見習うこと

この話は同じクラスの先生の体験談であり、あるSNSをコピーさせてもらっています。
そして本人から載せていいか確認を取って載せています。笑
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昨日の出来事、
うちの保育園は異年齢で保育してて、朝の会は345歳児の子どもたちがグループごとにテーブルに集まってやるんですが、ある3歳児の子が黄色グループなのですが真ん中の席がよくて青グループに座りたいと座っていました。ちょうどイスが余ってて、他の子どもたちもその子の普段からの姿をみてるので気にしてない様子。私もまたやってるなぁwと思いながらまっいっかと笑
でも会の終盤になり。。ある3歳児の女の子が座ってる席に遅れてきた違う4歳児の男の子が登場!みんなの気にしてなかった雰囲気が一転!!
座るところが無いとベソをかく4歳児の男の子に、周りお友だちも3歳児の女の子にどいてあげなと声を掛けました。4歳児の男の子も違うグループの3歳児の女の子に気付いて声を掛けました。でも3歳児の女の子は「でもさ、さっき空いてた。あっち座れば。。」と全く譲らず!!がんこチャーン!!笑
紙芝居を読もうとしてた私は、こりゃ始まったなーと思いましたwでも、周りの子が紙芝居そっちのけで、「じゃあこっち座る?」といすを出してくれたり。。
どーしたらいいかなぁーと言う私をよそに、子どもたちは声を掛けてくれました。でも、どーしても3歳児の女の子は動かない!!!
これは。。なんかいいチャンス!?と思った私は、みんなに「どーしてもどーしてもそこに座りたい○○ちゃん(3歳児の女の子)みたいだねー。。みんなならなんて声かける?ちょっと私にはわかんないなー。。私たちはどーしたらいんだろぉ??困ったなぁー」と投げかけてみました。
すると、5歳児の女の子が。。
「どうしてもそこがいいの??
○○ちゃん(3歳児の女の子)がどうしてもそこがいいなら、黄色グループと青グループの他の子が反対に座って変わってあげたら??」

なんとっ!!!?がんこちゃんのために周りの子が全員座るところをかえるの?!!!えー!!!!∑(゚Д゚)

と、思ってる大人たちをよそに、子どもたちは「それいいじゃんっ!!」とさっさとガタガタ座るところを変わり始めました(O_O)
話が理解しきれていない小さい子の手をひいて、4.5歳児の子はどんどん互いの席に移っていきます。なかには、やだなぁーと言う3歳児の女の子もいましたが、雰囲気をみて、「きょうは仕方ないな」と渋々変わっていきました。
当のRちゃんはちょっと気まずそうにしながらも変わらずその席に座り、同じグループの子がきてくれるとちょっと照れくさそうに笑いながらそっぽをむいてました。

「みんなってすごーいっ!!!」
「○○ちゃん(3歳児の女の子)の気持ちみんながわかって優しくしてくれて良かったね。優しくしてもらったこと、忘れないでね!」

私がしたのはそぉやって声を掛けただけ。

子どもたちってほんと柔軟っ!!何が正しくて間違っててとかじゃなくて、相手の気持ちを大事にしたいなって思ってくれたんだなって思いました。まぁ時には大人以上にシビアで厳しくて、それがまたいい影響を与え合う場面もたくさんあるんだけれど。

ちょっとした5分くらいの出来事だったけど、子どもたちに教えてもらいました。
そして、読むはずだった紙芝居は読めずwしょーがないねっと笑い、みんなで2ページだけみておしまいにしました!!

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とここまでがそのお話でした。
この先生のこれはチャンス!?と思えるセンスが素晴らしいと私は思います。
先生がそこで止めて仲裁に入ることでこの関わりはなくなってしまいます。問題を解決する頭の働きがここでフル回転することで様々な問題に打ち当たった時に解決できるのでしょう。その積み重ねでこの相手を思いやる気持ちと問題の解決に至ったのではないかと思っています。
 そして途中から現れた5歳児の女の子の対人知性にも驚かされます。塾長のブログの「対人知性」には、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」とあります。
まさに5歳児の女の子は3歳児の女の子の気分、気質、動機、欲求を選別しそれに適切な対応をしたのではないかと私は思います。さらに3歳児の女の子の性格をも理解した上で席を交換する選択だったのではないかとも思えます。
私がいいなと思うのはその状況を他のみんなも見ているということです。一人の女の子と一人の男の子の為に繰り広げられた展開をみんなが見ることで共感を得られたり、それは違うのでは?とそれぞれ思うことがあると思います。その考える機会を全体に持たせられる道徳のようなものが実際に目の前で行われていることがより生きるために必要なことではないでしょうか。
私自身がその場にいたらどうしていたのかは不安ですが、このような状況でもしっかりと核心を持てるような先を見通す力があるこの先生はすごいと思います。支援するコーチとしての役割をここでしっかりとしている先生を見習っていこうと思います。
(報告者 本多悠里)

なぜ相手は手を払いのけたのだろうか

先日、1歳児2人が隣同士で座りながらままごと遊びをしていました。お互い、隣にいることは知っているという感じでしたが、干渉せずに遊んでいました。すると、その1人であるA(24ヶ月児)に対して、B(19ヶ月児)が、持っていたお椀を「どうぞ」といった感じに渡そうとしました。Aは「いらないよ」といった感じに、手で払いのけました。

どうぞ

どうぞ

いらない…

いらない…

しかし、そのきっかけによって、Aは相手の遊びに興味を持ち始めたように、Bがコップを手に持って飲む真似をしている姿を見ると、Aもそれを真似していました。また、Bが飲む真似をした後、コップの中に入れていたチェーンリングを咥えてみると、Aもそれを真似してチューンリングを咥えてみせます。すると、互いに顔を見て、笑い合っています。

見てる

何してるんだろう…

あ、面白そう…

あ、面白そう…

やってみたいな…

やってみようっと…あ、笑ってる

その時、この子どもたちは、その瞬間からではなく、しばらく前から、互いの遊びに関心を持ち、コップの中にチェーンリングを入れていたことに気がつきました。その後、そのような行程を繰り返し、非言語コミュニケーションのもと、互いの動きを見合って自分の行動を変えていました。

初め、手を払いのけられたBは、それ以上はせずに、ただ隣にいて自分の見立て遊びを展開していました。その時、なぜ相手は手を払いのけたのだろうか、あの子は何がしたいのだろうかと思っていたのかもしれません。しかし、Aが自分の遊びに興味を持ち始めたと感じると、その遊びを一緒に共有しようと寄り添います。この遊びがしたかったのかな、これは楽しそうにしているななどと思っていたかもしれません。そこから、他者に対する『協調性』が感じられました。まさに、他者の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適応しようとしている過程のようにも感じました。

その後、面白い出来事が起こります。

AとBが2人で笑い合っていると、近くで0歳児の泣き声が聞こえてきました。すると、笑っていたAの表情は一変し、その泣き声がする先を見つめるのです。その様子を察したBも笑うのをやめて、Aが見つめた先を見ていました。

誰かが泣いてる…

誰かが泣いてる…

他者との協調を可能にするためには、まず相手の存在に気づき、相手が見ているものを一緒に共有したり、共視することが大切だと感じました。他者の行動の意味を察し、結果的に1歳児の2人が、泣いている0歳児に反応したように、近くに“他者に気がつく素材”(この場合は0歳児の泣き声)があること、また、当たり前ですが、自分と同じ部分に他者が反応を示しているという行為が「共感」を生むのだと、今回の事例で再確認出来ました。

裏話をすると、このエピソードは私が見たものではありません。0歳児クラスのある先生が「面白い動画撮れたから、(データ)送るね〜。」と、子どもの姿を共有してくれたおかげで、この報告が書けています。最近の塾長のブログ「レッジョと見守る保育」の中には、『子どもの好奇心や探究心とつきあうためには、まず保育者が好奇心探求心を持たないといけないのです。優れた学習者としてのモデルを示さないと行けないのです。次々に子どもに課題を与えることではなく、多くの情報を与えるのではなく、「子どもが探究している間、保育者は注意深く観察し、近くで耳を傾ける」ことがまず大切になります。』と書かれていました。この先生の行為は、まさに子どもの行為に遠くから寄り添った姿であり、私がそのようなエピソードを欲している事を知っているために、共有・協調しようとしてくれた姿でもあり、そして、「学習者としてのモデル」であるようにも感じました。

子どもの「対人知性」のモデルは、身近にいる大人同士の「対人知性」であると思います。そのような関係を自然に構築し、察してくれる環境に強く感謝しました。

(報告者 小松崎高司)

「いい玩具っていうのは…」

「いい玩具っていうのは、遊び方が決まってないものだよね。」

 

これは、近所にある玩具屋さんのご主人の言葉です。その方と仲良くなったのは、先々月、コマの紐を買いに行った際、隣にあったベーゴマのロゴ(文字)の意味について教えてもらったのがきっかけでした。

W:早稲田 K:慶応 R:立教 T:東京 H:法政 M:明治 等の六大学ロゴ 他にはプロレスラーや野球選手等、子どもたちにとってのヒーローが用いられていた。

W:早稲田 K:慶応 R:立教 T:東京 H:法政 M:明治 等の六大学ロゴ
他にはプロレスラーや野球選手等、子どもたちにとってのヒーロー名が用いられていた。

その方は、今の玩具の流行だけでなく、1960年代に流行したスーパーボールやスリンスキー、1970年代に流行したアメリカンクラッカーなど、昔からの玩具にも詳しく、店頭にあるものを使って説明してくれました。私も、アメリカンクラッカーの使い方を知らなかったので教えてもらうと、それにハマってしまい、購入して園に持っていきました。子どもよりも、大人がハマっていましたが…(笑)。

アメリカンクラッカー

アメリカンクラッカー

ご主人の様々な話を聞いていると、大学時代の「玩具文化論」という授業を思い出しました。ご主人の姿は、教授が玩具の歴史を話している姿のようでした。それも、入店時の無口な姿からは想像できないくらい饒舌に、且つ、非常にイキイキと語っていました。大学で「玩具文化論」を教わっているみたいで楽しかったです。そして、話も終盤になった頃、冒頭にあった「結局、いい玩具っていうのは、遊び方が決まってないものだよね。」とおっしゃっていたのです。初めから“この玩具はこうやって遊ぶもの”というように、遊び方が決まっているものよりも、“これはどうやって遊べばいいのだろうか”など、使う本人によって柔軟に遊び方が変わっていく玩具が「いい玩具」である、ということだと思います。しかし、近年ではそういった玩具も次第にニーズが減っているともおっしゃっていました。

 

ある日、家具の穴から芋虫のようなものがニョキっと出てきて、下にポトンッと落ちました。案の定、私の面白センサーが反応したので、しばらく様子を見てみることにしました。

あれ…何か出てきた。

あれ…何か出てきた。

使い方

使い方

これは、両側が磁石になっていて、複数個をくっ付けて造形していくという玩具なのですが、ある1歳児が、家具のフックを付ける用の小さな穴部分から、その玩具を入れ落として「型落とし」のように遊んでいたのです。その遊び専用に作られた玩具でも家具でもないのに、見事なまでに「型落とし」にはちょうどよい大きさだったのです。

こんな形。

こんな形の物が…

ちょうど入る。

ちょうど入る。

玩具が落ちる「カタンッ…カタンッ…」という音につられてか、しばらくすると、そこに0歳児もやってきました。1歳児が遊んでいる様子を見ていたのですね。0歳児も、自分もやってみようと挑戦して、見事型に入れ落とし「カタンッ」と音をならしていました。よほど楽しかったのか、何度も繰り返し遊んでいました。

見ている。

見ている。

やってみよう。

やってみよう。

ここで、その玩具は基本的には玩具同士をくっ付け合わせるという遊び方が決まっているのに、子どもの好奇心や探究心によって、その遊び方の壁を越えていることに気がつきました。子どもは、このように自ら様々なところに興味を持って、試してみて、面白い遊びを自発的に探しているのだとも感じました。

玩具の使い方は子どもが決めるものであって、大人によってその範囲を狭めてしまっている現状があり、与えられた遊び方をしているだけでは大切な創造力は育たなくなってしまうと、玩具屋さんのご主人は懸念しています。そのため、その玩具屋さんには基本的に遊び方が決まっている物は入荷しないようにしているともおっしゃっていましたが、自分の思いと社会のニーズ、それらを天秤にかけた経営も一筋縄ではいかないようです。

 

(報告者 小松崎高司)

 

ゆっくりと距離を縮めていく子 いきなり玩具をとるような形で関わりを生み出そうとする子

先日、対人知性についての報告をさせていただきました。

今回もそれに少し関連した出来事があったので報告させていただきます。

スポットを当てるようになると、今までなら受け流していたことも、関連性を帯びたものとして捉えられるような感覚になるから不思議です。

遊んでいる様子を見つめていました

遊んでいる様子を見つめていました

写真右の子がテーブルいっぱいにおままごとを広げていることがことの発端でした。緑の服を着た子が見つめています。その遊びに加わりたいようですが、きっかけを見つけているのか、中々声をかけられずにいます。

入りたいけど入れないような、「いーれーて」「一緒にあーそーぼ」と言いたいけど言えないような、そんな表情ですね

入りたいけど入れないような、「いーれーて」「一緒にあーそーぼ」と言いたいけど言えないような、そんな表情ですね

 

これも一つの対人知性と捉えます。アメリカの心理学者ハワード・ガードナーは、

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

と、対人知性を説いています。言い出せない子に勇気が足りない、と一側面的にはそう見てとることもできるようにも感じますが、〝遊んでいる子の気分を察して言い出さずにいる〟という、大人で言う〝空気を読んでいる〟行為ともとれるように感じています。それらが生む葛藤をしっかりと心の中で感じながら、それが表出されたような表情が写真には現れているように感じるのですが、いかかがでしょうか。

 

ここで、先日報告させていただいたブログ(泣いていた子のそばに来た子ども達が面白いことをして笑わせた、というような内容の報告です)から、藤森先生がこんなことを仰っていたと本多先生から伺いました。要約した内容を書きます。

 

「泣いている子をただ単に保育者が受け止めてしまえば、そこにその子を笑わせようとする子どもは現れなかったかもしれない。保育者が見守ることによって子ども達同士の関わりが生まれ、その子達の対人知性を伸ばすきっかけが生まれた、とも考えられる。もし、そこで生まれた関わりが見守ることの難しいものだった場合には、例えば軌道修正してあげたり、援助してあげたりすること。それこそが保育者の役割ではないか。」

 

藤森先生が僕の報告を話題にして下さったことの嬉しさと同時に、そのことを僕に教えてくれた本多先生に感謝の気持ちでいっぱいになります。

 

〝軌道修正〟

 

〝援助〟

 

その言葉に触発され、ありきたりながら、この子ども同士の関わりの中に、ちょっと顔を出そうと考えました。

緑の服の子にペットボトルを渡してみました。

緑の服の子にペットボトルを渡してみました。

 

すると、面白いものです。「いーれーて」の言葉なしに、その子は遊びの中に入ることができました。緑の服の子も嬉しそうです。

「ジュース入れてあげるね」

「ジュース入れてあげるね」

嬉しそうに飲む緑の服の子です

嬉しそうに飲む緑の服の子です

すると、ここでちょっとした問題が発生します。

忍び寄る影…(笑)

忍び寄る影…(笑)

写真右側の男の子が、勝手にそこにあったバナナをとってしまいます。

IMG_1889

バナナの玩具を取られたことに気づいて泣く女の子。「泣くとは思ってなかった…」というような表情でしょうか。

バナナの玩具を取られたことに気づいて泣く女の子。「泣くとは思ってなかった…」というような表情でしょうか。

 

すぐに元にあった場所へ戻していました。その子もどうやら遊びの中に入りたいようです。緑の服の子がどう入れてもらおうか迷っていたこととは大違いな大胆な入り方ですね(笑)

なので、ちょっと落ち着いたところで、その子にもコップを渡してみました。

 

コップを持って近付いていきました。

コップを持って近付いていきました。

すると、

やかんの中の飲み物を入れてくれました。

やかんの中の飲み物を入れてくれました。

IMG_1894

あそびに入れてもらえた満足感からか、自分であそびを発展させていました。

 

ここで、ちょっと見守ってみることに。この後、また一人加わるのですが、その子は遊んでいる様子を見た後、どこか別の遊びに向かっていきました。

楽しそうに遊んでいますね

関わりながら楽しそうに遊んでいます

さて、数分後。

緑の服の子は満足したようです。他の遊びに移っていました。

緑の服の子は満足したようです。他の遊びに移っていました。

自分だけの世界での見立て遊びへと発展をしていました

自分だけの世界での見立て遊びへと発展をしていました

 

もしかしたら子ども達の関わろうとする思いだけでは進展し得なかったことも、一緒に遊べたり、遊びを発展していくきっかけになったりとすることが、大人の援助によって、可能になることを実感しました。

 

また、関わろうとする力、つまり対人知性にもそれぞれが育くんできた感覚というものがあるのか、ゆっくりと距離を縮めていく子もいれば、いきなり玩具をとるような形で関わりを生み出そうとする子もいるようです。どちらがいい悪いということではなく、それぞれが子ども個人の持ちうる最高の能力でもって関わっているということを大人が理解して、援助をしようとすることが大切と言えるのかもしれません。

 

「保育者が見守ることによって子ども達同士の関わりが生まれ、その子達の対人知性を伸ばすきっかけが生まれた、とも考えられる。もし、そこで生まれた関わりが見守ることの難しいものだった場合には、例えば軌道修正してあげたり、援助してあげたりすること。それこそが保育者の役割ではないか。」

 

時に自分に問いかけながら、保育者としての役割を、これからも担っていきたいと思いました。

 

(報告者 加藤恭平)

日常の中に

先日、朝の受け入れの際に母親を後追いする1歳児がいました。すると、ある1歳児が手に持って遊んでいたマッサージ玩具を「どうぞ」といったようにその子に渡そうとしたのです。そこに、悲しんでいる子どもの姉がやってきました。姉は、妹の気持ちを受け止め抱きしめると、すかさず玩具を持ってきてくれた子どもの気持ちも理解して、その玩具を受け取ります。そうしている間に妹は姉に読んでほしい絵本を持ってきて、「読んで」とせがみ、姉は、妹と玩具を持ってきてくれた子どもに向かって読み聞かせを行っていました。2人も楽しそうに聞き入っていました。

玩具を渡そうとしている

玩具を渡そうとしている

お姉ちゃんが来た

お姉ちゃんが来た

玩具を姉に渡す

姉が玩具を受け取る

3人で絵本

3人で絵本

別の日には、ある1歳児が、つなげたブロックを電車に見立て、床を走らせていました。すると、その遊びが魅力的に映った別の1歳児が、それが欲しいとせがんできました。しかし、自分で作った電車ですからそう簡単には渡せません。しばらくすると、渡したくないので逃げる子と、それを使いたいと追う子の“追いかけっこ”が発生してしまいました。これは、周囲で遊んでいる他児にも影響ができるなぁと思っていた職員が、「◯◯君が作ってあげれば?」という一言を発しました。すると、逃げていた子が立ち止まり、追ってきた子に向かって「ほしい?待ってて。」と言って、その子のために同じような物を作って渡してあげていました。別の子どももやってきては、その子に作ってもらい、結果、3人で一緒に床を走らせて楽しんでいました。

作ってくれているのをじぃーと見ている

作っている様子をじぃーと見ている

上記2つの事例は、対人知性で重要な「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを学んでいるシーンでもあると感じています。「他者がなにを考えているのか、何をしようとしているのかを、他者の行為を観察して」それに見合った行動を自らしようという経験をしています。集団の中にいる子どもたちを見ていると、それが日常の至るところで行われているのだと思います。それらに気づき、科学的な知見に基づいて保育を考えていくのも楽しいですね。

番外編

電車好きのある1歳児が、他児が使っている電車の玩具が欲しいと訴えていました。近くを見てみると、それと全く形・色の同じ玩具があったので、玩具を取られそうになっていた子に渡して、それをその子に渡すように促しました。大抵の場合、それで解決するのですが、今回はそうはいきませんでした。どうしても、他児が使っている玩具が欲しかったのです。みなさんは、その理由が思い浮かぶでしょうか?私自身、「なんでこれに固執するのだろう…」と思っていました。すると、同じクラスのある職員が「あ、新しいんだ!」と言ったのです。一瞬「?」でしたが、両方を見比べると、確かに同じ物なのですが、「使い古した電車」と「真新しい電車」という違いがあったのです。

古いやつ

古いやつ

新しいやつ

新しいやつ

大人は、「きれい」「格好良い」や「汚い」「格好悪い」といった清潔やその他に関する事を、子どもに知ってもらうために何度も言い聞かせたり、時には大変な思いもしなくてはならないと思っているかもしれませんが、子どもは1歳にしてそれらを理解しているということのように感じました。その面に対して、子ども自身にとっての優先順位が大人の思うところよりも低いだけであり、その優先順位が変わってくる事が成長の証として感じ取れる部分でもあるのかなとも思ったのでした。

(報告者 小松崎高司)

ピーマンクッキング

先日、お昼の配膳のため3、4、5歳児クラスに上がり配膳台で準備をしていると、端に保育園の畑で採れたピーマンとナスがたくさん置いてあるのを見つけました。担任の先生が「こんなに採れてしまってどうしましょう」と、ちょっと使い切れない様子でした。その日はお盆という事もあり、子どもの人数も少なかったので急きょクッキングをすることにしました。ピーマンとナスという事で、「みそ炒め」を作ろうかと思ったのですが、以前に担任の先生がクッキングをしていたこともあり、あえて子どもの嫌いなピーマンのみでクッキングをしたらどうなるかと思い、「ピーマンのきんぴら」を午睡の時間に自由参加で年長さんを集めて作ることにしました。

 

子どもたちには先ず、半分に切ったピーマンから種を取ってもらい洗った後、順番に包丁を使って千切りにしていきました。何回も切っているうちに手がピーマン臭くなってしまい、「手が臭くなったー!」とブーブー言いながらも一生懸命切ってくれていました。炒める作業は僕がやりながら、横から順に子どもたちに調味料を加えてもらいながら作っていきまいた。1回では作り切れない程たくさんあったので、2回に分けて作りました。

 

作りながら何人かの子が「私ピーマンきらい」「僕もきらーい」なんていう言葉を聞いていたので、「本当に食べるのかな?」と思いながらフライパンから皿に盛り付けていると、「早く食べたい」という声が!

1回目に作った方を試食してみたところ見事に全員が「おいしい!!」と言っていたので、「え?さっきピーマン嫌いって言っていなかった?」と確認したところ「これはおいしい」と言ってパクパク食べていました。食べながら一人の子が、「2回目に作った方も食べてみたい」と言ったので、作り方も調味料も変わらないのですが、食べてみたところやはり「おいしい」と言いながらも、「でも1回目の方がおいしい」と言っていました。それをきっかけに自分はどっちが好きかを発表しあっていました。何度も食べ比べながら「2回目の方が好き」という子もいた中で、嫌いなはずのピーマンをちゃんと味わってどっちが好きかを答えている事に驚きました。

1回目と2回目に作ったピーマンのきんぴら

1回目と2回目に作ったピーマンのきんぴら

 

そんなこんなで食べていると、ピーマンが嫌いと言った子のお母さんがお迎えに来ました。自分の子がピーマンを食べていることに驚いていて、「○○ちゃんも食べたの?」と何度も聞いていました。そのお母さんも家でピーマンのきんぴらを作ったことがあるそうなのですが、その時は全く食べなかったそうで、作り方を聞いて「同じ感じなんですけどねぇ(笑)」と言いながら帰ってきました。

 

自分たちで水をあげ育て、収穫を体験したり実際にクッキングをしたりすることで子どもの興味や関心は何倍にも膨れ上がっているように思いました。塾長の「食育」の本の中でも食育3本柱として「栽培、収穫、料理」と書かれていますが、現代では野菜がどのように育つのか、どんな形をしているのか知らない子もいる中で、ある意味これ以上にない「食育」をしているように感じました。「そんな経験をたくさんさせてあげたいな」と感じたクッキングでした。 (報告者 柿崎)

「ありがとうございます!いただきます!」「どういたしまして!いただきます!」

 先日、調理の先生からご依頼いただき、にこにこさん(2歳児クラスの名称です。以下にこにことさせていただきます)はとうもろこしの皮むきをしました。 昨年の様子を調理の先生も知っていたので、「すぐに飽きちゃうかもね」「あまったら3・4・5歳児クラスに手伝ってもらいましょう」と話していたのですが、開始するや、剥く剥く!剥きに剥いて、あっという間に4箱分も剥いてしまいました。  

集中してリーダーの先生の話を聞いています。

集中してリーダーの先生の話を聞いています。

さぁ、スタートです!剥く剥く剥く剥く子ども達!

さぁ、スタートです!剥く剥く剥く剥く子ども達!

剥いています!

剥いています!

こういう時に剥くのが上手な子って、なんだかすごく格好よく見えます。「◯◯くんすごーい!」「◯◯ちゃん自分で剥けるんだねー!」なんて大人の声が飛び交うので、言われる子はちょっとしたヒーローのような気分になるのでしょうね。周りの子の羨望の眼差し(?笑)を受けながら、思いっきり楽しんでいました。

「僕の分も剥いてくれる?」「いいよ」

「僕の分も剥いてくれる?」「いいよ」

 

「たくさん剥いてくれてありがとう。おやつに目の前で焼いてたべようね♪」

 調理の先生が最後に言ってくださいました。楽しくがんばったことに対してありがとうを言われる嬉しさを、子ども達はこういったところからも感じていくのだろうと思います。お昼寝から起きてからが楽しみになりました。

 

 カーテンが開き、午後の光が差し込むと、楽しみにしていた子も多く、すっと起きてきた子ども達です。全員が集まったところで、いよいよ焼いていただきました。

ファイヤー! (注)演出を目的とした言葉であり、調理の先生が言った言葉ではありません。

ファイヤー!
(注)演出を目的とした言葉であり、調理の先生が言った言葉ではありません。

 皆、嬉しそうに見つめていました。立ち上る湯気、香ばしい香りに大人も食欲がそそられます。

「大きいの小さいのどっちがいい?」「おっきーの!」

「大きいの小さいのどっちがいい?」「おっきーの!」

  刷毛でバターと醤油を混ぜたタレを塗って、「いただきます!」

  …と思ったら、すぐ向かいにいるわいらんすい(3・4・5・歳児クラスの略称です。以下『わらす』とさせていただきます。)の先生の声が聞こえてきました。こういう時の声って、賑やかにしていてもよく通るから不思議です。  

「今日のおやつのとうもろこしはにこにこさんがむいてくれたんだって!皆でありがとうして食べよっか!」

  自然と静かになるにこにこの子ども達。顔は、わいらんすいさんの方をじーっと見ています。誰も目の前にあるとうもろこしに手をつけずに、その様子を見つめていました。

  わいらんすい「ありがとうございました!いただきます!」

  なんだか、嬉しくなりますね。こちらからもこう返すことにしました。

  「どういたしまして!いただきます!」

  一つのフロアー皆で、とうもろこしにかぶりつきました。舌の上に踊るその美味しさを、色々な人に喜んでもらえたという喜びと一緒に子ども達は味わっていたことと思います。

  夕方はそれにちなんで、とうもろこしの塗り絵をクラスの職員が用意していました。

この日のとうもろこしの塗り絵は売れに売れ(?笑)完売でした。

この日のとうもろこしの塗り絵は売れに売れ(?笑)完売でした。

 とうもろこしの身の部分を緑色に塗る子がいて、「まだ剥けてないところなの。」とのことです。こんなところにも子ども達は取り組みの成果を見せてくれるのですね。様々な体験ができた、素敵な取り組みだったなぁと思いました。

 また、調理のお手伝いをする日が楽しみです。

(報告者 加藤恭平)

「頭ぶつかっちゃったねー!ごめんなさーい!(笑)」「うふふ…。」

 8月も後半に差し掛かってきました。4月からの新入園児の子達もすっかり慣れ、2歳児クラスの子ども達も、子ども同士の関わりの深まりを見せています。7月にも新入園児が一人。先日、こんな素敵な場面に出会いました。
座っている子が7月から入園してきた子です。

椅子に座っている子が7月から入園してきた子です。床に座っている子は、おでこに手を当ててゲラゲラ笑っています。

 7月から入園した女の子が登園児に、さよならの寂しさも相まって目に涙を浮かべていました。それを見た4人の女の子がそっと近づいてきてくれました。一人は「◯◯ちゃんが泣いてるよー」と教えに来てくれました。(教えにきてくれた後すぐにどこかへ行ってしまったので写真の中には登場していません。)
 写真右上の子は様子を見ています。すると、顔を覗き込んでいた女の子二人が目を合わせたなぁと思った次の瞬間、頭をこちんっと合わせて、

「頭ぶつかっちゃったねー。ごめんなさーい!(笑)」 「ばー!」

「頭ぶつかっちゃったねー!ごめんなさーい!(笑)」

と、おどけてみせてくれたのです。

それを見た右上の女の子も「◯◯ちゃん!ばー!」と、ひょうきんに加わっています。

「うふふ…。」

「うふふ…。」

写真の口元からもお分かりの通り、泣いていた女の子は笑ってしまいました。目に浮かべていた涙はどこかへ行ってしまった様子です。2ヶ月という時間は、子ども達にとって、仲良くなるには十分過ぎるようです。

 藤森先生が10年間毎日欠かさずに更新されているブログ『臥竜塾』の2013年2月3日『対人知性』に、アメリカの心理学者ハワード・ガードナーの言葉が掲載されています。
 〝“対人知性”とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。〟
 〝対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別しそれに適切に対応する能力」である〟
 この場面においては、泣いている子の傍に集まってきてくれた子達は、泣いている子の気持ち(他人の気分)を汲んで(選別し)、どうしたらその子が笑顔になるか(それに適切に対応する能力)ということを行ったと考えられます。大人が何か指図するでもなく、子ども達は自然に体が動くようです。
 今年の成長展のテーマは〝対人知性〟です。今年度は来年3月始めの週に行われます。大きな行事です。クラスの係りの先生方は4月当初から動き始めています。
 子ども達も本当にすごいと思うのですが、職員の先生方の行事への想い、早くから取り組もうとする積極的な姿勢に、いつもながら感心してしまいます。
 このような関わりを、積極的に報告していけたらと思っています。
 (報告者 加藤恭平)

手をつなぐこと

wikipediaには、「手」について『「手」は脳の中では、(舌・口と同様に)人体の他の部分の実際のサイズの比率のと比較してかなり広い面積が割り当てられていることが明らかにされている。人間にとっての手の重要さ、脳が扱う身体活動の中に占める手の活動の割合の大きさが判る。(肉体の実サイズでは、例えば腹や腿のほうが大きいのに、脳の中の割り当て領域の広さでは、腹や腿よりも手のほうが大きいのである)』と書かれていました。人が、周りの環境に対して物理的に働きかける時には、ほとんど「手」を使うかと思います。その「手」には、脳につながる神経細胞が他の部分に比べると多く、手を活発に動かすと、その刺激は脳の多くの部分に伝わるということになります。また、『手は鋭敏な感覚器でもある。』とも書かれていました。

乳幼児であっても、自ら手や指先を使って物と関わろうとしたり、微細な運動を求めるのは、自発的にその刺激を脳に与え、その機能を活性化させようとしているのかもしれません。そういった刺激と同時に、脳の社会的な部分に刺激を与える行為の一つとして、他者と『手をつなぐこと』があるのではと思いました。

最近、1歳児の子どもたちが、子ども同士で手をつなぎ合う姿をよく目にします。部屋の中で手をつなぎ合って遊ぶ場所を移動したり、手をつなぎ合ってクッションにダイブしたり、手をつなぎ合って排泄場所から部屋まで戻ってきたり…。そんな疑問を抱いていると、ある日こんな声が聞こえてきました。

「じゃあ、◯◯くんと◯◯ちゃん、一緒に手をつないで戻ってね〜」

この声は、1歳児クラスにヘルプに来てくれた、職員室フリー担当のN先生でした。よく思い出してみると、同じクラスのC先生もよくこんな声かけをしている気がします。これは、排泄を終えた1歳児2人に対しての言葉がけであり、一緒に手をつなぎ合って遊びの空間まで戻ってもらうためのものであると思います。その言葉をかけられた2人は、目を合わせてまずポカンとしていました。しかし、数秒後、その言葉がけを理解した、又は自分なりに解釈できた方から「てって、てって(手)」と言って手を差し出していました。すると、相手の方も手を差し出してつなぎ合い、自然に笑い合って遊びの空間まで2人で戻ってきたのです。

先日、「探索と蟻」というテーマによって報告させて頂きましたが、排泄場所から遊びの空間までは少し距離があり、塾長からはその距離が1歳児にとって大切な「保育」であると学びました。その距離を、1人で探索するのではなく、2人で手をつないで探索することを促すという保育もあるのだなぁと感じました。そこでは、見守る保育で重要な「子ども同士の関わり」を生むための“言葉がけ”という「人的環境」が魅力を放っていたと思います。

この言葉がけが、最近の1歳児クラスの子どもたちの、手をつなぎ合う行動と関連しているとすると、「一緒に手をつなぐ」というキーワードが生み出す協力的思考は、子どもたちに社会性を感じてもらう素晴らしい言葉であると再認識することができました。

(報告者 小松崎高司)

夏の野菜?果物?藤森先生も好きなあの食べ物といったら!

先日から毎日プールに入って楽しんでいます。

以前報告をさせていただきました園庭は、塾頭山下先生と西村先生のお力で、素晴らしい園庭になりました。

この風景を見て子ども達が「雪が降ってるよ!」と言っていたことを思い出します

Beforeーこの風景を見て子ども達が「雪が降ってるよ!」と言っていたことを思い出します

Afterー芝が気持ち良い最高の園庭になりました

Afterー芝が気持ち良い最高の園庭になりました

2歳児クラスの園庭の脇には、ブルーベリーが植えられ、トマトが植えられ、その向かいにはなんとスイカが植えられました。

青い実が可愛いです

青い実が可愛いブルーベリーです

スイカを育てるということが自分の経験の中になかったもので、果たしてきちんと育つものなのかなぁと半ば疑問に思っていた部分もあったのですが(笑)

なんとまぁ、見事に大きくなりました!

葉の間から顔を出しているのが見えますでしょうか

葉の間から顔を出しているのが見えますでしょうか

「見てー!」と大盛り上がりです!

「見てー!」と大盛り上がりです!

するとその数分後、職員の悲鳴(笑 嘘です)が。なんと、ある子が収穫してしまいました。

正確には勢いでもいでしまったのですが、ここは大人の対応をと思い、とりあえず穏やかにそのスイカを確保。

それをおやつの時間に割ってみることにしました。

中の色は、白でした。香りはスイカで、味はスイカとズッキーニの中間のような感じで、「美味しい!」とはちょっと違う感じの味でした。

ちょっと興奮しすぎて写真を撮ることを忘れてしまったのですが、子ども達も興味津々といった感じでスイカの中身を見つめていました。

こんな感じでした↓

(https://www.cropnet.jp/sites/default/files/img/uid/27118/page/1438747326/003.JPG)
植えてくれた西村先生にことの次第を報告すると、「もっと大きいのができる為に何個か途中で採るみたいだから大丈夫だよ」とのことで、
なんだよかった(笑)結果オーライといった感じで、今は西村先生の公言通り、3個も大きい実がなってきています。
赤い実が食べられる日が楽しみです。
さて、藤森先生が10年間毎日更新されているブログ『臥竜塾』の2006年7月11日『スイカ』の回は、とても印象的な言葉で締めくくられています。
紹介させていただきます。
〝私は、スイカが大好きです。〟
ということで、今年度絵本係を担当していることもあり、スイカに関係する絵本を調べていこうと係りで話しました。
もう時期も時期なので、急げ急げと思ってやっているのですが、wikipediaには、こんな風に紹介されていました。
〝スイカは秋の季語としても用いられる。これはスイカの旬が立秋(8月7日頃)を過ぎる頃であるからで、この時期はの定義では秋になり、秋の季語として使われるわけである(近年の歳時記では時代に即して夏の季語とするものもある)。〟
少し救われたような思いもしながら、この赤と緑の鮮やかな果物を、絵本係として追ってみたいと思ってます。
ちなみに、先日、園の玄関にスイカが飾られました。
入善ジャンボすいかー〝ラグビーボールと表現されるユニークな形の巨大すいか。〟と紹介されています。

入善ジャンボすいかー〝ラグビーボールと表現されるユニークな形の巨大すいか。〟と紹介されています。

それを、職員でいよいよ割って食べました。毎年恒例(?笑)のお楽しみの瞬間です。大きさに圧倒されてしまいますね。

今年は職員室フリーの2年目の職員がカット!この役に選ばれるのは、ツイてます。

今年は職員室フリーの2年目の職員がカット!この役に選ばれるのは、ツイてます。

更に、カット!

更に、カット!

大きいのは、食いしん坊で有名な(?笑)この先生に!

大きいのは、食いしん坊で有名な(?笑)この先生に!

藤森先生も嬉しそうです。

藤森先生も嬉しそうです。

すいかは、人の気持ちを嬉しくさせる力を持っていますね。

(報告者 加藤恭平)