自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる①

最近自分を変えたい、生き方を変えたいと思う気持ちを強く持ち始めた為か、「自分のDNA気質を知れば人生が科学的に変わる」というタイトルの本に手がのびました。

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この本の著者は宗像恒次(むなかた つねつぐ)さんという方で、現在では筑波大学大学院で教授をなさっていて、SATイメージ療法と呼ばれるうつ病の病状回復などにとても効率的な心理療法を考案した方です。

この本を読み進めていく上で、タイトルにもありますが「DNA気質」という文字をよく目にします。

DNA気質とは、6つに分類されると考えられていて、またそれらの持って生まれたDNA気質によって、その人の生き方のベクトルが決定づけられているとも考えられているそうです。

それらのDNA気質のどれが自分に当てはまるかを知り、そのDNA気質をあるべき方向で上手く活かすことができれば、その人は幸福な人生を送ることができますが、逆に生来の気質とは異なる無理な生き方を続けていると、その人の人生にはいつか破綻が訪れると書いてあります。

その6つのDNA気質は、人格気質とストレス気質の2つに分類されていて、人格気質は「循環気質」「粘着気質」「自閉気質」、ストレス気質には「執着気質」「新寄性追求気質」「不安気質」があるそうです。

各気質に特徴があるようなので紹介させていただきます。

人格気質↓

●循環気質…気分屋で、話が好き。認められたい願望が強く、情報操作に長けているが、ストレスを感じると投げ出すことがある。本質的には寂しがり屋なので、情緒を安定させるために気の合う友人との会話は不可欠。自分だけは生き残ろうとする生物的戦略がある。

●粘着気質…単純で不器用なタイプ。集中力があり、几帳面な反面、融通が利かない。義理堅く、上下関係を重んじ、筋が通らない話には反発する。種の群れの秩序を守ることで生き残ろうとする生物的戦略がある。

●自閉気質…利害にとらわれずに本音で人と関わろうとする。他者を重んじ、その影響を受けやすい。対人距離がキープできないと、情緒が不安定になる。他方、1人の自己世界にこもろうとする。強者に守られて生き残ろうとする生物的戦略がある。

ストレス気質↓

●執着気質…真面目で強い熱中性、徹底性、責任感、義務感がある。完全主義で、自分にも人にもそれを求めることで、自分や人を苦しめることがあるので、強い孤独感、無力感を持つ。常に求める気質なので、結果に満足することがない。

●新寄性追求気質…探究的、衝動的、逸脱的、攻撃的、短期、センセーショナル。新奇なことに目を輝かせる。思い付いたらいてもたってもいられなくなり、すぐに行動を起こす。後先を考えずに無謀な行動を取ってしまうため、失敗することも多い。

●不安気質…孤独で、恐怖感の中にいる。悲観的で神経質、敵対感情が強い。被害妄想から抑うつ状態になり、ストレスからパニックを起こすこともある。周りの反応に対してネガティブな思いを抱き、恐怖感からマイナス感情を吐露してしまう。

これらのDNA気質のどれか1つが当てはまるというものではなく、人によっては2つ、3つと当てはまるものがあるそうです。

そして、その組み合わせによっても変化するそうなのです。

自分がどれとどれに該当して、組み合わせ的にどうなるのかを知るためのチェックシートもあります。

次回はその組み合わせを私自身の事例をもって、紹介させていただき、今の自分自身、今後の自分自身について考えていけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

帯状疱疹

私事ですが、先週末に帯状疱疹との診断が下りてしまい、今週1週間お休みをいただくことになってしまいました。

診断時は、今まで帯状疱疹と診断されたことは1度もなかったので、どのような病気なのかもわかりませんでした。

良い機会だと思い、自分なりに診断時にいただいた帯状疱疹のパンフレットとネット上の情報を基に調べてみました。

この病気は、水ぼうそうにかかったことがない人への感染が考えられるため、私たちのように子どもに携わる仕事に就いている者には、より早期発見が大切なためシェアさせてください。

調べた結果、「帯状疱疹は、痛みのある皮膚病で、体の片側に起きる強い痛みと、痛みがある部分にできる帯状の赤み、ブツブツ、水ぶくれが特徴の病気です。子どもの頃にかかることの多い“水ぼうそう”のウイルスが原因で起こるそうです。発症は幅広い年代でみられますが、特に高齢の方で多く、患者さんの約70%は50歳以上の方だそうです。

また人によって、発症部位が異なるようで、私の場合は左腿裏に発症しました。

この発症部位によって、一大事へと発展してしまうこともあるそうです。

なぜなら、帯状疱疹は体の表面だけの病気ではなく、体内の神経にも深く関係している病気だからだそうです。

例えば、眼の近くに発症すると視神経に、頭部に発症すると脳内神経に異常をきたすこともあり、とても危険なようです。

帯状疱疹の初期症状として痒みを伴うことがあり、虫さされやかぶれと自己判断してしまい、症状が悪化してしまうケースも多いようです。

そんな自己判断の難しい帯状疱疹ですが、見分けるためにいくつかのポイントがあります。

1.発疹前に痛みが出ることが多い

2.1日目より2日目の方が、発疹が増えている

3.体の左右「片側だけ」

4「チクチク」あるいは「ビリビリ」という類の電気が走るような痛み。

私の場合は2と3が該当していましたが、発疹が出てから2日目の受診となってしまいました。

なぜなら痛みよりも痒みが先行していたこと、そして主治医の先生から事例がないから関係がないとまで言われたのですが、発疹が出る1日前に同じ箇所を蟻に噛まれたのです…

私の場合は特殊な条件が重なりましたが、それでも園の看護師の先生からの強い薦めもいただき、帯状疱疹と診断が下りる方々の中でも早期発見の方だと言っていただけました。

おかげで激痛をさけることもでき、今では今までの日常とさほど変わらない生活が送れています。

ですので、体は元気なのに職場に行けないという辛い現状ですが、だからこそできることを追求していこうと思います。

普段あまり本は読まない私ですが、極力外出を控えなければならないこの機にいくつか本を読みながら自分を見つめ直す期間にできたらと思います。

その本や思ったことについてもまた報告させていただけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

8月のメモワール

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塾長が紹介してくれた映画は「8月のメモワール」という映画です。

1970年夏、ミシシッピ州、ベトナム戦争から帰還したスティーブンは戦争で精神病を患い、治療を続けていました。彼の妻ロイスとリディア、ステュの姉弟はトレーラーハウスで貧しい生活を送りながら父の帰りを待っていたのです。しかし父のスティーブンが家に帰って、職を探してもなかなか長続きはせず、その理由として精神病で治療していたことが原因で、すぐに職場から解雇を言い渡されるのです。

そんなある日、姉弟は大きな木を見つけ、ここにツリーハウスを作ろう!と計画しそれぞれが材料を集めて早速、ツリーハウスを作ることに。そこでリプニッキ家にあるガラクタ置き場に目を付けるが、かえって6人兄弟にいじめられてしまうのです。そんな息子に父が言ったのは

「我慢を忘れると一生後悔することになる」

と言ったのです。しばらくして、父は小学校の用務員として働けることになったが、精神科で治療していることが学校に知られ解雇になってしまうのです。それでも父は諦めずに必死に仕事探し、子どもたちに明るい未来を見せたいという思いで働くのです。そんな時に銀行が抵当で売りに出している家を手に入れようと、高い給料がもらえる石切り場の仕事に就くことに。しかし家を買うことは息子のステゥと秘密の約束にし、妻のロイスを驚かせようと約束をしました。そんな父にリディアは「どうせ、また首になる」と言い、母のロイスは非難は絶対に許さないと言われ、反省したリディアは父のスティーブンと言葉を交わし「父さんが年をとって死んだら、私の天使になってくれる」と。

 

例の家を手に入れるためにスティーブンとステゥが出かけた時に些細なことでリプニッキの父に絡まれ、ステゥの身に危険が及んだことから、リプニッキの父を掴み息子に謝らせ、彼を罵った息子にも謝らせた。そしてスティーブンはステゥに戦場での話しをしたのです。

戦場で親友と呼べる仲間がいていつも一緒だったが、敵に襲われ彼が重傷を負ってしまい、彼を抱えて必死で逃げ、脱出用のヘリまでたどり着いたが、定員はどう頑張っても一人しか乗れない、そしてスティーブンは意識が無い彼を置き去りにしたという体験を話したのです。そして「自分自身と国を許そうと努力した」と・・・。

一方、姉のリディアが黒人の友達が担任から差別的な態度を受け激しく抗議をした、そんなある日石切り場で大きな事故が起き、スティーブンは石切り場での仕事を紹介してくれた恩人を助けるために重傷を負ってしまいます。しかし家族の願いは虚しくも数日後にスティーブンはこの世を去ってしまうのです。

 

しばらくしてツリーハウスはリプニッキ兄弟に占領されてしまい、ステゥは取り戻すために友人たちと様々な攻撃を仕掛けて反撃に出たのです。なんとかツリーハウスを取り戻したのも束の間で、今度はリプニッキ兄弟が攻撃してきたのです。火炎瓶、トラクター、打ち上げ花火・・・まさに子ども同士の争いではない状態、そんな風景をステゥは木の上から冷静になると、その風景は本物の戦場にダブって見えたのです。その時、リプニッキ兄弟の末っ子のビリーが給水塔に落ちてしまい、ステゥとリディアは必死に救出し、息を吹き返したビリーが「天使を見たよ」と。それをきっかけにリプニッキ兄弟とも揉めることもなくなり、ツリーハウスにも飽きたころ、銀行の管財人から例の家を父が落札したと告げにきたのです。家はボロボロですが、新しい生活にやっと幸福の予感が訪れるのです。

 

少々長くなりましたが、ざっとこんな感じなあらすじです。本当は実際に見た方がいいので、今度の、臥竜塾で見れたらと思います。

塾長はこの映画の感想としてよく言われるのは

 

「争って、勝ったとしても虚しさしか残らない」

 

と。映画の中で、ベトナム戦争でアメリカが勝ったとしても実際はアメリカも大きな痛手を受けてしまったし、ステゥはツリーハウスを取り返そうとして戦って、残ったのはボロボロになったツリーハウスだけです。

父のスティーブンが「我慢を忘れると一生後悔する」という言葉は本当にその通りかもしれません。ステゥも一時は父の言葉を思い出し、冷静になって話し合おうとするのですが、結局は冷静さを失ってしまい、暴力に出てしまいます。

 

改めて「戦う」という本当の意味を理解しないといけないですね。子ども達はどうしてもテレビを見ると戦隊ものや仮面ライダーなど戦うシーンが多く、あの風景を「戦う」と認識してしまっていると思います。ただ私も小さい時に見ていたので大きなことは言えませんが・・・。

映画の中で父のスティーブンは息子のステゥに「我慢ができるよう自分自身と戦いなさい」と伝えたかったのではないかな?と思いました。

「真の敵は己の中にある」よくスポーツ選手とかが言いそうな台詞ですが、実はあながち間違っていないのかもしれません。結局、様々な行動を決めるのは自分自身の意思ですから・・・。(報告者 山下祐)

 

 

 

 

「必死」な姿・・・

皆さん、ご存知の通り8月15日は終戦記念日です。

ちょうどお盆休みのため、実家に帰省していました。テレビでは終戦に関するニュースや番組が流れており見ていました。

中でも一番、心を打たれるのがやはり「特攻隊」の話です。私は塾長との出張で色々なところに行きましたが、数多くの中で印象強く残ってしまう場所は「沖縄のひめゆり平和祈念資料館」「広島の平和記念資料館」「鹿児島県鹿屋市の鹿屋航空基地資料館」「福岡県の大刀洗平和記念館」と戦争に関する場所です。

小学校の時に授業で戦争の事はある程度のことは学びますし、戦争の悲惨さも理解できるかもしれません。また私の86歳になる祖母は戦争を経験しているため、空襲の恐ろしさなども聞きました。私が高校の時に亡くなった祖父も兵隊として戦地に出向き、その時の体験談も聞きました。そして特攻隊の話など、授業では聞けないような話しをたくさん知りました。しかし、そうは言っても経験したことがない世界なので、正直な気持ちを言うと「分からない」というのが私の感想です。

それが塾長と訪れた資料館や記念館を見学した時に、今まで生きてきた自分の価値観、生き方、考え方が180度変わるというか、言葉では言い表せない感情になり。そして訪れるたびに涙に溢れるのです。

特に特攻隊の話しを聞くと…言葉が出ませんでした。自分よりも若く、中には20歳にも満たない青年達が命を落とすのです。しかも出撃前の写真はみんな笑顔・・・。

 

「必ず死ぬ」

 

私は「必死」という言葉の意味をこの時初めて知った気がします。

よく普段の会話でも「必死」という言葉を使用すると思いますが、当時の「必死」という言葉の使い方と重みが全然違います。当時の写真で「必死」と書いてあるハチマキをしている青年たちの姿を見て、本当の「必死」の姿を見たと思います。

そんな特攻隊ですが、テレビでは実際に軍艦を一隻しか撃沈できなかったそうで、残りはぶつかる前に狙撃されてしまうそうです。

当時の特攻隊の人たちは何を思って特攻するのか、と言うと国のためとは表向きは言いますが、やはり「家族」だそうです。家族を守る為に特攻する。自分が特攻することで家族が守られるならば…そんな思いで空に飛び立つのです。

 

塾長とこの話しをしたときに塾長が言われたことは

 

「もちろん戦争の事を知ることは大切なことだけど、小さい子どもにはまだ話さないほうがいいかもね。それよりも『生きる楽しさ』をまずは伝えることが大切だと思う。」

 

この言葉を聞けて安心しました。自分の息子にもいつかは戦争の話をしなければいけない時期がくると思っていましたが、どのタイミングがいいのか?とちょうど悩んでいた時なので良かったです。

 

っとここにきて急に離しが変わるのですが、今回の帰省で戦争の映像を見ていて、ふと頭の中に浮かんだことがありました。それは以前、塾長から教えてもらった映画です。あらすじは塾長から聞いていたので、まさに、今このタイミングで見るべきではないのか?と思い、早速塾長のところにいき、映画を借りました。次はその映画を私なりに紹介したいと思います。(報告者 山下祐)

アツイ一日

少し前の話になりますが、7月24日に長崎から多くの見学者が来られました。

長崎といえば見守る保育を実践している園が全国でも多く、そして年に3回塾長を招き研修会を行っています。

おそらくご存知のかもいらっしゃるかと思いますが、その前進には二人の園長先生の影響が大きいと塾長から聞いています。

そのうちの一人は塾生の西村くんのお父さんです(以後、西村先生)。私も助手として出張に行っていた時は西村先生には大変お世話になりました。

私の結婚式の時も長崎から来ていただき乾杯もしていただきました。

他にも、当時1年目だった私に対して長崎の園長先生方は優しく接してくださり、感謝の言葉しかありません。

出張に行かなくなってから、会う機会も減り少し寂しい気もありましたが、先日たくさんの先生にお会いできてとても嬉しく思いました。本当にありがとうございました・・・。

 

さて、35名も長崎から見学に来られましたが、研修の日程はまず午前中は保育園の見学で、今回は塾長自ら案内をされました。

そして午後は塾長の講演ということで、塾長がフル稼働の一日でした。

 

しかし塾長が研修の前日に

 

「私の話しは長崎に行って年に数回聞くことができるから、ココでしかできないことをしたいよね・・・」

 

と。そこで塾長が思いついたのは近年ベテランのA先生が学会などで発表されたりしているので、

A先生が子ども同士の共感についての発表をすることになりました。

さらに、急なフリで私も保育園の環境を発表することに・・・。

臥竜塾の教えの年間講座で行った「環境」の発表をして、更に塾生の西村くんも環境セミナーで行った見学園紹介のプレゼンも連速で行うことに。

長崎の保育園をたくさん見学しているのと、私よりも長く勉強されている先生が多い中で、改めて環境の発表はとても緊張しましたが、

おそらく自分の父親の目の前で発表する西村くんの方が緊張しているのではと思います(笑)

 

そして研修も無事に終わり、夜は新宿せいが保育園の職員と意見交換会でした。

当初、外で行う予定でしたが、せっかくだから!ということで、園内で行うことに!

3階のスペースの家具を移動し、ほぼオープンな環境にし、テーブルを並べて行いました。

そして食事はケータリングというのも初の試みです。

いま、ギビングツリーで色々な企画をされている神宮司さんという方がいます。

彼はせいがの森の時から塾長と関係があり、「食」の方にとても詳しい方です。

自分自身でも飲食店を経営されていたこともあり、しかも自然食を主に取り扱っているため、

食へのこだわりがとても強い方です。その神宮司さんからお店を紹介していただきました。

メニューは・・・

 

・三日間塩麹に漬けた白身魚のカルパッチョ

・三日間麦麹に漬けた鶏もも肉のステーキ

・神奈川の 豚を使った冷しゃぶサラダ

・生じゅんさいのおひたし

・いぶりがっこ、チーズ、とんぶりをのせたカナッペ

・舞茸の炊き込みご飯

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と、どれも素材にこだわった逸品で、本当に美味しかったです。

どうやら保育園のテーマの「伝統」とつなげるためにメインと前菜に「麹」を使用したそうです。

なんだか嬉しいですね!!

 

さてさて、意見交換会の話に戻りますね。

まず塾長から挨拶を頂き、乾杯は副園長の中山先生がされました。

そしてせっかくの機会なので、各クラスに分かれて意見交換をしてもらうことに・・・。

いざ始まると、どのテーブルもすぐに盛り上がり、どのテーブルも静かにならず、基本的に終始盛り上がっていました(笑)

会が終わって、新宿せいがの職員に聞くと

「長崎の先生はアツイね(笑)もぅ話がとまらない(笑)」

という感想です。

それは私もいつも思います。と言うのも助手で長崎に行くたびに、長崎の先生方の見守る保育に対するアツイ思いが体中から溢れ出ており、

私も長崎出張の時には、そのパワーに影響され「私も、もっと頑張らないと!!」と強く思い、東京に戻っていました。そして長崎に行くと必ず一言挨拶をしなければいけないので、そういう部分もカナリ鍛えられました(笑)

 

そして今回、塾の報告でもありましたが、中国展開に向けて試験を塾生が考えるという話がありましたが、

今回、長崎の先生方に試しに解いてもらうことにしました。その際に文章的に変なところや、分かりにくいところなどを指摘してもらうという目的もありました。

その答え合わせを意見交換会の最後の方に担当した塾生が答え合わせをし、最後に「見守る保育ステッカー」を各園さんにプレゼントしました。今後、長崎の出張があると思うので、西村くんに試験問題の感想を聞いてきてもらい、改良を加えられたらと思います。

とにかく、その一日は朝から晩までアツイ一日でした。

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さらにもう一つ嬉しいことがありました。熊本から外部塾生の渡邉先生と平田先生も研修に参加され、さらに大阪から外部塾生1号の邨橋先生も研修に急遽、参加することに。

せっかくということで、最後に記念写真を撮りました~。

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いつか、いつか塾生全員が集まり、「塾生サミット」みたいな物を開いてみたいなぁと思いました。(報告者 山下祐)

子ども目線

最近の塾長が書かれている臥竜塾ブログでは、「指さし」を含めた人間がコミュニケーションに有効活用する身振りをトマセロ氏らの研究と照らし合わせて解説してくださっていて、それが1番顕著に現れるのが乳幼児期で、私たち保育者はそれらの子どもたちの姿を毎日観察できているのですから、塾長のブログを拝見している方はトマセロ氏らの研究、塾長の解説が今ある子どもたちの姿と結びつく経験ができたのではないでしょうか。

私もその1人であり、ブログと子どもたちの姿が連動して、日々の気付き、発見が多くなってきたと実感しています。

そこで、様々にある保育のシチュエーションの中でとても重要な要素に「子ども目線」があると感じ、塾長のブログにより得られた子どもたちの姿、行動の理解を今まで以上に子ども目線、または「子どもの立場」に置き換えて考えることで、更なる理解に繋がっていくように思いました。

昨年度の成長展で、子どもたちに小型のビデオカメラを付けてもらい、その動画を保護者の方々に観てもらう取り組みをしました。

これは私たち保育者にとっても大きな気付きで、子どもたちの目線ではパーテーション越しはどう映っているのか等の様々な気付き、発見が得られました。

それらを活かして「子どもの目線」から指さしを含めたコミュニケーション行為の理解を深めていけたらと考えています。

そこで、1歳児クラスのお部屋で子どもたちと過ごしている時に、極力立たずに座っている姿勢か、動く時はうさぎ跳びをするかのような姿勢で動いて子どもたちとの目線の共有を図ってみました(笑)極端ですがこのような方法しか思い付きませんでした…

これにより、普段より多くの子どもの協力的・援助的・利他的な行為を体験することができた気がしています。

うさぎ跳びのような姿を維持して、歩き辛そうにして歩いていると1人の子が私の腕を掴んで、一生懸命上に上げて立たせようとしてくれたのです。

これには感動しました。

この行為を受け、立って「ありがとう」と伝えると満面の笑みを浮かべていました。

このときのうさぎ跳びの姿勢をしていたときの意図は、単に子どもたちとの目線の共有で、立たせてもらいたいという子どもたちの援助的で利他的な動機を引き出そうとするものではなかった分、自然にその行為に及んだようにも感じました。

逆にその行為を受け、またそのシチュエーションを作って、意図的のその子前を通り目線を送ると、無視されてしまいました。

子どもたちは大人の意図することを瞬時に理解し、行動に反映させることができるのだと身を持って体験することができました。

他にもうさぎ跳びの姿勢でいると、ある子が棚の上にあるおもちゃを指さし、取って欲しいと要求してきました。

しかし、うさぎ跳びの姿勢では届かないところを見せると、前回の子と同様に私が立てば取れることを知っているかのように手を掴んで立たせようとしてくれました。

今回はこんな極端な形で実践しましたが、次回からも様々な方法を考えて子ども目線から更なる子どもの理解に繋げていけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

皆さんなら、どう対応されますか? 未熟な僕は、怒ってしまいました。

先日、怒ること、叱ることについて、とても考えさせられたと同時に、気持ちがとても救われたことがあり、自省の意味も込めて、報告をさせていただきます。

新宿せいが保育園は、20:30までが開所時間である為、18:30以降の子ども達に、補食や夕食を提供しています。

それはある夕食でのことで、その日のお味噌汁の具はジャガイモでした。

子ども達といつものように「いっぱい・ちょっと」を尋ね、自分で自分の食事の量を決めてから、夕食をスタートしました。

2歳児クラスの男の子が、大好きなお肉のおかずを最初に食べ、「おかわり!」と来ました。

お味噌汁も、おかずも食べてからにしようか。何の気もなしに言ったことだったのですが、それに対して、

「ヤダ。だって汚い。」

と、おつゆだけになった味噌汁のことを指して言うのです。

皆さんなら、どう対応されますか?僕は、調理の先生が一生懸命作ってくれていることなどを、伝えました。

すると次の瞬間、その子は、目の前にあったおにぎりを皿ごと放り投げました。

皆さんなら、どう対応されますか?(笑)未熟な僕は、怒ってしまいました。

新宿せいが保育園では、19:30を過ぎると、遅番担当の先生二人での保育になります。

その子も、おかわりはできないは、怒られるは、で、本人ももうどうにでもしてといった感じになり、とりあえず食事の場所からあそびの場所へ、遅番担当のもう一人の先生の方へ移動をしてもらいました。

少し落ち着いたようで、それでも聞こえる小さな泣き声に、その後、もの凄い自省の念というのでしょうか、どうして怒ってしまったのか、怒ったり叱ったりする他にもっと他に方法はあったのではないか、と、とても落ち込みました。

藤森先生の臥竜塾ブログ

〝どうも人は、普段何か面白くないことがあった後では普段より堪忍袋の緒が切れやすいのです。これは、私たちは経験からそのことは知っていますが、それは、あらゆる種類のストレスは副腎皮質に働きかけて精神を緊張させ、人間を怒りっぽくするのです。〟

とあります。そこに至るまでの自分に落ち度があったこと、何かにもしかしたらイライラしていたのかもしれないことなど、色々と考えられるものの、その時は中々気持ちが切り替えられずにいました。

すると「どうしたんですか?」と。夕食の様子を見に来た調理の先生の声です。

これこれ事情を話すと、「なるほど。それは、私も同じ気持ちですね。」と一言。そして、その子のところへ行き、何やら話しています。

すると、すっと泣き声はやみ、あそびへと向かっていくその子の姿が横目で見えました。

遅番で一緒だった1歳児クラスの先生は僕と同い年の新人の先生です。食事の片付けも終わり、少し落ち着いたところで、必要があるだろうな、と感じ、その先生にもことの次第を話しました。

すると、「さっき、調理の先生が話してたよ。〝せっかくつくった料理を先生も汚いなんて言われたら嫌だし、おにぎりも投げないで食べて欲しかった〟って。そしたら、頷いてあそびに向かっていってたよ。」と教えてくれました。

また、「加藤くんの気持ちもよくわかる」、と言ってくれました。

僕は、とても気持ちが救われたような思いがしました。それと同時に、ここに、見守る保育が織りなすチームワークを肌で感じたように思い、先生方に感謝の気持ちでいっぱいになりました。

改めて、職場におけるチームワークは、保育士同士だけのものではないこと。また、新人も何も関係がないこと。多様性の糸が織り成され、補い合って一つの環境が生まれていくこと。そんなことを感じました。

臥竜塾ブログ

〝何かに腹を立て、それを家に帰って夫婦の間でそのことを報告するときに、その内容に同じように腹を立てて聞くと、怒りが増大してしまうことがあります。それを、その理由なりを冷静に考察することから助言をすると、怒りがおさまるということがあります。そこに、私は複数の人からの多角的な見方が必要であり、それを素直に聞く力が必要だと思います。〟

僕は変わっているので、その僕が素直かどうかは別としても、あの時関わってくださった先生方の言葉は、とても優しく、心に染みるものでした。

同時に、モヤモヤしていた気持ちはいつの間にかどこかへ行ってしまっていたのでした。

数分後、その子の方から近付いてくるから驚きます。

「絵本読んで。」

子どもの方が、何枚も上手で、僕は本当に未熟です。

僕は、声を大にして言いたい。見守る保育は、保育士としても人間としても未熟な人を、救い、育てる保育である、と。

こうして、毎晩、子ども達の夕食を見守る調理師が新宿せいがにはいます。

こうして、今夜も子ども達の為に腕をふるい、その育ちを見守ってくれています。

(報告者 加藤恭平)

 

 

社会のモデル

先日、1歳児クラスの昼食後の掃除をしていました。床にこぼれている物を雑巾で拭き取っていると、ある視線に気づきました。一人の1歳児が、椅子に座ってこちらを見ているのです。その子は、パーテーションを抜け出し、掃除のために除けられた椅子にちょこんと座りながら、両手をモゾモゾと動かしながら掃除をしている大人を眺めていました。その子は何を見て何を思っていたのでしょうか。すると、数日後、その子は昼食後に自分が持っていたタオルで、汚れた床を拭いていました。その様子を見ていた職員は、「◯◯ちゃん、ありがとね。そのタオルじゃなくて、こっちのピンクの雑巾でお願いね。」と言って床用の雑巾を渡していました。手や顔を拭く用のタオルで床を拭いている子どもに「こんな汚いことしないで!」と言って取り上げてしまうのではなく、その行為を別の物や正しい物でできるように、その行為を可能にできるような環境を用意する事が大切であると思っているからでありますし、事前に掃除をする大人の様子を見ているその子の姿を把握しているからこそ、この対応にも意味が生まれるのかなとも感じました。

また、窓に模造紙を貼っている職員を見つけて、その様子をじっと見つめる1歳児がいました。定規と鉛筆を駆使してきれいに貼られていく紙を眺めていました。しばらくすると、1歳児が不思議な行動をし始めました。座りながら、両手を前に突き出し、左右に動かしたりしているのです。それは、目の前にいる職員の動きそっくりでした。どうやら大人の行動を模倣しているようです。すると、その子は「よし、いける!」と思ったのか、落ちていた紙を拾って窓に歩みより、自分でもやろうとしていたのです。紙を貼っていた職員はその子に気づき、「お〜◯◯ちゃん。来たかぁ〜。」と作業をしながら言っていました。個人的には、“作業をしながら”というところが好きです。

見る

見る

想像する

想像する

やってみる

やってみる

大人が黙々と床掃除をしたり、行事のために窓に模造紙を貼っている姿というのは、子どもにとっても社会の一部ですし、様々な役割を知る機会でもあります。

塾長は、こう言っています。

『なぜヒトは身ぶりを模倣できるようになったのでしょうか。ヒトは、社会を形成し、そこで助け合い、協力して生きてきました。当然、そのためには他者とのコミュニケーションが大切になってきます。その際、言葉だけに頼るのでなく、他者の身ぶりを頻繁に模倣し、また同時に模倣されていることに気付きます。他者の身体の動きに注目した模倣は、他者と同じ経験を忠実に繰り返すことを可能になっていきます。その結果、自分の心と他者の心をしっかりと重ね合わせることができ、他者がなにを考えているのか、何を意図しているのか、といった心的状態を、他者の行為を観察するだけで読み取ることができるようになります。それが対人知性と呼ばれるスキルで、現在生きていく上で、最も大切な知性であるといわれています。これは、自分が属する社会のメンバーと円滑にコミュニケーションするうえで、欠くことのできない能力であるからです。』

子どもに関わる全ての大人は、子どもが「属する社会のメンバー」であり、社会のモデルでもありす。そのような、大人の行動を模倣してみたり、子どもの同士でも、お互いに模倣し合ったりするような経験から、他者理解という相手とのつながりを自ら形成し、社会を学び、多様な他者を学んでいくのですね。子どもの、大人や他児の行動を模倣しようとする観察力や行動力、そして探究心にいつも驚かされています。

(報告者 小松崎高司)

2014ドイツ報告2

前回の2014ドイツ報告の続き

●感情パネル

「感情教育」と呼ばれる保育を基に作成されたもの。子どもどうしの関係や、何かに遭遇した時、悩んだ時などを表わす写真が入ったボックスがあり、そこから1枚を選んで、保育者がその場面について、この子はどのような気持ちかを子どもと一緒に考えるそうです。またドイツでは人が集まる場所や電車で、スマホとかゲームをしている人を見かけたことがありませんでした。塾長によると、「それはドイツ人が、直接話したり、議論をしたり、談笑したりするのが好きな国民だから」だそうです。そしてそれは、人との関係を学ぶ保育がドイツでは行われているからとありました。その1つが感情パネルを用いた「感情教育」であると思いました。

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中央の写真が感情パネル、 右がこの写真を見て子どもが感じたこと、思ったことをまとめたもの

 

●マッサージ

ドイツ視察で伺った各園には、必ず「癒し」の空間がありました。その中に子どもどうしでマッサージし合えるようにと癒しの空間にマッサージ器具が置かれている園がありました。その園で直接聞いたわけではなく、塾長の臥竜塾ブログからの抜粋ですが、子どもどうし体を触れ合うと、脳の前頭葉が活発になると言われていて、そのような意図もあるのではないかとありました。また少子化になると、子どもどうし体を触りあう遊びや、じゃれ合うという機会が少なくなってしまっている現状があるので、このような活動を大切にしていくべきだと思いました。

図7(1)

癒しの空間

 

●ビール

これも塾長のブログで書かれていたことですが、こちらでも再度報告させていただきます。街の至る所にビアガーデン、ビアホール、オープンカフェがあり、昼間からよくビール等のお酒を飲んでいる姿がありました。しかし、ほとんど、いわゆる「酔っ払い」には出会いませんでした。日本では多く目にする、気分を悪くして道の端にしゃがみ込んでいたり、人に絡んだり、フラフラとぶつかりながら歩いている人をドイツでは見かけなかったのです。それは、アルコールが弱い人は飲まないようにしていたりと、しっかり自己管理している結果であるとありました。私はいわゆる下戸で、お酒が全くと言っていいほど飲めません。幸いアルコールの味も苦手であることから飲もうとせずに済んでいますが、もし味が好きだったらと考えると、自己管理できていたか怪しいものです。ですので、せっかくドイツに行けたのに、ドイツビールを堪能せずに帰ってきてしまいました…(笑)この自己管理の背景には、幼児期から自制心と自律をつけている成果かもしれないと塾長のブログに書いてありました。そう考えると、より一層幼児期に見守る保育の理念の基、選択制等を重要視し、それに伴った保育の質のスタンダード化を図ることが必要であると思いました。

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左がドイツビール、右は下戸の私用のアップルジュース(笑)

 

長々と環境セミナーで行ったドイツ報告でピックアップした内容を報告させていただきました。

私は緊張強いで、リスナーの方々にちゃんと伝わるのか心配でしたが、ベテラン保育士のA先生とご一緒に報告させていただいたことで、私の緊張強いもそこまで出ずに済み、無事終えることができました。

A先生と一緒に報告させていただいたことでの1番の学びは「口調」です。

その先生の口調は、「~でした。」ではなく、極端に言えば「~だったんですよー」と緩く伝えることで、この「ー」の中に「そう思いませんか?」と言っているかのように共感を求めながら伝えていたと感じたのです。

それに加え、2人で談話形式で報告することによって、「~でしたよね?」と投げ掛け合うことでリスナーとの距離を縮めることができた気がしますし、リスナーの方々が「ドイツに行った気になる」というコンセプトの基、動画報告を軸にして行ったことで、よりリスナーへの共感を追求できた気がしています。

このドイツ報告は年内にあと2回、8月の末と11月の頭にやらせていただける予定です。あとの2回も「リスナーとの共感」をベースに工夫していき、より伝わりやすくしていけたらと思います。

(報告者 若林邦彦)

「おでん」から「保育」

先週の土曜日に「夕涼み会」があり、無事に終えることができました。今年からテーマが変わったので、ある意味全てが初めてで職員も悩みながら企画をし、準備をしてきましたが、当日は園児も保護者の方の笑顔が見れて、とても良かったです。

さて行事が終わると、まぁだいたいの園さんはあるのでしょうか??打ち上げというか、慰労会というか・・・。久しぶりに私も参加しました。今回のその席でとても興味深いというか大きな学びがあったので、その話しをさせていただきます。

たまたま私の前の席に、よく塾長の講演や塾生の加藤先生のブログにも紹介された、ベテランの先生が、なんと贅沢なことに3人座られました。そこで話された内容です・・・。

M「たすくん、この前さぁ、Aちゃんと新宿に飲みに行ったのよ!スタバの前の・・・提灯に「おでん」って書いてあるお店覚えてる?」

私「あぁ!覚えていますよ!かなり気になってたお店ですよね(笑)」

M「そうそう!そこに行ってきたのよ!」

私「あらっ!本当ですか!いいですね・・・。で、どうでした?」

A「それがさぁ、入った瞬間に腰が曲がったおじいさんと、まぁ年配のおばちゃんの二人しかいなくて、もちろん席もカウンターと奥にテーブルがあるだけで、そこまで広くないんだけど・・・。困ったのはメニュー表が無いのよ(笑)」

私「えっ!?じゃあどうやって注文したんですか?」

M「とりあえず、こういう店は冷酒があると思うから、それを頼んで、おでんをAちゃんに鍋の中を見て注文してもらったんだけど、量がね・・・ハンパなかったのよ!」

A「いや、ちゃんと一個ずつっておっちゃんに言ったんだけど、伝わってなかったのかな(笑)『こんなん、一人で食べれるのかよ・・・』とぶつくさ言いながらおでんをお皿に盛ってたわ(笑)」

M「さらに、すまし汁みたいな物をついてきた、もはや『おでん定食』だったね(笑)」

私「逆に、行ってみたいすね(笑)」

M「いやぁ、いかに私たちがぬるま湯に浸かっていたかが分かったよ!今まで行ってきた店のサービスが有難いかよく分かったよね(笑)」

A「やっぱ行ったことがない新しいお店に入ると、お互いに探りますよね(笑)ましてやカウンターしかないお店だと・・・。行きつけのお店だと、店員さんともコンタクト取れるし、お互いに分かっているから、自然と注文ができるけど、初めてのお店だとそれができないからね~。それこそ阿吽の呼吸が取れないよね」

M「そうそう!その辺は保育も一緒だよ。最初から阿吽の呼吸なんて取れるわけないんだもん、一緒にチームを組んで、そしてお互いを知って初めて阿吽の呼吸が生まれるからね。」

Y「確かに、1年目の時は阿吽の呼吸とか言ってられなかったな・・・とにかく必死だった記憶があるねぇ」

そんな会話を目の前で聞いていた私と後輩の女性職員と二人で口を揃えて言ったのは

「飲み屋のおもしろ話を、こんな深い話にできる、この人たちはスゴイ・・・」

飲み屋の話しからチーム保育の話になるなんて、誰が予想したでしょうか。

ただ、何でも保育に繋げてしまう部分は、やはり塾長と似ていますね。塾長も全く関係のない話しをしていると思いきや、急に保育に繋がり、そしてしっくり収まる・・・神業ですね。

 

いつでも保育の事を考え、そして何でも保育に置き換えて考える姿勢、おそらくせいがの森保育園の頃から塾長と過ごし、自然と伝承されてきているのかもしれません。そんな先輩の姿を見て私たち後輩も学び、真似て、そして伝承していきます。(報告者 山下祐)