先日からごっこゾーンでドレスが展開されています。
子どもたちは夢中で、皆脱ぎたくありませんし、
一度着たら友だちに貸したくありません。笑
それだけ夢中になるドレス、
流石に成長展(多園で言えば製作、や、主活動、となるでしょうか)に取り組む時は脱ぐかな、
と思っていましたが、
皆着たまま
それを良しとする現在のチームの先生方の包容力にも、改めて尊敬の気持ちが湧きました。
「やりづらければ子どもが自分から脱ぐだろう」
というような鷹揚な精神が、有能論を元にした保育を体現させるのではないかと改めて思えてきます。
(報告 加藤)
4月最初の土曜日
給食をお花見にしようということで、
セッティング
「気持ちいいね」
「何かお家みたいだね」子どもたちから嬉しそうな声が聞こえてきます。
配膳
01歳児クラスの子たちは一足先に
「いただきます」副園長先生も一緒です
ブログ『臥竜塾』2010年8月29日『共視共食』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
人類学的視点から見たヒトの食は、「人間は料理をする動物である」および「人間は共食する動物である」といいます。複数の個人が集って食事をするという共食が、ヒトの食を特徴づけ、また、人類における家族の起源と共食は深い関係にあり、子どもは家族を中心とした共食環境の中で、食行動や食文化はもちろん、他者理解や社会的ルールを学ぶ機会を得てきたのです。特に、食の基本が形成される乳児期では、多くの発達過程が見える中での食事は、食の自立、食具使用の発達、社会認知的発達においてとても重要であったようです。
最近取り上げられる「食育」は、栄養指導、料理活動、栽培活動での事例が多く、どれも「食材」に焦点が当たっていますが、誰と食べるかも重要です。そういう意味では、少子社会において、幼稚園や保育所で、子ども集団による食事はとても意味があります。特に、乳児からの食事も大人との二人きりで食べることは見直さなければならないようです。今年ドイツに行ったときに、園で保育者が乳児に食事を与えている姿を、幼児にも見せていました。
皆よく食べました
その日出勤された先生方皆で春を満喫できたこと、とても素敵な時間でした。
(報告 加藤)
ボールプールで遊んでいる撮影時約6ヶ月の女の子(ピンクの服を着ているので以下ピンクちゃん)とそれを見つめる撮影時約1歳1ヶ月の女の子(以下白ちゃん)。
ピンクちゃの表情が少し曇ります。
すると、次の瞬間、
手を何回か叩いて、
おいでのポーズ。
主観ですが、このボールプールから出たがっていることを察知して白ちゃんはプールの傍へ来たんだ、と思いました。
ピンクちゃんは腕で体を支えることができるようになったばかり。
なので、いくらおいでをしても白ちゃんの方へ行くことができず、次第にピンクちゃんの気持ちは強くなっていきます
ふと白ちゃんがおいでのポーズをやめると、ピンクちゃんの視線は撮り手の保育者へ。
しかしまた白ちゃんがおいでを始めると、
表情が曇ります。
主観ですが、ピンクちゃんは最早、白ちゃんが自分を援助しきれないことを理解し、その力のある保育者へと援助の対象を移したのだと思いました。
出たいピンクちゃん。出してあげたい白ちゃん。
その後も何度か試みる白ちゃんでしたが、気持ちのすれ違いというのでしょうか、最終的に保育者に抱き上げられるピンクちゃんを見つめる結果となりました。
しかし、白ちゃんのこの援助行動ともとれる行動は興味深いものがありますね。
もうすぐ13年目に入られます藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年7月26日『道徳的感受性』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「子ども自身が実験場面にかかわる援助行動については、以前のブログで紹介したトマセロの研究が有名です。そのときに紹介した実験は、たとえば、実験者がある対象を落としてしまうのですが、その落とし物に手が届かず拾えないような場面で、14ヶ月から18ヶ月の乳児でも、すぐに拾うという行動が見られたというものです。また、12ヶ月児でも情報を必要としている大人と必要としていない大人がいれば、全社に対して、指さしする割合がより高くなるという実験です。このような研究から、人間は幼いときから、他者の援助行動を好むだけでなく、自分でも他者を助けたいと動機付けられていることがわかったというものです。」
13ヶ月にあたる白ちゃんと日々接していますが、「落とし物に手が届かず拾えないような場面で、すぐに拾うという行動」が見られそうな気がします。
しかしながら、どうしても主観的な報告となってしまうことがもどかしく、日常の保育を行いながら、数量と客観性に富む内容の報告をどうあげていくことができるだろうと、これからもクラスの先生方、フロアーの先生方、関わって下さる様々な先生方の協力を得ながら試行錯誤していきたいと思いました。
(報告者 加藤恭平)
海外の方が見学に来られると、とても驚かれる光景があるそうです。
食後、自分で自分のバッグのところへ来ます。
入れたそうにしているところをクラスの先生が少し手助け。
すると、
自分で入れます。
思わず先生も拍手。
気持ち、とてもわかりますね。
移動の主役が伝い歩きなこの子も、自分で来ます。
先生がバッグの口を開けてあげると、
自分で入れます。
ちなみにフックにはこのように自分の顔写真と名前が書かれています。
藤森先生から聞いていたのは「1歳児クラスの子が自分で支度をする姿に海外の見学者の方は驚く」ということだったのですが、この子たち、0歳児クラスの子たちです。
なぜこのような姿になるのか、まもなく13年目に入られます藤森先生が毎日欠かさず更新されています『臥竜塾』ブログ2017年8月8日『関係性をもとに』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回のブログの全文を読むことができます。)
「乳児が学習する仕組みについて、『顕示』を示すシグナルと『参照』を示すシグナルとの組み合わせによる『自然な教授法』という枠組みを提唱しているそうです。たとえば、物の名前を教える場合、教える側の大人は、まず赤ちゃんにアイコンタクトをしたり、呼びかけたりといった顕示行動を行い、続いて対象物を見たり、指さししたりといった検証行動を行なった後に、対象の名前を言います。教わる側である赤ちゃんは、顕示行動に注意を向けることによって教育の場面に対する準備を行ない、参照行動に従って教わる対象を固定し、発話から物の名前を言うという続く行動を、対象に関する知識として学習するという能力を備えているということがわかっているということのようです。」
赤ちゃんと呼ぶには成長段階を多分に経た子どもたち(前半の子当時約1歳3ヶ月、後半の子当時約1歳1ヶ月)ですが、0歳児クラスの子どもたちもこのような学習のプロセスを経て、あのような姿に育っていっていることを想像させます。
しかし、ここで興味深いのは、クラスの先生方の共通理解として「きっと1歳児クラスの子どもたちの姿を見ているからだろう」という推測が自然と成り立つ、ということです。
日頃から行動を共にしている0歳児クラスの高月齢の子どもたちと1歳児クラスの子どもたちによる朝の会の風景。
この日0歳児クラスの子どもたちの名前を呼んでくださっているのは1歳児クラスの先生です。
嬉しそうに手を挙げる当時約11ヶ月の女の子。
クラスの担任の先生だけでなく、また年齢別の枠組みの中だけでない日常が、実は大きな影響を子どもたちに与えている、とは言えないでしょうか。
『臥竜塾』ブログ2017年8月8日『関係性をもとに』では林創氏の著書に触れ、ダン・スペルベル氏(人類学者、言語学者、認知科学者)また、心理学者マイケル・トマセロ氏の研究内容について書かれています。対大人との関係性に焦点が絞られているのは、赤ちゃんの発達心理についての研究ですので当然と言えば当然なのでしょう。ですが、子ども社会における育ちの大きさというものを、現場の先生方は自然と共通理解されている、ということが、個人的には何かとても大きな出来事のように思えてくるのです。
そんな風に考えていたら、また別のある日、0歳児クラスの子が興味深い姿を見せてくれました。
(報告者 加藤恭平)
給食時における子ども集団について、とても興味深い出来事があったので報告します。
眼光鋭い眼差しの主は、
そう我らが森口先生です。ですが森口先生はこの度の報告に全く関係がなく、カメラを向けた先にある配膳の全体風景を撮ろうとしたところ、見事なカメラ目線で写り込んでくるという(笑)やはり只者ではありませんね。
2016年度最後の報告に、5分半程の動画をスクリーンショットして取り組みます。
配膳始まる中、まだ向かわない集団があります。
テーブルにはパズルが残っていますね。
ピーステーブルにも。
そして、
もう一度先ほどの場所にカメラを向けます。
この度スポットを当てたいのは、この3人(写真手前の子はわいわい組3歳児クラス、奥の2人はらんらん組4歳児クラス)、と、先ほどピーステーブルにいた3人(わいわい組3歳児クラス)の子です。
この3つの集団(らんらん組4歳児クラス2人、以下〈チームらん〉、ピーステーブルにいたわいわい組3歳児クラス3人、以下〈チームわい〉、パズルをやっている黒い服の男の子わいわい組3歳児クラス以下クロ君)がどのように配膳に向かっていくのか。これがとても興味深いものでした。
クロ君は〈チームらん〉に視線を送ります。
というのも、取り組んでいるパズルが中々難しいようで、助けを求めるような視線を何度か〈チームらん〉に向けます。ですが、まだ〈チームらん〉は気付きません。
その間にも配膳は進んでいきます。
〈チームわい〉は少し配膳が気になるのか、様子を見に来るのように場所を移動したりしています。
そして、
何かが気になり、ブロックゾーンへ。
〈チームわい〉は、かなりゆったりしたペースですね。
カメラを戻すと、
〈チームらん〉がパズルに加わっていました。
クロ君の熱視線、想いが届いたようですね。
しかし、なぜ〈チームらん〉〈チームわい〉は、配膳へ向かわないのでしょうか。
同時に、どのタイミングで配膳へ向かうのか、という疑問も湧いてきます。
この後の展開、そこにおける会話のやりとりに、「なるほど」と思わせるものがありました。
(報告者 加藤恭平)