Blue floor philosophy episode 15『ドイツ報告8』より

ごっこゾーンが盛り上がっています。

 たくさんの飴

たくさんの飴

ダンボールでつくったクッキー

ダンボールでつくったクッキー

先生主催の元、「経営者会議」で決まった一覧

先生主催の元、「経営者会議」で決まった一覧

盛り上がっている分、片付けに時間のかかるイメージがあり、ある日の活動前に「片付けを一生懸命やってくれる人」を募りました。

有難いことです。

有難いことです。

さてその日の遊びも盛り上がり、時間も11時を過ぎそうな頃。そろそろ声をかけようかとごっこゾーンへ近づくと、

「この感じだったらあんまり出してないから3(11:15のこと)でも大丈夫だよ?」

すいすい組(5歳児クラス)の子からの提案で、そして自分たちで片付けを完了させていました。

ブログ『臥竜塾』2018年6月23日『ドイツ報告8』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「お片付けをしないで次の場所に行ってしまう子がいます。私は、子どもというのは次々に目につくものをやりたがるもので、それを制止して片付けさせる必要はないと思っています。ドイツのこの園では、こんな工夫をしているそうです。まず、活動が合わるときには、ゴングを鳴らして、みんな一斉に活動をやめて集まります。そして、みんな集まったら、一斉に「よーい、ドン!」ということで、みんなで片づけを始めるそうです。ある時、片づけない子がいたそうです。みんなで、どうしようかという話し合いをしたそうです。その結果、次の日は、その子一人で片づけをするということが決まって、次の日は、一人ですべての片づけをしたそうです。その後は、みんなと一緒に片づけをするようになったそうです。

参画という取り組みは、子どもたちが主体的に問題解決をするようになるようです。」

本質を理解していれば応用が可能である、その本質とは子ども主体を指すことを目の前の子どもたちから、そしてドイツ報告から学びます。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 14『興味を持たせる工夫』より

 

「どうだったー?」

「どうだったー?」

「よかったよー」

「よかったよー」

何をしてるのかと見ていると、

「一緒に食べながら見る?」

「一緒に食べながら見る?」

誘わってもらいました。

「じゃ、次私行ってくるね」

見ていると、

見ていると、

登場です。

登場です。

お笑い芸人さんの真似をしているようです。

お笑い芸人さんの真似をしているようです。

大喜びの子どもたち。

大喜びの子どもたち

「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」

「うまいうまい、テレビを見ながらのたこ焼きは最高ですなぁ〜」

なるほど合点がいきました。

ブログ『臥竜塾』2015年2月1日『興味を持たせる工夫』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「子どもは、大人から見るとさもないと思われることでも興味を持ちます。大人が見落としてしまうものの中からでも輝くものを見出します。子どもは、大いなる発見者であり、発明者でもあると思います。」

2階と3階を繋ぐモニターをこのように遊びに変えてしまう子どもたち。

天才だと思いました。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 11『ドイツ報告1』より

ブログ『臥竜塾』2008年6月25日『ドイツ報告1』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「朝早く訪問したのは、朝の集会(お集まり)を見せてもらうためです。時間になると3〜5歳児が円形にお集まりをはじめます。欧米では、子どもの集会を行うときには、ほとんど円形に集まります。それは、全員の顔がお互いに見えるからです。大人でも、ワークショップを行うときには円形に集まることが多いです。」

わいらんすい(3・4・5歳児クラス)も、先日から朝の会、時に帰りの会をこのような形で行っています。

わいらんすい(3・4・5歳児クラス)も、先日から朝の会、時に帰りの会をこのような形で行っています。

この日の担当の先生のアイディアで「カラフルバスケット」を遊んでいる様子です。座っているクッションのカラーを活用されています。

全員の顔を見渡しながら一日の始まり、一日の出来事、一日のまとめができることが何とも心地よく、とても楽しい時間となっています。

(報告者 加藤恭平)

 

 

Blue floor philosophy episode 10『誕生会』より

ブログ『臥竜塾』2012年6月3日『誕生会』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「園で行う誕生日会は、月1回です。ですから、子どもの誕生日の当日に祝うことにはなりません。しかし、子どもは、誕生日当日はうれしいものです。ですから、必ず、その日には誕生日であることを部屋の中に掲示して、職員はその子におめでとうという声をかけてあげるようにします。今迄、ずいぶんといろいろな試みをしました。たとえば、誕生日を迎えた子は、その日1日王冠をかぶったり、誕生ベルトを締めたりして、誰にでもわかるようにすると同時に、その日は、王様になったような、チャンピョンになったような気分になります。また、あるときには、免許証を発行し、その免許証を提示すれば、見せられた人はその子を必ず「だっこ」しなければならないとしたりしたこともありました。」

とても魅力的な取り組みですね。今年度は、

食事の時間にこのようなプレゼント。

食事の時間にこのようなプレゼント。

クラスの先生の考案で、子どもたちはとても嬉しそうです。

袋に入れて持って帰りたいので、みんなお皿の下に敷くことを希望します。

袋に入れて持って帰りたいので、みんなお皿の下に敷くことを希望します。

可愛いですね。こういう幸せを積み重ねていきたいですね。

(報告者 加藤恭平)

Blue floor philosophy episode 7『個の積み木から』より

4月、「入園進級を祝う会」が行われました。

ホールに集まって今年度のクラスの先生の紹介をしたり、園歌を歌ったり、藤森先生が絵本を読んで下さり、職員がそれを演じたり、今年も楽しい時間となりました。

 読まれたのはこちらの絵本。

読まれたのはこちらの絵本。

今年度のテーマである『東京』を題材に、職員室の先生方がアレンジをして下さいました。

会が終わると絵本は子どもたちの元へ。嬉しそうに読んでいます。

興味深かったのはその日のブロックゾーンです。

「スカイツリーとその中にあるサンシャイン水族館」

「スカイツリーとその中にあるサンシャイン水族館」

こちらは、囲むように建てられていきます。

こちらは、囲むように建てられていきます。

「東京ドームシティ」だそうです。

宿泊施設も。

宿泊施設も。

絵本をきっかけにイメージが広がっていったのですね。

ブログ『臥竜塾』2014年1月15日『個の積み木から』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「保育者はどんな役目を担うのでしょうか?それは、まず、物を用意しなければなりません。集団で大きなものを作るために十分なブロックがなければなりません。次に、それをつなぎ合合わせ、ダイナミックな作品を作る出来る空間を用意しなければなりません。全体が狭く、十分な広さを取ることができないときには、子どもの様子を見て、ダイナミックな作品が生まれそうなときには、他のゾーンの広さを縮小して、ブロックゾーンを広げます。逆に、少し下火の時は、他のどのゾーンを広げるかを考えます。次に、ダイナミックな作品や、他とつなぎ合わせることが生まれるための十分な時間を確保します。それが、無理な時には、続きをやることができる時間を確保してあげます。そして、何気なく、隣とつなぎ合わせるともっとダイナミックなものになるという働きかけをします。このブロックを導入した当時は、その作品のイメージが子どもにわいてこなかった時に、ドイツの子どもたちが作った作品の写真をそのゾーンの中に掲示しておきました。それに刺激を受け、その真似をして、すぐにそれを越えた作品を作ることになりました。」

着々と出来上がっていく東京ドームシティ。ここからもう一つ展開していきます。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 40『文化学習の3段階のレベル』より

暖かなある日の日中、1歳児クラスの子どもたちと散歩へ出ました。

遊び始めて少しした頃、ベンチへ駆け寄ってきて、

着ていた上着をおもむろに、

着ていた上着をおもむろに、

脱いで、

脱いで、

上着の集まりの中へ。

上着の集まりの中へ。

とても自然に行っていて、驚きました。

平成29年告示『保育所保育指針』「1歳以上3歳未満児の保育に関わるねらい及び内容」の「健康」の中で、「保育士等の助けを借りながら、衣類の着脱を自分でしようとする。」とあります。

そして、「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」の「健康」の中では「身の回りを清潔にし、衣服の着脱、食事、排泄などの生活に必要な活動を自分でする。」とあります。

1歳児クラスの子どもたちですが、その姿は「3歳以上児の保育に関するねらい及び内容」における子ども像を体現しているかのように思えました。

また、ブログ『臥竜塾』2018年1月18日『文化学習の3段階のレベル』の中では心理学者トマセロ氏の言葉が引用されています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)

「文化学習において学習者は、他の個体が活動する場所にただ注意を向けるのではなく、その状況を他者と同じように、いわば、他者の視点の内側から見ようとしているのである。」

ベンチに集まった上着の束を見て、脱いだものを置く場所はここであることを察する。子どもたちの発達は複合的なものであり、様々な要因が後押ししている、ということを感じます。

(報告者 加藤恭平)

 

Red floor philosophy episode 32『研究の進化』より

おやつ後、

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

1歳児クラスのお友だちが片付ける様子をじっと見つめる当時約1歳7ヶ月の0歳児クラスの子。

 

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

後ろから来た同0歳児クラス約同月齢の子は自分で残ボウルの中へ。

 

その姿もじーっと見ています。

その姿もじっと見ています。

 

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

さて、彼女は、どうするのでしょうか。

 

歩き出し、

歩き出し、

 

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

残ボウルを過ぎてコップをしまう段取りへ。

そして、置き場所を探す中で

次は職員の行動を目のあたりにします。

次は職員の行動を目のあたりにします。

 コップの中の麦茶をどうするべきか、本人のそういった意識が眼差しに変わって、その対象に向けられているかのようです。

更にもう一人1歳児クラスの子。

更にもう一人1歳児クラスの子。

 「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチを何度か経た彼女は、

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

麦茶を残ボウルに入れるのはまた今度にして、コップを置いてみる、という行動を選択しました。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年12月19日『研究の進化』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「保育に携わる私たちは、どのように上積みしていかなければならないのでしょうか?まず、日々乳幼児と接する中で、新しい乳幼児観を生み出すような、近年示されている新しい乳幼児観を援護するような子どもの姿を示すことです。もう一つは、新しい乳幼児観に沿った保育を考えることです。先に書いたように、どうもいまだに古い乳幼児観を基にしたような保育を行なっているところも少なくありません。乳幼児は自分では何も出来ない、してあげなければと思って代わりにやってしまう。子どもは放っておくとろくなことをしない。大人がきちんと規律正しく導かなければと思って様々なことを拘束してしまう。なにも知らない、できない子どもには様々な刺激を与えなければ、脳は発達しない。そこで、子どもの後を追いかけ、様々な刺激を与えようとする。そんな保育が見られることがあります。

だからと言って、手を出さなければいい、口を出さなければいいというわけではありません。どのような内容の言葉がけをすれば良いのか、どのようなときに口を出せばいいのか、ということを、そのときの子どもの状況、発達過程の理解、子ども同士の関係などから考えなければいけないのです。また、子どもに何をすればいいのかというように直接子どもに関わることだけを考えるのではなく、子どもがそれらのことを自発的に行なうことのできる環境を用意することも考えなければなりません。そのときに、新しい乳幼児についての知見を知る必要があるのです。」

残ボウルに入れることがゴールでも何でもなく、彼女が片付けようと席を立ち、コップの中身をどうしようかと考え、行動を選択した、ということに意味がある、ということを改めて考えさせられます。

こういった環境の中で子どもたちは、自ら行動を起こしていくのですね。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 31『経験や脳の自発活動』より

給食後、

自ら椅子をしまいます。

自ら椅子をしまいます。

 

先ずは片側、

先ずは片側、

 

持ち替えて、

持ち替えて、

 

最後までしっかりと。

最後までしっかりと。

当時約1歳6ヶ月の子です。

13年目に入られました塾長藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年11月19日『経験や脳の自発活動』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「多数あったシナプスのうち、必要なものだけに刈り込まれていくことを、『シナプスの刈り込み』と言います。この刈り込みに重要な役割を果たすのが、経験や脳の自発的活動だと考えられているのです。このあたりの研究結果は、私の『見守る』行為に対して、裏付けとなったものです。経験にしても、もちろん自発的な活動にしても、自ら行なう行為であり、大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させることでは、有効な刈り込みが行なわれなくなってしまうのです。」

椅子をしまう、というシンプルな行動ながらこれを自然に行うようになる過程で、保育者からのアプローチが少なからずあったにせよ、子どもが自身でそれを行うには、何よりも先ず自発的な気持ちが起きるような設定、配慮が必要であるように感じます。

「大人があれこれやってあげ、指示通りに行動させる」のではないアプローチ、そして同年齢の子もそうですが、すぐ側にいる1歳児クラスの子どもたち影響を大いに感じます。そんな動画や写真をいくつか撮ることができたので紹介していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 11『光』より

ある日の朝、

お部屋がこんな風になっていました。

お部屋がこんな風になっていました。

ちっち組(0歳児クラス)の子どもたちが嬉しそうに登ったり降りたりをしていました。

「階段のところへ行ってみようか♪」

クラスの先生の発案で、階段登りをしてみることに。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2007年11月4日『光』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私たちが保育している幼児の姿は、何度も何度も歩いている姿です。その歩き方は、ヨチヨチであり、未だしっかりと腕も振られていないかもしれません。しかし、それはそのあと、自分の足で歩き始めるときのための練習でもあるのです。また、その未熟の歩き方からも、その子の将来の見通しを立てていかなければなりません。(中略)それでも歩いていれば転ぶこともありますし、何かにぶつかることもあります。転ばないように石をどけてしまうとか、転んではいけないと思ってすぐに抱き上げてしまっては、歩くことを学んでいることにはなりません。転んでも手をつくことができるようになったり、障害物を乗り越えて歩くことができるようになることが、何年か先に自分だけで歩くなったときに必要な知恵なのです。」

ここでは幼児について書かれていますが、乳児についても同様ですね。大きくなってから顔に傷をつくる怪我をする子が増えていると聞きますが、乳児期にずり這いやハイハイをしっかりと経験してこなかったことに要因があるのではないかと、以前から言われています。転んだ時に咄嗟に出るはずの手が出てこないのかもわかりませんね。

そんなことを思いながら子どもたちと階段へ出て行きました。

登ってみるともちろん個人差があり、速い子とゆっくりな子といます。

「がんばれ〜♪」

「がんばれ〜♪」

 先を行くグループからの応援を受けながらも、その段数の多さにでしょうか、涙が流れてきた白いTシャツの女の子(ちっち組0歳児クラス、以下白ちゃん)。

すると、白ちゃんに駆け寄る一人の男の子がいました。

すると、白ちゃんに駆け寄る一人の男の子がいました。

そこで出会った出来事にとても感動しました。

(報告者 加藤恭平)

Red floor philosophy episode 9『乳児と乳児の共通基盤とは?』より

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

「私がよく講演で話しをすることに、『赤ちゃんは能動的である』ということがあります。赤ちゃんは自分で何もできないために、受動的であると思われていました。他人にやってもらうために、赤ちゃん自身は受け身であると思われていました。しかし、最近の研究では、自分でできないために、他人にやってもらうために、そこにさまざまな手段で働きかけているということが判ってきました。」

ちっち組(0歳児クラス)の職員間でそんな話題を共有した日の夕方、なるほどこういうことを指すのだろうかという出来事がありました。

写真左手、男の子が右手の男の子の服の袖を掴んでいます。

写真左手の男の子が写真右手の男の子の服の袖を掴んでいます。

この写真を撮る前から積極的に写真右手の男の子に関わろうとする姿を見せてくれていた写真左手の男の子です。

何度か袖を引っ張った手が離れて腕にパタッとその手が落ちました。

何度か袖を引っ張った手が離れて腕にパタッとその手が落ちました。

その様子をじーっと見ていた写真右手の子が次の瞬間、

こっちを見て、

こっちを見て、

 

自分の服を引っ張ってアピールするのです。

自分の服を引っ張ってアピールするのです。

 

それを何度か繰り返していました。

その動作を何度か繰り返していました。

面白いですね。服を引っ張られたことをこちらに伝えたいという意図を、その行為の中に感じることができます。

更に、『臥竜塾』ブログ2015年9月1日『乳児と乳児の共通基盤とは?』にはこうも書かれています。

「それは、状況を知らせるだけでなく、要求を表わします。おなかがすいているので乳が欲しい、気持ち悪いので、おむつを替えて欲しいなどの意味が込められています。ですから、伝える相手は、母親でなくても、その要求をかなえてくれる人に対して行なわれます。」

この際の要求というのは何だったのでしょうか。服を掴まれて嬉しかったのか嫌だったのか。友だちが関わってきてくれたことを強調したかったのか、助長して欲しかったのか。それを隣で見ていたクラスの先生が、

「それ(赤ちゃんの行った行為)をどう見るか、見方によって全然(解釈が)違ってくるよね。」

と話してくれたことも印象的でした。赤ちゃんの行動におけるその現象の捉え方を藤森先生は説いているのだということを改めて思いました。

そんな視点で見ているからでしょうか、その数十分後にまた別の出来事がありました。

(報告者 加藤恭平)