「どうだったー?」
「よかったよー」
何をしてるのかと見ていると、
「一緒に食べながら見る?」
誘わってもらいました。
「じゃ、次私行ってくるね」
見ていると、
登場です。
お笑い芸人さんの真似をしているようです。
大喜びの子どもたち
「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」
なるほど合点がいきました。
ブログ『臥竜塾』2015年2月1日『興味を持たせる工夫』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「子どもは、大人から見るとさもないと思われることでも興味を持ちます。大人が見落としてしまうものの中からでも輝くものを見出します。子どもは、大いなる発見者であり、発明者でもあると思います。」
2階と3階を繋ぐモニターをこのように遊びに変えてしまう子どもたち。
天才だと思いました。
(報告者 加藤恭平)
ブログ『臥竜塾』2008年6月25日『ドイツ報告1』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「朝早く訪問したのは、朝の集会(お集まり)を見せてもらうためです。時間になると3〜5歳児が円形にお集まりをはじめます。欧米では、子どもの集会を行うときには、ほとんど円形に集まります。それは、全員の顔がお互いに見えるからです。大人でも、ワークショップを行うときには円形に集まることが多いです。」
わいらんすい(3・4・5歳児クラス)も、先日から朝の会、時に帰りの会をこのような形で行っています。
この日の担当の先生のアイディアで「カラフルバスケット」を遊んでいる様子です。座っているクッションのカラーを活用されています。
全員の顔を見渡しながら一日の始まり、一日の出来事、一日のまとめができることが何とも心地よく、とても楽しい時間となっています。
(報告者 加藤恭平)
暖かなある日の日中、1歳児クラスの子どもたちと散歩へ出ました。
遊び始めて少しした頃、ベンチへ駆け寄ってきて、
着ていた上着をおもむろに、
脱いで、
上着の集まりの中へ。
とても自然に行っていて、驚きました。
平成29年告示『保育所保育指針』「1歳以上3歳未満児の保育に関わるねらい及び内容」の「健康」の中で、「保育士等の助けを借りながら、衣類の着脱を自分でしようとする。」とあります。
そして、「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」の「健康」の中では「身の回りを清潔にし、衣服の着脱、食事、排泄などの生活に必要な活動を自分でする。」とあります。
1歳児クラスの子どもたちですが、その姿は「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」における子ども像を体現しているかのように思えました。
また、ブログ『臥竜塾』2018年1月18日『文化学習の3段階のレベル』の中では心理学者トマセロ氏の言葉が引用されています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「文化学習において学習者は、他の個体が活動する場所にただ注意を向けるのではなく、その状況を他者と同じように、いわば、他者の視点の内側から見ようとしているのである。」
ベンチに集まった上着の束を見て、脱いだものを置く場所はここであることを察する。子どもたちの発達は複合的なものであり、様々な要因が後押ししている、ということを感じます。
(報告者 加藤恭平)
給食後、
自ら椅子をしまいます。
先ずは片側、
持ち替えて、
最後までしっかりと。
当時約1歳6ヶ月の子です。
13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月19日『経験や脳の自発活動』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「多数あったシナプスのうち、必要なものだけに刈り込まれていくことを、『シナプスの刈り込み』と言います。この刈り込みに重要な役割を果たすのが、経験や脳の自発的活動だと考えられているのです。このあたりの研究結果は、私の『見守る』行為に対して、裏付けとなったものです。経験にしても、もちろん自発的な活動にしても、自ら行なう行為であり、大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させることでは、有効な刈り込みが行なわれなくなってしまうのです。」
椅子をしまう、というシンプルな行動ながらこれを自然に行うようになる過程で、保育者からのアプローチが少なからずあったにせよ、子どもが自身でそれを行うには、何よりも先ず自発的な気持ちが起きるような設定、配慮が必要であるように感じます。
「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチ、そして同年齢の子もそうですが、すぐ側にいる1歳児クラスの子どもたち影響を大いに感じます。そんな動画や写真をいくつか撮ることができたので紹介していきたいと思います。
(報告者 加藤恭平)
ある日の朝、
お部屋がこんな風になっていました。
ちっち組(0歳児クラス)の子どもたちが嬉しそうに登ったり降りたりをしていました。
「階段のところへ行ってみようか♪」
クラスの先生の発案で、階段登りをしてみることに。
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2007年11月4日『光』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「私たちが保育している幼児の姿は、何度も何度も歩いている姿です。その歩き方は、ヨチヨチであり、未だしっかりと腕も振られていないかもしれません。しかし、それはそのあと、自分の足で歩き始めるときのための練習でもあるのです。また、その未熟の歩き方からも、その子の将来の見通しを立てていかなければなりません。(中略)それでも歩いていれば転ぶこともありますし、何かにぶつかることもあります。転ばないように石をどけてしまうとか、転んではいけないと思ってすぐに抱き上げてしまっては、歩くことを学んでいることにはなりません。転んでも手をつくことができるようになったり、障害物を乗り越えて歩くことができるようになることが、何年か先に自分だけで歩くなったときに必要な知恵なのです。」
ここでは幼児について書かれていますが、乳児についても同様ですね。大きくなってから顔に傷をつくる怪我をする子が増えていると聞きますが、乳児期にずり這いやハイハイをしっかりと経験してこなかったことに要因があるのではないかと、以前から言われています。転んだ時に咄嗟に出るはずの手が出てこないのかもわかりませんね。
そんなことを思いながら子どもたちと階段へ出て行きました。
登ってみるともちろん個人差があり、速い子とゆっくりな子といます。
「がんばれ〜♪」
先を行くグループからの応援を受けながらも、その段数の多さにでしょうか、涙が流れてきた白いTシャツの女の子(ちっち組0歳児クラス、以下白ちゃん)。
すると、白ちゃんに駆け寄る一人の男の子がいました。
そこで出会った出来事にとても感動しました。
(報告者 加藤恭平)
12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「私がよく講演で話しをすることに、『赤ちゃんは能動的である』ということがあります。赤ちゃんは自分で何もできないために、受動的であると思われていました。他人にやってもらうために、赤ちゃん自身は受け身であると思われていました。しかし、最近の研究では、自分でできないために、他人にやってもらうために、そこにさまざまな手段で働きかけているということが判ってきました。」
ちっち組(0歳児クラス)の職員間でそんな話題を共有した日の夕方、なるほどこういうことを指すのだろうかという出来事がありました。
写真左手の男の子が写真右手の男の子の服の袖を掴んでいます。
この写真を撮る前から積極的に写真右手の男の子に関わろうとする姿を見せてくれていた写真左手の男の子です。
何度か袖を引っ張った手が離れて腕にパタッとその手が落ちました。
その様子をじーっと見ていた写真右手の子が次の瞬間、
こっちを見て、
自分の服を引っ張ってアピールするのです。
その動作を何度か繰り返していました。
面白いですね。服を引っ張られたことをこちらに伝えたいという意図を、その行為の中に感じることができます。
更に、『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』にはこうも書かれています。
「それは、状況を知らせるだけでなく、要求を表わします。おなかがすいているので乳が欲しい、気持ち悪いので、おむつを替えて欲しいなどの意味が込められています。ですから、伝える相手は、母親でなくても、その要求をかなえてくれる人に対して行なわれます。」
この際の要求というのは何だったのでしょうか。服を掴まれて嬉しかったのか嫌だったのか。友だちが関わってきてくれたことを強調したかったのか、助長して欲しかったのか。それを隣で見ていたクラスの先生が、
「それ(赤ちゃんの行った行為)をどう見るか、見方によって全然(解釈が)違ってくるよね。」
と話してくれたことも印象的でした。赤ちゃんの行動におけるその現象の捉え方を藤森先生は説いているのだということを改めて思いました。
そんな視点で見ているからでしょうか、その数十分後にまた別の出来事がありました。
(報告者 加藤恭平)