「オトナ二ナリたい」

先日、塾長の提案から【スマイルミッション】という企画に参加しました。簡単に説明すると、子どもたちがメッセージカードに思いを表現し、そのカードを持っているみんなの写真を宇宙へ飛ばし、自分の分身が宇宙旅行をするといった企画です。宇宙という、まだ未知で壮大なものを身近に感じられる、素晴らしい企画です。

メッセージカードが送られてきた封筒の中には、宇宙クイズの紙も入っていたので、子どもたちと職員とで楽しんでいました。例えば、羽を広げたような写真でよく見る「国際宇宙ステーション(ISS)の大きさはどれくらいでしょう?」とかです。子どもも大人も予測しながら答えを考え、解答を見てみんなで驚いていました。

今回、そのような導入を経て、メッセージカードには「自分の夢」を書いてもらいました。各々、自分の夢を絵や文字で表現していきます。子どもたちは、「アイドルになりたい」「エルサになりたい」などと表現していく中、個人的に気に留まった夢が描かれてありました。

 

ロマン

私は、子どもに将来に希望を持って生きていてほしいといった願望があります。それはきっと、大人なら誰しもが思い描いていることでしょう。そのため、普段、職員間での楽しい話を子どもの前でも話すようにしています。そして、最後に必ず「はぁ〜、大人って楽しいなぁ」と言っています。それはそれは非常にわざとらしく聞こえてしまいますが、本音でもあります。もちろん、子ども時代が楽しくないといった事ではなく、大人になること、大きくなるっていうことに対して、積極的で夢のある楽しいことである事を感じてもらえたらいいなと思っているのです。子どもには笑顔で接し、職員間ではただの無表情の業務連絡だけが飛び交っている状況は不自然ですよね。

そんな個人的な思いが、偶然かもしれないのですが、今回「オトナ二ナリたい」という形で表現されたことを、勝手に嬉しく思ったので報告させてもらいました。

街中や電車内で、見ず知らずの子どもと目が合うと、大人はどうしてその子どもに対して笑顔を見せるのでしょうか。自然に笑顔になってしまうという人もいれば、違った理由もあるかと思いますが、きっと「この世界は楽しいよ」「これからが楽しみだね」と本能的に伝えようとしているようにも映るのです。

以前、塾長のブログに“未知な部分、わからない部分にロマンを感じる”などと書かれていたことを思い出しました。子どもにとって、大人というのは近くにいながらも「未知」なる部分でもあるはずです。そんな大人にも、身近で大きな「ロマン」が詰まっているのだと思います。

 

(報告者 小松崎高司)

実習生

以前小松崎氏が実習日誌についてブログを投稿していました。私自身読んでいてとても参考になります。今回は実習日誌ではなく、実習生の実践から私が思うことを少し書いてみようと思います。
以前臥竜塾に熊本の保育園の方が来られ色々な話をさせてもらいました。その中の話で後輩ができ始め、新人の先生に対してどんな意識をしているかという質問が出ました。そのとき私は自分が思っていたことを話しました。しかし、その後塾長から、良い先輩の例で今の新宿せいが保育園の男性ベテラン保育士の話をしていました。その方に同じような質問を投げかけたときその先生は「新人の先生からは学んでばかりです」と答えたようです。私自身もそのような心持ちでいようと思っていたのですが、質問を受けた時には少し違う話をしていました。この時私は客観的に自分を見て、調子に乗っていたんだなと気づかされました。
そんなことがあってからは常に自分と向き合いながら保育をしています。
そして今回実習生と一緒に部分実習を行いました。けん玉を紙コップで作る製作をしたいということで行いました。不安げにしていた実習生でしたが、いざ始まってみると子どもたちは生き生きと製作を始め、みんな楽しそうにやっています。出来上がったけん玉で楽しそうに遊んでいる子どもたちがとても印象的でした。
そこで遊んでいる時にいつもと違う子どもの様子に気がつきました。
それは、普段けん玉にまったくと言っていいほど興味がなかった子たちが楽しそうにやっていたのです。以前私はこの子たちにどうしたらけん玉を経験させてあげられるだろうか考えた時期もありました。それが今、目の前でいとも簡単に興味を持ちやっているではありませんか…。驚きと嬉しさが混合していました。さらに子どもたちに合った難易度のため、けん玉初級編のような感じで始められるようでした。紙コップを2つ用意し、底と底をくっつけ、その間から糸をだし紙で作った玉をコップに入れるという製作です。子どもそれぞれの発達段階にも合わせられるようにもなっています。このようなアプローチでけん玉ができることを学べることができました。
実際の製作したけん玉

実際の製作したけん玉

身体全身を使って楽しんでいます。

身体全身を使って楽しんでいます。

さらにこの製作のけん玉は普通に入れるときと反対側に入れるときの腕の動きは本物のけん玉と同じ動きだということに気づきました。けん玉に関して少し敏感な私なのでとても反応してしまいました。こんな気づきがあり、嬉しさを感じられたのは誰からも学ぼうという姿勢を教えてくれた先輩のおかげだと思っています。実習生だから教えなきゃという心構えも必要ですが、学べるところも多くあるということも忘れてはいけないと強く思います。
余談ですが、実習生の反省会では実習生は各クラスの先生から良きアドバイスを受け、非常に頑張っていることを褒めてもらっていました。きっと実習生は実習が楽しかったであろうと思います。このように楽しい雰囲気で行える実習を引き続き目指していきたいものです。そして、ふとこんな保育園で学生時代実習を受けてみたいと思いました。笑
(報告者 本多悠里)

自分の強みは??

私たちは日頃、現場で一人一人の子ども達の特性を見抜き、その子が持っている可能性を引き出してあげることが大切です。

逆に自分の特性は何だろうか?と考える人がいると思います。よく大学入試や就職試験で面接官から

「自分の長所は何ですか?また短所と思うところは?」

と質問をされると思います。塾長のブログに日本人は自尊心が外国と比べて低いという事が書かれていました。

最近のブログなので読んでいる人は覚えているかと思いますが、セリグマンの「オプティミストはなぜ成功するのか?」です。

もう一度、復習も兼ねて読んでみました・・・。

「私は自尊心には反対ではないが、自尊心は心身の状態を示すメーターにすぎないと思っている。それ自体が目標ではない。学校や職場でうまくやっていて、愛する人々との関係が良好で、遊びが上手にできていればメーターは高い値を示すだろう。うまくいっていなければ値は低いだろう。」

と書かれていました。

しかし研究を進める上で犯罪者の多くは自尊心が高く、彼らの不当な自尊心により暴力を引き起こしてしまうのです。

ですので、子ども達に間違った自尊心を教えてしまうと問題が起きてしまうことに気付いたそうです…。

どうしても自尊心は高い方がいいと思っていた自分がいたので、少し反省しました。

そうは言っても外国人は自尊心が高く、自己アピールをさせると、どんどんアピールするほど自分に自信を持っています。

ただ、日本には「謙遜」という言葉があります。

今週の臥竜塾でも出てきましたが、日本人は「謙虚な姿勢」を持っているので、そこまで自分を出さない傾向があるため、一様に日本人は自尊感情が低いのは何とも言えない部分ですね。

さて本題に移りましょう。

自分の長所、違う言い方をすると「強み」とは何か?と考えた事があると思います。

私も自分の強みは何だろう??と考えます。

以前、臥竜塾のメンバーで火曜日以外で食事をした時に小松崎先生が言いました。

「自分の強みを知ると自信にもなるし、落ち込んだ時にも、すぐに切り替えることが出来ると思うんだよね」

確かに分かります。仕事で失敗して先輩に注意された時や、保育がなかなか上手くいかないとき、自分にとってマイナスな出来事が起きた瞬間に一つでも自分の強みを知っているだけで、知らない人よりか早く切り替える事が出来ると思います。

これはセリグマンのオプティミストと関係があると思います。

自分の強みを知るには、よく自分と一緒にいる人に聞くのが一番かもしれませんが、なかなか、聞きにくい所もあるかと思います。

そこで塾長のブログ、そして私たちのブログにも毎回コメントをして下さっている「もりぐち」さんから自分の強みを知れる方法を聞きました。

詳しく聞くと、もりぐちさんの保育園の園内研修で園長先生が取り入れた研修だそうです。

「ストレングスファインダー」です。

おそらくご存じの方もいるかと思いますが、180ほどの質問に答えることで、自分の強みを教えてくれるものです。

気になる方は詳しくは調べてみるといいかもしれません。

塾長とその情報を聞いて、面白そうだから塾でもやってみようか!という事に。

ちなみにもりぐちさんの診断結果を聞くと、かなり合っているそうなので信憑性は高いかもしれません。

ある意味占いに近い物なので何とも言えませんが、診断結果が合っている、合っていないとは別として、自分を知るという判断材料として取り入れてもいいのかな?と思いました。(報告者 山下祐)

 

 

干し芋作り

秋頃にとある保育園さんからさつまいもをたくさん頂いたのですが、なかなか食べることができずに、職員室の片隅へ置かれていました。近くを通るたびに気にはなりつつも手をつけられずにいました。そしてようやく塾長から「置いておいても悪くなっちゃうから干し芋にしちゃおうよ」という一言があり、先週の金曜日に朝から干し芋作りをしました。

 

朝からという事で私自身は手伝えずというか、その時間に干し芋作りをしている事さえ知りませんでした(笑)なので途中までは聞いた話になってしまうのですが・・・。

最初は山下君が蒸し器でさつまいもを蒸し始めました。蒸している途中で、山下君のお子さんが体調不良になってしまったらしく帰宅してしまいました。お昼をはさみ、その後は蒸しあがったさつまいもはなんと、塾長自らが皮をむき、それを西村君が食べやすい大きさに切っていくという作業をしていたそうです。たくさんの量をやっていたので、そのころには夕方になってしまったのですが、ようやくそこで仕事を終えた私と小松崎君が参戦します!

切ったさつまいもを平ザルに並べていきました。並べながら思い出したのは、小松崎君の実家の茨城県は干し芋が有名で、買ってきてもらったことあったのですがとてもおいしかったのを思い出しつつ、「小さい頃に干し芋作り体験とかしたことある?」と聞いたところ、地元の名産だったとしてもやったことはないということだったので、塾長が「これで実家の保育園に帰った時に子どもたちとできるし、先にやっといたおかげでどこが大変かわかってよかったね」と言っていました。

 

子ども達と一緒にいきなりクッキングをするのではなく、先ずは大人同士でも楽しくやっておけば子ども達とやるときにも慌てないし、楽しさも伝えられるのかなと思いました。また、干し上がるまではやはり時間が必要です。「待つ」ということは人類しかできない行為であるため、その能力を育てるにも大切な時間だなと思いました。

つまり、私たち日本人は元々農耕民族であったため種を撒き、それが育ち収穫し食べられるようになるまでには長い時間が必要です。その間待つという事は自然と「我慢」をしていまし、待つという事は得意だったと思います。

最近では食べ物や欲しいものがすぐに手に入ってしまうため「我慢」するということが減ってきていると思います。例えば子どもが何かを欲しがり、そのものをすぐ与えてしまっていると我慢が出来なくなり、カッとした時に自分を抑えるという事も出来なくなってしまいかねません。確かに蒸し上がった時点で食べる事も出来ますが、子どもたちと一緒に出来あがるまで「待つ」ことは、わくわくできる時間でもあります。

 

今回は子どもたちには見せていませんが、私自身も初めての体験だったので出来上がりが楽しみです。

次回子どもたちとやるときには一緒にわくわくしながら食べる日を待ちたいと思います。(報告者 柿崎)

切った芋を並べて干します

切った芋を並べて干します

自分でやることで納得する

子どもが転んだ時どう対応するか?

これは誰しもが経験したことがある場面だと思います。先日も、1歳児クラスの散歩中に、ある男の子が何にもない所で突然転びました。たまたま私はそれを見ていました。他にも何人か見ていた職員、そして一緒に歩いていた子、手をつないでいた子も見ていたのですが、誰も特に声もかけず、その子の様子を何事もなかったかのように見守りました。すると、その子は転んだまま、しばらく何が起こったのか考え、何事もなかった様に立ち上がり、また歩き出しました。

 

もしここで大人が声をかけていたり、過度な心配をしたりすると、その子は泣きだしていたのかもしれません。ですが、「自分で転んだ」ということ、「いたくないか」などを自分で考えることで、自分で納得することができたのです。

 

こういった「自分で納得する」ということが大切な場面は、日常の中でよく見られます。

 

我が家でも、お風呂に入る時にそんな場面があります。私の娘は、髪を洗われるのが苦手です。まず一緒に体を洗い、次に髪を洗おうとすると、「後がいい!」と湯船に入ります。

しばらく遊んだ後、湯船から出るとそのまま出ようとするのですが、「シャンプーは後がいいって言ったよね」というと、しぶしぶ手を出して、シャンプーでごしごし自分の髪を洗い出します。

その時に、なるべく目に入らず早く終わるようにと、私がシャワーで洗うと「目目いたい!」と必ず泣きます。

ですが、自分でやらせるようにすると、洗い流す時間が長くなったり、どんなに苦しそうな感じになりしても、泣きはせず、ケロッとした顔で洗い流しています。

 

この場面で面白いなと思うのは、転んだ場合と違い、シャワーは自分の方が長く目をつぶる時間、水が顔にかかる時間があるということが、あらかじめ自分でわかっているのにそちらを選びで納得しているということです。

 

その感覚をどう表現していいのかは難しいですが、「自分でやることで納得する」そんな機会はまだまだいろんなところに隠れている気がします。保育をしていると忙しいタイミングもどうしてもあり、大人がやった方が早いと感じがちですが、「子どもたちに自分でやらせてあげる」そんな気持ちの余裕をしっかりと持っていきたいですね。

 

(報告者 西田)

表現の幅

人は、各々様々な趣向で相手に、自分の思いを伝えようと表現していると思います。言葉であったり、顔の表情であったり、沈黙であったり、行動であったり…。その趣向を変えていくことで、表現の幅が広がったり、多様な視点を身につけたりすることもあるかと思います。

ということで今回は、少々考えすぎてしまうところがある私が、子どもたちを見て素直に感じたことを、普段とは違った(肩の力を抜いた)形で表現してみたいと思います。

 

 

『ひととき』

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霜柱に触れた手は冷たくて

遊ぶ意欲を失いかけた時

陽の光に照らされている壁に気がつきました

そこに触れてみれば

凍った手も顔も心も溶かされて

「ねぇ、もっと集めよう!」と…

小さな発見が

大きな喜びに変わる

そんな ひととき

陽と壁と子どもの力に

感謝するのです

 

 

『その前』

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物事が起こるには

必ずその前があります

鬼ごっこの前にも

こんな光景がひそかにあります

追いかけたり 逃げたりするだけが

鬼ごっこではなく

この時間も

鬼ごっこなのだと思います

 

 

『子ども色の眼鏡』

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「みて、シンバルだよ〜!」

そんな時

きみたちの瞳には

子ども色の眼鏡が

かけられているのだと感じます

そうでなければ

いったいこれを

どう見れば

シンバルとするのでしょう

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いつの日か

その眼鏡をかけてみたい

そう思うのが

素直な気持ちです

 

私たちは、子どもから多くのことを学び、多くのことを感じています。大人と子どもに関係なく、一人の人が一人の人に何かを与える。子どもと大人の間に、人としての垣根がないように、それが、人としての捉え方なんだと感じています。そんな思いも、表現していきたいと思います。

(報告者 小松崎高司)

「チョコレートドーナッツ」

塾長は以前雑誌の掲載で映画の評論を一時期書いていました。もちろん子どもに関する映画です。
私たちも過去の塾で塾長が薦める映画を見て解説を聞いた会もありました。
私も映画は好きで、以前はよく見に行ったり借りたりしていました。
また保育園に勤めているせいか、子どもに関する映画が始まると注目するようになりました。
そこで、今回の報告は塾長のように上手く書けませんが、ある映画について書いてみようと思います。
ただ私一人では難しいので今回は小松崎先生とコラボしてみました。
今回は「チョコレートドーナッツ」という映画を見ました。
おそらく見たことがある方もいると思います。
では、見たことがない方にあらすじを…。
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1970年代末期のカリフォルニア。歌手を夢見るショーパブのダンサー・ルディ(男性)は、

検事局のポール(男性)と一目ぼれしてカップルとなりました。
あるとき、ルディの近所に住むダウン症の少年マルコの母親が薬物所持の罪で逮捕されてしまい、
施設送りになるならと、ルディとポールはマルコを引き取って育てることを決意しました。
しかし二人の関係は当時のアメリカでは理解を得られず、
ゲイであることを隠したまま3人で暮らすことになります。マルコも特別支援学校に通うことになり、
3人で幸せな時間を過ごしていました。しかし幸せな時間も一年足らずで終わってしまうのです。
当時のアメリカはどうしてもゲイという事に大きな偏見を持っているせいか、
執拗に二人を追い詰め、二人からマルコを奪ってしまうのです…。
結末は私の口からは言えないので、気になるかたは自分の目で確認していただけたらと思います…。

山下「今は性同一性障害という言葉が周りに周知されているから、例え知り合いや身近な人で、そういう人がいても、そこまで特別視はしなくなったけど、その言葉を知るまでは正直、偏見な目で見ていたかも…。」

小松崎「制作者の意図としては、現実を知ってもらいたかったのですかね。また人間の本性というか、誰にだって秘密はあると思いますが、それを人との出会いによって引き出されるものがありますよね。ルディと出会うことでポールの秘密が打ち明けられたように。」

山「あと一番気になったのが、裁判の内容が子どもの親権でなく、二人の関係を追及する内容ばかりだったシーンがショックだったな…ただその時にルディが「一人の人生ついての話しだぞ!あんたらが気にも留めない人生だ!!」という発言は大切な言葉だったね。」
小「そうですね。ただルディがマルコにどうして、あそこまで思い入れたのか、気になりましたね。」
山「確かにそうだね。映画の中ではマルコが隣に住んでいたのは知っていたそうだけど、実際に関わったことも会ったこともない感じだったもんね。」
小「ファーストコンタクトは音楽の音がうるさく、ルディが文句を言いに行って隣の部屋に入った時に、部屋の片隅で一人座っていたマルコを見たのが、ちゃんと初めて会いましたよね。」
山「そうそう、その時に母親が薬物所持で逮捕されて、家庭局の人が来て何も言わずにマルコを施設に連れていったけど、その夜にマルコが抜け出したところをルディとポールが見つけて、ルディが自分の家に連れていって、自分が面倒を見るって決心した感じだね」
小「しかし、赤の他人をそこまで面倒見ようと思ったのはマルコに何か感じたものがあったんでしょうね。」
山「自分と被ったのかな?」
小「そうかもしれないですね、自分自身、周りと変わっているからこそ、障がい児に対しても偏見な目で見ないのかもしれないですね。あとは家族が欲しかったんじゃないですかね?当時は残念ながらレズを認められないし、もちろん実際に家庭を持つのは難しかったから、どこにである幸せな家庭を持ちたかったのも引き取った理由かもしれませんね」
山「そうかもしれないね。マルコを引き取ったあとは、どこにでもあるような幸せに過ごしていたからね。そして自然と父親役と母親役になっていたね。それを決定づける瞬間が夕食の時に、マルコに『何を食べたい?』と聞いて『ドーナッツ』とマルコが答えると、ルディが『夕食にドーナッツなんて』という発言にポールが『たまにはいいじゃないか』と諭したシーン。あれは完璧に夫婦の会話だね」
小「そうでしたね~。まさにチーム保育ですね!自然と自分の役割というのを理解している感じですね。自分の得意分野を活かすという意味では、ルディは母親のようにマルコに寄り添い、ポールは父親のように少し離れたところから二人を見守っている・・・という絵でしたね」

山「あとは二人(ルディとポール)と暮らしてからのマルコの変化が、一番印象に残ったかも」

小「確かに、そうですね」
山「今まで母親に全くかまってもらえないまま育てられた結果、知能的に遅れていたけど、二人に出会い、何よりも学校に行き集団という中で過ごす事で、マルコ自身の発達は著しかったね。マルコの担任も2人の存在がマルコの成長に大きく影響していると言ってたしね」
小「園長先生の講演でも、新宿せいが保育園でダウン症の園児が集団で過ごす事で、みるみる発達をしていたという実例をよく話していましたよね?」
山「そうそう、おそらく映画ではルディとポールのお陰でマルコの発達が著しく成長したように話しているけど、そうは言っても例えマルコと同じ障がい児でも集団がマルコにも大きく影響していると感じたなぁ・・・」
小「そうですね、言われてみるとそうかもしれませんね。ただそういう視点は普通の人は感じないでしょうね(笑)」
山「そうだね、おそらく藤森先生の話しをよく聞いていると、集団というキーワードに視点がいくね」
小「ちなみに園長先生(藤森先生)が見ると、どういう感想を言われるか気になりますね」
山「確かに・・・どういう視点で捉えるのか・・・今度、臥竜塾で見てみようか・・・」
と言った感じで2人で「チョコレートドーナッツ」の感想を述べてみました。
一番は自分の目と耳で確認していただいた方がいいかもしれません。
マルコがダウン症だから、ルディとポールが同性愛だから可哀想と思って見るのでなく、
劇中でのセリフ「一人の人生についての話しだぞ」とルディが叫んだ言葉の通り、
障がいという偏見を持たずに見ていただくといいかもしれません(報告者 小松崎・山下)

ユビキタス

先日、家族で上野動物園に行った時に面白いものを見つけました。

それは、これです。

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東京ユビキタス計画と書かれたこの看板。

よく見てみると子どもたちが小さな機械を持って、このUcodeと書かれている場所にその機械をかざしています。

 

すると、機械の画面にその動物の写真や説明みることができ、鳴き声までも聞くことができる様でした。よく美術館などで、こういった機械を貸し出しているを見たことがあったのですが、貸し出しをしている窓口に行ってみると、もっと大規模なもののようでした。

 

調べてみると、東京全体で何年前から試験的に導入され、今では銀座や、東京ミッドタウン等と言ったところでも使われているようです。銀座や東京ミッドタウンの場合は、動物園とは違い、大人向けで、商品の説明だったり、野菜の産地、作っている人の情報を知ることができるらしいのですが、これまで生活をしてきて全く気付かなかったので少し驚きでした。

 

この「ユビキタス」(ubiquitousは、元々は英語で「神様が遍在する」という意味だったらしいのですが、ラテン語のUbiqueの「いつでも、どこでも」の意味で最近では使われているようです。また、欧米で神様が「唯一神」なのに対し、日本では「八百万の神」ということもあり、日本的ユビキタスとして、やおよろずプロジェクトとしてたちあげているところもあるそうです。

 

と、ユビキタスについて長々と書いてしまいましたが、私が動物園で感じたのは、「これなのだろうか?」という疑問でした。

 

私が、子どもの頃などは、動物園の看板をわくわくしながらで読んだり、読めない字がある時、親に聞いたり、うまくいけば飼育員さんに聞いたりした記憶があります。

 

もちろん今も看板はあり、ガイドさんによるツアーもあるのですが、機械を持って子どもたちが嬉しそうに走り回り、色んな情報を得る。

確かに手軽で、分かりやすいのですが、すぐに答えを知ることができるというのは科学の発展ともいえるのかもしれませんが、子どもたちの科学発見という意味では少しもったいなさも感じてしまいます。子どもたちの興味をうまく引き出し、それをうまくつなげるのは難しいものですね。

 

(報告者 西田泰幸)

 

 

参照 上野動物園ユビキタス http://www.tokyo-zoo.net/zoo/ueno/uc/index.html

ユビキタスシステム http://ts.uctec.com/uctec/jp/system/s_01.php

夫婦の形

まずはじめに、先週と今週の塾は塾長が出張だったため、できませんでした。
来週は予定通り行いますので、よろしくお願いします。
先日、職場の後輩(女性)の結婚式に出席させていただきました。 とても素敵な結婚披露宴で、とても感動しました・・・。

さて職場の結婚式となると、主賓の挨拶はもちろん塾長です。 よく塾長はスピーチだと緊張するから、講演だと思って話します。 と言われますが、やはりたくさん講演している塾長でも緊張するのですね・・・。

今回も塾長はどのように挨拶するのかとても気になりながら聞いていました。

新郎の職業はプロのスポーツ選手で、 出席者も誰もが知っているような有名な方がちらほらいて、 そういう意味でも雰囲気はすごかったです。

先に新郎が所属しているチームの監督がスピーチをされましたが、 『食』についての重要性を二人に伝えました。 やはりスポーツ選手にとって「食事」というのはとても重要なことで、 身体がしっかり整っていないと100%の力を発揮できないからですね。

それに続いて塾長の挨拶ですが、 まずは企業のチームについて話されました。 おそらくこれは、臥竜塾ブログにも詳しく書かれていますし、 講演の中でも話されているので、ご存知かと思います。

ドラッガーは企業のチームを3つに分けられると言います。 「野球型」「サッカー型」「テニスのダブルス型」です。

野球型というのは各自のポジションが決まっていて、ほぼ自分の役割だけを全うする。 サッカー型というのは各自のポジションは概ね決まっているが、自分の役割を越えて、 仲間の分までフォローする。 これからの企業は「サッカー型」のチームにならなければいけないという話です。

そしてテニスのダブルス型は少人数のチームで、長い時間かけて訓練、そして働く必要がある。
と言っています。 詳しくは↓

http://www.caguya.co.jp/blog_hoiku/archives/2011/04/post_1922.html

 
 
そこで塾長は
「夫婦というのはテニスのダブルス型のチームワークをする必要です。
どちらからが前衛で前に出た時に、自分が打ち返せないボールが来た時に後ろの後衛が必ず取ってくれるという信頼感、
そしてお互いに足りない部分を補い合ってこそ、よいチームワークが発揮できます。その良いチームワークを作るには長い時間をかける必要があります・・・」
と言われました。
これを聞いて、同じ席に座っていた職員全員が納得していました。
夫婦になっていつも円満な訳はないと思います。
時にはケンカをしてしまう時があります。
お互いに様々な経験を長い時間かけて積むことで、初めて夫婦円満になるのかな?
と思いました。
それとは反対に乾杯の挨拶を新郎側の上司がされましたが、
夫婦円満の秘訣を話されていました。
一つ目は「家に長くいない」
二つ目は「ケンカが起きたら勝とうとしない、引き分けに持ち込む」
三つ目は「10あるうち一つでも誉めたら旦那は調子に乗る」
という秘訣です(笑)
全てはありませんが、何となく分かります・・・特に二つ目。(報告者 山下祐)

地理好き

毎日、誰かしらブログを更新するようにしています。
塾生は全員で7人いるので、ちょうど一人一週間に一回書けばいいのですが、
それでもネタを探すのに必死です。しかも塾長は毎日一人であれだけの量を書いています・・・。
よくブログでも色々なところにアンテナを張り巡らせる事が大切と自分でも言っていますが、
おそらく「つもり」で終わっているのかもしれません・・・。
もっと知りたい!学びたい!という意欲が足りませんね。
さて今回の帰省で東京に戻る際にいつもは電車を使っていますが、
今回は切符が取れなかった関係で飛行機を使いました。
出張を行かなくなってから飛行機に乗る機会はめっきり減り、かなり久しぶりの飛行機でした。
ですので、なんだか新鮮な気持ちで搭乗しました。
飛行機に乗った方は分かると思いますが、座席ポケットに通販と機内誌などが入っていると思います。
いつもは、普通に読んでいるだけですが、今回は久しぶりと言う事もあり、じっくり読みました。
後半のページには機内ラジオのチャンネル案内、あとは航路系図などが載っています。
今回はいつも素通りのページの航路系図に目が留まりました。
と言うのも座席が窓側で外の風景が見えたので、今どこを飛んでいるのか気になりました。
あと私は昔から地理好きというのもあるかもしれません。
まず富山空港を富山湾に向けて離陸し、そのまま右へ旋回しながら上昇しました。
そして雲の上に出たので、詳しくは分かりませんが、おそらく新潟の上空を飛んで、
そのまま茨城の方まで南下しました。
そして下降し雲を抜けたら茨城独特の曲線の鹿島湾が長く続いているので、
どこを飛んでいるかすぐに分かりました。
そして霞ヶ浦の上を通過し、千葉の九十九里浜を左手に、
鴨川付近で右に旋回し、東京湾に突入・・・。
そのまま着陸態勢に入り、羽田空港に着陸しました。
詳しくは下の地図の赤線を見て下さい。
1421105308722
地理の授業で「リアス式海岸」って言葉を聞いたことがあると思います。
これはご存知の通り、岩手県のように地図で見るとギザギザした海岸線が続いている地形の事を指します。
言葉で理解していても、やはり実際に見るのとでは理解度が全く違うと思います。
数年前にドイツ研修に行った際に、成田空港を離陸し、そのままロシアの方まで飛び、
ロシア上空を飛んだ時に雲の切れ間から、ロシアの大地を見ました。
地図で見た通り、一面真っ白の大地が続き、感動しました。
そして北極上空を通過しヨーロッパの方まで飛び、
スカンディナビア半島を通過した際にノルウェーの「フィヨルド」を見た時もとても感動しました。
簡単に説明すると、氷河によって削られた大地の事を「フィヨルド」と呼びます。
リアス式海岸のように地図で見るとギザギザした形が特徴です。
ちなみにリアス式海岸は谷が沈降して出来た物です・・・。
子ども達が公園や森に散歩に行き、色々な虫や花、植物を発見し
保育園に戻ってから図鑑などで調べて同じものを見つけた時は、とてもいい表情をします。
そして、それが大きな学びに繋がります。
塾長の講演やブログでも、乳幼児期には「体験」がとても重要と言われているように、
大人になっても「体験」すること、そして自ら色々な事に興味を持ち「行動」する。
ずっと忘れてはいけませんね。(報告者 山下祐)