もっと大きなはずの自分を探す 終わりなき旅

〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事について、報告します。

黄緑色の服の子は腕を組んで、悩ましい表情です。

黄緑色の服の子は腕を組んで、悩ましい表情です。

この写真、一見3人の男の子達(3人ともすいすい組(5歳児クラス))が青い服の男の子(わいわい組(3歳児クラス)以下〝青くん〟)を問い詰めている写真のようにも見えますが(笑)

実はそうではありません。引きで撮ると、右下にもう一人。

実はそうではありません。引きで撮ると、右下にもう一人。

ふてくされた様子で寝転んでいる青いボーダーの服の子はわいわい組(3歳児クラス以下〝ボーダーくん〟)の男の子。実は、泣いている青くんと口論になり、その仲裁にすいすい組(5歳児クラス)の子達が集まってきてくれた場面です。

この写真に至るまでに、ストーリーがあります。

青くんとボーダーくんはいつも仲良しの二人組。ブロックゾーンで二人で家をつくって遊んでいたところ、青くんの思うようにボーダーくんがブロックを組み立ててくれなかった為に、青くんが怒って泣き出してしまいました。

二人のこのようなやりとりはある意味では日常茶飯事(?笑)のようなもので、傍で見守っていました。この日は上手く二人で解決に至らない様子で、青くんの主張は理解できた為に、ではボーダーくんの気持ちは?と聞いてみることに。

ボーダーくんとしては「青くんはブロックが壊れる度に僕のせいにする。一緒に遊びたいけど、僕のせいにするからそれは嫌だ。」とのこと。

その旨を青くんに伝えてみました。ですが、話の途中で「嫌だ、もう遊びたくない。」となり、最後まで聞いてくれません。

その様子を通りがかりに見て、「どうしたの?」と来てくれたのが、最初の写真で腕を組む黄緑色の男の子(すいすい組(5歳児クラス)以下〝黄緑くん〟)でした。

そこで、黄緑くんに事のあらましを伝え、二人の仲裁に入ってほしいことを要請。承諾してくれ、青くんに話しかけに行ってくれました。

最初の内は僕が話しかけていた時と同じ反応を見せていた青くんですが、

その様子を見て1人、また1人と輪の中に増えるにつれ、態度が変わっていきました。

その様子を見て1人、また1人と輪の中に増えるにつれ、態度が変わっていきました。

 「ボーダーくんが遊んでくれない。ボーダーくんなんてもう嫌い。」と言っていた青くんでしたが、黄緑くんに「どうしたの?」「なんで?」と問われる内に、「だって…」と言葉に詰まるようになっていきました。

そして、次の瞬間、その輪を抜け、スタスタと歩いて行ってしまいました。

その様子を、少し横で見つめていたボーダーくんが追います。そして、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達は、その後を追いません。もう役割を終えたことを本能的に察知したかのようです。

『臥竜塾』ブログ2016年3月21日『ホットからクール』の中には、こうも書かれています。

〝マシュマロ実験で、うまく先延ばしが出来る子どもは、魅力的なお菓子とベルから戦略的に気をそらす方法を思いつきました。それは、彼らが、様々な方法を使って自らを冷却することに成功したのです。彼らは、また、誘惑するもののクールで抽象的で、情報を提供してくれる側面に意識を集中し、想像力を働かせ、ホットな特徴を避けたり、変えたりして冷却しました。お菓子を手に入れるために待つのに、彼らが使った多種多様な認知的スキルは、ずっと後年、友だちと映画に出かける代わりにハイスクールの試験のために勉強したり、人生で彼らを待ち受けるほかの無数の待ったなしの誘惑に逆らったりするのに必要とされるスキルのプロトタイプであるとミシェルは考えています。

ここで、私は少し疑問を持ちます。多分それは、ミシェルによって、考察を進める中で解明されることでしょうが、現時点ではその説明に、実際の子どもたちを見ていて「そうかな?」と思うところがあります。それは、ホットな情動をクールにする方法として、気をそらすことが中心に語られていますが、コメントにもありましたが、私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。(中略)

もし、マシュマロ実験の時に、部屋に同年齢の複数の子どもたちを残して立ち去ったときに、どのように子ども同士が影響し合って欲求を先延ばすかを知りたい気がします。また、もし、異年齢の子どもたちが部屋にいたときには、どのような行動を起こすかを知りたい気もします。これは、園で実験が出来るかもしれませんね。もしかしたら、友だちの存在が、気をそらす対象になるのかもしれませんし、励まし合うのかもしれませんし、競い合うこともあるかもしれません。一人の子どもの観察から得る結果よりも、より複雑な条件が絡み合うことでしょう。しかし、現実の社会では、きっとその方が多くの場面で起きることのような気がするのです。〟

二言三言、言葉を交わした青くんとボーダーくん。その声は聞き取れませんでしたが、互いに慰め合っているように見えました。

その数分後、

またブロックゾーンで楽しそうに遊び始める二人。

またブロックゾーンで楽しそうに遊び始める二人。

〝私たち集団で子どもたちを保育している現場として、クールダウンするために、他の子どもの存在、子ども集団の力が影響することが大きいような気がします。〟

最初に青くんに声をかけた時、今日に至るまでに築かれた大人との信頼関係がこの場面においては良い影響とならず、気持ちを切り替えるきっかけというよりも、むしろ助長させてしまったようにも思えます。ところが、すいすい組(5歳児クラス)の男の子達が介入してくれてからの青くんの態度というのは、藤森先生のブログに書かれていた通りのものではないでしょうか。

〝友だちの存在が、気をそらす対象になる〟

集団の持つ力。子ども集団の中で育まれていくものを垣間見たようなこの度の出来事でした。

(報告者 加藤恭平)

憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〜躓いたり転んだりしながらヒーローになっていく君達へ〜 EPISODE 3

ほうきを手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。

山下先生「とりあえず自由にやってみようか。」

山下先生「とりあえず自由にやってみようか。」

 

なんとなく今までに見てきたすいすい組(5歳児クラス)の動きを見よう見まねでやってみているような感じに思えました。

なんとなく今までに見てきたすいすい組(5歳児クラス)の動きを見よう見まねでやってみているような感じに思えました。

 

ほうきの順番を待ちながら、その場を見守る子ども達。

ほうきの順番を待ちながら、その場を見守る子ども達。

 早めにお迎えに来られた保護者の方の姿も見られますね。こういう形で日々の保育を見ていただけることも、とても大切なことだと思います。

山下先生「じゃちょっと交代してみよう。」

「はいどーぞ。」交代も思った以上にスムーズ!

「はいどーぞ。」交代も思った以上にスムーズ!

何か特別な意識がらんらん組(4歳児クラス)の子ども達に芽生えつつあるようです。

ここで山下先生からの抜擢を受け、

ちりとりと小ぼうきの担当に。

ちりとりと小ぼうきの担当に。

 

熱心にやっていました。

熱心にやっていました。

 

食器を片付けることも忘れてその姿に見入るわいわい組(3歳児クラス)の子ども達(笑)

食器を片付けることも忘れてその姿に見入るわいわい組(3歳児クラス)の子ども達(笑)

小さな伝承が、こんな場面の積み重ねの中にあるのかもしれません。

協力して、とても上手に集めていました。

協力して、とても上手に集めていました。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年9月20日『育児の見直し』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝日本では、乳児において特定な人をひとりの個人と読み替えて、いつも同じ人と接することが落ち着くとか、同じ年齢で過ごすことが落ち着くとか思っている保育関係者が多いのですが、それは、本当の意味で情緒が安定しているわけではなく、刺激をあまり与えないことで落ち着いているように思えるだけだと早く気がついてほしいと思います。ジャレド氏ら人類学者たちが、小規模社会を観察してみて、彼らが情緒的に安定しているのは、人と会話して過ごす時間が、私たちよりもはるかに多いということも理由の一つであるといいます。

 私たちは、直接人と会話をするよりも、書籍などといった、外部から提供され、受け身で享受する形の娯楽で消費される時間が多いのです。さらに、ジャレド氏ら子育てについて、このように観察しています。「小規模社会では、は子どもたちが、幼いころから社会性を身につけていることは驚きに値する。彼らの性質や性格や人間性に感服し、自分の子どもにもそれを身につけさせたいものだと願う人は、現代社会にも多い。しかし、その実、われわれの言動がひいては子どもの成長発達の阻害につながっている。(中略)

育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟

「自由にやってみよう。」数少ない言葉がけでこれだけのことができるに至ったそのプロセスの中に、大人からのほうきやちりとりの使い方の指導があったかと言えば、なかったとは言えないでしょう。ただ、一つ言えるのは、日中の活動の中に例えば一斉活動のような時間を設け、子ども達に受け身となる体制を整えた上でほうき、ちりとりの指導をしたことは一度もありません。

わいわい組(3歳児クラス)の子ども達が手を止めてらんらん組(4歳児クラス)のやっていることに見入っているあの姿のように、きっとらんらん組(4歳児クラス)の子ども達もまた、すいすい組(5歳児クラス)の子ども達の姿を見て、自発的に学び取っていったものと思います。

〝育児は、学問で学ぶことではなく、経験からよいものが伝承され、残っていくものであると私は思っています。〟

本当にそうだと思いました。

さて箒を終えた子ども達。いよいよお待ちかねの、あの時間です!

(報告者 加藤恭平)

 

憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〜躓いたり転んだりしながらヒーローになっていく君達へ〜 EPISODE 2

給食が終わると、おもむろにらんらん組(4歳児クラス)の子ども達が動き始めました。

山下先生「やりたい子だけでいいからね。」その都度声をかけられていましたが、全員参加の様子です。

山下先生「やりたい子だけでいいからね。」その都度声をかけられていましたが、全員参加の様子です。

「わいわい組(3歳児クラス)は早く上(午睡部屋)に行って!」とらんらん組(4歳児クラス)の女の子が言います。言葉の端々から気合い(?笑)が入っていることを感じます。

協力しながら。

協力しながら。

 

2つ、3つと椅子を重ねて持とうとする辺り、好奇心と興奮と、半々といったところでしょうか。

2つ、3つと椅子を重ねて持とうとする辺り、好奇心と興奮と、半々といったところでしょうか。

「あんまり無理はしないように。」その都度丁寧に声をかける山下先生です。

いつもは子ども達(すいすい組(5歳児クラス))だけでやるテーブルにも、すっと入り、安全に行えるよう配慮します。

いつもは子ども達(すいすい組(5歳児クラス))だけでやるテーブルにも、すっと入り、安全に行えるよう配慮します。

 

 次は〝ほうき〟。

次は〝ほうき〟。

一連の流れを知っている子がいますね。次に何をするのかがわかる為、こうして自分のものを確保しようと先手を打とうとします(笑)

山下先生「ほうきを持ってない人—?」

山下先生「ほうきを持ってない人—?」

 

子ども達「はーい…。」

子ども達「はーい…。」

 

山下先生「さて、どうしたらいいでしょうか。」

山下先生「さて、どうしたらいいでしょうか。」

 

子ども達「終わったら貸す。」「順番に使う。」

子ども達「終わったら貸す。」「順番に使う。」

 山下先生「正解です。それともう一つ、椅子を運ぶ時もそうだったけど、これからほうき、雑巾と取り掛かる上で大切なことがあります。わかる人?」

「ケンカをしない」「仲良くやる」

どれも正解のような答えに頷きつつ、山下先生が口を開きます。

「あちらをご覧下さい。」

「あちらをご覧下さい。」

 

「にこにこ組(2歳児クラス)さんがもう寝ています。」

「にこにこ組(2歳児クラス)さんがもう寝ています。

 「楽しいのはわかる。そして、近くで寝ている子達がいることをわかって、静かにやれるようになろうね。」

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2015年3月5日『他人を察する』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝「対人知性」と呼ばれる知性が、生きていくうえで最も大切だと言われています。この能力は、他人との関係性を築く力ですが、いわゆるコミュニケーション能力と言われるような、人と人とが言語によって会話をするとか、自分の考えをきちんと主張するという力ではなく、他人を理解する能力をいいます。(中略)

対人知性の本質は、「他人の気分、気質、動機、欲求を選別し、それに適切に対応する能力」と言われており、言葉によらない他人とのコミュニケーションであるともいえます。どうしても、言葉が話せるようになると、言葉で表現したもの、文字で表現したものから他人を理解しようとします。しかし、相手に対しての対応は、言葉では表さない心を理解する必要があるのです。〟

子ども達はこんな風にして、思いやりを学んでいくのですね。

さて、箒を手にした子ども達。この後どんな展開が待っているのでしょうか。

(報告者 加藤恭平)

会話の質

最近、保育園における「騒音」が問題になっています。子どもの声がうるさいから保育園を建設しないでほしいという住民の声が…などの問題が報道されますが、本当に保育園はうるさい施設なのでしょうか。イメージとして「保育園はうるさい」と刷り込まれているということもあるのかもしれません。
しかし、子どもの声がうるさい保育園が存在するのも確かなのもしれませんね。それはその施設で行われている保育に問題があるのではないか、日本は子どものテンションを上げることばかりに意識があるために騒がしい保育園になってしまっているのではないかと以前、塾長が言われていました。
では逆に静かに、テンションを上げずに遊んでいるというのはどういう状況なのでしょうか。そのヒントは「会話の質」にあるのではないかと塾長は言われます。子どもたち同士が関わり、提案や受け入れを繰り返していれば大きな声にはならないのかもしれません。

そこで、園での子どもたちがどんな会話をしているのか調べてみることにしました。
短い時間ではあったのですが、今回はブロックゾーンでの子どもたちの会話を聞いてみることにしました。
まず「さあ聞いてみよう」と思いブロックゾーンにやってきたのですが、子どもたちの会話が聞こえないのです笑
あんまり接近しても不自然かなと思ったのですが、もう振り向くと私がそこにいるくらいまで接近してやっと聞こえるような声でした。この時点で、子どもたちがテンションを上げて大きな声で話しをしていないということを感じることができました。
次に、感じたのが、4つほどの島に子どもたちが分かれてブロック遊びをしていました。1つの島に2〜3人という人数でした。
それぞれの島では、動物園作り、列車を含めた街つくりなどが行われていたのですが、そこで行われていた会話の一部を紹介します。

「これいる?」

と男の子が動物園つくりをしている女の子2人組の所にブロックを持ってきました。男の子としては遊びの中に入りので、そういったアプローチをしたという感じでした。
そんな男の子の提案に1人の女の子が反応します。

「どれ?」

と言って、一瞬、男の子のブロックを見た女の子は続けて、

「いらない」

と一言。
無念にも女の子に男の提案は受け入れてもらえませんでした。
しかし、男の子は諦めません。
すぐさま。

「お届けもので〜す」

と言って、また違うブロックを持ってやってきました。
なんとか遊びの中に入ろうとしていました。
しかし、変わらず、女の子は…

「いりません」

ここで、男の子はアプローチの変えます。
「サンタクロースさんからですよ〜」と相手が気をひくような言い方に。

それを受けて、女の子は、

「サンタクロースさんにいらないって言ってください」

どうやっても男の子は遊びの中に入れません。
しかし、男の子も諦めません。

「おかしやエンピツはいりませんか?」

ブロックをおかしや鉛筆に見立て、遊びの中に入ろうと試みました。
それを受けて女の子が返した言葉は…

「動物園にはいりません」

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ついに男の子は諦めて、女の子たちの遊びの中に入ることはやめていました。
しかし、男の子はその事に対して落ち込むということはなく、まして、女の子も意地悪だから入れてあげないということではなく、こういったことは、子どもたちの中ではよくある関わりだと思います。

私がブロックゾーンで子どもたちの様子を見ていたのはほんの5分ほどでした。
その中での一部のやりとりなので、まだまだ参考にはならないかもしれませんが、
このような会話を子どもたちが繰り広げていました。
今回は「提案とお断り」という感じの会話といえばいいのでしょうか。
こういった会話をしている子どもたちというのは決して大きな声をあげてはいませんでした。
本当に囁くように声を出しています。それは目の前にいる相手に伝わればいいからなのかもしれません。逆に近くにいる相手に話しかけるような遊びをしていれば大きな声を出す必要はないのかもしれません。人数が増えればその分の子に伝えなければいけないので、多少声は大きくなるかもしれませんが、それでも伝えたい相手ははっきりしています。ですので、部屋中に聞こえるような大きな声を出す必要はなくなりそうです。

「会話の質」ということに注目したことがなかったので、こういった見方で保育をみることもできるんだ!と新しい視点を塾長に教えていただきました!

もう少し保育園での子どもたちの会話を丁寧に調べてみたいと思います。

報告者 森口達也

憧れになろうだなんて大それた気持ちはない〜躓いたり転んだりしながらヒーローになっていく君達へ〜 EPISODE 1

一ヶ月程前のある日。

打ち合わせをしているのはすいすい組(5歳児クラス)の子ども達です。

打ち合わせをしているのはすいすい組(5歳児クラス)の子ども達です。

この日は予てより楽しみにしてきた〝芋掘り〟の日!西武鉄道特急レッドアローに乗って〝埼玉いるま保育園〟を目指します。

ということは、、いよいよ彼らがデビューする日ですね!

臥竜塾生が更新しています当ブログ『生臥竜塾』2015年10月31日『伝承』というタイトルで塾頭山下祐先生が報告して下さっています。 (太字をクリックするとこの回の全文を読むことができます。)

〝先日、年長さんがお芋堀に行ってきたので保育園に残ったのはもちろん年中さんと年少さんです。朝のお当番活動の一貫で職員室と調理室にお休みを伝えにいくお仕事がありますが、今日に限っては年中さんが気合い入っていたようにも感じます。やはり年長さんがいない分、自分達がしっかりやろう!という気持ちが子どもなりにあるのでしょうね。〟

芋掘りへ向かおうとするすいすい組(5歳児クラス)の子ども達の一年前、らんらん組(4歳児クラス)だった頃に書かれたこのブログ。すいすい組(5歳児クラス)のいないこの日をきっかけに、らんらん組(4歳児クラス)の子ども達は憧れの〝雑巾掛け〟に取り組むのです。

すいすい組(5歳児クラス)という〝憧れ〟、ヒーローへの道のりを今まさに歩まんとするらんらん組(4歳児クラス)の子ども達。そんな彼らへそっと手を差し伸べるような温かな光景に、気付けばシャッターを切り続けていました。

(報告者 加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE ittanFINAL

 

もちろん散歩にも行きます。

もちろん散歩にも行きます。

 

散歩先でも髪をとかしたり。

散歩先でも髪をとかしたり。

給食の時間も、

もちろん子ども達と。

もちろん子ども達と。

 

中身は入っていませんが(笑)

中身は入っていませんが(笑)

子ども達から、「まりあちゃんの給食は?」と聞かれ、子ども達が余った食器で用意をしていました。食器がない時は、「せめて…」という感じでしょうか、お茶の入ったコップが置かれている光景をよく目にします(笑)

本物の給食が入っていないことを誰かが尋ねると、

「だってお人形だもん、食べられないでしょ?」

とのことで(笑)その辺りの線引きは子ども達もよく分かっているようです。

もちろんお昼寝もします。

と言うより気付くとこうしてお休みの子の布団に横になっているという感じです(笑)

と言うより気付くとこうしてお休みの子の布団に横になっているという感じです(笑)

 

まりあちゃんも。

まりあちゃんも。

 

気にかけてくれる子がいるからなのですね。

気にかけてくれる子がいるからなのですね。

 

寝かしつけようとして、一緒に眠ってしまいました。

寝かしつけようとして、一緒に眠ってしまいました。

最後の写真の子は普段中々寝付かない子なのですが、この日はぐっすり眠っているようでした。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2007年2月26日『ひいな』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝人形遊びとか、ままごと遊びは、女子が、家事の所作を学んでいるといわれてますが、他にも、子どもにとって、癒し的効果のある遊びだったのかもしれませんね。だから、いつの時代でも、ままごとは子どもに人気のある遊びのひとつですし、最近は、男子も喜んで遊んでいます。きっと、癒されるのでしょうね。〟

これはひな祭り、雛人形についての考察のブログですが、この度の子ども達の姿ととても重なるものがあると思いました。子ども達はこのまりあちゃんとあんなちゃんにきっと癒されているのだろうと思います。

これからも一緒に楽しく生活をしていきたいと思います。素敵な場面に出会う度、これからもちょくちょく報告していきたいと思います。

(報告者 加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 2

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月31日『人形考2』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

子どもが遊ぶ人形と言えば、世界では、「ヴァルドルフ人形」が有名です。この人形には、目鼻がありません。他人の表情は、目鼻、特に目やまゆ毛、口などで表します。しかし、この人形は基本的に目鼻をつけないのは、表情をつけないためです。目鼻をつけるときは、色鉛筆でうすーく小さく描くだけで、やはり表情はあまりつけないようにします。なぜ表情をつけないかというと、その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるようにということからです。これは、シュタイナーの教育理論に基づいて作られているのです。

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また、『臥竜塾』ブログ2013年6月1日『人形考3』の中ではこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝「ヴァルドルフ人形」には、目鼻がついていません。ついているとしても簡単な点がついているだけで、表情がわかりません。それは、「その人形で遊ぶときの子どものその時の気持ちを受け止められるように」ということからです。かつて、子どもたちは、自然物を使って遊んでいた時の人形にも目鼻がついていません。葉を使ったり、麦わらを使ったり、どんぐり、松ぼっくりなどを使って人形遊びをするときにも表情を表わすような目鼻はついていません。人形に目鼻をつけること、表情をつけることはどう考えればいいのでしょうか?

たとえば、子どもが人形を使って遊んでいる場面を考えてみます。人形を赤ん坊に見立てて、お母さんのやるようなことをするとします。お腹がすくとミルクを与えます。おむつが汚れていると替えてあげます。一緒に散歩に行き、一緒に遊びます。その時の赤ちゃんは、場面によって様々な表情をするでしょうし、母親はその表情から赤ちゃんの要求を判断し、対応します。したがって、その時に遊ぶ人形には、いつも笑っている表情だけでは不自然になります。どのような表情にも見える程度の表情の方がいいかもしれません。しかし、だからと言って、目鼻がないといいのかというと、それは少し違うような気がします。(中略)

 もし、目鼻をつけないことで、それを見る子どもの創造力をつけるという役割があるとします。本の読み聞かせをするときに、子どもたちは挿絵を見たがりますし、紙芝居のような話に沿った絵を見たがります。それは、かつてラジオを聴きながらその世界を創造してワクワクしていた時代から、テレビによってその姿が映され、そのものが限定されてしまっています。ですから、子どもたちは、話だけ、言葉、文字からだけでは不安になるようです。そのため、今の子どもたちに目鼻がない人形を見せると、「変なの!」と言って、創造するよりも不自然さを指摘するのです。それは、自然物を見立てて遊ぶよりも、より本物に近いミニチュアで遊ぶことが多くなった弊害の気はします。もっと、子どもたちの想像力を広げるようなおもちゃが多くなってほしい気がします。

次に、人形によって自分の気持ちを移入する場合です。「ヴァルドルフ人形」の役割はそれを意識しています。子どもの自分の気持ちを人形が受け止めてくれるのです。しかし、その時にも私は考え方が二通りある気がします。例えば、悲しい気持ちの時に、その気持ちに共感してもらうことで癒されるか、悲しい気持ちの時に逆に楽しい気持ちになるようにはげまされることによって癒されるかです。私は、人形に共感を求めるよりも、励まされる役割の方がいいと思います。というのは、疲れてしまった母親は、赤ちゃんの笑顔を見ることによって、癒され、ホッとするからです。共感され癒されるのは、親とか大人から共感された時だからです。辛くても、悲しくても、苦しくても、いつも純粋無垢な笑顔を見せてくれる子どもの姿には癒されます。そういう意味では、いつも無邪気に笑っている人形でもいいかもしれません。〟

改めて見てみると、とても可愛らしい笑顔をしていることがわかります。

藤森先生のブログを読んで、改めて見てみると、とても可愛らしい笑顔をしていることが頷けます。

さらに、この人形の〝つくり〟として、

  • アイコンタクトを目的としていて、抱くと自然と目が合う。
  • 抱いて見つめるとこっちを見つめているような感じがする。

「対人知性を育む上では目を合わせることも必要では。」と藤森先生は仰っていました。この可愛げのある目線は、対人知性へと繋がっていくのですね。

そんなことを裏付けるような、EPISODE 1で報告した朝の会の続きの出来事です。

近くにいた男の子に、試しに抱っこをしてもらいました。

近くにいた男の子に、試しに抱っこをしてもらいました。

 

「目を見てごらん。」小松崎先生に促され、目を合わせてみます。

「目を見てごらん。」小松崎先生に促され、目を合わせてみます。

 

恥ずかしさからでしょうか(笑)すぐに目を逸らしてしまった男の子です。

恥ずかしさからでしょうか(笑)すぐに目を逸らしてしまった男の子です。

 可愛いですね。この日から、まりあちゃんとあんなちゃんは皆の仲間入りです。

次回、この新しいお友達との新しい生活風景をお伝えします。

(写真提供:わいらんすい(3・4・5歳児クラス)組の先生方 報告者:加藤恭平)

瞳そらさないで 色付く秋のトキメキの中で EPISODE 1

突然ですが、新入園児を紹介します。

 

アンナちゃんと、

アンナちゃんと、

 

わかりますか?

わかりますか?

 

マリアちゃんです。

マリアちゃんです。

 

スウェーデンから来ました。

二人はスウェーデンから来ました。

 

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

ちゃんとお当番の写真も(すごい白くしてしまってすいません笑)

 

ありますよ。

クラスの先生が用意してくれました。

 

おちゃらけているわけではなく(笑)とても真面目にこの新入園児をクラスの仲間として迎え入れています。

藤森先生からこのようなお話をいただきました。

  • 人形をつかった保育は、スウェーデン、オランダなどヨーロッパでは主流である。
  • グローバル化、全ての人類への共通理解としても意味がある。
  • 高齢者や障がいをもった子にもとても意味がある。

素晴らしいですね。〝転園してきたクラスメイト〟というイメージで人形を導入されているということで、その方法を模範しています。

12年目に入られました藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2013年5月30日『人形考1』の中にはこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)

〝民俗学者であった宮本さんは、「子供の世界」という著作の中で、そのころの子どもの姿を描いています。その章の中に、柳田さんと同様「オモチャ」について書いてあります。まず、おもちゃについて、「子供の成長にともなって、耳からだけでなく、目や動作を通じての教育がなわれる。その中で重要な役割をはたしていたものは、オモチャである。オモチャはモチアソビということばに敬語のオがつき、語尾が省略されてできたことばである。(中略)」

 この説明は、柳田さんと同じですが、その語源を説明するところから、おもちゃは、もともと「子どもが持って遊ぶもの」という機能があり、その内容を大きく二つに分けています。一つは、例えばおひなさまのように、大人の用具のミニチュアで遊ぶことで、大人になるための準備をしているというものと、「子供たちだけの遊び」というのは、子どもが自ら作り出し、それは、その時期の子どもに興味があるもの、その役目として、その時期の発達を促すものであるのではないかと思います。

 宮本さんは、そのなりたちから最近のおもちゃへの経緯を説明しています。「その初めのモチアソビは、きわめて素朴なもので親たちが作って与えたもののほかに、子供たち自身で作った者も少なくなかった。」そもそもオモチャは、身の回りのものから工夫して作られたものでした。しかし、当時でもこのような変化が起きます。

「ちかごろ都会の玩具店や、土産店にたくさんならべられて、人気のあるコケシは、もともと東北地方の木地師たちがつくって温泉地の土産として売ったものである。木地師たちは椀や盆をつくるのがその主業であったが、そのあまった木屑で、人形をつくったのである。コケシというのは、木屑を意味する言葉のようであり、西日本では、木屑をコケラとよんでいる。木屑で人形を作ることは東北だけでなく、西日本にもあった。つまりロクロをつかって木地ものをつくるところでは、そうした人形を子供たちのためにつくる風があったのであろう。その人形をオボコともネブリコともいっている。」

そういえば、私の子どものころは、旅行に行ってのお土産に「こけし」が多く、家には、日本各地の大小様々なこけしがケースの中に所狭しと並べられていました。そして、その形、顔が少しずつ違っていました。今でも、子どもたちは、こけしではありませんが、人形を持って遊ぶことが多いようです。子どもが人形を持って遊ぶというのは、世界共通なのでしょうか、ドイツでも人気です。

日本における人形の発祥は、やはり宗教上からのようです。「もともと人形は神の依代としてつくられたり、人間の災厄をはらうときに用いる。形代としてつくられたのが起源であろうが、こういうものが子供のモチアソビになっていった歴史はきわめて古いと思われ、ヒイナ遊びのごときは、平安時代以来の文献にしばしば見えるところであ(中略)〟る。

人形の歴史が日本でもとても古いものであることがわかると同時に、日本の文化に根付いたものであることも伺えます。

だからでしょうか。子ども達の反応もとてもいいのです。

次回、子ども達の可愛らしい反応と合わせて報告します。

(報告者 加藤恭平)

寝ても大宮覚めても大宮やっぱり大宮3

サッカーの話題ばかり書いてきましたが、ここでリンクしたのが、塾長の話です。新宿せいが保育園の副園長先生主催の勉強会が先日開催されました。テーマは「リーダー論」です。参加者のほとんどが、保育園のリーダー、つまり、園長先生・副園長先生ばかりです。そこで、ある先生から、塾長に相談がありました。それは、その保育園の職員が辞めたいと言ってきて、辞めて何するの?と聞くと、フラワーアレンジメントをやりたいと言ってきたそうです。その先生は、辞めるのはもったいないなと言うけど、無理して引き止めるのも…ということで、悩んで、塾長に相談に来たということでした。塾長のアドバイスは、2つあったそうです。1つ目は、辞めてやりたいことが明確ならば、それを応援し、気持ち良く送り出すことが大切。2つ目は、辞めても気軽に遊びに来れるような辞め方をするように。ということでした。さらに、辞める勇気も大切だが、戻ってくる勇気もときには必要という話もしてもらったそうです。勉強会の午後のディスカッションの時間にもその話題になったのですが、もし、フラワーアレンジメントのようにやりたいことを見つけて辞めることは、勿体無いことだろうけど、その人にとってはいいことだと思います。それで、フラワーアレンジメントを身につけて保育園に帰ってくるようなことがあれば、その職員はいい武器を身につけて帰ってきたことになるため、保育園としてもいいことですね。つまり、快く送り出せるリーダーと、帰ってきても快く受け止めるリーダーになりなさいということを塾長はおっしゃっているのだと思います。(もちろん、辞め方にもよりますが…)

話を戻して、鳥栖戦の話ですが、私は、大宮サポーターがまさに、良いリーダー像と被って、感動しました。鳥栖に移籍する富山選手を快く送り出し、鳥栖の選手として、大宮と試合する際は、大きな拍手で迎える。もしも、富山選手が大宮に戻ってくることがあれば、大宮サポーターなら、それも快く受け入れる気がしました。鳥栖で試合に出ることで、成長し、新たな武器を身につけて帰ってくるだろうという信頼があるからこそだと思います。そう思うと、プロ野球で言えば、今話題の広島カープの新井選手とカープファンの関係も少し似ているかもしれません。(笑)

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ただ、自分の趣味であるサッカー観戦に行った話なのですが、感動的な場面が見られたし、塾長の話に勝手にリンクしたので、書かせていただきました。ちなみに、今回出てきた富山選手は、塾生の若林先生の元チームメートだそうです!
これからも感動したエピソードをあげていきます。

終わり

西村 宗玲

寝ても大宮覚めても大宮やっぱり大宮2

さて、試合の話に入ります。今回は、叔父さんと従兄弟と私の3人で観戦する予定でしたが、従兄弟は当日急用が入り、行けなくなりました。私も友人で誰か行ける人はいないか探したのですが、みんな予定が合わず、叔父さんは、余ったチケットを当日券売り場に並んでいる人に譲ろうと思っていたそうです。実際に私は見てないのですが、当日券売り場で出会った方に、運良く譲ることができたそうです。チケットを渡して一旦別れたそうですが、なんと!スタンドで「隣空いてますか?」と尋ねてきたのが、偶然、そのチケット譲った方だったそうです。ホーム側のゴール裏のスタンドは全て自由席で5,000席ほどあります。その中で、たまたまチケットを譲った知らない方と隣になるという縁にとても驚きました。話を聞いてみると、試合を観に来たのも初めだそうで、近いうちに仕事の関係で、遠くへ引っ越すということでした。せっかく、近くにいるから、引っ越す前に大宮の試合を観に行こうと思って、スタジアムに来たところ、チケットを譲ってもらったそうです。私たちからしても、良いお餞別になったのではないかと思います。(笑)「せっかく応援にいらっしゃったので、勝たせましょう!!」と熱く語り、試合が始まりました。

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ここで、今回の試合を語る上で、説明しておく必要のある選手がいます。現在は鳥栖に所属してます、元大宮のFW富山貴光選手です。昨年まで大宮に所属していましたが、契約満了に伴い、シーズン開幕前に鳥栖への移籍が発表されました。昨シーズンなかなか出場機会が得られなかった選手ですが、大宮サポーターからは愛されており、新天地での活躍を願ったサポーターも多かったなという、私の印象です。この試合スタメンだったのですが、試合前のメンバー発表の際も、大宮サポーターからは大きな拍手が送られました。

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大宮時代の富山選手

試合は前半から大宮が主導権を握り、ボールを回していたように見えましたが、持たされていただけのように感じます。ボール支配率も60%を越していましたが、なかなか攻めきれず…。そんな中、前半不運な形で失点します。大宮のDFが富山選手を倒してしまい、PKを与えてしまいました。PKのキッカーは倒された富山選手。試合前、大宮に戻ってきたことに大きな拍手をもらった富山選手がしっかりと決めて、先制を許してしまいました。(点決めてくれの拍手じゃないんだけどな…)大宮サポーターは手のひら返しのブーイングの嵐。余談ですが、私のイメージでは大宮は、移籍していった選手に決勝点を決められることが多い印象だったので、嫌な予感がしました。なかなかシュートまで行かないまま、前半終了。後半の巻き返しに期待です。

後半に入ると、鳥栖の足が止まってきます。前半からボールを持てていたので、後半もその流れからシュートに繋がってくるようになりました。すると後半13分、セットプレーから大宮のエース家長がゴールを揺らします。ゴールが決まったときのゴール裏の雰囲気が大好きなのですが、全く知らない人でもハイタッチをするなどして、一緒にゴールを喜ぶのです。ハイタッチした人とは、もう友達のようで、試合後には、「お疲れ様でした」とお互いに労います。この人との繋がりが、スポーツを応援しに行ったときに味わうことのできるものだと思います。これが好きで応援に行ってると言っても過言ではありません。(笑)

同点に追いつき、押せ押せムードの中、逆転を狙いに行く大宮イレブンですが、決めきることができずに、試合は終了。私の今シーズンの観戦試合3試合連続の引き分けとなりました。試合後は選手が、サポーターにあいさつに来てくれます。勝ったときは一緒に喜びますが、負けたときはサポーターからのブーイングが起こります。引き分けが一番微妙なところです。(笑)鹿島のような強いチームだと引き分けでもブーイングの嵐ですが、そこまで強くないチームでは、強いチームに引き分けたことで、拍手がもらえることがあります。個人の意見としては、「勝った」「負けた」は置いておいて、まずは1試合頑張って戦った選手に拍手はしようとは思っています。ここで、勝った場合はその試合のMVPが一言…なんてことがあるのですが、今回は引き分けということでありませんでした。

ここで、サッカーの試合ではよく観られるシーンがあるのですが、選手が引き上げた後に、対戦チームの縁のある選手は個人的にサポーターへ挨拶に行く場合があります。これまで育ててくれたサポーターへの「帰ってきました」の挨拶ということですね。今回で言うと、富山選手がそうです。しかし、古巣相手に点まで取って、ブーイングを喰らった選手ですので、今回は出られないんじゃないかと思いました。なかなか富山選手が出てこないので、やっぱり挨拶に来にくいのかなと思い、もう帰ろうとしていた、その時です。大宮サポーターが、富山選手の気持ちを察してか、大宮時代のチャント(応援歌のことです)を歌いだしたのです。まるで、「富山!出てきていいんだよ!挨拶に来いよ!」というメッセージのようでした。(なんとか引き分けになったからなのかなとも思いましたが、そこはサポーターを信じましょう笑)チャントを歌いだしてから、富山選手がベンチ裏からやってきて、サポーターの前で挨拶をしてくれました。サポーターからは、「次は違う試合で決めてくれよー!」や、「鳥栖でも頑張れよ!」など温かい声援が聞こえてきます。勝負になると別だけど、大宮の選手はもちろん、大宮にいた選手も大切にする素晴らしいサポーターだなと感動しました。

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挨拶に来た富山選手

(続く)

西村 宗玲