「ねぇ、ちょっとこっち来て」
わいわい組(3歳児クラス)の子(以下わいくん)の手を引いてピーステーブルへ向かうらんらん組(4歳児クラス)の子(以下らんくん)です。
普段、喧嘩になると手の出やすい印象の二人だったので、らんくんがピーステーブルへ誘ったことも意外ながら、きちんと話し合いができるのかどうか、側で見守ることにしました。
「ねぇ、何か言うことないの?」
らんくんが問います。きっかけはわからないのですが、どうやらわいくんが手に持っている車の玩具でらんくんの手を叩いてしまったようで、「ごめんね」その一言を引き出したい、そんな様子です。
「これが当たって痛かったんだよ」
それでもわいくんは黙秘。
途中何度かそのやりとりを気にした子たちが、関係のない話題を携えて入ってこようとするのですが
らんくん、「関係ないからあっちに行ってて」と、二人での話し合いを継続します。
約2分間の問いかけと沈黙。流石にしびれを切らしたらんくんのとった行動が意外でした。
際中ながら外を向くわいくんの手を取り、
立ち上がって
連れて行く先は
発端となったブロックゾーン
そして何も言わず手を離し
遊びを再開するらんくんでした。
座り込むわいくん
ここから数分間、らんくんの遊ぶ姿をじっと見つめるわいくんと、
その視線に気付きながらも言葉をかけずに遊びを続けるらんくんの姿が
とても印象的に思えました。
ブログ『臥竜塾』2018年4月6日『他者への指向性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「一方、仲間に向けられた攻撃性は0歳代の終わりに見られ始め、それも、たいていは物をめぐる争いの状況で生じます。たしかに、歩行期の子ども同士の相互作用の大部分は葛藤的ですが、それ自体、攻撃的なものではありません。またこの時期に幼児はことばでけんかしたり、向社会的行動によっていざこざを解決したりするようになると言われています。
葛藤や攻撃性が資源をめぐる争いの状況でまず生じるのは、系統発生的な記録とたしかに一致しているそうです。先に簡単に説明したいくつかの要因、コストや相手の戦略、資源の価値といった要因次第で、攻撃行動は非常に効果的な戦略となったり、非効果的でコストのかかる戦略になったりします。また、歩行期の子どもが一般的に他児のおもちゃを欲しがるのは、必ずしも不適応と見なすべきではないと言います。ホーレーは、歩行期の子どもの限られた交渉能力を考えると、おもちゃを「取る」ことは資源を獲得する効果的な手段であり、「事実、世界に対する健全な主張的アプローチであり、結果的に、成長し生存していくための物質的報酬を得ることにつながるであろう」と指摘しています。もっと、このことを知っておく必要がありますね。大人のような略奪ではないのです。」
らんくんの遊んでいる積み木の中に車の玩具があるあたり、わいくんが攻撃行動に出たきっかけは玩具の取り合いだったのかもわかりません。しかし、それは「大人のような略奪ではな」く、そして手を叩いたという行為もまた、大人のような暴力ではなく、「世界に対する健全な主張的アプローチ」であったのではないか、そのような解釈をすることができるように思われました。
そして、それを理解するかのようにらんくんは、やり返したり手を出したりせず、最後は姿勢でもって語ることを選びました。「話せないならもういい。ただもうさっきと同じことは困るよ。お互い遊ぶ時間もなくなるし、気を取り直して遊びを再開しようか。」そう伝えるかのようならんくんの遊び続ける姿から、わいくんはきっと何かの学びを得るのでしょう。
同時に、こうしたやりとりも出来るという一面を見せてくれたらんくんの成長を感じて、嬉しくなりました。
(報告者 加藤恭平)
「どうだったー?」
「よかったよー」
何をしてるのかと見ていると、
「一緒に食べながら見る?」
誘わってもらいました。
「じゃ、次私行ってくるね」
見ていると、
登場です。
お笑い芸人さんの真似をしているようです。
大喜びの子どもたち
「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」
なるほど合点がいきました。
ブログ『臥竜塾』2015年2月1日『興味を持たせる工夫』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「子どもは、大人から見るとさもないと思われることでも興味を持ちます。大人が見落としてしまうものの中からでも輝くものを見出します。子どもは、大いなる発見者であり、発明者でもあると思います。」
2階と3階を繋ぐモニターをこのように遊びに変えてしまう子どもたち。
天才だと思いました。
(報告者 加藤恭平)
厚生労働省による『保育所保育指針解説』「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の「自立心」についての解説の中でこのように書かれています。
「「自分もこまをうまく回したい」と思うと、始めはうまくいかなくても諦めずに繰り返し挑戦するようになる。その過程では、友達がこまにヒモを巻く様子を見たりうまく回すやり方を聞いたりして、考え工夫して何度も取り組んだり、保育士等や友達からの応援や頑張りを認められることを支えにしたりして、できるまで続けることにより達成感を味わう。子どもはそこで得た自信を基に、大きな板で坂道を作って回しながら滑らせたりするなど、更に自分で課題を設定しもっと難しいことに挑戦していく。こうしたことを保育士等や友達から認められることで意欲をもち、自信を確かなものにしていく。なお、こうした姿は卒園を迎える年度の後半に急に現れるものではなく、いろいろな遊びから自分がやりたいことを自分で選んで行動し、少し難しいと思うこともやってできた満足感を味わうなどの体験の積み重ねの中で育まれることに留意する必要がある。」
4月当初から盛り上がっている伝承ゾーンです。
紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。
4月24日
写真左手の子が回すことに成功しました。
この日はお迎えに来ていた保護者の方も物陰からその様子を見ていて、その感動を共有しました。
すると、4月25日。
次なる成功者です。
続々とコマを回せる子が増えています。しかも、とても個人的に驚くことが、みんなわいわい組(3歳児クラス)の子どもたちです。
ブログ『臥竜塾』2018年4月25日『社会的行動の発達』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「乳幼児期における学びは「遊び」であることはよく知られています。しかし、以前に私が課題として投げかけたものの一つに、遊びにおける目的です。遊びには目的がないゆえに素晴らしいものということがあります。それを、逆に目的がないために学びがないという考え方をもあります。また、生活と遊びによって乳幼児は発達していくと言いますが、生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?たとえば、乳児が食事の時に机をたたいていると注意されますが、太鼓をたたいていると遊んでいると喜ばれます。しかし、赤ちゃんからすれば、その区別は特にありません。ともに、発達上必要なことを行動に表しているにすぎません。
「幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方について」の報告書には、遊びについてこう書かれてあります。「幼児期の教育は環境を通して行うこと、幼児の生活や経験からの学び、自発的な活動を重視している。これにふさわしい指導方法が遊びを通した総合的な指導である。幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのものであり、幼児が遊び込むことができる環境(学びに深さと広がりをもたらす環境)をいかに構築するかが教職員の指導における重要な課題となる。」
幼児教育、保育は環境を通して行われること。それは指針の中に書かれ、改めてになりますが、藤森メソッドは踏襲し、発展させ、その環境下で子どもたちは伸び伸びとその育ちを謳歌させていることに気付きます。
「では、ビョークランドは、進化発達から考えて「遊び」をどのように捉えらているのでしょうか?」
塾長は、更にその先へ、歩みを進められているのですね。
(報告者 加藤恭平)
ブログ『臥竜塾』2005年11月15日『ユリノキ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「思い出すことがあります。いつものように私が担任している1年生の後ろで、校長先生の話を聞いていました。すると、担任しているクラスの子達が、ふらふらして、話を聞いていません。そこで私は、「きちんと、校長先生の話を聞きなさい。」と注意しました。すると、隣のクラスのベテランの教師がこう言いました。「それは、校長の話がつまらないからいけないのよ。」私は、「つまらないなら、後で言いにいけばいいじゃないですか。きちんと聞かなければ、文句を言いにいけないでしょ。」私のクラスは、子どもたちに何度か、校長室まで、今日の話はつまらなかったとか、面白かったと言いに行かせていました。すると、隣のクラスの教師があきれたようにこう言いました。「ずいぶん先生って、軍国主義なのね。」びっくりしました。どうも、きちんとさせると軍国主義だと思っているようです。私は、子どもでも、校長のところに、つまらなければつまらないと言いにいけるのが「民主主義」だと思っています。戦後、どうも民主主義とか、自由ということが間違って理解されてきたことがあるようです。」
民主主義、民主的、大きなテーマですね。
ごっこゾーンにて、お店屋さんごっこが人気を集めています。
巧技台がカウンターです。
「テーブルクロスを敷いたりするともっと雰囲気が出るよね」先生方からアドバイスをいただきながら環境を整えています。
ただ、遊びたい子がそれぞれ好きにお店を展開する為に収集のつかない様子がちらほら。そこで先日、遊んでいたすいすい組の子数人を集めて話し合いをしてもらいました。
1.何屋さんをやりたいか
2.誰が何をやるか
ピーステーブルの約束事と、加えて「大声を出さない」ということをルールに、紙と鉛筆を渡して話し合いがスタート。
1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう
2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう
3.じぶんのきもちをことばでいおう
空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。
「パンやさん」「おかしやさん」「れすとらん」それぞれに遊びたいお店が挙がるものの、中々一つに絞れない様子。そこで、「皆食べ物屋さんがしたいようだから、全部出来そうなお店にしたらどうか」という内容で声をかけてみました。
中心になって鉛筆を走らせていた子が大いに頷いたところで、活動終了の時間に。約30分程の時間をかけて1.「れすとらん」に決まりました。
ブログ『臥竜塾』2016年9月11日『子どもは、元々民主的』の中でこう書かれています。
「日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。」
次の時間にまた同じ所から話し合うよう伝えて給食の準備へ促すと、メンバーの一人から「話し合えて楽しかった」との声があり、子どもが元々備え持っているものの尊さを感じる思いがしました。
保育所保育指針「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿 」の中でも、
ウ協同性
友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる。
エ道徳性・規範意識の芽生え
友達と様々な体験を重ねる中で、してよいことや悪いことが分かり、自分の行動を振り返ったり、友達の気持ちに共感したりし、相手の立場に立って行動するようになる。また、きまり を守る必要性が分かり、自分の気持ちを調整し、友達と折り合いを付けながら、きまりをつく ったり、守ったりするようになる。
カ思考力の芽生え
身近な事象に積極的に関わる中で、物の性質や仕組みなどを感じ取ったり、気付いたりし、 考えたり、予想したり、工夫したりするなど、多様な関わりを楽しむようになる。また、友達 の様々な考えに触れる中で、自分と異なる考えがあることに気付き、自ら判断したり、考え直 したりするなど、新しい考えを生み出す喜びを味わいながら、自分の考えをよりよいものにするようになる。
と明記され、その重要性を感じます。
このような場面がたくさん見られることがとても楽しみです。
(報告者 加藤恭平)
ふとした時に新すいすい組(5歳児クラス)の子どもたちの姿に驚かされます。
捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。
写真右のすいすい組(5歳児クラス)の子の側にいるのはわいわい組(3歳児クラス)の子たち。
「ほら、見てごらん。」
見方を教えてあげるような優しい口調、そして、とても自然に見せてあげられるものなのですね、感心してしまいます。
水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。
わいわい組(3歳児クラス)の子が集まってきました。
「はい。先にいいよ。」
今までもそうだったのでしょうか、当たり前のように、自分が飲むことは後回しにするのですね。
ブログ『臥竜塾』2018年3月30日『なぜ、利他的行動?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。」
自然と振舞う子どもたちの姿から人類の進化を思います。子どもたちの姿から学ぶことの多さに驚かされますね。
(報告者 加藤恭平)
夕方、園庭へ出ると面白いやりとりがありました。
縄跳びの上手な写真左手すいすい組(5歳児クラス)の子。
体を動かすことが上手なことは知っていたつもりでしたが、ここまでとは、個人的にとても驚きました。
すると、
「ねぇ、コツ教えて。」
と、写真奥右手すいすい組(5歳児クラス)の子。
「コツ」知りたいですね。名人曰く、
手をとって、とても丁寧に教えていました。
ブログ『臥竜塾』2018年4月5日『社会的相互作用』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「なぜ強くて優位な立場にある個体が、公然と打ち負かした個体をなだめたり、慰めたりするのだろうか?という疑問を考察しています。実際、園現場ではそのような状況を目撃することが多くあります。ドウ・ヴァールの説明には非常に説得力がありますが、優位な動物は優位なスタイルをもっており、親和的関係を維持するために、様々な度合いの力と融和を使い分けているというのです。協力的、融和的な戦略は、優位な個体が従属者を必要としており、従属者が集団を自由に離れられる状況で用いられると言います。
私たちは実際に感じていることですが、同様のことが、子どもについても報告されているそうです。たとえば、『開放状況』という、自由に集団を離れてよい状況では、集団を離れることができない状態である『閉鎖状況』と比べて、葛藤の解決や協力がより多く観察されるそうです。」
優位性という性質が人類の進化を促していることを塾長のブログから知ります。ただ、そこに表裏一体のようにある、例えばいじめというような弊害行動でなく、「私はあなたより優位かもしれない(実際縄跳びを跳べる分、優位であろう)。そして、あなたは私を認めてくれている。そんなあなたに何かできることをしてあげたい」、というような、御礼のような、情、奉仕のような、ヒトの根底に流れる優しさのようなものが、人類進化の大きな基盤となってきたのではないかと考えます。
そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。
そんな姿を見る時が、とても楽しみになります。
(報告者 加藤恭平)