。実際の子どもの姿に沿った上での計画が必要なのですね。

保育所保育指針のおおむね2歳の部分には、「指先の機能の発達によってできることが増え、食事や衣服 の着脱、排泄など、自分の身の回りのことを自分でしようとする意欲が出てきます。」と書かれていました。折り畳んだり、形を変えようとするのは、指先を使った遊びが心地良かったからなのですね。そういった意欲を十分に保障できる指先で遊べる環境が、必要であることが理解できました。

(報告者 小松崎高司)

「育ちを待つ」

保育園の新しい環境の一つに「水耕栽培」があります。

水耕栽培の長所としては野菜の成長を身近に感じることが出来るということです。

また地方のように大きな畑を持つことが出来ない東京の都心のような場合でも、少しのスペースで野菜を栽培できることが可能ですし、基本的に室内で育てるので虫が寄らないので完全な無農薬栽培が可能なので、安心して食べる事ができます。

詳しくは新宿せいが保育園の公式フェイスブックに投稿されているので・・・・。

https://www.facebook.com/469676043191221/photos/pcb.476479735844185/476479429177549/?type=3&theater

 

そんな水耕栽培ですが当初は設置業者から指導を受けながらレタスを栽培し上手くいっていましたが、自分達だけでやってみると、なかなか上手くいかず、失敗の連続でした。

 

今回の3度目の栽培でやっと収穫までたどり着いたのです。

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先日、やっと収穫をして子ども達を食べることが出来ました。

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写真の通り、水菜を栽培し、収穫しました。一応、クラスの先生に今日、収穫して食べましょう!と言っていたので、収穫をする時に声を掛けて欲しかったそうですが、私の独断で勝手に収穫をしてしまい・・・本多先生が焦っていました、本多先生、どうもすみませんでした。

せっかくなので、子ども達と水菜を調理をすることに。 ただ、包丁を使うのは無理だと思ったので手でちぎることに(笑) なので、子ども達とひたすら、ちぎちぎ ちぎちぎ…

途中、せっかくなので味見をしよう! と何もつけずに水菜をパクリ!

美味しい!!

子ども達の口から美味しいを頂き、とても嬉しかったです。ただ、さすがに何もつけずにたくさんの量を食べるのは無理なので、調理の柿崎先生に頼み、今日の献立がカレイのネギ味噌焼だったので、ネギ味噌を少し多めに作ってもらい、水菜に浸けて食べることに。これもとても美味しかったです!

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自分で育てた野菜というのは、市販されている野菜よりもなぜか美味しく感じるのは私だけでしょうか。

水耕祭場に関していえば、作業が少し難しいので私と西村君で行いますが、常に成長を見ているというだけでも、もしかしたら野菜に対する気持ちが変わるようにも思います。さらに自分で調理をするとなると、やはり食べてみたい!という意欲が湧くと思います。

 

そういえば大河ドラマ「花燃ゆ」で主役の美和がお世継ぎ(殿様の息子)の世話役を任され、食事などの身近な世話をすることになりましたが、野菜をなかなか食べないお世継ぎに野菜の世話を一緒に始めたのです・・・。すると今まで食べなかった野菜を自分で育てたということで、たくさん食べれるようになったというシーンがありました。まぁ言ってしまえばドラマなのでどうにでもできますが、あながち間違っていないと思います。

 

塾長の講演でよく言われることが、

「野菜を育てて、収穫し、調理をするというのは、人間にしか出来ない能力です。」

 

野菜がどの時期に出来るのか予測し、一番美味しい時期に収穫し、そして火を使って調理をする。そのすべての行為に共通することが「待つ」という行為です。収穫できるまで「待つ」、調理をして出来上がるまで「待つ」。保育園では子どもを待たせる行為を避けています。しかし「待つ力」というのは社会で生きていく中で必要な能力です。しかし、子ども達にただ待たせるのでなく、待った先に楽しみがないといけません。そこが保育士の専門性が試されるところかもしれません。

 

よく見学者にディズニーランドの例を話します。

ほんの数分で終わるアトラクションに何時間もかけて並べるのは、待ったあとに楽しみがあるから待てるのであって、何もなければ待てないですよね・・・。

 

見守る保育では「子ども主体」という考え方が基盤にあります。子どもたちの将来を考えて、いま、どういう体験が必要なのか?と考えながら保育、環境を考えていく必要があります。

なんだか最後は話がずれてしまいましたね・・・(報告者 山下祐)

「伝承」

先日、年長さんがお芋堀に行ってきたので保育園に残ったのはもちろん年中さんと年少さんです。朝のお当番活動の一貫で職員室と調理室にお休みを伝えにいくお仕事がありますが、今日に限っては年中さんが気合い入っていたようにも感じます。やはり年長さんがいない分、自分達がしっかりやろう!という気持ちが子どもなりにあるのでしょうね。

 

そして午前中の活動も終わり、給食も食べ終わり、私の日課である食事スペースの掃除をしようと思い、お部屋にいくと何やら椅子を運んでいる音が聞こえました。

すると年中さんが自ら椅子を運んで掃除を始めているのです。少し驚きました。

まだ年長さんに比べると、運ぶ力やのコツも分からないので若干危なっかしい感じもしましたが、一生懸命に運んでいる姿に見とれてしまいました。

そして運び終えると、机も皆で協力して片付け始めたのです。

まだ年長さんもやってないことを始めて、最初は止めようか悩んだあげく、

少し見守ることに…ここも少し危なっかしいのですが、子ども達なりに、みんなで協力して机の片付けをやってのけました。さらに驚きました。

そして箒も勝手に自分達で持ってきて始めました。そして最後のちりとりも…。 続いて雑巾がけですが、まぁ雑巾絞りはまだまだ下手くそだろうなぁ、と思っていたら絞って持ってくる雑巾全てがちゃんと絞れていて、様子を見ていると絞り方も上手に絞ってるんですね…どこから覚えたんだろう…。

そして雑巾がけに関しても思った以上に上手で私から伝えることはほとんどないくらいでした。そして最後は机を並べて椅子を運ぶのも慣れたようにやってました。

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「なんで教えてないのに出来るの?」 と聞くと

「だって、いつもあそこから見てるから~」

と言うのです。「あそこ」というのはテレビの事です。

ご存じの方もいると思いますが、定員が増えて3、4、5歳の保育室は2フロアを使用しています。

その部屋同士は階が別れているので、お互いの様子を見れるようにモニターをつけて常時見れるようにしてあるのです。 子ども達はそのモニターをいつも見ていて年長さんがどのように掃除をしているのか見ていたそうです。

ただ見ているだけで、あんなに上手に出来るとは正直思ってもいませんでした…。 まさに「伝承」の力を改めて感じた30分です。(報告者山下祐)

結び付き

「◯◯君、ご飯だから◯◯君をおいでおいでしてきて〜」

0歳児クラスの保育者から、その言葉を受けた18ヶ月児は、同じ0歳児クラスの19ヶ月児に、食事ゾーンを指さして“一緒にご飯行こう”、“あっちだよ”とお誘いをしていました。それに気がついていない様子を察してか、迎えにいきたくなったのか、近づいてそうっと背中に手を添えて一緒に行こうとします。それに快く応えるかのように、颯爽と食事ゾーンへと足を運んでいくのです。

お迎え

お迎え

一緒に行こう

一緒に行こう

僕も行くよ

僕も行くよ

ご飯だね

ご飯だね

その一部始終を目の当たりにした私は、この言葉がけをした先生に「これ、すごいですね〜」と伝えると、その先生は「そうなんですよ。最近この2人よく関わるんですよね。」と言っていました。そして私は再び「すごいな〜」と心の中で思いました。1回目の「すごい」は子どもたちへでしたが、2回目は、働きだして1年目のその先生にでした。互いを求め合っていること、その子に関心があるという関係性を理解した上での言葉がけであったからです。

その時、こう思いました。もし、保育者が子どもに伝えるべきことをすべて、他児を通してそれを伝えることができたなら、他児の特性を活かして伝えることができたなら、どうなるだろうかと。おそらく保育者は、全体的にではなく個人的に伝えるため、声の大きさは小さくて済みます。また、直接子どもと話す機会が減るということは、必然的に子どもとの距離もとることができ、全体に目が行き届きやすくなります。そして、子どもは「伝え・伝えられる」関係によって他児との関わりが増え、社会を知り、生きていく上で必要な対人知性や自己理解をしていくのではないでしょうか。

私が、見守る保育に出会って衝撃を受けた本のひとつにこの本があります。

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これによって、保育者の常識とは何なのか、常識を疑い本質を見る姿勢を持つことの重要性などを知るきっかになりました。ここでも、声の大きさについて書かれています。

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声を小さくしましょうということではなく、子ども同士を結び付ける保育をしていると、自然と大人の声が小さくなっていくということであると、その本のひとつの答えにやっと辿り着いた気がしたのです。

保育者が排泄や食事、昼寝などに誘っても来ない時、手をつなぐことが好きな子に「◯◯ちゃんと手をつないで来て」と声をかけると、嬉しそうにその子を誘って来たりもしますし、お世話をしたがる子どもには、おやつを「◯◯ちゃんに渡してあげて」とか、「エプロンをつけてあげて」という主体的な役割を生む言葉をかけると、意気揚々と応えてくれます。一見、保育者主導に映る「言葉がけ」ですが、今後、子ども同士の関わりが加速する、自ら他児に関わろうと積極的になるような「言葉がけ」というのは重要であると思いますし、言い過ぎてもいけない難しさがあるように感じています。

対人知性を育むには、まず子ども同士を結び付ける必要があります。子ども同士を結び付ける「距離・言葉がけ・物的環境」によって、子どもは他児をより意識していくように感じます。その中でも、最近は「言葉がけ」に感動すること多かったので、報告させて頂きました。保育者の一言で子ども同士が結び付き、関わるきっかけが生まれます。「言葉がけ」は、不必要な介入を生みやすい印象がありましたが、一人一人の発達や特性を理解し、それを活かすために他児に向けさせる「言葉がけ」は、保育者の専門性のひとつでもあるように感じましたし、人間性が表れる部分でもあるように思いました。

(報告者 小松崎高司)

給食の楽しみ その中から育まれていくもの

新宿せいが保育園を知る前は、給食の楽しみって、食べることだけだと思っていました。

 

2歳児クラスでは、先日からトレイによる配膳を始めています。

最初は簡単なおかずなどのお皿を持って自分が選んで決めた席に座ることからスタートした配膳でしたが、

いよいよ今年度も子ども達待望のトレイを導入。

お皿を持っていくことも緊張していた子ども達が、、、と成長を感じています。

わくわくとドキドキの入り混じった表情です!

まずは見本を。わくわくとドキドキの入り混じった表情です!

 

〝いっぱい・ちょっと〟自分で量を決めることはもうお手の物♪

〝いっぱい・ちょっと〟自分で量を決めることはもうお手の物♪

「どれにしよっかなー」

「どれにしよっかなー」

「そーっとそーっと…」

「そーっとそーっと…」

慎重に運んでいく子ども達です。初日は、緊張に緊張が重なった様子で、逆に(?笑)誰もこぼしませんでした。

お茶をトレイに置かず行ってしまった子に声をかえても、振り返れないという(笑)子ども達の真剣さがわかる配膳の時間となりました。

 

トレイの導入に前後して、先日から時計も導入しています。おかわりが始まる時間、また、おかわりの終わりの時間を子ども達に提示しています。

 

「長い針が2のラクダまでです」

「長い針が2のラクダまでです」

早くに食べ終わってしまう子は、その時間がくるまでおしゃべりをしたり、なんとなく時間を潰しています。配膳の際に〝いっぱい・ちょっと〟と、保育者に口頭で伝え、自分で量を決めている子ども達ですが、食べ切れる喜びが発展した形で、自分から全部を〝ちょっと〟にする子もいます。最初のうちはいいのですが、段々自分が「もっと食べられる」ということがわかっていくと、このおかわりまでの時間を待つことよりも、給食を最初から〝いっぱい〟にすればいいのだ、ということがわかっていきます。そうして、本当の自分の量がわかっていく、という、奥の深い設定がされていることに気付きます。

時計も可愛く、例えば「(動物)から(動物)までね」と伝えることで、時計への興味、ひいては数字への興味へと発展していくのです。

 

かわいい動物の時計です。「サルになったらお片づけしよう」など、数字がまだ難しい子にもわかりやすいようです。

かわいい動物の時計です。「サルになったらお片づけしよう」など、数字がまだ難しい子にもわかりやすいようです。

先日、他園の見学・研修に行ってきました。とても充実した勉強をさせていただきました。

その中で、「(2歳児クラス)月齢の高い子が給食中に立ったりして落ち着かない。新宿せいがではどうされていますか?」という質問をいただきました。

 

給食の場面だけで一概に解決できることではないようにも思われますが、話をしていく中で、「なるほど、給食中は子ども達が受け身になっているのかもしれません」ということを、研修先の先生が仰っていました。

 

給食は盛り付けられた量。それが座っていると目の前に出されます。苦手な食べ物も、もしかしたら入っているかもしれません。それも食べなくてはならない。楽しく食べようと思っても、〝自分が選んでいる〟〝自分から働きかけている〟という感触なしでは、やはり退屈してしまうのかもしれません。〝月齢の高い子が〟という風にも仰っていたので、やはりできることがどんどん増えている時期の子こそ、意欲的に行動したいと思う気持ち、それがどうしても、〝落ち着かない〟という姿となって表れてしまうのかもしれません。

 

〝楽しいことが待っているという期待感〟が子ども達の〝待つ〟力を育てます。〝待つ〟力は、〝我慢〟をする力に繋がります。それは〝耐性〟とも呼ばれ、また、〝粘り強さ〟とも言い換えることができ、これから先、生きて行く上でとても必要な力へと発展していきます。

 

食べる以外の楽しみがある。給食の楽しみの中から、子ども達は知らず知らずの内に、とても大切な力を育んでいることを感じています。

 

(報告者 加藤恭平)

おうかがい

1歳児の子どもたちの姿を見ていると、よくもまぁ言葉も交わさないで自分たちの意志を伝え合っているなぁ・察し合っているなぁと思うことが多々あります。指さしや相手の視線、表情や身振り等、ありとあらゆる情報源を頼りに、相手を理解しようと詮索しているのです。その様子が時に面白くもあり、ぎこちなく感じる時もあるのですが、子どもたち自身による(非言語)コミュニケーションは、その部分を大切にしなくてはいけないと省みる日々です。大人が他者を理解していくのに時間がかかるように、打ち解けるのに時間がかからない子どもであっても、相手を知ろうと様々な手法でゆっくりと理解していくようですね。

先日は、自分の足が痛いと訴える女児(19ヶ月)と、それを見てあれやこれやと詮索していく男児(27ヶ月)とのやり取りがありましたので、報告させて頂きます。

まず、女児が座りこんで自分の足を指さして、か細い声で「ぅぇ〜ん」と言っているところから始まります。その声や姿に気づいたのか、そこへ男児がやってきて様子をうかがっています。

男児はしばらく女児を観察してから、「ここ(が痛いの)?」といったように指をさしながら相手に聞いていくのです。

女児は、そこだけじゃないよ、ここもだよといった感じに別の場所を指さして訴えます。男児はまた、「ここ(が気になるの)?」といったように、相手の足を指さして聞きます。そこで、相手は虫さされ痕やぶつけた痕を指さしていると理解したのか、男児は自分の足を見て、そのような痕がある部分を指さし、僕にもあるよといった感じに訴えたのです。

IMG_4769女児は、その部分をまじまじ見ています。それでも悲しい気持ちが消えないと察した男児は、半ズボンの裾を引っ張ってその痕を見えないようにして大きく笑ったのです。私には、まるで、見えなければ大丈夫だよ、こんなの平気さと言っているかのようです。

IMG_4770それだけではなく、その服の上から足を「パンパーンッ」と両手で大きく叩いてまた大きく笑いかけたのです。

IMG_4772これで、やっと女児も男児の頑張りに答えてくれるだろうと見ていると、そんなごまかし私には通用しないのよといった感じに、女児は近くにあった紙をポイッと投げたのです。きっと、私同様、男児も「…!?」といった感じであったでしょうね(笑)。その様子を見て、さて男児はどうするかと注目していると、驚く行動をとったのです。皆さんは、想像つくでしょうか。

男児はというと、再び「ここ(が痛いの)?」と相手の足を指さして心配そうにおうかがいをたてたのです。(大人でもこのような男女による関わりがあるような…とふと思いましたが、この自問は詮索しないようにしました。)

スクリーンショット 2015-10-09 21.25.03

スクリーンショット 2015-10-09 21.25.14また、これこそ対人知性であるなぁと思いました(笑)。相手をなぐさめようとして取った行動が、相手にはまらなかったことを瞬時に察して、すぐに行動を変えられるのは、他者の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適応しようとしている過程でもあり、他者との多くの関わりがなくてはできないことであると感じました。

その後はというと、男児はおうかがいをたててみたものの女児はそれでも悲しげな表情を浮かべていました。男児は諦めて他の遊びへと移ってしまいましたが、多くの共感をもらった女児に、その後やわらかな表情が戻ったのは言うまでもありません。

(報告者 小松崎高司)

子どもってやっぱり天才だ、と思う瞬間

2歳児クラスでビーズのようなカラフルで小さいものを、白い枠の中にプチプチっとはめていく遊びが流行っています。

こんな玩具です

こんな玩具です

 

4月当初は、この玩具を出しても、容器をシャカシャカと振って遊んだり、床にザーッとこぼしてみたり(笑)本来の遊び方とは違った遊び方でもって子ども達を楽しませていた玩具でしたが、最近は本当に集中して遊べるようになりました。パズルも同様で、そんなところからも子ども達の成長を大いに感じています。

黄色だけをハメています

黄色だけをはめています

一人の子が夢中で同じ色だけをはめていました。すると女の子が混ざってきました。同じ玩具を二人で協力して遊んでいます。

赤だけ集めていました

赤だけ集めていました

そのテーブルの隣です。これもまた同じ色で集めることにしたようです。違う玩具ではありますが、遊びが影響しあっていることを感じさせます。

そこに混ざってきたのがこの子。

混ざってきた時にはもう原型が出来ていました

混ざってきた時にはもう原型が出来ていました

もう既に原型が出来ていますね。この遊びの最初はこの子が青だけでこの玩具の模様をつくっていたことが、事の始まりだったようです。確かに最初の写真をよく見ると、青がほとんどないことがわかります(笑)

よく見たら青が全然ありませんね(笑)

よく見たら青が全然ありませんね(笑)

 

遊びが物理的にも影響し合っているようです。

IMG_2114

そして、青がなくなったので、空いているところに緑を入れていった、という流れです。

 

ここで、クラスの先生からの素晴らしい一言が入ります。

 

「目もやってみたら?」

 

たった8文字の衝撃。この言葉で、この子の創作脳がグルグルグルーッ!と回転したのがわかりました。

「できたよー!」

「できたよー!」

 

見事完成。その名も『おばけ』です。

 

この作品はすごいと思いました。その後数日間そのままにしておいてもどの子も分解しようとしなかったことを思うと、子どもからしても、何か壊してはいけないような、『作品』としての雰囲気が出ていたのかもしれません。

 

また、ここに辿り着くにあたって、子どもの意図を理解し、想像力を掻き立たせ、完成へと導いていったあの声掛け。新宿せいが保育園が誇るベテランの先生によるアプローチですが、この結果(作品)を見ると、やはり洗練されたもの、例えて言うなら洗練された保育観が心に宿っていることを感じざるを得ません。

 

この作品を見ると、子どもってやっぱり天才だと思います。重ねて、藤森先生の言葉が頭をよぎりました。11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されているブログ『臥竜塾』2006年8月24日『かっこよさ』の結びの文章でした。

 

〝どんな天才でも、それを受け止める人がいないと開花しませんね。〟

 

子どもの才能を認める大人がいてこそ、光る才能がある。才能に満ち溢れた子ども達を前にして、僕らは日常、どれだけの才能を認められているのでしょうか。

 

子どもの才能と、それを見守る保育者の姿勢に感動しつつ、日々の自分に対して強い内省の気持ちを沸かせるこの度の出来事でした。

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(報告者 加藤恭平)

役割交代と協力

以前「逆向きのエプロン」という題で、子ども同士の関わりにおける「能動と受動の役割交代」について報告させて頂きました。その中に、エプロンを付けてもらっている1歳児の男児がいました。今回は、その男児が、他児の助けを感じ取って自ら手助けしている場面があったので、報告したいと思います。

1歳児の子どもたちは、食事をした後に、自分が使用したエプロンとタオルを汚れ物袋に入れます。しかし、フックにかけられた袋の片方の取っ手のみを外し、片手で汚れ物を持ってその袋に入れるという行程が難しいようで、汚れ物袋を丸ごと職員のもとに持ってきて「やって!」と、職員が袋を持って口を広げ、子どもが汚れ物を入れることもあれば、コツをつかんで全ての行程を自分でこなす子どももいます。

男児は、その行程が出来ずに悪戦苦闘し、周囲を見回している1人の女児を見つけました。その様子を見て、“目の前の人は物を入れようとしている”、“助けを必要としている”などと、他者の気持ちを察したのだと思います。男児は、自らその子のビニール袋を持ち、女児の手助けをし始めました。大人の役割を子どもが交代し、そして、その子どもにしてもらった子どもが別の子どもの助けとなる、そのような一連の流れが見れた気がします。「能動と受動の役割交代」が、人類の存続に関連している「協力」という戦略とつながっているのではとも思える姿でした。

持ってあげるよ

持ってあげるよ

そのような子どもの同士の関係のなかで、社会を形成していく基礎を培っている子どもたちに、私たちは今後どのような対応をすればいいのかと考えた時、その男児が協力できる場面を伝えたり、それに気が付く機会が増えていくような環境を整えていくことなのかなと思いました。例えば、職員に「やって!」と汚れ袋を持ってきた子どもに、「◯◯君ができるからお願いしてみたら?」という声かけをしたり、その男児の汚れ物袋かけの周辺に、まだ1人で入れることができない子どもを配置し直すとか、袋に入れようとしている他児が見える場所に男児の食事する椅子を配置するなどでしょうか。そのような環境設定をして、子どもたちの動向を観察するのは、きっと楽しいでしょうね。予想とはまた違った子どもの動きなんかも見られて、その度に次の環境を考える、そういった過程が保育の醍醐味でもあると感じています。

また、ビニール袋を持ってもらった女児は、いったい何を思うでしょうか。いつもは先生にやってもらうことを、自分と同じような他児がしてくることで、これまでにない新たな刺激を感じたのは間違いないと思います。そのような刺激が、その子の発達のための大切な経験であると思いますし、対人関係・社会性の基礎を培うだけでなく、「協力」行為の輪を広げ、それらを加速させていくものでもあるのかなとも感じました。

(報告者 小松崎高司)

夏の野菜?果物?藤森先生も好きなあの食べ物といったら!完結編

夏が過ぎ、スイカの季節が終わろうとしていることを園庭のスイカが教えてくれました。

今年は、スイカにとても活躍してもらいました。最後に、子ども達の忘れられない笑顔をスイカが作ってくれたことを写真と共に報告させていただきます。

プール納めも近づく8月下旬のことです。

プール納めも近づく8月下旬のことです。

皆で園庭に集まりました。期待に膨んだ表情をしています。

「ではこれから切りまーす」

「ではこれから切りまーす」

「せーの!」

「せーの!」

パッカーン!「やったー!」

パッカーン!「やったー!」

きれいに色づいています。

きれいに色づいています。

どんな匂いがする?「スイカの匂いがするね」

どんな匂いがする?「スイカの匂いがするね」

さて、切っていきます。

さて、切っていきます。

皆で食べられるように、

皆で食べられるように、

「やったー!」切る度に(笑)沸く歓声です。

「やったー!」切る度に(笑)沸く歓声です。

さて、実食!

さて、実食!

「ちょっと座って待っててね」

「皆に配るからちょっと座って待っててね」

「次に何か楽しいことがある!」という期待感が、子どもの「待とう!」と思う気持ちを育みます。

毎日、給食前、おやつ前に皆で「いただきます!」をする為に、お喋りしたりしながらを待つ経験を重ねています。

このような積み重ねが、子ども達に〝待つ〟ことの意欲を持たせ、また、このような機会でその積み重ねてきたことの成果を見せてくれるのだなぁと感じたりしました。

皆に配っていきました

皆に配っていきました

それでは「すいかんぱーい!」ナイスセンス!

それでは「スイカんぱーい!」ナイスセンス!

「すいかんぱーい!」

「スイカんぱーい!」

「すいかんぱいしよ」「てへへ」

「スイカんぱいしよ」「てへへ」

 

皆で美味しくいただきました。

さて恒例の塗り絵タイム。スイカの塗り絵に人気が集まります。

夢中になって塗っていました。

夢中になって塗っていました。

すると、テーブルの反対側で「これ◯◯ちゃんのだよ!」と声が。

隠すように押さえています。

何やら隠すように押さえています。

ちょっと見せて、と声をかけると手をどけて見せてくれました。

すいかの〝す〟

すいかの〝す〟

確かにその子の名前の中には〝す〟が入っています。子どもの発見の面白さに小さな感動を覚えると同時に、意図せぬところで、繋がりが生まれていることを教えてくれる子ども達に、感謝の気持ちが湧いてきます。多岐にわたって子ども達の環境をデザインしてくれる西村先生、山下先生が中心となって植えてくれたスイカが、このような発展を生み、また、子ども達に、夏ならではの喜びを文字通り味合わせてくれました。多くの人の関わりの中で、子ども達が育まれていることを改めて感じさせてくれた取り組みでした。

これで、今年のスイカ報告は以上です。最後に絵本係として、スイカを題材にこのようなボードをつくったので紹介させてください。

また来年のスイカの季節が楽しみです。

『すいかのたね』『なつのおとずれ』を紹介しました

『すいかのたね』『なつのおとずれ』を紹介しました

 

(報告者 加藤恭平)

 

ピーマンクッキングのその後

以前に園の畑で採れたピーマンを子どもたちと一緒にクッキングをしたことで、保護者の方も家では全く食べないと言っていた「ピーマンのきんぴら」をよく食べていた。という事をお伝えしました。

最近、その子たちが「給食でピーマン出ないの?」と聞いてきました。クッキングをしたことを覚えてくれていた事を喜びつつ

出ないわけではないのですが、たまたまあまり入っていなかったせいか聞かれました。試しに「だってみんなあまりピーマン好きじゃないでしょ?」と聞いてみました。そしてら、「みんなでクッキングしたときのピーマンが美味しかったから食べられるもん!」と言った後に「でも家のはあまり好きじゃないんだ」と言っていました。その違いは何なのかその子に聞いてみたかったのですが、すぐにどっかに行ってしまったのと、ちょうど誰かに呼ばれたこともあて理由が聞けませんでした。

次回、給食でピーマンが出た際にはその子たちのところに行ってその理由を聞いてみたいと思います。

 

話は少し変わりますが、大河ドラマ「花燃ゆ」の中でも、野菜嫌いの幼児(お世継ぎ様)に対して、その世話役が嫌いな野菜を食べられるようにするにはどうするかと考えたところ、その時代にはとんでもない方法で野菜嫌いを克服していました。それが、新宿せいが保育園の食育三本柱の一つである「栽培」です。

お世継ぎ様なので、ゆくゆくは殿様になるお方に畑仕事をさせてしまいます。先ず、庭を耕し畑にした後、種まきをして水やりなどすることで、成長していく姿が楽しみになっていきます。そして、育った野菜を収穫し調理を頼みます。出てきた料理に以前までは全く見向きもしなかった野菜をそこで初めて食べることができるようになりました。

 

ドラマの中なので、実際にそのような事をしたのかはわかりませんが、食に対する子どもの興味は「栽培」「調理」「共食」の三本柱にあり、また、五感を使うことでその興味が一層増していくのではないかなと感じました。(報告者 柿崎)