夏の誕生会のひとこまです。
今年度、誕生会もテーマは『stem』ということで、この日も実験が行われました。
意外と美味しかったようです。
さて、本題へ。
その日のおやつは勿論カルメ焼きで、子どもたちも嬉しそうに食べていました。
子どもたちも大人も楽しめる、毎月の行事ですね。
(報告 加藤)
夏の誕生会のひとこまです。
今年度、誕生会もテーマは『stem』ということで、この日も実験が行われました。
意外と美味しかったようです。
さて、本題へ。
その日のおやつは勿論カルメ焼きで、子どもたちも嬉しそうに食べていました。
子どもたちも大人も楽しめる、毎月の行事ですね。
(報告 加藤)
振り返ればここからお泊まり保育はスタートしていました。
パプリカ、ズッキーニ、オクラ、トマト、などなど何種類もの野菜を、子どもたちはチームに分かれて植えました。
育てた野菜を使ってお泊まり保育のメニューを作る見通しです。
2014年1月23日『「ハレ」の体験』の中でこう書かれています。
準備の為の準備を重ねて、ハレの日はやってきますね。だからこそ待ち遠しいものなのだと思います。
(報告 加藤)
お泊まり保育の今年度の製作の写真立てづくりに、先ず大工さんから手ほどきをいただこうという企画です。
とても丁寧なご指導をいただきました。子どもたちにとって貴重な時間となったのではないかと思います。
2012年9月22日『どう変えるか?』の中でこう書かれています。
必要なのは、子どもたちは、特定の人に育てられる時代から、人々のネットワークの中で育てられる保育への変化です。それが、「ソーシャルネットワーク論」なのです。
作った土台に、当日装飾をして完成させます。作品を作るだけでない、様々な学び、経験、体験がこのような取り組みの中にふんだんにあることを改めて感じます。
(報告 加藤)
塾長がテーブルへ来て下さったこの日。
席を子どもたちが自由に決め、「いただきます。」
すると、ぐんぐん組(1歳児クラス)の子が食べすすみません。
すると食べます。
「もう隣に座ってあげたら?」との友だちのアドバイスを受け、
最後まで食べさせてあげていました。
2010年11月23日『共食と乳幼児期の発達』の中でこう書かれています。
人の食事は、人の発達にずいぶんと影響を与えます。他者に食べさせるという人間の特徴である行為から、役割交代をし始め、次第に自己を知り、他者を知るようになると、次第に自己主張をするようになります。食について、北海道大の川田准教授が示した事例は、誰でも思い当たるでしょう。
「1歳を過ぎたころの子どもにスパゲッティと野菜を食べさせようと、「これは?」とトマトを差し出すと、子どもは顔をしかめてのけぞります。そこで、今度は、「じゃ、これは?」と青菜を差し出してみますが、より一層顔をしかめてみせ、不快そうに手を振って「あ゙?」と非難の声を上げてソッポを向いてしまいます。そこで、「どうしたのー?」とやや非難気味で、再度「赤いのは?」とトマトを差し出しますが、またもや顔をしかめ手で顔を隠してしまいます。そこで「じゃ、自分で食べる?」とプレートを差し出すと、子どもの表情が一変し、トマトに手を出し始めました。今度は、スパゲッティを食べる段になり、同じように子どもが自分でプパゲッティを食べようとしますが、うまくすくえないのを見かねて、箸でつまんで子どもの口元にもっていくと、子どもは拒否をします。その後、大人の差し出しを受け容れたかに見えた時でも、これ見よがしに吐き出し、自分で食べようとします。「なんでー、おんなじのよ?」といっても、更に、子どもは差し出しを拒否した後、今度は自分の方から大人に差し出して、役割逆転が起ってしまう」という事例です。
ここで、大人は「おんなじのよ?」と思っていますが、子どもにとっては同じではないのです。どこが違うかというと、おそらく、大人の意図、あるいは大人の意図の下で進められるという“手続き”に対する拒否感情が生じているのではないだろうかと分析しています。社会心理学には、心理的リアクタンスという概念だそうで、「態度や行動の自由が脅かされた時に喚起される、自由の回復をめざす動機づけ状態」(「心理学辞典」有斐閣)というそうです。このリアクタンスは、もともと説得理論のひとつとして、セールスなどでの押しつけがましい説得が逆効果をもたらすことの根拠とされてきたのですが、リアクタンスが生じるためには、自分自身の行動や態度の自由を認知している必要があり、自由を認知しているにもかかわらず強制されると禁止された行動が遂行されるのです。
年上の子に年下の子のお世話をさせようと意図的に席を設定すると、意外とこちらの思惑通りにいかないこともあったりして、なるほど“手続き”に対する拒否感情が生まれてしまっていたのかも、と考えさせられました。
互いに育み合えるこういった行事が大切であることを改めて感じます。
(報告 加藤)
おたのしみ会が終わりました。
本番当日よりもそれまでの過程が心に残るこの度の行事でした。
チームの先生方から手厚いご協力をいただき、本当に感謝しかありません。
ブログ『臥竜塾』2012年12月27日『おたのしみ会の考察18』の中でこう書かれています。
本番の舞台は、ご観覧いただいた方々の目にどのように映ったでしょうか。子どもたちは、とても楽しかったようです。こうして、また一つ行事が終わり、その度に達成感のような清々しさと、寂しさを味わっています。
(報告 加藤)
すいすい番の時間、テーブルが汚れてきたね、ということで
終わると綺麗になったテーブルを前に、皆程良い達成感を味わった様子でした。
こういう時に、皆で乾杯をしたりできるものがないかと思っていたところ、
その間、1日1回、上下を逆さにして振ることがお当番の仕事に追加されました。
見に行ったその日に、皆で初めての遠出をしたことを祝おうということになり、その日を楽しみに待ちました。
そして何も割らずにそのまま、という三択の中から選びます。
皆に渡りました。
甘い、酸っぱい、美味しい、美味しくない、様々な感想があったようですが、皆とても嬉しそうでした。
ブログ『臥竜塾』2014年1月23日『「ハレの体験」』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
梅シロップを飲むことは子どもたちにとってハレのことなのだろうと、嬉しそうな姿を見ていて思います。
そんな子どもたちでしたが、梅シロップを巡って、また違った展開を見せてくれました。
(報告 加藤)
先日、豆まきをしました。
まいた豆を片付けていただいている間、子どもたちと散歩へ。
「何か風の音も違う」
「いつもなら、スーっていうのに、今日はザーザーザーって」
「あ、わかった」
想像力が働きますね。
ブログ『臥竜塾』2010年9月7日『妖怪2』の中にこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
日本では、森羅万象、天地万物という人為でないものに対して、恐れを抱くことがあるのですが、同時にある神聖なものを感じていたようです。特定の形を持たない自然環境や自然現象を、古代人はそのまま霊性や神として意識していたことが「古事記」や「日本書紀」をはじめ、天地開闢についての神話や説話から見られると片岡真実さんは語っています。片岡真実は、森美術館チーフ・キュレーターで、今、開催されている「ネイチャー・センス展」を企画しています。そこで、メンバーを対象にして展覧会貸し切り特別内覧会「MAMCナイト」を開催しているようです。私は「先生のためのツアーガイド」に参加したのですが、「MAMCナイト」同様、一般向けイベントとは一味違う切り口で、展示解説、および展示に関る多様なコンテンツを提供してくれました。片岡さんは、プロジェクターを使って、この展覧会が出来上がるまでの様々なシーンを紹介し、そこでの話は、日本と西洋の神の成り立ちについての違いにも言及していました。
「『古事記』では、最初に高天原に現れた神々に続き、石や土、海、水、風、木、山などの神々が出現し、『日本書紀』でも、イザナギとイザナミの神が海の神、川の神、山の神、木の神、草の神といった自然神を生み、続いて太陽神として天照大神が現れる。人々は自然に包まれ、その自然感から八百万の神と言われるような多神教の宗教観が育まれたことも理解できる。」八百万の神というのは、たくさんの神々ということですが、それは身の回りに起きる森羅万象全てに神が宿るという考え方でもあるのです。子どもたちは、「環境に自ら働きかけ、それとの相互作用により発達する」ということは、身の回りに起きる不思議さ、怖さなどから自然を感じ、その不思議さに対する探究心を持つことが自然と子どもの関わりで大切なことであり、決して、広い園庭があって、そこを走り回っていれば子どもたちが自然の中で過ごすことにはならず、また、緑があれば自然が豊富ということにはならないのです。
鬼を探求する二人。最後には、近くの食品工場から流れてくる香りに、
笑ってしまいました。暦の上では春を迎えますね。
(報告 加藤)
お楽しみ会が近付き、楽器ゾーンが盛り上がっています。
ブログ『臥竜塾』2012年12月16日『お楽しみ会の考察7』の中でこう書かれています。(太字をクリックすると塾長藤森先生のブログ『臥竜塾』にとび、この回の全文を読むことができます。)
「お楽しみ会の考察」読み深めて臨みたい内容であることを改めて感じます。
(報告者 加藤恭平)