GTO〜Great Teacher ONI〜 当日のお楽しみ編 pt.2

豆まきの日の楽しみは、豆をまいておしまいではないのです。

①まずは、その日の給食です♪

毎年恒例〝オニライス〟♪

毎年恒例〝オニライス〟♪

 

配膳時に一人一人その場で盛り付けていくので時間がかかりますが、

配膳時に一人一人その場で盛り付けていくので時間がかかりますが、

 

色んな顔があって、そしてどこかその子に似ていたりして(笑)皆嬉しそうに配膳していきます。

色んな顔ができて、そしてどこかその子に似ていたりして(笑)皆嬉しそうに配膳していきます。

 

卵アレルギーの子も♪

卵アレルギーの子も♪

 

もちろん職員も♪

もちろん職員も♪

 

とても楽しくて美味しかったです♪

②そして、その日のおやつはなんと♪

午睡から起きてくることの早いこと早いこと♪

お昼寝から起きてくることの早いこと早いこと♪

 

のりを出して〜♪

のりを出して〜♪

 

ごはんでーす♪

ごはんでーす♪

 

桜でんぶに〜♪きゅうりに〜♪たくあんに〜♪

桜でんぶに〜♪きゅうりに〜♪たくあんに〜♪

 

巻き巻き巻いて〜♪

巻き巻き巻いて〜♪

 

完成☆

完成☆

 

切りまーす♪

切りまーす♪

 

「おぉー!」湧き上がる歓声!

「おぉー!」湧き上がる歓声!

 

みんな美味しそうに南南東を向いて(笑)食べていました♪

③そして、毎年とても素敵だなぁと思うのですが、

〝升(ます)〟はその日の内に持ち帰り升♪(ウマイッ!)

〝升(ます)〟はその日の内に持ち帰り升♪(ウマイッ!)

 

豆を添えて持ち帰るようにするのです♪

豆を添えて持ち帰るようにするのです♪

お家でもできるように、との配慮です。素晴らしいです本当に。

次の日のノートには、お家で豆まきをした、という話題でいっぱいになります。

伝統の伝承が、このように成されています。少しの工夫、ちょっとのアイディアが光る新宿せいが保育園の節分です♪

(報告者 加藤恭平)

 

GTO〜Great Teacher ONI〜 当日のお楽しみ編 pt.1

さて、節分当日がやってきました。

 

にこにこ組(2歳児クラス)わいらんすい(3・4・5歳児クラス)は、3Fホールに集まって、節分についての紙芝居などを楽しみます。

にこにこ組(2歳児クラス)わいらんすい(3・4・5歳児クラス)は、3Fホールに集まって、節分についての紙芝居などを楽しみます。

 

ちょっと、そわそわしている子ども達(と職員)です(笑)

ちょっと、そわそわしている子ども達(と職員の皆様)です(笑)

 

その頃、下の階(ちっち組0歳児クラス ぐんぐん組1歳児クラス)では、

 

何も知らず(?笑)に楽しそうです。

何も知らず(?笑)に楽しそうです。

 

さぁ、いよいよ登場します!

さぁ、いよいよ登場します!

 

一目散に逃げる子ども達です。

一目散に逃げる子ども達!

 

自然、職員のうしろに隠れる子ども達です。

自然、職員のうしろに隠れる子ども達!

 

その鬼が、

その鬼が、

 

入ってきました!

入ってきました!

 

「鬼はーそと!福はーうち!」

「鬼はーそと!福はーうち!」

 

鬼は去っていきました…(笑)

 

その頃、3Fホールでは…

 

節分には欠かせない〝やいかがし〟の説明中です。

節分には欠かせない〝やいかがし〟の説明中です。

 

節分のお話を聞き終えた子ども達は、下の階へ移動。子ども達は何となくソワソワ。

 

やっぱり、何て言うのでしょうか、わくわくしてしまいますね(笑)

 

皆で歳の数だけ豆を食べます。

皆で歳の数だけ豆を食べます。

 

にこにこ組(2歳児クラス)の〝升(ます)〟はこんな感じです。

今年のにこにこ組(2歳児クラス)の〝升(ます)〟はこんな感じです。

 

わいらんすい(3・4・5歳児クラス)の〝升(ます)〟はこんな感じです。

今年のわいらんすい(3・4・5歳児クラス)の〝升(ます)〟はこんな感じです。

 

嬉しそうな本多先生です(笑)

嬉しそうな本多先生です(笑)

 

さぁ、いよいよ登場です!

さぁ、いよいよ登場です!

 

「わぉー!」

「わぉー!」

 

「うわー!」

「うわー!」

 

にこにこ組は、もうなるだけ遠くに自分の身を置きたくて(笑)後ろへ後ろへ下がっていました!

にこにこ組は、もうなるだけ遠くに自分の身を置きたくて(笑)後ろへ後ろへ下がっていました!

 

「僕が鬼をやっつけるよ!」「鬼なんか怖くないし!」と言っていたあの子もこの子も、豆を投げるどころの話じゃありませんでした!(笑)

「僕が鬼をやっつけるよ!」「鬼なんか怖くないし!」と言っていたあの子もこの子も、豆を投げるどころの話じゃありませんでした!(笑)

 

そして、鬼はわいらんすい(3・4・5歳児クラス)の鬼が怖くない子達の投げる豆によって去っていきました…

 

終わった後の床(リノリウム)をご覧下さい。

 

まさにダイナミック!部屋中豆だらけ!(笑)

まさにダイナミック!部屋中豆だらけ!(笑)

 

それをホウキや掃除機で集めて、掃除をします。

それをホウキや掃除機で集めて、掃除をします。

 

このダイナミックさが新宿せいが保育園の豆まきの最大の魅力の一つと思っています(笑)

 

掃除はわいらんすい(3・4・5歳児クラス)と職員の方々にお任せし、にこにこ組(2歳児クラス)は、近くの神社にお散歩に出ました。

 

どこか開放感というか、達成感のようなものを、子ども達の背中から感じたりします(笑)

どこか開放感というか、達成感のようなものを、子ども達の背中から感じたりします(笑)

 

「あ、花が咲いてるー。」

 

女の子がふと気付いて教えてくれました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2006年2月2日『文化の伝承』の中に、こう書かれています。

〝文化を伝承していくことは、多様性の世界観の中で、さまざまな社会集団を結びつけ、よりよい新しい時代を作っていくために、過去の知恵から学んでいくというものである気がします。〟

 

昔の人も、子育てには手を焼いたのかもしれないなぁと、ふと思いました(笑)

 

春の訪れを願い、子ども達の健やかな成長を願い、また、自身の中に潜む何かしらの〝改善したいこと〟、そんな願いを鬼に託して、節分という行事が生まれたのかもわかりませんね。

 

節分が春の訪れを教えてくれます。このような素晴らしい行事を伝承していく責任が、僕たち保育に携わる人間にあるように、改めて感じるこの度の豆まきでした。

 

春の足音がもうそこまで近付いてきていますね。

春の足音が聞こえてくるようですね。

 

(報告者 加藤恭平)

ロボットVS人間 Final

「では、みんな!ロボットと西村先生、どっちが面白かったか手を上げてもらおうかな!!

まずロボットが面白かったという人は手を上げてください・・・」

と前回はここで終わりましたね。いよいよ結果発表です。

 

ロボットに手を上げた子どもは約7割で西村先生に手を上げた子どもは残りの3割・・・。

結果ロボットの勝ちでした。

ただ、おそらく子ども達はわざとロボットに手を上げているように思います。と言うのも、動物クイズやダンス対決の時もどちらも楽しんでいましたが、西村先生の時の方が子ども達の表情がロボットの時と違い、楽しさが溢れ出ていました。

あとは塾長の講演でも話されていますが、子どもは大人をからかい、大人が意図している逆の方にわざと答える傾向があると言われているので、本心は西村先生ですが、わざとロボットに手を上げている気がします(笑)

私は子ども達に

「僕はロボットよりも西村先生のほうが楽しかったな!あんな動きができるのは人間しかできないと思うよ?」

と言いました。

ロボットは表情を変えずに、淡々とクイズを出したり、ダンスをしますが、西村くんの場合は、西村くん自身が楽しそうな表情をして、クイズやダンスをやっている姿が、その場にいる全員を楽しい雰囲気に巻き込んでいると思いますし、実際に子どもと、大人も全員が笑って楽しんでいました。

以前、塾長が「変なホテル」に宿泊されて写真を見せてもらいましたが、いくら人間の姿をしたロボットでも表情が変わらないと、逆に気持ち悪いと思います。ただこれから技術が発展し、表情も柔軟に変えられるロボットが出てくると、もしかしたらロボットでもその雰囲気を作り出してしまう可能性もあるのかもしれませんね・・・。しかし、それを覆してくれる存在が現れました。

それは塾生の柿崎先生(調理)です。

 

誕生会の後半に調理の先生が給食のメニューを紹介してくれるので、今回は柿崎先生にお願いしました。しかし、ただ出てきて普通に紹介するのは少しつまらないので、ロボットになってもらい、メニュー紹介をしてもらうことにしました。

今回の誕生会の趣旨としては「人間対ロボット」で子ども達にやはりロボットよりも人間の方が面白いよね!と伝える趣旨です。なのに、最後は「結局ロボットかぃ!」という、子どもには少し分かりにくい、大人向けのオチにしたのです。

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ヘルメットに耳あて、そしてサングラスをかけてロボットに扮した柿崎先生が、塾生の本多先生が押す台車に乗って(まだ二足歩行ができない未完成のロボットです)登場です。

そしてタブレット端末を使用して写真を見せながらメニューを紹介します。ロボットですね(笑)

みんなの前に登場し端末を使用して、いざメニューを紹介し始めました。一つ目のメニューを紹介したら故障したのか、急に止まりました。すると、おもむろに自分の手の平を見て、やっとメニュー紹介を続けました。

そうです、メニューを覚えることができず、手のカンペを見ながらのメニュー紹介です(笑)ロボットなのに・・・。

この姿にその場にいた職員は全員大爆笑です(笑)私は腹筋が痛くなりました。この面白さが文章では伝わらないのが本当に残念です・・・。

そんな和やかな雰囲気でメニュー紹介も終わり、ロボットに扮した柿崎先生も台車に乗って帰っていき、誕生会も無事に終了しました・・・。

 

もし本当のロボットだと完璧にメニューを紹介して終わると思うので、こんな笑いは生まれなかったでしょうね。人間だから、むしろ柿崎先生だから大きな笑いが生まれたと思います。

 

塾長は

「子ども達の前で失敗しても、一生懸命にやり遂げる姿を見せるのも必要だ」と言われます。

柿崎先生はそれを体現してくれました!・・・おそらく・・・。

塾長は

「失敗できるのは人間の特徴だ」

と言われます。

数年前に私は遊び心をテーマに発表したことがあります。その時に塾長から

「車のハンドルは『遊び』という『間』がある。人は『間』を持つことで『人間』になれる」

この『間』というのは保育の中でもとても大切なことだと思います。これは以前、私の報告にも書いたと思いますが、こうして何度も振り返るということは大切な事柄だと再認識させてくれます。(報告者 山下祐)

愛を込めて草花を 大袈裟ではないんです

先日、にこにこ組(2歳児クラス)のテーブルにお花が置かれました。

ちょこん、と2つ。

ちょこん、と2つ。

 

可愛らしいですね。

可愛らしいですね。

我らが誇るベテランの先生のアイディアです。

新宿せいが保育園は、よく見ると、至るところに草花があります。

 

ざっと見渡してみると、にこにこ組(2歳児クラス)の周りだけでもこんなにあります。

ざっと見渡してみると、にこにこ組(2歳児クラス)の周りだけでもこんなにあります。

 

接写!

接写!

 

ここにも。

ここにも。

 

ここにも。

ここにも。

 

ここにも。

ここにも。

 

ここにも。

ここにも。

なんだか、胸がすくような気持ちになります。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年11月2日『室内の花』の中でこう書かれています。

〝ドイツの園に行って、室内に入ってまず驚くのが、緑の多さです。日本の保育室で緑はほとんど見かけません。以前、このブログで緑視率のことを書いたことがありました。視野にあるパーセントの緑が入ると仕事能率が上がるという研究です。それは、緑色という色の効果です。その研究は日本で行なわれているもので、ドイツでそれを知っているわけではないと思うのですが、どちらの方向を見ても、必ず視野に緑が入ります。それは、四方向だけでなく、上を見ても緑があります。

 また、その緑はドイツでは基本的に緑の自然の植物の葉です。造花は使いません。したがって、その緑は酸素を供給し、空気を清浄化し、加湿をしてくれます。緑色が視野に入ることで仕事能率が上がるという研究では、なお、その効果を増すものとして、自ら育てる緑であるというものがあります。自ら育て、成長していく植物が机の上にあることが、より効果があるということが研究されているのです。また、カポックという植物の葉は、よくある加湿器並みの湿気を室内に出すことが知られています。〟

 

草花を置く、ということに、このような意味があり、理由があるということがわかります。

そして、この日のブログは、こう展開されていきます。

〝日本の教室、保育室にはあまり植物を見ることがないのはなぜでしょうか?まず、小さい子が土をいじる、葉をちぎってしまう、植木鉢を倒してしまうということがよく言われます。ほかの大きな理由に、育てるのが大変で、すぐ枯らしてしまうということも言われます。ドイツでは、なぜ子どもたちが倒したり、土をいじったり、葉をちぎったりしないのでしょうか?それは、保育のあり方だと思います。その理由がこれということは、よく分かりませんが、まず、ドイツの保育室には教具、遊具があふれんばかりに置かれていることも理由の一つかもしれません。非常に豊富です。乳児から、たくさんの遊具が棚に並べられ、いつでも自分で取り出せるようになっています。土や葉を遊具にする必要もないのです。

 もう一つ、子どもたちがとても落ち着いています。テンションが上がっている子や走り回っている子、大声を出している子はほとんど見ることがありません。好きなことに黙々と取組んでいます。植木にぶつかって、倒してしまったりするなどということはないように思います。しかし、なぜ枯れてしまわないかは不思議です。気候のせいか、木の種類なのか判りませんが、植木に水をやっている姿を見ることはありません。いつ、誰が水やりをしているのか、また、葉もほこりがなく、いつも拭いているようで、それは不思議です。ただ、私の園では、植木の植物の枯れ具合で、保育の落ち着きを見ることがあります。心に余裕がないと、植木は枯れてしまいます。植木が水を欲していることに気がつかないと、子どもの心が渇いているのに気がつかない気がするのです。〟

〝心に余裕がないと、植木は枯れてしまいます。植木が水を欲していることに気がつかないと、子どもの心が渇いているのに気がつかない気がするのです。〟

この一文に、とても心を打たれます。

というのも、にこにこ組(2歳児クラス)周辺の草花に、いつも丁寧にお水をあげ、枯れないようにケアをして下さっているのは、何を隠そう我らが誇るベテランの先生、その人だからです。

朝の受け入れの時に、泣いていた子を抱きかかえる我らが誇る先生。何かの保育書で読みましたが、大きくなったら抱っこしない、なんてことはありません。

朝の受け入れの時に、泣いていた子を抱きかかえる我らが誇る先生。思わず撮ってしまいました。何かの保育書で読みましたが、大きくなったら抱っこしない、なんてことはありません。

 

毎日、その先生の保育を見て、姿勢を見て、背中を見て、過ごせたこの2年間を、本当に幸せに思います。

さぁ、子ども達が散歩から帰ってきました。花を添えた初めてのその日の給食の風景です。

皆、うまいことよけています。

皆、うまいことよけています。

 

まるで今までずっとあったかのような自然さです。

まるで今までずっとあったかのような自然さです。

 

配膳完了。

配膳完了。

 

誰一人触ってこぼすこともなく、文字通り、給食に花を添えていました。

触ってこぼすこともなく、文字通り、給食に花を添えていました。

「なんかきれーだよね。」「においするね。」と、嬉しそうな子ども達を見て、花を愛でられる状況を子ども達が自分たちで作り上げていることのすごさに気付いていないそのあどけなさに、そして、子ども達をこうして見守ることで、このように育っていくんだよ、と強い信念で僕らを導いてくれた我らが誇る先生に、感動してしまいます。

愛を込めて草花を。大袈裟でなく、草花が枯れることのない瑞々しい毎日は、きっと、毎日を幸せに生きようとする、その人の心が生み出す産物なのだと思います。

午睡中、いつもよりちょっと早く起きた子とお絵かきを楽しむ先生です。輝いて見えるのは、差し込む日差しの強さだけではないと思います。

午睡中、いつもよりちょっと早く起きた子とお絵かきを楽しむ先生です。輝いて見えるのは、差し込む日差しの強さだけではないと思います。

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです~あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)~ 後日談

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの完結編です。

 

にこにこ組(2歳児クラス)の子達のケンカがすいすい組(5歳児クラス)の子によって解決された数秒後です。

 

あれ!?

あれ!?

 

えぇー!?

えぇー!?

 

えぇー!!(笑)

えぇー!?(笑)

 

子どもって、ほんっとに(笑)

 

先日の報告で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中の一文を改めて、紹介させていただきます。

 

〝子どもたちを見ると、(中略)けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。〟

 

また、2歳児のイヤイヤ期に対してどう対応すればいいですか?という質問についても藤森先生は、「大人が本気にならないことです。」と答えられています。

あきれたー、と思わず言ってしまいそうになりますが(笑)子どものこういう切り替えの速さや、相手を許す気持ちの寛大さは、見習う必要がありますね。

さて、ケンカの仲裁を鮮やかにしてくれた彼はというと、

 

「上履き取りに行くとこだったんだ。じゃーねー。」

「上履き取りに行くとこだったんだ。じゃーねー。」

颯爽と行ってしまいました。格好いいですね。

さて、後日談へ。

「さっきのGLAYくん(すいすい組の子の仮名)のやりとりさ、」

我らが誇るベテランの男性保育者が、このやりとりを遠くから見守っていて下さったようで、こんな話をしてくれました。

「あれと全く同じケンカをわいらんすい(3・4・5歳児クラス)でしてるよ。」

(笑)なるほど!だからこその姿だったのですね!

あの時の彼は、自分がいつも耳にしている言葉達を、彼の言葉として、ありありと蘇らせていたのでしょう。それだけでなく、自身の毎日のぶつかり合いの中から当人達への共感を導き出し、その気持ちを察して対処することが出来る心持ちに、自分を至たらせることができていたのでしょう。

でも、なんだか笑ってしまいます(笑)人に物を言う時は、大体自分のことは棚に上げているものですね(笑)

我らが誇るベテランの先生の言葉に、人間の可愛さ、面白さというものを改めて感じたこの度の出来事でした。

さて先生との会話を終えて部屋に戻ってみると、

黄緑くんが電車の玩具で遊び始めた数分後の現場写真です(笑)

たった数分の間の出来事です(笑)

 

その瞬間の赤井くんです(笑)子どもって、本当に可愛いですね。

その瞬間の赤井くんです(笑)

 

子どもって、本当に(笑)可愛いですね。

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです〜あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)〜 完結編

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードの続編です。

 

赤い服の子(以下 赤井くん)赤井くん「もーヤダー!」

赤い服の子(以下 赤井くん)赤井くん「もーヤダー!」

 

と、玩具の取り合いから起きたやりとりに対して、体全身でヤダを表現する赤井くんです。

 

ピンクの服の子が涙を拭いてあげようとティッシュを持ってきてくれました。

ピンクの服の子が涙を拭いてあげようとティッシュを持ってきてくれました。

 

それすらペシっとやって、受け付けません。

 

そして、灰色の服の子(以下 GLAYくん)が口を開きます。

 

「赤井くんも怒るのも違うよ。勝手にとる黄緑くん(黄緑の服の子)も悪いよ。」

「赤井くんも怒るのも違うよ。勝手にとる黄緑くん(黄緑の服の子)も悪いよ。」

 

 

そして言葉は続きます。

 

「人のせいにしちゃだめだよ。」

「人のせいにしちゃだめだよ。」

 

赤井くんも黄緑くんも、争うことをやめ、聞く体勢に。

 

「人ががんばってつくったものを勝手にやっちゃだめだよ。」

 

「わいわいさん(3歳児クラスの名称)になったらそういうの本当ダメだから。」

 

「ちゃんと口で伝えて?」

 

すると、

 

黄緑くん「…かーしーて。」赤井くん「…いーいーよ。」

黄緑くん「…かーしーて。」赤井くん「…いーいーよ。」

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年12月24日『生命の本質』の中で生命平和運動家のファン・デグォン氏の活動に触れ、こう書かれています。

 

〝「生命の本質は平和である。」(中略)そこには、二つの原則があります。その一つは、「世界の平和を望むなら、自分がまず平和になろう」もう一つは、「暗闇を呪うより、1本のろうそくを灯そう」です。そして、その運動の最大の特徴は、「反対の拳を振り上げる代わりに、問題を前にしていったい何が生命同士の平和を保障する道なのか、共に悩み、考え、問題の現場に身を置き、自らに問う。反対ではなく、代案を示す。創造の力へとエネルギーを転換するのです。」

私は、やはりこれこそ現場人の原則であると思っています。今、保育の制度が変わろうとしています。それに対してただ反対の拳をあげるのではなく、そのエネルギーを創造の力へと転換させ、代案を示すことが必要だと思います。そして、実際にそれに沿って行動を始めることです。〟

 

ケンカをしている彼らに苛立つなどの無粋な感情を抱くこともなく、至って冷静に、解決へと導いたGLAYくんの手腕に驚きました。ただ反対の拳をあげる彼らに、わいわいさんになるんだ、という創造のエネルギーを添え、事態の収集をつけようと試みたのです。

 

また、『生命の本質』には、こうも書かれています。

〝私が提案する怒りを静める方法は、高い志を見つめることであると思っています。自分が目指している志にとって、当面の怒りはどのような意味があるのであろうかと考えることです。多くの怒りは、かえって志を遠ざけてしまう可能性があるような気がしています。それは、怒りへの対抗が、志を邪魔することが多いからです。〟

 

彼らにとって進級することが、〝高い志〟と似た気持ちであるとしたら。彼らは、GLAYくんの言葉を受けて、自身でその怒りを鎮めるに至った、と解釈もできるかもしれません。

 

異年齢保育の良さは口にすればキリがないですが、一つに〝憧れ〟の気持ちがあるとして、その憧れの対象である彼に言われる言葉というのは、とても心に響くものなのでしょう。

 

そして、『生命の本質』は、このような言葉で締めくくられています。

〝ファン・デグォン氏も、結局のところ人類学に戻ります。長い人類の歴史の中で、文明の歴史はたった1万年にもなりません。それは、人間の歴史の中でほんの一部に過ぎません。そこで、ファン氏は、文明以前の生き方に人間の原型を探りたいと思っています。そこにこそ、自然の生態系と見事に調和し、他の生き物たちと対等な共生関係にあった人間の姿を見ることができると言います。この世界には数えきれないほどの物や命がありますが、そのすべてが、一寸の狂いもなく、本来の場所に収まっている。それは、人知を超えた神の精妙なるデザインです。いるべき場所にいる。それは、この世の様々なものには、それぞれの役割があります。幸せとは、平和とは、自分がいるべき場所にいることだとファン氏は考えています。をれは、多様性を認め合うことと同じことかもしれません。「ない物ねだり」をせずに、「ある物探し」をすると同じことかもしれません。ある意味では、身分不相応なことを望むから心の平和を望めないのかもしれません。幸せになれないのかもしれません。まず、自分をよく知るということが大切かもしれません。〟

 

彼らの育ちを見守るためにGLAYくんがいて、その育ちを見守るために僕ら保育者がいます。その保育者を見守るために藤森先生がいて、と延々と続く温かみのあるこの螺旋は、〝人知を超えた神の精妙なるデザイン〟と言えるものであるようにも感じられます。

 

それぞれの役割を幸せな気持ちで全うできるような世の中になったら、この地球が天国になりますね。

 

では、何から始めよう。まず、自分が幸せになることから始めるべきなのかもしれない、ということを、強く感じたこの度の出来事でした。

 

さて、GLAYくんの見事な仲裁。このような解決法を身につけるに至った経緯を知りたい、という衝動に駆られました。後日談にて、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

君を見守るため そのために生まれてきたんです〜あきれることも そうさ そばにいればあります(笑)〜

先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のすいすい(5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードです。

 

手前赤い服の子(以下 赤井くん)その正面黄緑色の服の子(以下 黄緑くん)そして、机に手をかけた灰色の服の子(GLAYくん)がこの回の主役です。

手前赤い服の子(以下 赤井くん)その正面黄緑色の服の子(以下 黄緑くん)そして、机に手をかけた灰色の服の子(GLAYくん)がこの回の主役です。

 

赤井くんの前に磁石の玩具がたくさん並んでいますね。どうやら赤井くんが遊んでいたものを黄緑くんが何も言わずにとってしまった様子。「勝手にとらないで」と主張する赤井くんに対して、黄緑くんにも「全部赤井くんのはダメだよ。みんなの玩具だよ」という主張があるようで(笑)ぶつかっていました。

 

黄緑くん「優しく言って!」赤井くん「怒って言わないで!」

黄緑くん「優しく言って!」赤井くん「怒って言わないで!」

 

なぜか強気な黄緑くん(笑)言い方の問題になるとややこしくなりますね(笑)事の本質からずれたところでのケンカになると収拾がつかなくなるのは大人も同じかと思います(笑)

 

〝人の振り見て我が振り直せ〟とは本当にこのことだなぁと思うのですが、言い方ってとても大切なのだと思います。

 

あ!掴み合いに!

あ!掴み合いに!

 

でも止めません(笑)この二人なら多少こうなっても怪我にならないことは想像できますし、何よりGLAYくんが〝止めない〟という姿勢をとったので、それを見ていたいという衝動に駆られました。最終的に一度も手を出すことなく言葉でのやりとりのみで二人のケンカを仲裁するに至るGLAYくんなのですが、その基本姿勢を最後まで崩さない態度は、圧巻でした。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年2月8日『怒りのコントロール3』の中でこう書かれています。

〝子どもたちを見ると、(中略)けんかをすることによって、怒りをコントロールする力を学んでいる気がします。赤ちゃんは、よく、物をとられて大声で泣いて、とった相手に怒りをぶちまけます。そんな時に、子どもはその評価を冷静にすることはできませんが、意外と執着せずに、さっさと違うことに目を向けます。そして、怒りを持ち続けることはしません。大人と違って、次の楽しいことに取り掛かるのです。

また、3歳以上になると、私の園に設置されている「ピーステーブル」という場所にいって話し合いをしています。その話し合いをしている姿を見ると、まず、そこまで行くまでに頭を冷やし、断固した態度で相手と対決しています。しかし、普段の生活で、それほどストレスがないのか、簡単に解決し、仲よく一緒に戻っていきます。たまに、自分で自分の気持ちの整理ができないときには、仲裁する子がいます。こんな時に、変に大人が仲裁に入ると、怒りが増大してしまうことがよくあります。大人は、集結しようとその怒りの原因を聞きだそうとしますが、子どもたちは、腹の立つことを思い出すたびに怒りが少しずつ積み重なっていくばかりです。そして、最後には大人の権力を持って、集結させてしまうのです。子どものけんかは、けがのない限りは、放っておけばいいのです。〟

 

赤井くん「もーヤダー!」

赤井くん「もーヤダー!」

 

あ、やっぱり(笑)

 

さて、その様子をずっと見守っていたGLAYくんが、にわかに動き出します。

 

予想を超えた展開に、胸が熱くなる想いがしました。

 

続編にて、報告します。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜 完結編 補足

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年3月5日『他人を察する』を読むと、改めて感じることがあります。

 

〝人類は、どんな使命を持って生存しているのかを考えないといけないと思います。また、その生存戦略のために、どのような能力を乳児につけているのでしょうか?その能力の多くは、私が言うところのダークセンスなるものであるとしたら、その中の大きな役目を果たしているのが、一部社会脳の働きから解明されている力のような気がします。

現在、「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。例えば、「この人の動機は何か」「あの人はどう動くだろうか」「皆と協調して動くにはどうすればいいのか」といったことを理解する能力なのです。〟

 

 〝すなわち、対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。ですから、私は、この対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。〟

 

この度3回の報告を、僕は、人を思いやる気持ち(対人知性)と、〝ルールを守る〟などの、子どもが環境に働きかけようとする気持ちは、密接な関係がある、とまとめたいと思います。

 

そして、〝対人知性は、まだ言葉を話すことができない乳児において、最も優れていると思うのです。〟という藤森先生の言葉に代表されるように、〝子ども達はそもそもその力を持っている〟ということが大前提にあります。それを、新宿せいが保育園の職員は純粋に信じ、また、それを、日々の保育の中で、信じるに足るものと体感し、確固たる信念へと昇華していくのです。

 

かのイエス・キリストもその聖書の中で、〝子どもを育てることは、信じることと、許すこと〟という言葉を残しているそうです。

 

藤森先生の考え方に、とても通ずるものを感じます。

 

さて、先日、にこにこ組(2歳児クラス)の子ども達が、ケンカをしていると、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)のある男の子が仲裁に入ってくれました。

 

対人知性に富んだやりとりが展開され、思わず感動し、また、その様子を見守って下さっていた我らが誇るベテランの先生の後日談にて笑わせていただいた(笑)エピソードです。

 

次回、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜 完結編

さて、水を飲み終わった子ども達です。

きれいに並べて置かれています。

きれいに並べて置かれています。

上の写真、左側に写っている子も、もちろんここに。

上の写真、左側に写っている子も、もちろんここに。

さて最後に飲み終えたこの子。

さて最後に飲み終えたこの子。

この子はどうするのでしょう。

一回、淵に置いて〜、

一回、淵に置いて〜、

やっぱりここに置きます。

やっぱりここに置きます。

面白いですね〜(笑)

 

先日、『ちょっと変わった職員が考える『臥竜塾ブログ』のすすめ』というタイトルで報告をしました。その中で、11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年4月9日『ルールは誰が』を紹介しています。

 

その中で、このように書かれています。

 

〝意思決定の仕組みは、私たちのあらゆる行動選択に共通ですし、それが適切に行われないと、一歩も動くことはできないと藤井さんは言います。このようなフルーツを食べる順番を決めるのも、社会的意思決定を行うのも、意思決定のメカニズムという点で見るなら、基本的にあまり変わらないということであれば、社会のルールも、結局は各個人の脳がそれを支えることで作っていることに気がつくと言います。

 

つまり、私たちの行動に影響を与えるルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っていることになるというのです。これは、ルールというものが、社会というシステムとその構成要素である私たちの間に起きる相互作用によって維持、実行されているということを示しているのです。そう考えると、「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となるのです。〟

 

コップを並べて置く子ども達の姿から、〝「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となる〟ということが、とても理解できるように思います。

 

それだけでなく、前回報告させていただきましたように、〝これに近付いたらいけないよ〟というルールを、わざわざ線を引いたり、人が立っていたり、毎回声をかけたりしなくても、子ども達は守ることができるようになるのです。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

車の近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

この子達も同じような感じです。

この子達も同じような感じです。

先日、藤森先生が見学者の方から「給食中に子ども達が走らないのはなぜですか?」という質問を受けたということを教えてくださいました。その時に藤森先生はこう答えられたそうです。

 

「それは、子ども達に聞いてみて下さい。」

 

なんとも深みのあるお言葉で、実際に見学者の方が子どもに聞いたところ、首を傾げて〝わからない〟というポーズをしたとか。

 

僕は、その鍵の一つが、にこにこ組(2歳児クラス)で見られるこの姿の中にあるように感じています。

 

それは、対人知性というものが、対人(たいひと)だけでなく、物にも働き、ルールを守ろうとする心にも働くものだから、とは言えないでしょうか。

 

いや、むしろ、相互の関係です。つまり、人がルールを守ろうとしたり、給食中に例え走りたくなったとしても、走らないとする理性、ある欲求を我慢しようとする力、自制心、それらが、対人知性と共に高まっていく。むしろ対人知性というものも、心の働きの一つで、人が人として育っていくことで、実は当たり前に習得していく一過程のことを指すのかもしれません。

 

またそれを増長させる環境、〝給食中に走ることはおかしい〟ということが当たり前であるという環境が、子ども達の心に、理性や、モラル、耐性を育ませ、そして、対人知性を共に育てるのではないかと思います。

 

さらに、そんな子ども達の姿を見守る職員の心、職員の思考は、とてもシンプルです。アメリカ合衆国著作家であり成功哲学の祖としてあまりにも著名なナポレオン・ヒルもその著作のタイトルとして、この言葉を残しています。「思考は現実化する。」

 

簡単な言葉で表せば、職員は〝子ども達を信じています。〟

 

ルールを守る子ども達の像、イメージが、当たり前な程に職員の脳裏に、心に浸透しているのです。

 

行事〝成長展〟の今年度のテーマとして、対人知性がテーマに置かれた時からずっと、職員の心は、そこに向かっていました。子ども達の関わりを、今まで以上に無意識の中でも追うようになりました。「この子達は、人とどう関わっているのか」

 

ああしろ、こうしろ、という世界ではない世界で、子ども達を見守り、〝きっとこの子達ならこう関わるだろうな〟という温かで柔らかな予測に基づいたような思考が、子ども達同士の柔らかで温かな関わりを生んでいる、ということは、全否定できるものではないと思います。

 

そして、その環境を織り成すその思考を、簡単に言えば、経験年数の高い方々が一番強く持たれています。

 

それが、後輩におりて、子ども達におりていく、といったイメージです。

 

締めとしては弱いのかもわかりませんが、言いたいことが言えてスッキリしました(笑)

 

とても個人的な見解に終始してしまって大変恐縮なのですが、この度の報告から、困っている保育園さんのお悩みを解決できるヒントが少しでもあれば、これ以上の幸せはありません。

 

最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。

 

(報告者 加藤恭平)

I wanna be with you now〜コップのdistance見つめて〜

「喉、渇いたー。」「先生、水飲みたいー。」

 

「自分たちで飲んできてー。」ということで、にこにこ組(2歳児クラス)食事スペースで、自分たちで水道の水を汲んで飲む子ども達です。

緑色の服の子(以下 緑くん)が、水を出せずに困っています。

緑色の服の子(以下 緑くん)が、水を出せず(正確には出〝さ〟ず?笑)に困っています。

ここに至るまでに散々自分たちで蛇口をひねって手を洗ってきたはずなのですが(笑)今日は水を出せない気分のようです。その様子を見て、立ち上がって水の出し方を教える紫色の服の子です。

 

面白いことが起きそうな予感がしますね(笑)見守ってみることにしました。

「だからぁ、上を持ってね…、それでぇ…。」その場所から色々言葉で教えてくれるのですが、中々蛇口に手を伸ばそうとしない緑くん。

「だからぁ、上を持ってね…、それでぇ…。」その場所から色々言葉で教えてくれるのですが、中々蛇口を回せない様子の緑くん。

その様子を見て、黒い長袖の男の子が立ち上がります。

「こうやるんだよ。」

「こうやるんだよ。」

実際にやってあげていました。その様子を、僕と同じ気持ちで見守っていたのしょう、ボーダーの子の親指が立っていますね(笑)

「おー。」二人して、嬉しそうな声です。

「おー。」二人して、嬉しそうな声です。

「このくらいで。」二人でなんとなく量を決めて、水を止めていました。

「このくらいで。」二人でなんとなく量を決めて、水を止めていました。

みんなでかんぱーい!

みんなでかんぱーい!

 

気持ちを受け止めてもらえたこと、飲みたかったお水が飲めたこと。色んな嬉しさ、美味しさが緑くんの表情に表れていますね。

 

水を出すことをためらっていた緑くん。誰かに「水を出して」と直接頼んだわけではないのに、その彼の表情や行動を読み取って、声をかけたり、実際にやってあげたりする子ども達に、〝対人知性〟が育まれていることを改めて感じます。

 

ここで、もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に〝対人知性〟について紹介させていただきます。

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力である。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

 

今年度も『成長展』という大きな行事が近付いてきています。子どもの成長をその子自身が、また、保護者と職員が楽しみながら感じ合うことのできる素晴らしい行事です。

そして、今年度の成長展のテーマはずばり〝対人知性〟。一年間、このテーマでブログを書けたことを、とても嬉しく思っています。

 

さて、実は、今回報告したいことは、この蛇口のやりとりの先、水を飲み終わった後の子ども達のとった行動にあります。

 

これも、考えてみれば、対人知性の一つではないかと思えるものでした。

 

続編にて、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)