Blue floor philosophy episode 28『積み木と社会性』より

「なんで取るんだよー!」

怒っている声がしたので行ってみると、わいわい組(3歳児クラス)の子がらんらん組(4歳児クラス)の子の玩具を取って行ってしまうところでした。

ところがその場所から離れないわいわい組(3歳児クラス)の子。すると、側に落ちていた木のブロックをおもむろにらんらん組(4歳児クラス)の子に渡しました。

「ありがとう。」

思いがけない一言に、嬉しそうなわいわい組(3歳児クラス)の子。そうか、一緒に遊びたかったのですね。

そうして二人のブロックの時間が始まりました

そうして二人のブロックの時間が始まりました

二人で作った作品「富士サファリパーク」

二人で作った作品「富士サファリパーク」

完成を二人で手を叩いて喜んでいました。

ブログ『臥竜塾』2014年1月13日『積み木と社会性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「ブロックを子どもに用意した時に、乳児はその形、素材を確かめるかのように「見つめ」「触り」「舐める」ことをします。そして、積み始めます。その後の行為は、保育園でなければなかなか見ることができないことをし始めます。それは、赤ちゃんは「積み木を見つめる」ということを、自分の目の前の積み木だけでなく、他の子が触れている積み木を見つめるのです。そして、それを触ろうとします。

同じものが自分の目の前にあろうが、他人のものに触ろうとします。これは、大人になると、「隣の芝生は青い」と言われるようなことに近いように思いますが、どうも、社会を構成して生きていく私たちの遺伝子で、関わろうとする芽生えのような気がします。

また、その行動は、時として、あたかも人が遊んでいる積み木を奪うかのように見えます。しかし、奪うという意識はなく、まだ、自分のものと他人のものという区別がないだけで、それ以上にそのものへの好奇心がそのようにさせるのです。しかし、奪われた方は、せっかく自分が遊んでいるものを取られてしまうわけですから、きょとんとするか、泣いてしまいます。そんな時に大人は喧嘩しているとか、意地悪しているとか思ってしまうことがありますが、ただそのものに興味を持つだけです。しかしこのやり取りは、将来に役に立つ、非常に需要なことなのです。」

それは幼児においてもそうなのだと思いました。

物の取り合いだと、喧嘩の仲裁をという姿勢で声をかけてしまうことがとてももったいないことであると改めて感じた出来事でした。

少し離れて別の遊びに行き、また再びブロックをしようと戻った二人は手を繋いでいました

少し離れて別の遊びに行き、また再びブロックをしようと戻った二人は手を繋いでいました

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 26『ドイツ報告12』より

帰りの会をやろうとすると、すいすい組(5歳児クラス)の子たちが「みんなの前でしたいことがある」というので、任せてみました。

あやとりを始めました

あやとりが始まりました

最近できるようになったことを皆に見てもらいたかったようです。すると、

あれ、僕が「皆の前でやったら」って言ったんだよ

あれ、僕が「皆の前でやったら」って言ったんだよ

隣に座っていたすいすい組(5歳児クラス)の子が嬉しそうに言います。

前には出ないけど、僕もその一員なんだという、その子の意識を感じるようでした。

ブログ『臥竜塾』2018年6月27日『ドイツ報告12』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「7時30分から、登園が始まりますが、登園したら、決められた受付の場所で登園を記録します。そして、上着を脱いだりしたくしたら、全員がホールに集まります。そして、参画ということで、当番が司会進行をします。

IMG_8887

まず、円に表された絵の針を、今日は、何月何日何曜日と動かしていきます。この司会進行は、3歳児でも可能だそうです。もちろん、朝のお集りの司会進行だけでなく、他にも、たとえば遠足や様々な催しを決めるときに代表が選ばれるときにも、3歳でも可能だそうです。また、それらに対する希望や要望、または苦情でも、代表者だけでなく、だれでも、いつでも受け付けるそうです。」

参画、ということを、体現する子どもたちの姿と照らし合わせながら、少しずつ理解していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 20『他者への指向性』より

「ねぇ、ちょっとこっち来て」

わいわい組(3歳児クラス)の子(以下わいくん)の手を引いてピーステーブルへ向かうらんらん組(4歳児クラス)の子(以下らんくん)です。

普段、喧嘩になると手の出やすい印象の二人だったので、らんくんがピーステーブルへ誘ったことも意外ながら、きちんと話し合いができるのかどうか、側で見守ることにしました。

「ねぇ、何か言うことないの?」

「ねぇ、何か言うことないの?」

らんくんが問います。きっかけはわからないのですが、どうやらわいくんが手に持っている車の玩具でらんくんの手を叩いてしまったようで、「ごめんね」その一言を引き出したい、そんな様子です。

「これが当たって痛かったんだよ」

「これが当たって痛かったんだよ」

それでもわいくんは黙秘。

途中何度かそのやりとりを気にした子たちが、関係のない話題を携えて入ってこようとするのですが

途中何度かそのやりとりを気にした子たちが、関係のない話題を携えて入ってこようとするのですが

らんくん、「関係ないからあっちに行ってて」と、二人での話し合いを継続します。

約2分間の問いかけと沈黙。流石にしびれを切らしたらんくんのとった行動が意外でした。

際中ながら外を向くわいくんの手を取り、

際中ながら外を向くわいくんの手を取り、

立ち上がって

立ち上がって

連れて行く先は

連れて行く先は

発端となったブロックゾーン

発端となったブロックゾーン

そして何も言わず手を離し

そして何も言わず手を離し

遊びを再開するらんくんでした。

どうしていいかわからない様子のわいくん

座り込むわいくん

ここから数分間、らんくんの遊ぶ姿をじっと見つめるわいくんと、

その視線に気付きながらも言葉をかけずに遊びを続けるらんくんの姿が

その視線に気付きながらも言葉をかけずに遊びを続けるらんくんの姿が

とても印象的に思えました。

ブログ『臥竜塾』2018年4月6日『他者への指向性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「一方、仲間に向けられた攻撃性は0歳代の終わりに見られ始め、それも、たいていは物をめぐる争いの状況で生じます。たしかに、歩行期の子ども同士の相互作用の大部分は葛藤的ですが、それ自体、攻撃的なものではありません。またこの時期に幼児はことばでけんかしたり、向社会的行動によっていざこざを解決したりするようになると言われています。

葛藤や攻撃性が資源をめぐる争いの状況でまず生じるのは、系統発生的な記録とたしかに一致しているそうです。先に簡単に説明したいくつかの要因、コストや相手の戦略、資源の価値といった要因次第で、攻撃行動は非常に効果的な戦略となったり、非効果的でコストのかかる戦略になったりします。また、歩行期の子どもが一般的に他児のおもちゃを欲しがるのは、必ずしも不適応と見なすべきではないと言います。ホーレーは、歩行期の子どもの限られた交渉能力を考えると、おもちゃを「取る」ことは資源を獲得する効果的な手段であり、「事実、世界に対する健全な主張的アプローチであり、結果的に、成長し生存していくための物質的報酬を得ることにつながるであろう」と指摘しています。もっと、このことを知っておく必要がありますね。大人のような略奪ではないのです。」

らんくんの遊んでいる積み木の中に車の玩具があるあたり、わいくんが攻撃行動に出たきっかけは玩具の取り合いだったのかもわかりません。しかし、それは「大人のような略奪ではな」く、そして手を叩いたという行為もまた、大人のような暴力ではなく、「世界に対する健全な主張的アプローチ」であったのではないか、そのような解釈をすることができるように思われました。

そして、それを理解するかのようにらんくんは、やり返したり手を出したりせず、最後は姿勢でもって語ることを選びました。「話せないならもういい。ただもうさっきと同じことは困るよ。お互い遊ぶ時間もなくなるし、気を取り直して遊びを再開しようか。」そう伝えるかのようならんくんの遊び続ける姿から、わいくんはきっと何かの学びを得るのでしょう。

同時に、こうしたやりとりも出来るという一面を見せてくれたらんくんの成長を感じて、嬉しくなりました。

(報告者 加藤恭平)

 

Blue floor philosophy episode 18『遊びの機能』より

面白い工夫と出会いました。

カエルを箱の中へ入れる玩具

カエルを箱の中へ入れる玩具

指先の力加減が必要で、わいわい組(3歳児クラス)の子にはちょっと難易度の高いこの玩具。本来は箱を立てて使うのですが、

横にして遊び始めました

横にして遊び始めました

入った

入りました

それを見た友だちも

一緒に

一緒に

数分後

数分後

皆わいわい組(3歳児クラス)の子たちです。

ブログ『臥竜塾』2018年5月26日『遊びの機能』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「ヒトの遊びが長期間に及ぶのは、ヒトの子どもには学習すべきことが山ほどあり、その学習に長時間が必要であると同時に、最終的な成人役割を習得するためには安全な環境が必要であることによるというのです。この観点は、人間としての意味としてとても重要ですね。仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進し、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるだろうと言うのです。

ヒトは、未成熟期が長いと言うのは、ある意味で遊びが長期間に及ぶことであり、それは、遊ぶことから学習することに長時間必要だからです。その遊びからの学習は、仲間との遊びを通じて身につけられる相互作用や教訓は、おそらく他のどんな要因よりも社会化を促進するからであり、その社会で男性あるいは女性として生きていくとはどういうことかを学習する機会と柔軟性を子どもに与えるからだと言うのです。この子どもにとって人生における大切な時期に携わっている私たちは、そのことをもっと認識すべきでしょう。さらに、この時期における将来社会で生きていくための学習は、まさに「遊び」なのです。」

遊びたかったけどどうしても上手く出来なかったこの玩具を、少しの工夫で遊び易いものにしました。その工夫は同じ感覚でもってその遊びを捉えていたであろう友だちの関心を集め、そして子ども同士のやりとりに発展していきます。子どもたちで子ども社会を形成する、遊びがその礎となっているように思え、遊びの重要性に改めて気付かされる思いがします。

また別の日

別の日

流行とは、こうして生まれていくものなのでしょうか。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 14『興味を持たせる工夫』より

 

「どうだったー?」

「どうだったー?」

「よかったよー」

「よかったよー」

何をしてるのかと見ていると、

「一緒に食べながら見る?」

「一緒に食べながら見る?」

誘わってもらいました。

「じゃ、次私行ってくるね」

見ていると、

見ていると、

登場です。

登場です。

お笑い芸人さんの真似をしているようです。

お笑い芸人さんの真似をしているようです。

大喜びの子どもたち。

大喜びの子どもたち

「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」

「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」

なるほど合点がいきました。

ブログ『臥竜塾』2015年2月1日『興味を持たせる工夫』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「子どもは、大人から見るとさもないと思われることでも興味を持ちます。大人が見落としてしまうものの中からでも輝くものを見出します。子どもは、大いなる発見者であり、発明者でもあると思います。」

2階と3階を繋ぐモニターをこのように遊びに変えてしまう子どもたち。

天才だと思いました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 9『社会的行動の発達』より

厚生労働省による『保育所保育指針解説』「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」の「自立心」についての解説の中でこのように書かれています。

「「自分もこまをうまく回したい」と思うと、始めはうまくいかなくても諦めずに繰り返し挑戦するようになる。その過程では、友達がこまにヒモを巻く様子を見たりうまく回すやり方を聞いたりして、考え工夫して何度も取り組んだり、保育士等や友達からの応援や頑張りを認められることを支えにしたりして、できるまで続けることにより達成感を味わう。子どもはそこで得た自信を基に、大きな板で坂道を作って回しながら滑らせたりするなど、更に自分で課題を設定しもっと難しいことに挑戦していく。こうしたことを保育士等や友達から認められることで意欲をもち、自信を確かなものにしていく。なお、こうした姿は卒園を迎える年度の後半に急に現れるものではなく、いろいろな遊びから自分がやりたいことを自分で選んで行動し、少し難しいと思うこともやってできた満足感を味わうなどの体験の積み重ねの中で育まれることに留意する必要がある。」

4月当初から盛り上がっている伝承ゾーンです。

紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。

紐を巻いては放り投げるだけだったコマ。

4月24日。

4月24日

写真左手の子が回すことに成功しました。

この日はお迎えに来ていた保護者の方も物陰からその様子を見ていて、その感動を共有しました。

すると、4月25日。

すると、4月25日。

次なる成功者です。

次なる成功者です。

続々とコマを回せる子が増えています。しかも、とても個人的に驚くことが、みんなわいわい組(3歳児クラス)の子どもたちです。

ブログ『臥竜塾』2018年4月25日『社会的行動の発達』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「乳幼児期における学びは「遊び」であることはよく知られています。しかし、以前に私が課題として投げかけたものの一つに、遊びにおける目的です。遊びには目的がないゆえに素晴らしいものということがあります。それを、逆に目的がないために学びがないという考え方をもあります。また、生活と遊びによって乳幼児は発達していくと言いますが、生活と遊びにはどのような区別があるのでしょうか?たとえば、乳児が食事の時に机をたたいていると注意されますが、太鼓をたたいていると遊んでいると喜ばれます。しかし、赤ちゃんからすれば、その区別は特にありません。ともに、発達上必要なことを行動に表しているにすぎません。

「幼児期の教育と小学校教育の円滑な接続の在り方について」の報告書には、遊びについてこう書かれてあります。「幼児期の教育は環境を通して行うこと、幼児の生活や経験からの学び、自発的な活動を重視している。これにふさわしい指導方法が遊びを通した総合的な指導である。幼児期における遊びとは、余暇活動ではなく、学びそのものであり、幼児が遊び込むことができる環境(学びに深さと広がりをもたらす環境)をいかに構築するかが教職員の指導における重要な課題となる。」

幼児教育、保育は環境を通して行われること。それは指針の中に書かれ、改めてになりますが、藤森メソッドは踏襲し、発展させ、その環境下で子どもたちは伸び伸びとその育ちを謳歌させていることに気付きます。

「では、ビョークランドは、進化発達から考えて「遊び」をどのように捉えらているのでしょうか?」

塾長は、更にその先へ、歩みを進められているのですね。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 8『自立的に行動する』より

 

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

東京ドームシティの前に置かれた大きな椅子。

よく見ると東京ドームシティの壁の上に、色のついたブロックが置かれています。

「材料ここにたくさん置いとくね。」

「材料ここにたくさん置いとくね。」

らんらん組(4歳児クラス)の子が作っていたそれに興味をもち、すいすい組(5歳児クラス)子がブロックを持ってきて、出来上がる様子を見守り始めました。

ブログ『臥竜塾』2013年3月14日『自立的に行動する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「自立についてですが、以前から、私は、自立とは「一人で、無人島で生きていく力」ではなく、「社会の中で、自分の役割を持って生きていく力」であると思っています。それは、OECDでも指摘しているところです。三つのカテゴリーの一つである「自立的に行動する能力」について、「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」としています。まさに、私が以前から提案していることと同じです。

このために、まず、「大局的に行動する能力」が必要であるとしています。この能力は、「自らの行動や決定を、自身が置かれている立場、自身の行動の影響等を理解したうえで行える力。」であるとし、PISA調査では「問題解決能力」として捉えられています。行動するのは、自分ですが、その影響は自分一人に及ぼすわけではありません。自分の行動が、どう社会に影響を及ぼすかということを考えなければ、その行動は意味がありませんし、効果的ではありません。行動を起こす前に、まず、大局的な観点が必要になってきます。

次に、自立的に行動するために「人生設計や個人の計画を作り実行する能力」が必要とあります。その能力とは、「人生の意義を見失いがちな変化し続ける環境のなかで、自らの人生に一定のストーリーを作るとともに意味や目的を与える力。」としています。「人生設計」という言葉は聞くことがあるのですが、「人生に一定のストーリーを作る」とか、「人生に意味や目的を与える」という言い方は聞きなれない言葉です。しかし非常に重要な課題の気がします。自立とは、このような力を指すというのは、参考になります。卒園式の時に、園児が「将来、何になりたいのか」ということは、そういうことなのです。それをきちんといえるということは、自立出来てきたということなのです。また、「将来、何になりたいか?」と聞かれて、「よく、わからない!」とか、「決めていない」というのは、まだ自律できていないのかも知れません。

最後に、「権利、利害、責任、限界、ニーズを表明する能力」が必要とあります。それは、「成文のルールを知り、建設的な議論のうえ、調整したり対案を示したりする力。」とあります。この、「調整する力」は、異年齢保育の長所の一つとして挙げられているものです。また、「権利、責任」などを表明するためには、「社会の中での選択」をしていることが前提となります。また、ここに「ルールを知り」ではなく、「成文のルールを知り」というのは、ルールは、自発的に知ることであり、言われて、命令されて、しつけられて知っていくことではないことを表わしている気がします。そこで、こんな注意書きが書かれてあります。「自分自身の権利などを表明するためのみの力ではなく、家庭、社会、職場、取引などで適切な選択をすることができる。」

自立の意味が、少しはっきりしてきます。」

「自立とは孤独のことではなく、むしろ周囲の環境や社会的な動き、自らが果たし果たそうとしている役割を認識すること。」らんらん組(4歳児クラス)の子の作り出そうとする世界観を目の当たりにして起こしたすいすい組(5歳児クラス)の子の行動を分析すると、自立された心が基盤となり、その結果、相手を見守る、という構図が成り立ち得たのではないか、と思えてきます。

ブロックゾーンにおける子ども同士の関わり、心の育ち、そして子どもたちによる遊びを通した人間関係の在り方を感じさせてくれるようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 6『ユリノキ』『子どもは、元々民主的』より

ブログ『臥竜塾』2005年11月15日『ユリノキ』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「思い出すことがあります。いつものように私が担任している1年生の後ろで、校長先生の話を聞いていました。すると、担任しているクラスの子達が、ふらふらして、話を聞いていません。そこで私は、「きちんと、校長先生の話を聞きなさい。」と注意しました。すると、隣のクラスのベテランの教師がこう言いました。「それは、校長の話がつまらないからいけないのよ。」私は、「つまらないなら、後で言いにいけばいいじゃないですか。きちんと聞かなければ、文句を言いにいけないでしょ。」私のクラスは、子どもたちに何度か、校長室まで、今日の話はつまらなかったとか、面白かったと言いに行かせていました。すると、隣のクラスの教師があきれたようにこう言いました。「ずいぶん先生って、軍国主義なのね。」びっくりしました。どうも、きちんとさせると軍国主義だと思っているようです。私は、子どもでも、校長のところに、つまらなければつまらないと言いにいけるのが「民主主義」だと思っています。戦後、どうも民主主義とか、自由ということが間違って理解されてきたことがあるようです。」

民主主義、民主的、大きなテーマですね。

ごっこゾーンにて、お店屋さんごっこが人気を集めています。

巧技台がカウンターです。

巧技台がカウンターです。

「テーブルクロスを敷いたりするともっと雰囲気が出るよね」先生方からアドバイスをいただきながら環境を整えています。

ただ、遊びたい子がそれぞれ好きにお店を展開する為に収集のつかない様子がちらほら。そこで先日、遊んでいたすいすい組の子数人を集めて話し合いをしてもらいました。

1.何屋さんをやりたいか

2.誰が何をやるか

ピーステーブルの約束事と、加えて「大声を出さない」ということをルールに、紙と鉛筆を渡して話し合いがスタート。

1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう 2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう 3.じぶんのきもちをことばでいおう

1.あいてのはなしをさいごまでしっかりきこう
2.はなしをきくときはあいてのかおをみよう
3.じぶんのきもちをことばでいおう

空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。

空白のところに遊びたいお店屋さんが書かれていきました。

「パンやさん」「おかしやさん」「れすとらん」それぞれに遊びたいお店が挙がるものの、中々一つに絞れない様子。そこで、「皆食べ物屋さんがしたいようだから、全部出来そうなお店にしたらどうか」という内容で声をかけてみました。

中心になって鉛筆を走らせていた子が大いに頷いたところで、活動終了の時間に。約30分程の時間をかけて1.「れすとらん」に決まりました。

ブログ『臥竜塾』2016年9月11日『子どもは、元々民主的』の中でこう書かれています。

「日本における教育基本法の中にある教育の目的に、「民主的な社会の形成者としての資質を備える」ということがありますが、赤ちゃんは元々民主的な生き物であるということを感じることがあります。人類は、生まれながら協力をするという遺伝子を基盤として生まれることが分かっています。また、人にものを分け合おうとします。その行為の中には、相手の権力、地位、そんなことは関係ありません。どちらかというと、人格重視です。そして、赤ちゃんだけに限らず、子どもの意識の中には、多数決という多い人数が少数意見を押しやるという考え方はないようです。少数意見を大切にしてあげることを見ることがたびたびあります。同時に、公平であることを大切にすることを見ることもたびたびあります。自分だけで独占しようとせず、人にものを分け合おうとすると同様に、自分だけ何かをしてもらうことはせず、他の子にもしてあげることを要求することがあるのです。」

次の時間にまた同じ所から話し合うよう伝えて給食の準備へ促すと、メンバーの一人から「話し合えて楽しかった」との声があり、子どもが元々備え持っているものの尊さを感じる思いがしました。

保育所保育指針「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿 」の中でも、

ウ協同性

友達と関わる中で、互いの思いや考えなどを共有し、共通の目的の実現に向けて、考えたり 、工夫したり、協力したりし、充実感をもってやり遂げるようになる。

エ道徳性・規範意識の芽生え

友達と様々な体験を重ねる中で、してよいことや悪いことが分かり、自分の行動を振り返ったり、友達の気持ちに共感したりし、相手の立場に立って行動するようになる。また、きまり を守る必要性が分かり、自分の気持ちを調整し、友達と折り合いを付けながら、きまりをつく ったり、守ったりするようになる。

カ思考力の芽生え

身近な事象に積極的に関わる中で、物の性質や仕組みなどを感じ取ったり、気付いたりし、 考えたり、予想したり、工夫したりするなど、多様な関わりを楽しむようになる。また、友達 の様々な考えに触れる中で、自分と異なる考えがあることに気付き、自ら判断したり、考え直 したりするなど、新しい考えを生み出す喜びを味わいながら、自分の考えをよりよいものにするようになる。

と明記され、その重要性を感じます。

このような場面がたくさん見られることがとても楽しみです。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 5『なぜ、利他的行動?』より

ふとした時に新すいすい組(5歳児クラス)の子どもたちの姿に驚かされます。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

捕まえた蟻を、虫眼鏡のついた箱の中へ入れて見ています。

 写真右のすいすい組(5歳児クラス)の子の側にいるのはわいわい組(3歳児クラス)の子たち。

「ほら、見てごらん。」

「ほら、見てごらん。」

見方を教えてあげるような優しい口調、そして、とても自然に見せてあげられるものなのですね、感心してしまいます。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

水を飲もうと自分の為によそっていたすいすい組(5歳児クラス)の子。

わいわい組(3歳児クラス)の子が集まってきました。

 「はい。先にいいよ。」

「はい。先にいいよ。」

今までもそうだったのでしょうか、当たり前のように、自分が飲むことは後回しにするのですね。

ブログ『臥竜塾』2018年3月30日『なぜ、利他的行動?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「群淘汰の理論では、自然淘汰の単位は集団であり、個体ではありません。そうすれば、協力や利他的行動は、集団全体の利益という点から説明できると言うのです。つまり、利他的行動は個人にとっては非常にコストが大きいのですが、集団にとっては多大な利益をもたらすと考えられるのだと言うのです。私たちは、自分にとっての利益だけを考えていくことでは、私たちがとってきた生存戦略は説明できませんが、集団を構成し、集団の利益という点から考察すれば、その行動は説明がつくと言うのです。」

自然と振舞う子どもたちの姿から人類の進化を思います。子どもたちの姿から学ぶことの多さに驚かされますね。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 4『社会的相互作用』より

夕方、園庭へ出ると面白いやりとりがありました。

縄跳びの上手なすいすい組(5歳児クラス)の子。

縄跳びの上手な写真左手すいすい組(5歳児クラス)の子。

体を動かすことが上手なことは知っていたつもりでしたが、ここまでとは、個人的にとても驚きました。

すると、

「ねぇ、コツ教えて。」

「ねぇ、コツ教えて。」

と、写真奥右手すいすい組(5歳児クラス)の子。

「コツ」知りたいですね。名人曰く、

  • 縄跳びが上にきたら跳ぶ
  • 脇をしめる
手をとって、とても丁寧に教えていました。

手をとって、とても丁寧に教えていました。

ブログ『臥竜塾』2018年4月5日『社会的相互作用』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「なぜ強くて優位な立場にある個体が、公然と打ち負かした個体をなだめたり、慰めたりするのだろうか?という疑問を考察しています。実際、園現場ではそのような状況を目撃することが多くあります。ドウ・ヴァールの説明には非常に説得力がありますが、優位な動物は優位なスタイルをもっており、親和的関係を維持するために、様々な度合いの力と融和を使い分けているというのです。協力的、融和的な戦略は、優位な個体が従属者を必要としており、従属者が集団を自由に離れられる状況で用いられると言います。

私たちは実際に感じていることですが、同様のことが、子どもについても報告されているそうです。たとえば、『開放状況』という、自由に集団を離れてよい状況では、集団を離れることができない状態である『閉鎖状況』と比べて、葛藤の解決や協力がより多く観察されるそうです。」

優位性という性質が人類の進化を促していることを塾長のブログから知ります。ただ、そこに表裏一体のようにある、例えばいじめというような弊害行動でなく、「私はあなたより優位かもしれない(実際縄跳びを跳べる分、優位であろう)。そして、あなたは私を認めてくれている。そんなあなたに何かできることをしてあげたい」、というような、御礼のような、情、奉仕のような、ヒトの根底に流れる優しさのようなものが、人類進化の大きな基盤となってきたのではないかと考えます。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そして、そのやりとりを見つめていたらんらん組(4歳児クラス)のこの子もまた、それを伝承する、担い手へと成長していくことでしょう。

そんな姿を見る時が、とても楽しみになります。

(報告者 加藤恭平)