「色の識別」

またまた実家に帰省中の話しになります。

 

父から急にこんなことを言われました。

「もう○ちゃん(息子)は、色とか理解しとんが(理解してるの)?」

 

なぜ急にこんな質問をしたのか詳しく聞いてみると、 帰省した時に本屋さんで息子の本を買いました。 本といっても付録がついて、色々なキャラクターが載っている本で、

今回、本に付いていた付録はお風呂で遊べる玩具です。

父がお風呂に入った時に、壁に張ってある付録の玩具を見て思ったそうです。

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ちなみに湯船に浮かばせて遊ぶ玩具です。

父も保育業者なのである程度の子どもの発達に関しては理解しているので、2歳児が色と形を識別し、ちゃんと元通りに片付けが出来るのか?と思ったそうです。

ただ父も塾長の講演を何度か聞いているので、その辺の事は理解しているようですが、やはり現場ではないので実際の子どもの姿を見ているわけではありません。

ですので、今回、付録のおもちゃをどのように遊んでいるのか気になったそうです。

 

私は息子と一緒にお風呂に入って、一緒になって遊んでいたので全く気付きませんでしたが、確かに色を合わせて組み合わせて遊んでいるし、片付けも色に合わせて片付けています。 ちなみに兄夫婦の娘ちゃんも息子同様に色に合わせて片付けていたそうです。

 

塾長もよく講演で一歳クラスの子どもたちが色や形の違いが理解できると言われています。

 

私もその話をよく聞いていましたが、息子の片付けの行動を見ていて特に意識して見ているわけでもなく、当たり前のように見ていましたが、やはり父のように現場をあまり見ない人にとっては、どうやら衝撃的な事らしいです。

 

「やっぱ、そうだよなぁ!これはスゴいことやちゃ。○○子(母の名前)2歳で色と形の違いが理解できるんぜ!?知っとったぁ?」(富山弁)

 

お酒が入っていたせいか、少し興奮気味の父でした(笑)

 

 

ちなみに母は元幼稚園の先生でしたが、母の反応は驚いているのか、あまりピンと来ていないのか、中途半端な反応です(笑)

 

今回の父との会話で自分の反省点として、もっと現場の子ども達の姿を観察しないといけないと思いました。当たり前のことを当たり前と思わず、もっと新鮮な目で見ないといけないですね・・・他の塾生の書くブログの内容と比べると些細な内容かもしれませんが、ブログに書くことで、自分の行動と保育に対する姿勢を振り返ることができます。(報告者 山下祐)

ちょっと変わった職員が考える『臥竜塾ブログ』のすすめ

先日、いつもの公園にお散歩に行きました。

 

中に入ると、あれ?いつもは見ない車が公園の中に止まっていました。

作業車が入っていました。

作業車が入っていました。

「みんな、あの車には近付かないようにねー。」

「みんな、あの車には近付かないようにねー。」

フランクな言い方(笑)ですが、そんな言葉掛けだけでも、しっかりルールを守るにこにこ組(2歳児クラス)の子ども達です。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

近くで遊びはするのですが、見えない線があるかのように、ある一定のラインから先には行きません。

この子達も同じような感じです。

この子達も同じような感じです。

新入園児も多かった4月当初。公園の外へ出てしまいそうになる子も少なくありませんでした。その都度出てはいけないことを伝え、在園児のみんなからも声をかけてもらうなどする中で、自然と「この子達ならもう危険な場所へ行かないだろう」という安心感へと、見守る側の、大人側の気持ちが変化していく過程を改めて体験することができました。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年4月9日『ルールは誰が』の中でこう書かれています。

 

〝ヒトは、自分が思うままに行動せずに、その欲求を「抑制」する力を持っています。そのときの「抑制する」というのは、その行動を行うか、行わないかという意思決定を下す力です。その判断は、脳内で行われているはずです。ヒトは小さいうちには、行うか行わないかは、大人が判断している場合が多くあります。してはいけないことを、大人が判断して止めます。その抑制は、物理的なもので遮断したり、遮ったり、また、言葉で制止したりします。しかし、いくらそのような外部からの抑制する力が加わろうと、その力に対して従うか、従わないかは最終的に本人の意思決定が左右しています。

 

大人からの指図ではなく、子ども自身が、〝車に触れてはいけない〟、ということを選択している、ということですね。

 

 その意思決定を下すまで、脳内ではあらゆる可能性を考慮し、それを絞り込んでいく作業をしているのです。そのプロセスを藤井さんはこんな例を挙げています。「目の前に10種類のおいしそうなフルーツがあるとき、どれを最初に食べようかと迷います。いちばん好きなものを最初に食べる人もいれば、大好きなものは最後にという人もいます。さらに緻密な人なら、全体のバランスを考えて、酸っぱいものは前半に、甘いものは後半にというような戦略を巡らせる人がいるかもしれません。この悩みは、誰に迷惑をかけるわけではありませんし、けっこう楽しかったりします。ただ、このような楽しい悩みでも、私たちがフルーツに手を伸ばすときには、たくさんの可能性の中から一つの可能性へ絞り込む作業が必要になります。これが絞り込めていないと、フルーツに触れる直前でフォークをウロウロさせることになります。」

 

悩むこと、迷うことの中にも、楽しい迷い、楽しい悩みというものもあります。それでもその中から〝選ぶ〟〝決める〟という力はやっぱり必要になってくる、ということですね。

 

 このような意思決定の仕組みは、私たちのあらゆる行動選択に共通ですし、それが適切に行われないと、一歩も動くことはできないと藤井さんは言います。このようなフルーツを食べる順番を決めるのも、社会的意思決定を行うのも、意思決定のメカニズムという点で見るなら、基本的にあまり変わらないということであれば、社会のルールも、結局は各個人の脳がそれを支えることで作っていることに気がつくと言います。

 

社会のルールは〝ルールを守ろうとする人〟、その人達によって構成され、守られるに至っている、ということですね。

 

 つまり、私たちの行動に影響を与えるルールは、社会からトップダウン的に与えられるだけではなく、各個人がそれを受け入れ、咀嚼して脳内に取り込むことで成り立っていることになるというのです。これは、ルールというものが、社会というシステムとその構成要素である私たちの間に起きる相互作用によって維持、実行されているということを示しているのです。そう考えると、「ルールを守る」というのは、誰かから強制されて行う行為ではなく、自発的な行為となるのです。そこに積極的な意味を見いだすことができるのです。

 

例えば信号を守るのは、守ることを法律で強制されていることだけではなく、守らないと事故になる、事故をしたくない、という人逹の共通認識のもとで、積極的に守られている、ということですね。

 

 このように考えると、意思決定に対して時には外部から強制され、受動的なものと見えることもありますが、そのときの外部からの力は、積極的なルール維持へのサポート表現であると考えることは簡単なことであると藤井さんは言います。「社会というものは、上位個体ではなく、各個体がそれを認めることで成立している」という一面を忘れてしまうと、社会的なルールというものが一方的に天から降ってくるものであるという、誤解を生み出してしまう恐れがあると警告します。

 

あれもダメ、これもダメと厳しく強制して、ルールだらけにしてしまう保育、子育てというものがあるとすれば、それはもしかしたら人の本質から外れてしまっていて、〝ルールは天から降ってくるもの〟という、とても受け身な心が育ってしまいかねない、ということですね。

 

 ルールが降ってくるように見えるのは、私たちが生まれたときに、すでに社会は存在していたからに他ならないと言います。実際は、その既存のルールを獲得した後は、わたしたち各自が社会と相互作用を行うことで新しいルールを常に作っているということを理解するのではないかと藤井さんは言います。

そんな姿を、園では、初めて子ども社会を自ら構築する3歳児に見ることができます〟

 

ここまで読み切ることができた方。すごい!おめでとうございます。

 

なんと、中略など一切無しで掲載させていただきました(笑)

 

ぜひ藤森先生が毎日更新されている『臥竜塾ブログ』に足を運んでみてくださいね。

 

話が逸れてしまいましたが(笑)〝そんな姿を、園では、初めて子ども社会を自ら構築する3歳児に見ることができます〟ということで、

 

そんな姿を写真に収めることができましたので、次回、報告させていただきます。

 

(報告者 加藤恭平)

集団と社会的参照

12月29日~地元、富山に帰省しました。

やはり2歳になる息子の去年と今年の姿を比べるのですが、祖父、祖母、曾祖母の存在をちゃんと理解できるようになっていました。写真を見せても「これは誰?」と聞くと「じぃじ」「ばぁば」「おおばぁば」と言うようになり、私の父、母、祖母も喜んでいました。

 

また私の兄夫婦にも子どもがいて、一人は息子と同じ歳の女の子がいます。そして、去年の夏に2人目を無事に出産し、6ヶ月の男の子が家族の一員に加わりました。

 

まず、息子が目の前に明らかに自分より年下の子どもがいることで、少し意識しているのか、赤ちゃんの玩具で遊ぼうとした時に「それは赤ちゃんの物だよ?」も言うと素直にやめました。少しお兄さんになった気がした瞬間です(笑)

 

それよりも成長を感じたのは兄夫婦の娘ちゃんです。 ここ2年間ずっと人見知りで私にはほとんど近づきませんでした(笑)まぁ会うのが年に数回なのでしょうがないのかもしれませんが、息子にもなかなか関わろうとしませんでした。それが今回の帰省で見違えるように息子はもちろん、私にも平気になって一緒に遊んだり、話すようになりました。と言うのも、今年の4月から保育園に通っているので、それが一番の要因かもしれません。 それまではずっと母親か祖父母としか過ごしていないので、子ども集団の経験がほとんど少なかったようです。時々、支援センターには行っていたようですが、頻繁に行っていたわけではないようです。

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それが保育園に通って、集団を経験したことで友達との関わり方を娘ちゃんなりに学んだのだと思います。また月齢で見ると息子より数ヶ月高いので、色々と面倒を見てくれるようになりました。それを見ていてもなかなか面白いですね(笑) 食事の際にお皿を用意して「これだよ!」っと教えてくれたり、玩具も譲ってくれたり、遊び方も教えてくれたりとお世話をしてくれています。一方、息子の方は聞いているようで聞いていないのか…親としてはもぅ少し反応しなさいと思いながら見てました(笑)

 

去年まで全く一緒に遊ばなかった者同士が今年のお正月は楽しそうに遊んでいる姿を見て、本当に成長を感じると同時に、やはり集団の経験というのは子どもを大きく成長させる大切な環境だと改めて再確認しました。

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この話しを塾長にしたところ

「おそらく社会的参照で、お兄ちゃん夫婦の顔を見ているのかもしれないね」

と言われました。

兄夫婦が私達夫婦をどういう風に接しているのか、じっくり見て、

「この二人はどういう人なのか?」「関わっても大丈夫なのか?」

と娘ちゃんなりに判断したのでしょうね。

どちらにしろ「集団」というのは子どもを大きく成長させてくれる大切な環境ですね。(報告者 山下祐)

世界をかえさせておくれよ そしたら君とイスがしたいんです 完結編!!!

完結編です。

いいと思ったことは即実行。行動こそこの地球に生きる者の原理とでも言わんばかりの速さで、

塾頭が動きます。

「にこにこさん、すごいなぁー。」 何気なく、かつ、さりげないアプローチ!

「あぁー!にこにこさん、すごいなぁー!」
何気なく、かつ、さりげないアプローチ!(笑)

(どれどれ…?)

(どれどれ…?)視線を送る子ども達です。

「今からあの子がやるから見ててごらん。」

「今からあの子がやるから見ててごらん。」

「はい!イスを持ちまして〜!」

「はい!イスを持ちまして〜!」

「お手本ありがとー!」注目されてちょっぴり照れ臭そうな水色の服の子です。

「お手本ありがとー!」注目されてちょっぴり照れ臭そうな水色の服の子です。

そして、イス置き場まで置いていくその過程を子ども達と一緒に見守って下さっていました。

 

さて、いよいよ記念すべきわいらんすい(3・4・5歳児クラス)第一号のイスが置かれる時がやってきました。

おめでとうございまーす!

おめでとうございまーす!

一番最初に置きにきてくれたのは、わいわい組(3歳児クラス)の女の子(桃色の服を着ているので以下桃ちゃん)でした。しかし、そこでもドラマがあり、そのことを塾頭が教えてくれました。

 

「実は桃ちゃん、イスを忘れて、行こうとしたんだけど、その時にすいすい(5歳児クラス)の子が気付いてくれて、〝イス片付けるんだよ〟って教えてあげてたんだ。」

 

「だから、記念すべき最初のイスはすいすいが気付いてくれたイスってこと。」

 

なんだか、感動してしまいます。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年3月11日『協働』はこのような文章で締めくくられています。

 

〝フィンランドの子供は、競争で人に勝つといったことに余計なエネルギーを使いません。「3か月前と比べてここは伸びてきた」「ここは持ち味だから頑張ろう」「ここは苦手だけど先生が応援してくれるから頑張ろう」。それぞれが自分の人生を豊かにするために学んでいるのです。(中略)

フィンランドの子どもたちは、失敗しても、その子を責めることはせず、つまずいても失敗しても、それが人間の生きる姿だとおおらかに認めながら、人と人が頭を寄せ合って事を解決していきます。日本では、今、学力レベルは低く、いじめ、不登校も多いなかで根本的な改革が求められています。〟

 

イスを片付けることを忘れたって構わないんです。それは気付いた人がやればいいこと。人間は完璧ではありません。だからこそ手を取り合って、教え合って、学び合うのですね。

 

知っていることを惜しみなく優しく教えてあげられる子ども達の姿に、また、その姿を楽しく温かく見守る職員の姿に、これからの日本の教育の在り方が見えてくるような気がします。

 

そして、

イスがまた一つ。

イスがまた一つ。

「ちょっと待ってな。」

「ちょっと待ってな。」

(よいしょ。よいしょ。)

(よいしょ。よいしょ。)

「片付けてくれて、ありがとう。」

「片付けてくれて、ありがとう。」

ベンチを動かして、子ども達が運びやすいように環境を設定する塾頭の何気ない、さりげない優しさ、かける言葉の温かさに、こうして僕らは魅了されてしまうのです。

 

(環境マイスター:塾頭山下祐 報告者:加藤恭平)

世界をかえさせておくれよ そしたら君とイスがしたいんです

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2010年3月11日『協働』の中でこう書かれています。

 

〝最近、私は人の遺伝子は社会を形成するために様々なものが組み込まれている気がしています。それは、現在、人間が持っている特性を見ても、集団を形成することに適しています。そして、その集団は、競うためにあるのではなく、共生し、協力するために必要だったはずです。(中略)

もう一度、それぞれの役割の中で、協力したり、協働していく社会をつくらないといけない気がします。(中略)

フィンランドでは、子供と親が、子供と教師が、そして子供たち同士が対話し、「ともに学び合う」ことをとても大切にしているそうです。〟

 

〝協働〟。そして〝ともに学び合う〟という感覚に、新宿せいが保育園の職員の心は常に満ちているのだなぁということを改めて感じた出来事があったので、報告させていただきます。

「にこにこ組(2歳児クラス 以下にこにこ)さんはすごいなー。」

「にこにこ(2歳児クラス 以下にこにこ)さんはすごいなー。」

「お!にこにこさんは、本当にすごいなー。」

「お!にこにこさんは、本当にすごいなー。」

 

おもむろに動画を撮り始める塾頭山下先生です。やたらと褒めてくれているなぁとは思ったのですが(笑)次の瞬間、

「よし!にこにこさんから下克上始めよう!!!」

力強い言葉が放たれました!(笑)

にこにこでは、給食後、椅子を自分たちで片付けます。その方がその後の掃除もしやすく、子ども達も何だか楽しいようで、器用に運ぶのです。

以前、『給食の楽しみ その中から育まれていくもの』というタイトルで報告を書きましたが、この椅子を片付けることも子ども達の給食後の楽しみの一つになっています。

昨年10月初旬の写真です。この頃に始めました。

昨年10月初旬の写真です。この頃に始めました。

器用に自分たちで積んでいくものですね。

器用に自分たちで積んでいくものですね。

椅子の数は4個まで。それ以上積むと崩れてしまいます。

子ども達は「いーち、にー、…。」と自分たちで数えながら、また、数えられない子は、気の利く友だちが横から数えてくれたりして、うまいこと4つ重ねて置いていきます。

その成果を塾頭は褒めていてくれたのですね。そして、わいらんすい(3・4・5歳児クラスの総称 以下わらす)の先生のところへ行ってこんなやりとりをしていました。

「にこにこがすごいんですよ!僕ね、正直椅子片付けるの面倒だと思ってたんですよ(笑)」

「にこにこがすごいんですよ!僕ね、正直椅子片付けるの面倒だと思ってたんですよ(笑)」

 

そうなのです!この椅子を片付けるという取り組み。わらすでは、職員がやっていたことだったのです!

僕らにこにこ組の職員も、にこにこのみんなに〝椅子を片付けてもらおう〟と提案しつつも、〝わらすになったらやらないことだしなぁ〜〟と思いながらやっていたことだったので、何だか衝撃でした(笑)考えてみれば、大人がやらずとも、子ども達で出来ることですね。

「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね〜!(笑)」「本当すね〜!(笑)」

「なんでもっと早く気付かなかったんだろうね〜!(笑)」「本当すね〜!(笑)」

考え方によっては流れるように過ぎていく毎日の中で、ふと足を止めてみる。塾頭が気付いた発見が、わらすの子ども達にとっても、職員にとっても小さくて大きな変革へと繋がった瞬間を目の当たりにした思いがしました。

そして、この姿こそ、〝協働〟の本質であり、〝ともに学び合う〟こと、そのものの姿であるように思います。

年齢や、立場など関係なく、いいと思ったものをすかさず取り入れていく。それが生活を豊かにし、環境を豊かにしていく秘訣のようにも感じられます。

にこにこ組(2歳児クラス)から始まったことが、わいらんすい(3・4・5歳児クラス)へと伝わりました。このことを塾頭は下克上と表現されたわけです(笑)

そして、その日から早速〝椅子を片付ける〟ことがわらすにも導入されていきます。

この度の報告、もう少しだけ続きがあります。

次回、完結編です。

(報告者 加藤恭平)

愛情ってゆう形のないもの 伝えるのはいつも困難です

明けましておめでとうございます。

今年もどうぞよろしくお願いします。

新年の始まりとして塾生全員で、挨拶を書いています。

その中の本多先生の挨拶の中でお子様が生まれるという報告があり、なんとも嬉しい気持ちになりますね。本当におめでとうございます。

先日、そんな本多先生を見ていて、素敵な保育をするなぁ、この人は素敵なパパになるだろうなぁと改めて思ったことがあったので、報告させていただきます。

すいすい組の男の子(タートルネックを着ているので以下 亀田君)が一生懸命にけん玉に取り組んでいます。

すいすい組の男の子(タートルネックを着ているので以下 亀田君)が一生懸命にけん玉に取り組んでいます。

本多先生は言わずと知れたけん玉名人です。亀田君のお母さんからつい先日伺った話では「家では本多先生に憧れてけん玉ばっかりやっている。お父さんが本物のけん玉を買ってきたりと、皆で応援している。」ということでした。

 

その亀田君が、憧れの人の前で、難易度の高い『うさぎとかめ(もしもしかめよ〜♪と歌いながらけん玉を連続で成功させていく技です)』に挑戦しています。

せ・か・い・の・う・ち・で…」亀田君のリズムに合わせながら歌を口ずさみつつ、見守る本多先生です。

「せ・か・い・の・う・ち・で…」亀田君のリズムに合わせながら歌を口ずさみつつ、見守る本多先生です。

今まで一度も成功したことがない、という事実を知り、見守るこちらの手にも力が入ります。

そして見事成功!目を隠しても伝わるなんとも言えない嬉しそうなこの表情!

そして見事成功!目を隠しても伝わるなんとも言えない嬉しそうなこの表情!

本多先生も大喜び!

本多先生も大喜び!

そして!

そして!

抱擁!

抱擁!

本多先生が素敵なのはこの後で、

何かを探しています。

何かを探しています。

「ちょっと待っててね…。」

「ちょっと待っててね…。」

「たんにんより…、と。」

「たんにんより…、と。」

賞状の贈呈です!

賞状の贈呈です!

嬉しそうに見せてくれました。

嬉しそうに見せてくれました。

〝おしかめ〟になっているところが本多先生らしくてたまりませんが(笑)このようにして、自分のがんばりを認めてくれる人が傍にいる、憧れの人が褒めてくれる。子ども達からしてみても、大人から見ても最高に嬉しくて喜ばしくて、素敵だなぁと思うことを、とても自然にやってしまうのが本多先生です。

 

本多先生のような魅力溢れる人は、きっと素敵なパパになることでしょう。

 

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2014年2月24日『社会人としての先輩』の中でこう書かれています。

 

〝保育者という仕事は、私からすると、非常に社会貢献をしている仕事だと思うのですが、最近は、なり手が減ってきています。そんな時、大人は若者に何を伝えればいいのでしょうか?(中略)

 

社会の先輩は、決して年功序列としての意味ではなく、若者に真摯に仕事に向かっている姿を見せることは、仕事に就こうとするためには必要なことのようです。(中略) よく、「最近の若者はダメだ!」とか、「今の若者は…」ということを聞くことがありますが、どうも刷り込みが多いようです。もしかしたら、若者をダメにしているのは、大人かもしれません。もっと、堂々と先輩の姿を見せ、話をし、きちんと教えていく必要があるようです。〟

 

最近『指導』という言葉にどこか抵抗を感じる人が少なくないように思います。それは、教える側も教わる側もそうで、教えても教えがいのないような反応をされてしまうのが怖い。教わる側も相手の言い方や教え方で怒られているように感じてしまい、教わること自体が嫌になってしまう。その気持ちが簡単なコミニュケーションをする機会すらも奪ってしまい、最悪の場合は、相手をお互いに陰で責め合うような、そんないびつな関係になってしまいます。

 

ですが、この本多先生の姿はどうでしょうか。その子のがんばりを認め、評価し、嬉しい言葉で褒めてくれる。それが、その子の意欲となり、原動力となり、もっとがんばろうという気持ちを奮い立たせます。

これは、対子どもだけでなく、対大人、例えば、職場で後輩を指導すること、人を育てることなどにも当てはまる、とても重要な姿勢のように感じられます。

『臥竜塾』ブログ2014年2月24日『社会人としての先輩』は、最後、このような文章で締めくくられています。

〝新人教育の場面でもこんなことを報告しています。「トヨタ自動車などの大企業は現場で対話を通じ人材を育成する。新人ととことん話し趣味や価値観を知り、組織の目標とすりあわせていく。上司は自分の部署に配属された新人について、いい所をどう伸ばし同期のトップに立たせるか、考えてみてはどうか」

これらの提案は、保育園・幼稚園でも新人教育の参考になります。最近、園での課題として新人教育のことを聞かれることが多いからです。その答えの一つのヒントを、常見氏(人材コンサルタントの常見陽平氏)はこう言っています。「職場でも論壇でも、世代間で大事なのは対立ではなく対話。大人が対立をあおってどうするんですか」〟

 

子どもに憧れられる存在になれる人は、人間的魅力に溢れているように感じます。

一生懸命がんばる子どもに対する温かな眼差し。それを自然に表現される本多先生という人に、人を惹きつける魅力とは何か、その答えの一端を感じたこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟番外編

先日の報告の番外編です。公園での出来事から面白い発見がありましたので、報告させていただきます。

これは公園に着くまでの道中での一コマです。

「落ち葉がいっぱい降ってるから傘さしてるのー」何とも可愛いですね。

「落ち葉がいっぱい降ってるから傘さしてるのー」何とも可愛いですね。

公園では川の水かさが増して、いつもと違う雰囲気に。大喜びの子ども達でした。

公園では川の水かさが増して、いつもと違う雰囲気に。大喜びの子ども達でした。

公園を管理して下さっている方と。

公園を管理して下さっている方と。

雨上がりで風も強かった為に、公園はほとんど貸し切りのような状態でした。そんな中、外に出た仲間のような、同志のような(?笑)そんな感情が湧いたのでしょうか、「こんにちはー!」「はい!帽子あげまーす!」など(笑)いつも以上に関わろうとする子どもでした。

先日の報告で、落ち葉のじゅうたんや、風に流されていく雲を見て喜ぶ子ども達の姿を報告しました。そして上記の出来事も含めて、もしこの日、一年目の職員が「今日は部屋で遊びます」と判断をしたならば、また、散歩に出ようとするその判断を、先輩風を吹かしたような形で(?笑)僕らが潰してしまったならば、出会えなかった光景であることに気づきます。

それは、本当にもったいない。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2007年11月26日『伝統と文化』の中でこう書かれています。

日本の伝統や文化を見直し、それをどう進化させ、今の日本に活用し、世界に貢献していくかを考えることはとても重要なことです。今、世界でも日本の文化が再評価されています。それは、物だけではなく、生き方、生活の仕方なども再評価されているのです。環境保護、エコ、リサイクルに対する考え方、生活の知恵なども「もったいない」で表される日本人の考え方が注目を浴びています。しかし、私は、子どもたちに「日本の伝統、文化を勉強するように!」という前に、もっと、日本の伝統的な教育のあり方、学習のやり方なども検証してほしいと思います。

10年近く前のブログから、今年度のテーマである『伝統』にスポットを当てたブログを書かれています。脱帽です。

話が逸れてしまいましたが(笑)この日本人が得意とする〝もったいない〟という精神、考え方をもつことで、保育に膨らみと豊かさがプラスされるのではないか、とそんな風に感じました。

そんなことを思っていると、

椅子に置いていた子ども達の帽子が風で吹き飛んでしまいました。

椅子に置いていた子ども達の帽子が風で吹き飛んでしまいました。

 

でもきっと大丈夫。子ども達がやってくれます。

何も言わずに見ていると、

「あー!帽子があっちにいってるー!」

「あー!帽子があっちにいってるー!」

「もー!私がやってあげるね。」

「もー!私がやってあげるね。」

「一緒にやるー!」

「一緒にやるー!」

「ニンニンジャー参上!」

「ニンニンジャー参上!」

最後にはニンニンジャーまで登場していただき(笑)帽子はあっという間に集められていました。

今年は、本当に子ども達から学ばせていただきました。

来年も、子ども達の成長を見守りながら、たくさんのことを学んでいきたいと思います。

そして、

生臥竜塾ブログをいつも読んで下さっている皆様に、心から感謝いたします。

皆様の声が、僕ら報告者の原動力です。

来年もどうぞよろしくお願い致します。

2016年が皆様にとって最高の年になることを祈りつつ、この度の報告を終わります。

(報告者 加藤恭平)

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟完結編

「公園は濡れていると思うので、道を歩いて探索に行こうと思うんです。」

雨上がりの午前中の活動を自分で判断をして決めた一年目の職員の姿を追うことで、新しいリーダー像が浮かび上がってくるのではないかと思い、この度の報告を書いています。その完結編です。

さて、とことこ歩いていると、いつもの公園の近くに出ました。

探索と言ってはいたものの、目的地もなくこのまま楽しんでいけるのだろうか。

老婆心ながらそんな懸念を抱いた矢先、

「やっぱりいつもの公園にしようと思います(笑)」

と、笑いながら言っていました(笑)

僕は、これも対人知性の一つと捉えます。もうお馴染みではありますが、初めて読まれる方に改めて〝対人知性〟について紹介させていただきます。

  • 対人知性とは、他人を理解する能力をいう。この人の動機は何か、あの人はどう動くだろうか、皆と協調して動くにはどうすればいいのか、といったことを理解する能力だ。
  • 対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」である

新宿せいが保育園は、活動やその日の流れを組むクラスの〝リーダー〟という役割が順番に毎週回ります。年度の始め、4月頃に、1番から◯番(クラスの人数によって数字がかわります)を決め、調整をしながら順番を定めていきます。年度の途中で変わることもありますし、また、時に自分の番号を超えて動くこともあります。その日のシフトによってもかわることがあるので、絶対厳守というような怖いもの(?笑)ではなく一日の流れをスムーズに促す為の、いわば〝基準〟のような、とても臨機応変なものです。

リーダーとは、誰のリーダーなのかというと、もちろん職員間、その週のクラス間のリーダーなのですが、あそびを提案していく、時にあそびを引っ張っていくという意味では、子ども達のリーダーでもあると思います。

そのリーダーが対人知性に優れること。空気を読む力を身につけることは、子ども達に対人知性を促す意味で、とても重要なことのように感じられるのです。

「やっぱりいつもの公園にしようと思います(笑)」

と照れ臭そうに言ってはいましたが(笑)そういった判断ができるようになる、ということはとても重要なことだと感じます。

いつもの公園を目指しています。

いつもの公園を目指しています。

「あれー?」「公園しまってる!」と子ども達の声。

「あれー?」「公園しまってる!」と子ども達の声。

いつもと違う道からきたので、いつもと違って見えてのでしょう。本当はいつも通り開いています(笑)

いつもと違う道からきたので、いつもと違って見えたのでしょう。本当はいつも通り開いています(笑)

「だったら川のところがいいー!」

 

という子ども達の声を受けて、結局〝いつもの公園〟から歩いて数分の川の流れのある公園にたどり着きました。

皆でやりとりをして決めた念願の公園に到着!

皆でやりとりをして決めた念願の公園に到着!

 

子どもの意見を尊重し、臨機応変に対応していく。チームの雰囲気、意図を察し、最善の提案をしていく。それを一年目の職員が行っています。経験年数でなく、頭でっかちな理論でもない。荒れ狂う嵐の中を突っ切っていくような勇猛さだけのものでもない。新しいリーダーの形が見えてくるような思いがします。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2015年1月12日『触媒』の中に、こう書かれています。

Science Experiences for the Childhood Years」には、こう書かれてあります。「触媒としての教師は、子どもたちに自分で考え、問題解決をするものだということを気づかせ、知的な力を活性化させます。」しかし、多くの教師は、「究極の知識源と見なされ、そのために、自分の知識と子どもの知識との隔たりを必要以上に大きく見てしまいます。そして、子どもが知的な能力を持っていることを見えにくくしてしまうのです。」としています。これは、アメリカにおける教師の実態として書かれてありますが、どの国においても同じような問題があるのですね。

 もし、触媒としての役割とする教師は、自分自身も普段から発見の喜びにあふれています。そのため、前向きで応援するような雰囲気を作り出すと言われています。このような教師像は、保育者としての自分の役割を見直すために参考になります。それは、幼児においてほど、一見、自分の知識と子どもの知識との隔たりは明らかなものと見えるからです。子どもは、何も知らない存在として長い間捉えられてきたからです。しかし、子どもは、知識の量ではなく、知的能力は優れており、それが、自分で考える力になるのです。それを、保育者は増幅してあげる必要があるのです。

あれやこれやと指図するでなく、むしろ集団が何を望んでいるかを察知し、子どもの声を汲み、職員間の思いを汲み取りながら、より良い一日を作り上げていこうとするリーダーとしてのその姿勢は、触媒というリーダー像そのもののように思えてきます。それをこの短期間で身につけるに至った彼女の手腕もそうですが、やはりこれだけの素質を伸び伸びと開花させるに至らしめた新宿せいが保育園という環境に、改めて驚きと、尊敬の気持ちが湧いてきます。

また、この日、我らが誇るベテランの先生がいない中での保育だったことも、とても大きな意味があったように感じます。以前藤森先生から〝守破離(しゅはり)〟について話をいただきましたが、それに近いものをこの日の保育の中から感じました。

Wikipediaには守破離(しゅはり)について、こう説明されています。

〝まずは師匠に言われたこと、を「守る」ところから修行が始まる。その後、その型を自分と照らし合わせて研究することにより、自分に合った、より良いと思われる型をつくることにより既存の型を「破る」。最終的には師匠の型、そして自分自身が造り出した型の上に立脚した個人は、自分自身とについてよく理解しているため、型から自由になり、型から「離れ」て自在になることができる。〟

本当にまだまだまだまだ未熟な僕たちですが、先輩方が築き上げて下さった礎たる土台を基に、幾分か〝自分〟というものを表現しつつある段階にきているのかもしれません。後輩の成長を嬉しく思うと同時に、自分もまたこうして見守っていていただいていることを感じ、藤森先生、中山先生、そして諸先輩方に改めて感謝の気持ちが湧いてくる、そんな一日となりました。

(報告者 加藤恭平)

 

この公園でも面白い子ども達の姿を見ることができました。次回の報告で、お伝えしようと思います。

ちょっと変わった職員が考えるリーダー論 7 〝新しいリーダーの形〟

2015年が終わろうとしています。

4月から始まった今年度。にこにこ組(2歳児クラス)の集大成とも言えるような一日を過ごすことができたように感じ、報告させていただきます。

その日は我らが誇るクラスのベテランの先生は12時出勤の日でした。空はあいにくの雨模様。今日は一日お部屋かな、と思っていた矢先に、晴れ間が見えてきました。

時間は10時を過ぎています。その日のリーダーは今年度から新宿せいが保育園に入った新卒の先生です。外は晴れているものの、雨上がりで風も強かったのですが、さてどうしようか、いつもなら口出ししそうなところをちょっとこらえて(僕なら100%散歩に行くからです笑)彼女に任せました。すると、

「公園は濡れていると思うので、道を歩いて探索に行こうと思うんです。」

と、自分でしっかりと判断をして、活動を決めて、皆を外へと促していました。

11年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新しています『臥竜塾』ブログ2011年4月16日『チーム』の中で藤森先生はこう書かれています。

〝ドラッカーの「非営利組織の経営」という書籍の中で、「チームの目的は、メンバーの強みをフルに発揮させ、弱みを意味のないものにすることである。こうして一人ひとりが力を発揮する。大事なことは一人ひとりの強みを共同の働きに結びつけることである。」と書いています。どうしても、人は自分の強みをアピールするために、人の弱みを非難します。また、自分の強みが発揮できないのを、誰か他人のせいにします。しかし、人はまず「共感」をすることが必要であり、その共感をベースとして、集団の伝統や道徳を生み、文化を形成していく、と考えられています。〟

4月から今日に至るまで、それぞれの職員がそれぞれの思いの中で、藤森先生が書かれていること、そのもののような気持ちでチームを作り上げてきました。この日散歩に行くことは難しいと、自分ならそう判断すると思った職員もいたことと思います。その職員の気持ち、また、散歩に行きたい僕の気持ち(?笑)そして、当然ですが目の前の子ども達の気持ちを汲み、ベテランの先生に頼ったりもせずに、自分の気持ちにも素直な答えを出したように感じ、教わるばかりだった彼女の4月からの成長を垣間見たようで、とても嬉しい気持ちになりました。

雨上がり、風強し。いつもとちょっと違った外の雰囲気に子ども達もわくわくした顔でお散歩の準備を始めていました。

そして出発!

そして出発!

「わー!きれー!」落ち葉の絨毯が広がっていました。

「わー!きれー!」落ち葉の絨毯が広がっていました。

「先生見てー!」

「先生見てー!」

 「あそこの雲、どんどん消えてきたよ!」こういう詩人のような子どもの言葉、僕は大好きです。

「あそこの雲、どんどん消えてきたよ!」風に流されていく雲をこう表現するのですね。こういう詩人のような子どもの言葉が僕は大好きです。

雨上がり、そして、風の強い日にしかない楽しみを存分に味わう子ども達でした。

さて、探索に行こうと出たこの度の散歩。この後、意外な展開を見せてくれます。(続編へ)

(報告者 加藤恭平)

アドベントカレンダー

今まで塾長のブログなどで「待つ」ことの重要性は教わってきたと思います。

今の季節はクリスマスですね。どの保育園でも装飾などはクリスマス一色だと思います。新宿せいが保育園でもクリスマスツリーに各クラスがオーナメントを作り、飾っています。

またアドベントカレンダーも実践しているところも多いと思います。

毎朝、お当番さんが職員室に園児の出欠を報告しにくるときに、アドベントカレンダーをめくると、そこにはサンタさんからのメッセージが書かれてあり、子ども達は毎日、何が書いてあるか楽しみにしています。

そんな風にクリスマス当日まで楽しみに待っている子ども達は自然と「待つ」体験をしていますね。

そんな中で個人的に面白いなぁと思った実践があるので報告したいと思います。

 

先日のアドベントカレンダーにはこんなことが書かれていました。

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最後の「ファイトイッパーツ」はウケますね(笑)

子ども達はその手紙を読むなり、一斉に探し始めていました。

こんなメッセージがサンタさんから届いたら私は嬉しいですね!

「えっ!?保育園にいつ来て隠したの!!?」って思います(笑)

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私も小さい頃はクリスマスが待ち遠しかったです。

もちろん目当てはプレゼントとケンタッキーです(笑)

 

保育園の子ども達を見ていると、少し羨ましく思います。

私はクリスマスは当日しか楽しみではなかったからです。

アドベントカレンダーというのも、実は保育園で働き始めてから知りました。

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クリスマスという年に一度しかないイベントを当日だけ楽しむのでなく、

それまでの期間も楽しみながら当日を待つ。

当たり前のように行っていることですが、私はそんな当たり前の事を改めて「素晴らしい」と子ども達の姿を見て素直に思いました。(報告者 山下祐)