見学

先日、私が働いている保育園に市の公立保育園の先生方が見学に来たことを報告します。

見学の内容は主に新園舎の施設見学であったのですが、その中でも、質問にあったのは保育課程のことやどのような保育をしているのか、安全への配慮について、などのことを聞かれました。

言うまでもなく、今始めていることは「見守る保育」というものを追い求めて、保育を始めているのですが、その上で、子どもたちにどうなっていってほしいか、どう育っていくようにもっていこうかということを話しました。

 

よくこの保育のことを人に説明するときに、見守る保育のことや体験してきたことを話すと、「それは理想だね」と一蹴されることがあります。

 

確かにやってみないと分からないことかもしれません。しかし、できると思ってやらないとできないのではないでしょうか。と憤りを含め説明してしまいます。ありがたいことに私の場合、保育園や幼稚園を含め、「行う現場」があることは一つの強みです。いくらそう言っている先生も途上にある保育園を見ていると、子どもたちが選択している様子や生活している様子を見て、「生き生きしていますね」「子どもたちでもこういったことができるんですね」と言われていました。

 

そして、「それほどの願いを込めて作られた保育園なのですね。」と見学にも熱が入っていました。しかし、話を聞いていくと公立は現場がいくら声を上げても、なかなか上の役所の方が変わらない現状があり、そこが難しいらしいです。ある意味、私立保育園は独自で動くことができる分、動きやすいのかもしれません。その流れのなか、一つでも大きなうねりがつくれるように尽くしていければいいなと思っています。今後は、公立の先生方は伊丹にある公立保育園を見学に見に行く予定があるそうで、また一つ、保育の動きが出てくるといいなと心から願っています。

 

まだまだ、一歩ずつ始めていることが実を結び、良い機会に恵まれて、見学に来てもらったり、話す機会をもらえることにとても感謝を覚えます。今自分のいる地域が一つでも活性化できるように力になれれば良いと思います。まだまだ、託児という印象がつよい私の地域で一つでも子どもたちの生きる力を伸ばせるような、そんな保育園がもっと増えてくれればいいなと心から願っています。

(投稿者 邨橋智樹)

子どもから教わる

日々の保育の中で子どもたちから教わることは多く、子どもは

すごいなと思うことは誰もがあることだと思います。
その中で私が教わったことを書きたいと思います。

私は幼児クラス(3.4.5歳)を今受け持たせてもらっています。
最近の子どもたちはというと活発に活動し、やりたいことを
正面から向かっていっているような印象です。
そんな正面から向かう姿勢からはやはりお友だちとぶつかることも多々あります。
特に今は4歳児クラスの女の子は毎日のようにケンカをし、ピーステーブルに行っています。
ピーステーブルというのはケンカしたときにお互いに自分の意見を伝えて、
尚且つ相手の意見もしっかりと聞こうというテーブルです。
そこに行くことで落ち着いて話をし、仲直りしてくることが多いです。
これは先日の給食のときの出来事です。
配膳をもらい、座っている3歳クラスの男の子がいました。
隣に座っているのも3歳クラスの女の子でした。
すると少しお話が盛り上がりスープをこぼしてしまいました。
トレーの上のみならずテーブルクロスにまでこぼれてしまったため、
そのテーブルに座っているお友だち全員がこれは汚いという判断をし、
全員トレーを椅子に起き、テーブルクロスを取りました。
そのテーブルにいた年長の子がテーブルを拭いてくれていました。
これはいつものことですが取ったテーブルクロスを3歳クラスの
男の子が「僕が洗濯機に持って行く!」
女の子が「私が先に持ったんだから!」とケンカになっていたようです。
ここまでは違う先生が見ていて、その先生は違うトラブルも抱えていたので
すぐに私がバトンタッチをしました。
ただ私はどちらが先だったのかなど見ていなかったのと状況をその子たちに聞いても
よくわからなかったので少し曖昧に仲直りをしてみようかと試みました。
その場が落ち着くのを待ちケンカした2人と一緒にテーブルクロスを
洗濯機に持っていきました。
どちらが正しいとかどちらが先というのを明確にするのではなく
ふとした瞬間に笑顔がこぼれたり面白いことがあって仲直りができるのでは
ないかとその状況と3歳クラスの子には良いのかなと瞬時に判断してしまいました。
しかし、少しするとまだ状況をうまく説明できなかった男の子が、
「ピーステーブル行くの!!」言ったのです。
納得いかないことがやはりあるようで、「それは行っておいで!ごめん!」
と一声かけると女の子を連れ、走ってピーステーブルにいきました。
覗きに行こうとしましたがすぐに違う子どもに呼ばれ覗きにいくことが
できませんでした。
しかし、2、3分経つとものすごい良い笑顔で二人が帰ってきました。
どんなことを話したのか非常に気になりますが、すっきりした様子でした。
よくケンカをした際には「ピーステーブルに行っておいで」と声をかける
ことはありますが逆に行かないと気が済まないというケースもあることを
知りました。
まだ3歳だからという固定概念とまだその子を本当に理解してはいなかったことを
恥ずかしく感じるとともに子どもの可能性は無限大であることを再確認しました。
当たり前のことですがもっともっと子どもたちをよく見なくてはいけない、
それを子どもたちから教わった出来事でした。
(報告者 本多悠里)

アピール

地域のお祭りに今いる幼稚園のパネルを貼る機会をいただきました。そこには幼稚園の紹介を載せることが主な目的なのですが、180㎝×90㎝と非常に大きなパネルを二枚ももらえるということで、園の先生と協力して、幼稚園の紹介・様子を一枚。発達や育ちが見えるパネルをもう一枚作ることにしました。

今回その主題にしたのが「自由画」です。自由にものを描くなかで発達が見えてくるのではないかとふと思いました。自由画はどの年代も遊びの中ですることですし、だからこそ、その差が見えてくIMG_1625 (2)るのを新宿せいが保育園にいたときに知っていたので、題材を自由画に決めました。また、これらの取り組みを提案したのは幼稚園の先生方に1才・2才の発達を見てもらい、ちょっとでも意識をもってもらえたらということもありました。

 

作る中で、やはり痛感したことが、発達はどの子どもたちも必ず通る道だということが見て取れました。各才児ごとにその発達を保育所保育指針や見守るなどを通して、説明しているとそれに即した絵がほとんどでした。子どもたちの発達のつながりを説明していくといろんなことが見えてきます。

 

今の園はある意味で、「自由すぎる」と言われることがあるそうです。しかし、遊びの中に育ちはあるということをもっと保護者や地域にアピールしていくことが必要なのではないかということを一つ課題に挙げました。どこにいっても保育を説明していく中で、「自由に遊ばすだけでなにを学んでいるんだ」と言われることがあります。しかし、それには遊びに意図をもたせる環境がないだけであって、意図のある環境やねらいがあるからこそ、「遊びは学び」に繋がるのだと思います。

 

今回、こういった機会を通して、その大切さと、しっかりと発達を見通す必要性、それに応じた環境を作る必要性をとても感じました。

そして、それを外にしっかりとアピールする必要性、今回の取り組みを通じて、一歩進んだように思います。

(投稿者 邨橋 智樹)

 

 

 

 

気持ちの余裕

先日3,4,5歳のクラスに入った時に、「気持ちの余裕の大切さ」を感じさせられる場面がありました。

朝の会が少しずつ始まり、みんなが片づけを頑張っている時、ある子がそんなことはお構いなしに絵を描いていました。その子は、朝の会にも遅れていくことが多く、今回も熱中して何か描いている様子でした。

何を描いているのかなと思いのぞいてみると、白い紙が見えなくなるくらい、いろんな色でいろんなものが描いてあり、重ね描きしすぎて何が何だかわからなくなっていました。

「なんでこんなに描いたかな」と一瞬、思ったのですが、その真剣さにこれはすぐには朝の会には参加できないなと思い、「もう一枚新しい紙をあげるから、それかいたら残りは続きにしようね」と声掛けをしました。

すると、その子は、嬉しそうにその紙を受け取り、また描き始めました。とても上手に家の絵を描いて、「すごい上手だね」と声掛けをすると、嬉しそうな顔を見せ、私に月を描いてと言ってきました。もう周りには、誰も残っておらず、ここまで来たらゆっくり付き合おうと思い、月を描いてあげると、その周りに点々と芝のようなものを描き始めました。「もしかして○○くんのお家を描いているの?」と聞くと、「うん」と、今まで見せたこともないような笑顔を見せてくれました。そして、「またあとで続きやる。一緒にやろうね」と朝の会へ走っていきました。

そこで気付いたのですが、初めに描いていた絵もよく見ると同じ絵が描いてあり、それが何回も描かれぐちゃぐちゃの絵になっていたのです。

ずっと誰かに見てほしかったんだろうなと感じると、少し申し訳ないような気持にもなりました。

今回の様に、ぐちゃぐちゃの絵に見えたり、朝の会に出なかったりといった子どもたちの行動にもちゃんと意味があり、それをちゃんと受け止めてあげる。気持ちの大切さを忘れないようにしようと感じた場面でした。   (投稿者 西田 泰幸)

新入園児

4月になると新入園児が入ってくることは多いのではないでしょうか。
私の保育園でも何名か入ってきて慣れ始めているところです。
 
幼児で途中から入って、新しい環境になるというのは実際にどんな心境なのか気になります。
あまり考えず流れに身を任せるのか、それともドキドキして色んなことを想像してしまうのか。
大人になると後者の方が圧倒的に多いように思います。大人だと様々なことが邪魔をして
環境に慣れるのに少し時間がかかるイメージですが、子どもは気づくとお友だちがてきていて、
お友だちの輪にすっかり馴染んでいるというこがあります。
こういった姿を見ると子どもは順応性が高いなぁとつくづく思います。
話は変わりますが、最近4月に入ってきた子どもと担任の先生が話をしていて、
私にこんな報告をしてくれました。
「○○くん保育園がすごい楽しいって言ってくれてるよ」と教えてくれました。
やはり見守る保育という環境は子どもにとって良い環境であることが確信できます。
ある日その話を聞いていたので一緒にいるときに保育園楽しい?と聞いてみました。
するとやはり楽しい!と返ってきました。楽しいと言っている顔があまりにも輝いていて驚きました。
「何が楽しい?」と聞いてみるとその子は、
「今これをしてることが楽しい」と答えてくれました。
これというのは今後、製作で使うために、短くなった色鉛筆を糸鋸で更に半分にし、
トゲトゲして危ない所を紙やすりで『ヤスリをする』という作業でした。
思わず、「え、これが楽しいの??」と聞いてしまいました。
しかし、その子は満面の笑みで楽しいと言っていました。
よく考えると普通に生活をしていたら紙やすりを使う機会なんてないのかなと思いました。
うちの保育園は様々なことを遊び以外でも手伝ってもらうことが多いように思います。
洗濯して干したテーブルクロスを畳んでもらうこともあれば金魚の水槽を一緒に洗ったりということもありました。
トイレ掃除も率先してお手伝いをしてくれる子もいます。
ただどれもやってほしいと頼んだわけではないのにやりたいということが多いです。
そんな経験は家庭ではあまりしないからでしょうね。
その子は新宿せいが保育園に来て様々ことが新鮮でやることやることに興味を持ってやってくれます。
様々な環境を用意することの大切さというのを肌で感じるともっともっと
頑張らなくてはいけないなと感じることができる出来事でした。
(報告者 本多)

子どもたちが決めたルール

先日ある記事で「フィンランドの子供達が作った議論における10のルール 」というものを見ました。

その内容は

  1. 他人の発言をさえぎらない
  2. 話すときは、だらだらとしゃべらない
  3. 話すときに、怒ったり泣いたりしない
  4. わからないことがあったら、すぐに質問する
  5. 話を聞くときは、話している人の目を見る
  6. 話を聞くときは、他のことをしない
  7. 最後まで、きちんと話を聞く
  8. 議論が台無しになるようなことを言わない
  9. どのような意見であっても、間違いと決めつけない
  10. 議論が終わったら、議論の内容の話はしない

というもので、フィンランドの小学5年生が自分たちでまとめたものだそうです。

これだけのルールを考えるのは大人でも難しく感じますが、これを見た時ひとつ思い浮かんだものがありました。

それは、新宿せいが保育園のピーステーブルです。

このピーステーブルは子どもたちがケンカをしてしまった時や、意見が合わなかった時などに、話し合いの場として使っている場所なのですが、ここで話す時に、1404483817582があります。

それは

  1. あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう
  2. はなしをきくときはあいてのかおをみよう
  3. じぶんのきもちをことばでいおう

というものです。

ルールの数は少ないものの、内容はなんだか似ていますね。

人との関わりにおいて大切なもの。それはどの国においても共通。そして、子どもでも気付くことができるもの。大人の私たちが忘れるわけにはいきませんね。

自分に言い聞かせたくなる記事でした(笑)              (投稿者 西田 泰幸)

ドイツ報告

今回のドイツツアーは1日2園それぞれ2時間以上の見学をし、ツアー中は8施設見学することができました。

6月24日(火)の初日の午前中は1993年に設立された3歳から11歳の幼稚園と学童が併設された児童数計90名の施設に行ってきました。

この施設の特徴は、外国人や移民家庭がなんと90パーセント以上もいるので、週に一回ドイツ語の先生が市から派遣されてくるそうです。そして、希望者を対象に指導が行われています。

幼稚園の開園時間は7時から17時までの園で、どんな天候だろうが基本的に30分から1時間ほど外で過ごす時間がありました。そして昼食を食べたら14時くらいまでお昼寝の時間がありましたが、お迎えの早い子は14時頃にお迎えが来るという事でした。

この園で素晴らしいと感じたのは、やはり外国人や移民家庭が多いので言語に困ることが多々あるそうです。そういったところで困った際には保護者に協力をしてもらうとこでそこの言語が話せたり、近い言葉を知っていたりするそうなので助けてもらっているということでした。

午後の施設は、1985年設立のシュタイナーの幼稚園を見学してきました。

ここの施設は2歳から3歳児が10名の1グループ、3歳から6歳児が25名×2グループある児童数計60名のハウスフェアキンダ―(今までは保育園的施設の事をコーポレーションと言われていたのがこのように変わりました)に行きました。

開園時間は7時半から月、火、金曜が15時半まで、水、木が17時までということでした。

この施設の特徴は、シュタイナーの思想に基づいた保育プログラムをしていることと、施設や周辺の自然環境に恵まれていることでした。

地域の方たちとも仲良く過ごしているそうで、施設の地下にはドラムセットやキーボード、アンプなどが置いてありました。それは、地域の少年たちが使用するという事で、部屋を貸しているという事でした。また、夏休みなど学校が休みの日に登園してきた子どもたち(30人くらい)の昼食を年に何回か保護者が作って持ってきてくるそうです。

今回ドイツの施設を観てきた「調理、昼食」は、

・園では全く栄養計算などしない

・曜日によって肉、魚、麺、甘いもの(ジャムを塗ったパンなど)、煮込み料理(ポトフのなど)の日がそれぞれ決まっている

・調理の仕事はサラダやフルーツを切ること、メインの料理は冷凍されたものを温めるだけ

・男性調理員はイケメン(笑)

と、いう事でした。日本とドイツでは国も違えば法律や制度も違うので全てとは無理かもしれませんが、学んできたことや良いアイディアなど取り込んでいけたらと思います。(投稿者 柿崎)

枇杷

先日、園庭に生えている枇杷(びわ)がたくさんできているので収穫しました。このびわ自体はどうやら、その昔、幼稚園の園児がお弁当に入っていた枇杷の種を園庭に埋めたところからはじまり、それが芽を出して、木になったようです。

DSCF8399 (1280x960)枇杷は比較的種を蒔くと簡単に発芽し、生長も早いそうです。江戸時代後期に日本に導入され、その後、いろんな品種が果樹として売られています。

幼稚園でその枇杷がとても大きくなり、今年はたくさんの実をつけています。子どもたちも枇杷を心待ちにしているようで、収穫が始まると2歳児の子どもたちも収穫している下に集まってきます。職員の先生方がそれを目の前で皮を剥いて、食べている様を見ていると子どもたちも食べようとします。一口食べると、次に次にと今度は自分たちで皮を剥いて食べ始めました。

いろんな場面で、保育では五感を使うことが多くあります。味覚・触覚・嗅覚・視覚・聴覚と子どもたちは体験を通して、その五感を養っているということを感じます。保育園の環境においても、五感を養う環境は海外でも見ることが多いです。ドイツではハーブ園を見ることが多くあり、ハーブティーやちぎってにおいを嗅ぐ体験のできる場所が随所にありました。

五感を使っている様子は子どもの言葉にも表れていて、「いいにおいがする!」「おいしい!」とそのことを保育士や一緒にたべている子どもたちに伝えています。その姿を見ていると、目の前で自然になっているものから食べる機会というものは多くの経験や感性を育てることになるのだろうと見ていて感じます。(投稿者 邨橋)

褒める

調理の仕事と言えば基本的に、給食を作る、食べ終わったお皿を洗う、おやつを作る、そして食べ終わったお皿を洗う、という流れです。また、子どもたちの食べている姿を見ていると、クラスが上がるにつれて食べこぼす量が少なくなってきたり、自分が食べられる量がわかってきたなというのが日々感じられます。

しかし、最近給食後のお皿を洗おうとしたときに、きれいに食べられる3,4,5歳児クラスの茶碗だけがやたら米粒だらけで、それをさらに重ねて返却されるので茶碗の表と裏が大変なことになっていました。

私たち調理はお昼に毎日一人は3,4,5歳児さんのクラスで配膳から食事までをしています。そこで一人の栄養士がとった行動は、食器の下膳場所前で食事をしながら子どもたちがきれいに食べられたかを見てあげていまいた。きれいに食べられた子には褒めてあげ、難しそうな子にはお皿をきれいにする手助けをし、できたら褒めてあげていました。褒められる嬉しさからみんな頑張ってきれいに食べてくれていてその日の茶碗洗いはとても楽なものになりました。

次の日に私が子どもたちと一緒に食べていて、その前日の事を聞いていたのでその栄養士と同じように下膳場所付近で食事をし、きれいにできた子たちに対して褒めていました。そして洗うのが楽になるなと思いながら「きれいにしてくれてありがとう」と、何気なくある子に声をかけるとその子は「何でありがとうなの?」と聞き返してきました。「洗うのが楽になって助かるからだよ」と答えると、その子はニコッとしながら「そうなんだ、わかった」と言ってどっかへ行ってしまいましたが、その時思ったのは、藤森先生のブログにもあったように、褒められなくなったときにその行動をやらなくなってしまっては意味がないので、自発的にきれいにしてくれるような言葉がけ(その子にとっては褒めると同時に感謝)が必要になるのだなと感じました。

 

そういえば、自分が調理師になったのも、小学生の頃にたまたま料理を作る機会がありそれを両親が褒めてくれて、喜んでくれたのがきっかけだったなと思い出しました。

褒められ感謝されることによって人は自信がついたり、やってあげたいという気持ちが育っていくのではないかなと思った一日でした。(投稿者 柿崎)